赤田祐一+ばるぼら共著の「定本 消されたマンガ」

jpeg000 113赤田祐一+ばるぼら共著の「定本 消されたマンガ」を読了。
何らかの理由で、出版史上から消されてしまったマンガとその消された事情を説明した本です。
あの国民的漫画「サザエさん」には、新聞には掲載されたけど単行本には入ってないのが、何と700本もあるそうです。その中には時事ネタ過ぎて今の人には何のことだかわからない、といったようなものもあるみたいですが、「人喰い人種」について触れているようなものもあるみたいです。
60-70年代の作品は、ハレンチ学園、ブラック・ジャック、アシュラなどリアルタイムで読んでいたものが多く懐かしいです。ジョージ秋山は70年代初期の頃は本当に過激でした。ちょっと差別的表現が出てくる、というレベルではなく、例えば「アシュラ」では初回から飢えた母親が自分の赤ん坊を食べてしまおうとします。
また、1980年に赤塚不二夫が「キャスター」という人肉食を笑いにした漫画を発表していたのを初めて知りました。
そういうのに比べると1990年以降のものは、盗作だとか単なる自主規制だとか、パンチ力としては大幅に落ちるものが多いように思います。
また、大学生の頃、泉昌之の「かっこいいスキヤキ」他を愛読していましたが、それにはウルトラマンが四畳半でギターを弾いていたりするパロディー漫画が多数入っていました。当時から「いいのかこれ」と思っていましたが、円谷プロに許可を取らないで勝手にやっていたみたいです。その後正式に抗議が来てお金を要求されて、支払えないので、今の単行本ではウルトラマンネタは削除されているみたいです。

小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モアPart2 ミート・ザ・ビートルズ」

jpeg000 111小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モアPart2 ミート・ザ・ビートルズ」を再読。前作の「イエスタデイ・ワンス・モア」の最後で、1959年にタイムスリップした主人公は、結局1959年に留まることを選択しますが、そのすぐ後の話になります。今年は丁度ビートルズ来日から50年になりますが、主人公は1959年から、タイムパトロールの力で1966年のビートルズ来日時に再度タイムスリップします。主人公の父親があろうことか、ポール・マッカートニーを暗殺するという陰謀に巻き込まれており、それを阻止するためです。
主人公は、最後の所で意外な行動を取りますが、それは物語の前半の伏線部で気がつきました。再読ですが、前に読んだ内容はほとんど忘れていました。
ポール・マッカートニーの暗殺阻止という主人公の行動よりも、ビートルズ来日を巡る日本国内の大騒ぎの方が興味深いです。1966年の段階では、ビートルズはもうその地位をすっかり固めていた筈ですが、日本国内での偏見の大きさに驚きます。また、海外ミュージシャンが日本公演を行う時の聖地になっている武道館が、海外ミュージシャンの使用がこのビートルズ来日公演に始まるというのも驚きです。
なお、この小説が発表された時、音楽評論家松村雄策が当時の事実関係に誤りがあるとして、何点か指摘しましたが、私の目から見ると、きわめて些末で重箱の隅をつつくものであり、なおかつ指摘自体誤っているものも含まれており、実に馬鹿げていると思います。

小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モア」

jpeg000 110小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モア」を再読。1989年に出版された作品です。ある高校生が1959年の東京にタイムスリップする話です。この1959年は小林信彦にとっては特別な年で、江戸川乱歩に見いだされ、宝石社のヒッチコックマガジンの編集長になった年です。「夢の砦」がその時の経験を描いていますが、「夢の砦」では1961年に舞台が移されています。その理由は、1959年を舞台にすると、59年から60年での安保闘争を描かざるを得ないからと作者が説明しています。「イエスタデイ・ワンス・モア」ではその安保闘争に主人公が参加するシーンがあります。
1959年時点では、東京にはまだ高速道路もなく、高層ビルもありませんでしたが、そうした東京の風景と当時の風俗が生き生きと描写されています。主人公が1959年に来て放送作家で生計を立てる、というのはちょっとまたか、という感じもしますけど。

片山杜秀の「近代日本の右翼思想」

jpeg000 108片山杜秀の本、今度は「近代日本の右翼思想」を取り寄せて読んでみました。この本は片山杜秀の卒論や修論がベースになっているみたいです。
片山は左翼を、過去にも現在にも存在していない理想を未来で実現させようとしてそれに走る者、と定義します。左翼の反対側が右翼ですが、それには保守と反動があって、保守は現在を重視し、反動は過去に戻ろうとします。日本の場合は、戻るべき過去は天皇制ですが、戦前は現在を見ても天皇が現前と存在しています。そこで右翼は現状を変革しようとしても、ある種の腰砕けに終わってしまい、現状を変革する試みはすべて失敗に終わります。どうせうまく世の中を変えられないのなら、やがてあきらめて自分の手で変えるのではなく、天皇がいつか変えてくれるのだという錦の御旗の革命論になります。(これが安岡正篤。片山は安岡正篤研究の専門家です。)さらに一歩進めて変えることを諦めると、現在をありのまま肯定するという気持ちになり、「中今」という考え方が生まれます。現状を肯定するようになると、頭で何か考えることは不要になり、身体論が叫ばれるようになります。という風に1945年8月までの戦前の右翼思想の流れを総括します。結局何も考えないでアメリカとの戦争に突入した背景が右翼思想の点から明らかになります。そうした過程で、西田幾太郎や阿部次郎や長谷川如是閑のような、一般には右翼とは思われていない人の思想が、こうした右翼思想の変遷に与えた影響を考察しているのが目新しいです。
一方、欠けている視点は「大アジア主義」的な見方でしょう。頭山満が孫文を支援したり、戦前の右翼には日本を超えてアジア全体のレベルで考えることが行われていましたが、この本ではそのあたりはまったく取り上げられていないですね。

小林信彦の「紳士同盟」「紳士同盟ふたたび」

jpeg000 103jpeg000 105小林信彦の「紳士同盟」と「紳士同盟ふたたび」を再読了。「紳士同盟」が1980年、「紳士同盟ふたたび」が1984年に出版されたもので、どちらも週刊サンケイ(現在の週刊SPA!)に連載されたものです。小林信彦の作品としては結構部数が出たようで、「紳士同盟」の方は、薬師丸ひろ子主演で映画にもなっています。(薬師丸ひろ子が歌う主題歌を今でも記憶しています。)ただし、映画のストーリーは原作とはほとんど無関係です。
おそらく、映画の「スティング」の影響で、日本で初めての「コン・ゲーム」(詐欺ゲーム)小説です。ジェフリー・アーチャーの「百万ドルをとり返せ!」の影響もあるかもしれません。パズラーと呼ばれる謎解きのミステリーが、ほとんどあらゆるパターンが出尽くして手詰まり感があったのに対し、コン・ゲーム小説は新しい可能性を開いたといえると思います。
出てくるコン・ゲームの内容について不満があるのは、小林信彦が得意なTV局関係と映画マニア関係に偏っていることです。この2つに関係ないのは一番最初の銀行を騙す話と、「ふたたび」の方の最後の話での絵画を使った詐欺だけです。また、騙される側として、資産家の医者である宮田老人というのがルーティーンで何度も登場しますが、実際のコン・ゲームでは同じ相手というのはタブーなんではないかと思います。