田中圭一の「うつヌケ」

田中圭一の「うつヌケ」を読了。「ドクター秩父山」などのギャグ漫画や禁断の手塚治虫パロディーで有名な田中圭一が、自身がうつになったのとそこから抜け出せた体験を語ると同時に、色々なうつの人(一部双極性障害の人も含む)の体験を聞いて漫画にしたもの。一つ参考になったのは、大きな気温の変化(季節の変わり目)や気圧の変化(台風や低気圧など)でうつが誘発されるということで、田中さんだと11月、3月、5月が良くないそうです。確かに私のうつでも、もっとも症状が重かったのは3月だったと思います。私のうつは、最初会社を1ヵ月ほど休み、一回直って2ヵ月くらい勤務したら再発し、そこからまた半年会社を休み、復帰しますが、そこから半年後ぐらい(それが丁度3月でした)が最悪でした。後で調べたら「激越型うつ病」というものだったらしく、ともかくじっと静かに座っていることが出来ず焦燥感が襲ってきて、会社で勤務中でもじっとしておられず10分に1回席を外して、屋上に行って意味もなく歩き回っていたりしていました。(歩いていると多少気が紛れるので)また食欲がほとんどなくなり、体重が10Kg減りました。そういう経験してきたんで、この本にもありますけど、「うつは心の風邪」なんて言い方はとんでもないと思います。風邪引いたくらいで、体重が10Kg落ちたりしません。漫画なので気楽に読めますので、多少心当たりがある人は読まれたらいいのではないかと思います。

獅子文六の「七時間半」

獅子文六の「七時間半」を読了。1960年に週刊新潮で連載されたもの。獅子文六67歳です。何が「七時間半」なのかというと、東京発大阪行きの特急「ちどり」(架空の列車名、モデルとなっているのは特急「はと」)が東京を発って大阪に着くまでが七時間半ということです。この特急列車に乗り込んでいる食堂車のコック、ウェイトレス長、そしてメレボ(女性の列車ボーイ、実際に「はとガール」という女性乗務員がいたみたいです)の3人を中心として色んな人間が登場して話が進行していきます。まずは、1960年当時で、東京大阪間が7時間半もかかったということに、新鮮な驚きを感じます。ちなみにこの物語の4年後に東海道新幹線が開通し、東京大阪間を最初の1年は4時間で結び、その後は3時間10分にまで短縮します。つまりあっという間に半分以下になった訳です。ちなみに現在では2時間22分です。現在の新幹線ではとてもこの話は成立しません。
解説の千野帽子さんは、この小説を「グランドホテル形式」と書いていますが、それよりも私が思ったのは、この小説は大衆時代小説の一つの形式である、「東海道五十三次もの」の現代版だということです。「東海道五十三次もの」の元祖は当然「東海道中膝栗毛」ですが、私が読んだ時代ものの中でも、野村胡堂の「三万両五十三次」や、南條範夫の「月影兵庫 上段霞切り」がそうです。もっともこの獅子文六の小説では東海道はあっという間に過ぎてしまう訳ですが、どの駅で給水するのかとか、どの駅でどんな土産物が売れるのかという情報を細かく書いていて、現代の五十三次ものとしての面目躍如だと思います。
この特急「ちどり」には岡首相が乗っていて、モデルは当然岸信介首相でしょう。そして岸信介首相に対抗するのは、60年安保の時代ということで全学連で、獅子文六はこの2つをうまく話の中に入れてストーリーを作ります。
全体的に深みはまったくないですが、67歳の獅子文六のストーリーテリングの巧さが光る作品だと思います。またグルメであった獅子文六が食堂車というものについて穿った解説をしてくれている小説でもあります。今は新幹線でも食堂車はなくなってしまいましたが、ちょっと懐かしさを感じます。

大川慎太郎の「不屈の棋士」

大川慎太郎の「不屈の棋士」を読了。コンピューター将棋に対する考え方を11名の棋士にインタビューしたもの。奇しくも電王戦で、佐藤天彦名人が、現役の名人としてポナンザと対局し、いい所なく敗れるという報道がありました。このように、既にコンピューター将棋は、タイトルホルダーのような超一流のプロ棋士の実力をも超えていることは明らかだと思いますが、11名の中には佐藤康光9段のようにそれすら認めていない人もいるということがわかりました。個人的には千田翔太6段のように、コンピューターを積極的に活用して、自分の棋力を向上させようとしている人の方がはるかに好感が持てます。個人的なことを振り替えれば、私の囲碁の力は、最初の頃は棋書をたくさん読み、プロの棋譜を並べ、また亡父(アマチュア7段格)に打ってもらうことで、すぐに3級くらいにはなりました。でもそこから先の初段へ、そして現在の3~4段くらいの棋力になる上では、コンピューター囲碁との対局が本当に役だっています。将棋でもこれから出てくるプロは、ほとんどをコンピューターとの対局で腕を磨いた、という人が出てくると思います。また、文字を書くことで考えても、ワープロやパソコンの仮名漢字変換が出てきて、「漢字が書けなくなる」などのネガティブなことをいう人はいました。でも、後から考えてみると、コンピューターは人間の書く力を強めてくれた、と思っています。本書のサブタイトルには、「人工知能に追い詰められた「将棋指し」たちの覚悟と矜持」とありますが、過剰な「矜持」は感じられても、「覚悟」の方はあまり感じられなかったです。

小林信彦・編の「横溝正史読本」

小林信彦・編の「横溝正史読本」を読了。小林信彦と横溝正史の1975年から76年にかけての4回の対談を中心にまとめたもの。小林信彦の編集者としての仕事の内、もっとも良質な部分が良く出た本だと思います。特に、戦前の、横溝正史が「新青年」の編集長をしていた頃を中心とする話が興味深かったです。小林信彦は宝石社のヒッチコックマガジンの編集長をやっていた頃に、宝石社に保管してあった「新青年」の多くに目を通しており、またその頃の宝石社には、真野律太という、博文館の「譚海」という雑誌の編集者をやっていた人が校正の嘱託として働いており、小林信彦と交流がありました。横溝正史の「神変稲妻車」を読んだ時に、白井喬二と国枝史郎の影響を感じたのですが、白井喬二の影響はこの本では良くわかりませんでしたが、年譜から白井喬二と横溝正史がほとんど同じ頃文壇デビューを果たしているのを知りました。国枝史郎については、ある出版社から文庫本による国枝史郎の作品集が出た時、三人の監修者の一人が横溝正史だったということでした。横溝正史が国枝史郎の作品を高く評価していることはよくわかりました。
私は横溝正史の作品としては、「本陣殺人事件」、「犬神家の一族」、「八つ墓村」程度しか読んでいないので、それ以外の部分は論評を差し控えますが、小林信彦が知識の量としては横溝正史にまったくひけを取らず、横溝正史から色々な情報を引き出していることを高く評価したいと思います。

獅子文六の「自由学校」

獅子文六の「自由学校」を読了。この作品、中学生の時に一回読んでいる筈なのですが、内容をまったく覚えていませんでした。家に「昭和文学全集」みたいなのがあって、その中に「獅子文六」の巻があり、確かに「自由学校」が入っていたと記憶しているんですが…
昭和25年に朝日新聞に連載されたもので、連載中から話題の大人気作になり、昭和26年になんと松竹と大映の競作という形で同時に映画化され、それが5月連休に封切られて大当たりしたことから、「ゴールデンウィーク」という呼び方がこの時初めて生まれます。また、中に神楽囃子が出てきます。そのリズムの表現として「テンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤ」という描写が出てきますが、この擬音語を矢代秋雄が自作の交響曲の第二楽章で、八分の六拍子+八分の二拍子+八分の六拍子という変拍子として使います。この交響曲のCDはNaxosから出ていて所有しています。他にも色々エピソードがあって、「とんでもハップン」という言い方は、獅子文六がこの小説で使って有名にした表現です。
お話しは、生活能力の優れた駒子と、育ちは良くて巨体だけどぐうたらな五百助の夫婦が、いつの間にか勝手に職場を辞めていた五百助に駒子が「出て行け」と怒鳴り、五百助がはいそうですか、と家出する場面から始まります。一人になった駒子には、三人の男が言い寄ってきます。一方、ほぼルンペンにまで落ちぶれた五百助ですが、意外とたくましく暮らしていき、橋の下に住みながら結構裕福な暮らしを送ります。色々あって、結局この二人は獅子文六らしく元の鞘に収まるのですが、その収まり方がまたとても現代的です。五百助がお茶の水の橋の下に暮らすというのは、獅子文六が戦後実際にそういう人達を自宅から観察していたことが、「娘と私」に出てきました。
戦後、「自由」というものが外から与えられたものとして日本に入ってきて、それによって日本人の色んな人が翻弄される様子を面白可笑しく書いている作品です。

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」を読了。「わかる本」となっていますが、この本を一冊読んだ後も、冠詞についてわかるようにはなりませんでした。むしろ、ますます混乱が拡がったような。何故ならば、この本は最新の英文のコーパスに基づいて、「一般的には~だけど、コーパスでは~という言い方も多くされている」といった例がたくさん示されていて、元々例外だらけだった冠詞についての文法規則が、さらに例外を認める方向に拡大している、ということがわかるからです。ただ、一つ役に立ちそうなのは、特に商用の文(コピーなど)については、冠詞はどんどん省略される方向に向かっていることがわかったことでした。Amazonで、もう一冊冠詞に関する本を注文しました。

NHK杯戦囲碁 蘇耀国9段 対 趙治勲名誉名人

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が蘇耀国9段、白が趙治勲名誉名人の好カード。この対局のポイントは左辺の攻防で、白が黒の4子を取り、更に残りの左辺の黒も取り切り、代償として黒が中央に鉄壁の厚みを築いて、白が下辺と右辺にかけてどの位黒地を減らせるのかのしのぎ勝負かと思われていました。しかし黒の蘇9段は左辺に手をつけていき、ここは白が正しく受ければ取られていた黒の半分を連れ戻すヨセの手が残った程度でした。しかし白の趙名誉名人は受けを間違え、結果としては黒の先手ゼキになり、黒は先手で取られていた石を全部生還させるという大きな戦果を挙げ、ここで勝負は決まってしまいました。その後白は右下隅に手をつけていき、黒の対応がまずかったせいもあって一定の戦果を挙げましたが、それまでの損を挽回することはできず、終わってみれば黒の4目半勝ちでした。

ルパート・サンダースの「ゴースト・イン・ザ・シェル」

「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観てきました。原作の「攻殻機動隊」はコミックもアニメも一切観ていません。映画としては、ストーリーはありがちな展開で結末が簡単に予測できる感じであまり感心しませんでした。ただ映像は楽しめて、特に香港のちょっと未来という感じが非常に良く出来ていて、怪しげな3Dホログラム広告が実に香港ぽかったです。またミラ少佐が芸者ロボットの中にダイブする場面が、子供の時良く見ていた夢の感覚に似ていて懐かしい感じがしました。後は「映画は女優で観る」(by 小林信彦)で、やはりスカーレット・ヨハンソンがとても良かったです。ビートたけしは、久しぶりに観て、かなり老けたという感じでした。

ユリウス・パツァークの「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」

ユリウス・パツァークのシューベルトの「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」のカップリングのCDを海外から取り寄せて聴きました。ユリウス・パツァークというテノール歌手は、日本のクラシックファンには、ほとんど一枚のレコード(またはCD)にて記憶されています。それは、ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルで、1952年に録音されたマーラーの「大地の歌」で、パツァークはキャスリーン・フェリアーと一緒に歌っています。この盤は現在でもこの曲のベスト1の録音と言われています。この曲のLPには音楽評論家の宇野功芳が解説を書いていて、パツァークについては「ドイツリートなども録音しているが、あまり声量がなく大した歌手ではないが、たまたまその声量と声質が『大地の歌』(中国の漢詩の世界を西洋人が誤解して、「生は暗く、死もまた暗い」のような厭世的な歌詞がたくさん出てきます)にはぴったり合ってこれ以上ないような名唱になった。」などと言ったことを書いていました。最初に「冬の旅」の方から聞いて、確かに声量がなく、息が浅く、素人みたいな歌い方と思いました。しかし、「美しき水車小屋の娘」の方を聴いてみたら、そういう評価はまったく覆り、声量も十分で、堂々の大歌手の歌い方でした。調べて見たら、「美しき水車小屋の娘」が録音されたのが1943年でパツァークは45歳、「大地の歌」の時は54歳、そして「冬の旅」に至っては1964年で66歳です。「大地の歌」と「冬の旅」での声量の衰えは加齢によるもので、若い頃は立派な歌手だったことがわかりました。やはり人の言うことを鵜呑みにしないで、自分で実際に確かめてみることが大事と改めてわかりました。

白井喬二の「唐手侍」

久しぶりに白井喬二のまだ読んでいない作品の「唐手侍」を読了。別冊小説新潮の昭和36年の7月号に掲載されたもの。これ、6月に発売されたものだとすると、奇しくも私が生まれたまさにその月です。白井喬二の「さらば富士に立つ影」によると、英文学者の吉田健一が「武士の典型として時代小説の面白さがここにある」と評した作品。単行本にはなっておらず、本当は学芸書林の白井喬二全集の第二期のものに収録される予定でしたが、白井喬二の申し入れでこの第二期が取りやめになったため、今日に至るまで単行本では出ていません。従って初出のこの「別冊小説新潮の昭和36年7月号」を入手するしかなく、たまたま見つかったのはラッキーでした。
お話しはタイトル通り、「唐手」を身につけた侍が、本能寺で織田信長を討った明智光秀の家来である間者と、刀対素手で戦う話です。この時代ですから、唐手(琉球空手)については大したことは書いていないだろうと思っていましたが、意外にどうして、中国の張三豊(この作品では張三峰、中国の内家拳の始祖と言われています)から琉球に伝わった唐手について、その技法についても結構詳しく書いています。琉球に渡ったことのある兄より、幼い頃から唐手を仕込まれ、かなりの腕前であるのに、実際は引っ込み思案である武士が、実戦で唐手を使って勝利し、戸惑いながら自分の力に目覚めていく様子が描かれた、ちょっと不思議な、でもとても白井喬二らしいトーンの作品です。