アウター・リミッツの”The Man with the Power”を観ました。またもSFホラーでした。ハロルド・J・フィンリーは大学の先生でしたが、内気で弱気で人と争うことも出来ないような性格でした。安月給を補うためある中学校で生徒を教えていました。しかし彼はある画期的な装置を発明し、それを自分の身体で実験します。その装置を脳のある位置に埋め込むと、宇宙線のような我々のすぐ身の回りにあるエネルギーを集中・増幅させることが出来、またそれは人間の意識によって制御可能でした。フィンリーはこの技術を頓挫寸前だった資源獲得のための小惑星探査プロジェクトに売り込み、それはすぐ採用され、ある若い宇宙飛行士の脳に同じ装置が埋め込まれることになります。しかしこの装置は思いがけない副作用を持っており、フィンリーが表面的は怒りとか恨みの感情を抱いていない場合でも、彼の深層が無意識にそういった負の感情を持った場合、あるエネルギー体の雲と雷鳴のようなものを発生させ、それによって人々を殺してしまうというものでした。フィンリーはこの副作用で、自分に中学校教師を続けるよう強要する校長先生を殺してしまい、また自分の奥さんすら危うく殺しかけます。この副作用に気がついたフィンリーは若い宇宙飛行士の手術を中止するように言いますが、麻酔薬で眠らされ、手術が始ります。しかしフィンリーは麻酔薬の眠りの中で、副作用による雷雲めいたものを発生させ、手術室を破壊します。結果として手術は中止なりますが、彼自身もこのような能力を持った人間は生きるべきでない、と言い、自分自身が作り出したエネルギー体によって消滅します。
どうでもいいですが、どれもこれも話が暗いのは辟易します。冷戦による核戦争の危機の時代で、人々の不安感が大きかったのにこのドラマは便乗しているように思います。
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コージィ城倉の「プレイボール2」の元ネタ
コージィ城倉の「プレイボール2」の元ネタ。ちばあきおの短篇の「磯ガラス」のメンバーが、川北高校のナインの内7人(多分バッテリー以外)を占めています。「キャプテン2」の中でもこの7人が釣りが趣味であることが描かれています。(それどころか「磯ガラス」の一場面がそのまま使われています。)ちなみにこういう元ネタ探しを楽しんでいるのであって、非難している訳ではまったくありません。逆にこれから「キャプテン2」でどんな元ネタが新たに使われるかが楽しみです。今の所「トーボくん」とか「チャンプ」のキャラはまだ使われていないようです。
トワイライト・ゾーンの”A Thing About Machines”
トワイライト・ゾーンの”A Thing About Machines”を観ました。うーん、本当にシーズン2になってからつまらないです。この話は人間嫌いのグルメ評論家のフィンチレーが、家の中のマシン全部に反逆され、最後は自分の車に追いかけられ、結局はプールに落ちて溺死する、という話です。家の中のタイプライターが勝手に「ここを出ていけ、フィンチレー」とタイプし始めたり、電気剃刀が襲ってきたり、テレビが勝手にONになって、そこに出てくるフラメンコのダンサーがやはり「フィンチレー出ていけ」としゃべるとか、ホラーとしては十分怖いんですが、ストーリーとしてそうなった理由とか背景説明もまったくなく、ただ機械に襲われる男の話に過ぎません。
中根千枝先生の「社会人類学 アジア諸社会の考察」
中根千枝先生の「社会人類学 アジア諸社会の考察」を読了しました。昨年10月の先生の訃報を聞いてからしばらくして買い求め、読み始めたものです。ここの所半年くらい、6冊くらいの日本語の本をほぼ常に同時に読んでいるので、読了が遅くなりました。内容は家族の構造などの社会人類学の基礎概念の解説と、中国、インド、韓国、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ネパール、シッキムなどの社会構造を、階層とか社会構造、人間ネットワークの観点で比較分析したものです。後者については先生も書いておられるように、まだ最初の試み、という感じがありますが、しかし社会学者が「社会」を研究対象にしながら、このような視野の広い比較による社会分析が十分出来ていないのに比べると、先生のこの研究のようなものの方が一歩先を行っていると思います。また現在文化人類学はサイードの「オリエンタリズム」におけるような欧州中心主義に対する批判とか、ポストモダン側からの極端な相対主義による批判にさらされ、かつての勢いを失っているようですが、日本を含むアジアの文化人類学者というのは、そういう批判の外にいて、独自の貢献が出来る可能性を持っているように思います。少なくとも私にとっては社会学と文化人類学は車の両輪のようなものです。
アウター・リミッツの”The Architects of Fear”
アウター・リミッツの”The Architects of Fear”を観ました。
またエイリアンものですが、そのエイリアンがとてもグロくて悪夢に出てきそうです。(このグロさのため、このエピソードはアメリカの多くの州で放送禁止になったみたいです。このためここの写真もいつもよりサイズを小さくしています。)
冒頭で核ミサイルがあるアメリカのどこかの都市を目がけて飛行しており、人々が逃げ惑っています。そのしばらく後、キノコ雲が立ち上ります。
その録画をある部屋で10人くらいの科学者が集まって観ており、これを止めるためには人類が共通の恐怖を持つ必要があるという結論になります。そこで彼らはクジを引いて、アレン・レイトンという男が当たりになります。彼らの計画は、たまたま捕まえたどこかの星のエイリアンをモデルにして、人間を一人エイリアンに改造して宇宙船に乗せ、国連ビルの中庭にそのロケットを降り立たせ、そのエイリアンに地球侵略の計画を語らせ、それによって敵対する国同士の団結を図ろうとするものです。レイトンにはイベットという奥さんがいますが、レイトンは突然事故で死んだことにされます。レイトンは身体の組織を変性させる薬を注射され、また内蔵も取っ替えられて、窒素を呼吸するようになります。そしてロケットに乗せられ衛星軌道に送られました。しかし、再び大気圏に入ったそのロケットのカプセルは、国連ビルでは無く研究所を目指していました。直感でそこにやって来たイベットは、そのエイリアンが、額を縦に撫でる魔除けのおまじないのポーズをやったことから、それがレイトンであることを理解します。しかしレイトンは何かの身体の不調でそのまま死んでしまいます。しかし、最初に捕まえたエイリアンはどこからやって来たか不明ですし、また人間を改造してエイリアンにしなくても、偽の動画でも作って衛星軌道状から地球に向けて放送するとか、色んな手がありそうに思います。ともかく話が暗くて辟易しました。
千葉一郎の「ちばあきおを憶えていますか」
千葉一郎の「ちばあきおを憶えていますか」を読了。著者はちばあきおのご長男です。ちばあきお、存命なら79歳ですが、1984年に41歳の若さで世を去ります。その死因を今まで知らなかったのですが、アルコール依存からの自殺だった、ということにショックを覚えました。また「プレイボール」のまだ本当にこれから、という所での唐突な終わり方も、本書を読んで、当時ちばあきおが仕事に追い詰められて書けなくなっての終了だということを知りました。また完璧主義者で、単行本になった状態の自分の絵に、さらにまた赤で修正を入れるのが常のことだったということです。また、元々兄であるちばてつやのアシスタントとして漫画家人生を始めたちばあきおですが、41歳で亡くなった時に連載中だった「チャンプ」をちばてつやが自分が引き継ごうかと考えたことがあるそうです。この場合原作は千葉兄弟の末弟の七三太朗ですから、絵さえ誰かが描けば続けられた訳です。しかし「チャンプ」の頃のちばあきおの絵は、ちばてつやですら既に真似をすることの出来ない独自のものになっていて断念したとのことです。この本の中のファンの言葉として、「ちばてつやの作品も素晴らしいけど、本当に影響を受けたのはちばあきおのキャプテンやプレイボール」という言葉は、そっくりそのまま私の感想でもあります。
キャプテン2と校舎裏のイレブン
トワイライト・ゾーンの”Nervous Man in a Four Dollar Room”
トワイライト・ゾーンの”Nervous Man in a Four Dollar Room”を観ました。
ジャッキー・ローズというチンピラは、ボスからの指令を待って、一泊4ドルの安ホテルで電話を待っています。やがてそのボスのジョージからの電話が来て、すぐその後にジョージが部屋までやってきます。ジョージはローズにピストルを渡し、あるバーの老マスターが彼らにみかじめ料を支払わないので、見せしめに殺すように言います。ローズはこれまでチンケな仕事しかしたことが無く、殺人は未経験でした。ホテルの部屋で葛藤していると、部屋の鏡に写ったローズの像が突然しゃべり出します。その像は自分はローズの中の別の部分だと言い、ローズにギャングは辞めて人生をやり直すように言います。そしてローズが好きで結婚する筈だったのに、ローズが犯罪によって牢に入れられた間に別の男と結婚したことを思い出させます。像は自分が今のローズに入れ替わると主張します。ローズは葛藤しますが、結局殺しには行きませんでした。ボスがローズが仕事をやらなかったことを咎めに部屋にやって来ます。しかしローズは「もうこんな仕事は辞める」と言い放ち、ボスを殴り倒して部屋を出て行きます。おそらくどこかで鏡の中のローズと入れ替わったんでしょう。
うーん、イマイチでした。何だかシーズン2になってから脚本の質が低下したように思います。おそらくシーズン1で人気が出てシーズン2の放映が決定されると、今までのような攻めの姿勢で新しいジャンルのドラマを作っていくんだという意気込みが薄れ、ある意味守りに入り、素晴らしい作品とまでは行かなくてもそこそこのものを作る、という姿勢に(無意識の内に)変わったんじゃないかと思います。
山県有朋は果たして心情の人か?
菅さんの弔辞で、山県有朋が伊藤博文のことを詠んだ和歌が引用されています。ただ私は山県有朋って狸親父の典型みたいな人と思っていますので、本心にこのように思っていたかは疑問です。山県有朋は西南戦争の時にも西郷隆盛に降伏を勧める手紙を出していますが、Wikipediaによると書いたのは福地源一郎みたいです。(福地源一郎は、後に東京日日新聞社主になり、また文芸家でもあり文章は達者です。)大体戦いの前に送るなら分りますが、立場上西郷が降伏するのが不可能な状態になってから送っているような気がします。また、この手紙が西郷に届いたかどうかも不明だそうで、そんな書簡の内容が今日まで残っているというのも不思議な話で、単に山県有朋が「自分は心の底から西郷に降伏を勧めたけど西郷が受け入れなかった」という証拠作りのためにやった可能性もあると思います。
表面的には心情あふれる(あふれているように見える)名文ですが、本人が書いていないとしたら余計に嘘くさいです。
ちなみに下記の手紙は、現代の人は読むのに苦労するでしょうが、当時のある程度漢籍の素養のある人にはなじみのある故事成語のオンパレードです。このことだけ見ても、山県有朋ではなく福地源一郎が書いたというのは当たっているでしょう。
故山に帰養する、謦咳に接する、桑滄の変、旧雨今雨、鼓皷の間(旗鼓の間)、韜晦する、奇貨とする、讒誣する、蒼生、衆口金を鑠かす、骨肉相食む、涕涙雨の如し、等々
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西郷隆盛に與へて降服を勧む
(読み仮名入りは、西郷隆盛に與へて降服を勧む)
山縣 有朋
山縣有朋頓首再拝、謹んで書を西郷隆盛君の幕下に呈す。有朋、君と相識るここに年あり。君の心事を知るまた甚だ深し。曩に君の故山に帰養せしより、久しくその謦咳に接することを得ざりしかど、舊雨の感豈一日も有朋の懐に往来せざらんや。料らざりき、一旦滄桑の変に遭ひて、ここに君と鼓皷の間に相見るに至らんとは。君が帰郷の後ち、世の鹿児島縣士族の暴状を議するもの皆いはく、「西郷実にその巨魁たり、謀主たり」と。然れども有朋は獨りこれを斥けて、然らずとなせりき。然るに今かくの如し。嗚呼また何をか言はん。
然れども密に思ふに、事のここに至れるは蓋し勢いの止むを得ざるに出でしものにて、君の素志にてはあらざりしならん。若し君にして初めより真に意図を懐きしならば、何ぞかかる無名の軍をかかる機を失へる時に起さん。薩軍の今公布する所を見るに、罪を一二の官吏に問はんとするに過ぎず。これ果して挙兵の名を得たりと謂ふべきか。佐賀の賊まづ誅せられ、熊本、山口の叛徒次いで敗れ、今や天下の士民漸くその自省の志を立てんとす。而して薩軍突としてここに兵を挙ぐ。これ果して挙兵の機を得たりといふべきか。君の明識なる、豈之を知らざることあらんや。
説者また曰く、「天下の不良の徒は、西郷の山林に韜晦したるを奇貨とし、これによりて功名を萬一に僥倖せんとする念を懐き、その辞を巧みにしてひたすら朝廷の政務を讒誣し、西郷に説くに、君出でずんば蒼生をいかにせん、君にして義兵を挙げなは天下靡然としてこれに向はんとの旨を以てせしならん。君の卓識なる、その讒誣たるを洞察するに難からざりしなるべしと雖も、その浸潤のいたす所実に衆口金を爍す勢ありて、知らず識らず遂に事を挙ぐるに至りしならん」と。聞く者皆これを然りとす。何となれば、若し君にしてまことにその志ありしならば、単騎輦下に来りて、従容として利害のある所を上言するに於て何の妨もあらざるべければなり。
思ふに、君が多年育成せし壮士輩は、初めより時勢の真相を知り、人理の大道を履践する才識を備へたる者なるべけれど、かの不良の徒の教唆により或はその一身の不遇によりてその不平の念を高め、遂に一転して悲憤の念を懐き、再転して叛乱の心を生ずるに至りしならん。而してその名を問へば則ち曰く、西郷の為にするなりと。情勢既にここに至る。君が平生故舊に篤き情は、空しくこれを看過してひとり餘生を完うするに忍びざりしにならん。されば、君の志はじめより生命を以て壮士輩に與へんと期せしに外ならざりしならん。君が人生の毀誉を度外に置き、天下後世の議論を顧みざるもの故なきにあらず。嗚呼君の心事まことに悲しからずや。有朋ここに君を知る深きが故に、君が為に悲む心また切なり。然れども事既にここに至る、これをいふことも何の益かあらん。
顧みれば交戦以来既に数月を過ぐ。両軍の死傷日々幾百なるかを知らず。朋友相殺し骨肉相食み、人情の忍ぶべからざるを忍びぬ。かかる戦の如きは古来例なき所なり。而して戦士の心を問へば、共に寸毫の恨あるにあらず。ただ王師はその職務の為に、薩軍はその帥西郷の為に戦ふといふに過ぎず。夫れ一国の壮士を率ゐてよく天下の大軍に抗し、激戦数旬、百敗撓まざるもの、既に以て君が威名の実を天下に示すに足れり。而して今や君の麾下の勇将概ね死傷し、その軍威日々に衰へんとす。薩軍の遂に志を成すこと能はざるは既に明なるにあらずや。君更に何の望む所ありてか徒に死線を事とせんとはする。若し人の西郷は事の成らざるを知れど、暫くその餘生を永くせんが為に、敢て千百の死傷を両軍より出すを辞せざるなりといふ者あらば、有朋これに對ひて何とか答へん。
願くは君早くみづから図りて、一はその挙の君が素志にあらざるを明にし、一は両軍の死傷を明日に救ふ計をなせ。嗚呼、天下の君を議する実に極れりといふべし。国憲の存する所おのづから然らざるを得ずといへども、思ふに君の心事を知るものひとり有朋のみにあらざらん。然らば何ぞ公論の他年に定まるなきを憂へん。故舊の情、有朋切にこれを君に冀望せざるを得ず。書に対して涕涙雨の如く、言はんと欲することを悉す能はず。君少しく有朋が情懐の苦を察せよ。
アウター・リミッツの”The Hundred Days of the Dragon”
アウター・リミッツの”The Hundred Days of the Dragon”を観ました。第1話はエイリアンもので、そういうエイリアンとかモンスターみたいなものばかりかと思ったら、第2話は何と中国ものでした。おそらく毛沢東をモデルにしたと思われる首席の前で、モンゴルの研究所のスタッフがある男の紹介をしています。その男はアメリカの大統領戦でセルビィという当選確実の男と背格好が同じです。実は中国は人間の筋肉をプラスチックのように可塑化する薬品の開発に成功しており、その男はそれを注射された後、金型に顔を押し当てそれを外すとセルビィの顔そのものになっていました。一行は大統領戦が行われているロサンゼルスに行き、そこでセルビィをやはり薬品で顔を変えた後殺して、その中国人がセルビィに入れ替わります。首尾良くセルビィは大統領になりましたが、その内これまで対立していた中国と親和的な政策を行おうとするので、副大統領が怪しみます。そのため中国は副大統領もそっくりさんに入れ替えようとしますが失敗し、副大統領自身が自分のそっくりさんを目撃し、中国側のトリックがばれます。中国側は再度副大統領を殺して入れ替わろうとしますが、失敗してそっくりさんが逮捕されます。副大統領は大統領が出席しているパーティーにその偽物を連れていって中国の陰謀を暴き、偽の大統領には可塑化剤を注射して顔を戻して偽物であることを皆に分らせる、というストーリーです。
うーん、そこまでやるほど中国とアメリカが当時対立していたんだろうか、と思いましたが、まあ確かに朝鮮戦争ではお互いに戦っている訳で、1963年ぐらいではそういうお話が作られる素地はあったということなんでしょう。