ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」を読了。引っ越しで手持ちの書籍の全てにすぐアクセス出来るようになったので、買っただけで未読だった本を読んでいこうとしているものの一つです。この文庫本は2017年に買いました。
日本ではこの作品のパワードスーツがガンダムのモビルスーツを産んだということで有名ですが、実際に表紙に描かれているパワードスーツ(これは最初の日本語訳である矢野徹訳の表紙にあったもの)はガンキャノンにそっくりです。しかし私見ではガンダムのモビルスーツは大き過ぎると思います。せいぜい普通の乗用車ぐらいの大きさにし、文字通り「スーツ」にふさわしいものにして欲しかったです。モビルスーツはそれまでの人が乗り込むロボット(マジンガーZ以来の)とどこが違うの、と感じます。
それでお話は、軟弱で取り立てて際立った能力がない主人公がひょんなことから軍隊を志願し、もっとも過酷な機動歩兵部隊に配属され、敵である昆虫型(蟻のイメージ)エイリアンと戦いながら成長していく、という昔ながらのビルドゥングスロマンであって、あまりSF的な感じはしませんでした。機動歩兵のベースは、古代ギリシアやローマの「重装歩兵」ではないかと思います。(丁度今塩野七生の「ギリシア人の物語」を読み始めた所です。)兵役を経験した者だけが投票権がある社会というのも、これまた古代ギリシアのアテネやスパルタを思わせます。
という訳でまあ面白かったですが、取り立てて「SFの傑作」だとは私は思いません。
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芳賀徹先生の「平賀源内」
芳賀徹先生の「平賀源内」を読了。「先生」と書いたのは、大学の時に教養学科の授業「比較文学・比較文化」で半年間芳賀徹先生から教えを受けたからです。ちなみにその時のテーマに影響を受けて、私はその後歌川広重の「八景物」を探し求めることになりました。https://www.shochian.com/hakkei.htm
閑話休題。平賀源内の人生における活動は大きく分けて
(1)物産学、本草学の専門家としての活動
(2)戯作家、浄瑠璃作者で活躍
(3)「山師」として全国の鉱山開発への関わり
に分けられます。この本の前半で若き源内が何度も物産会を開いて全国の動植物・昆虫・鉱物を集めている様子が描かれ、もっとも活き活きと活動した時期ではないかと思います。南方熊楠がその長文の履歴書で「日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣る、と、これは強語のごときが実に真実語に候。むかし、かかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに、今のはこれをもって卒業また糊口の本源とせんとのみ心がけるゆえ、(以下略)」と友人の農学者田中長三郎の言葉を引用してその時代の学者を批判すると同時に江戸時代の本草学者、物産学者を讃えています。この通り「みな本心よりこれを好めり」というのがこの本でも確認出来ましたし、源内はそれに加え単なる好事家に留まらず「日本の国益に貢献する」という実に高い理想を持っていました。しかしこの分野で結局源内は、多くのオランダ語の図譜を収集しましたが、地道な努力の必要なオランダ語のマスターは結局出来ず、オランダ語の図鑑を参考にして自分自身で日本の物産の図鑑を作るという生涯の夢を果たすことは出来ませんでした。友人であった杉田玄白らが源内ほど多彩な才能は無いにも関わらず地道な努力で「解体新書」を翻訳刊行したのと対照的です。
(2)の作家としての源内は、実はこれが一番源内の実績としては認められているのかもしれません。子供の頃、「日本一の鼻高男」という江戸時代の戯作を子供向けに書き直した本を持っていましたが、それに「風流志道軒伝」が出て来たので、多少は知っています。
(3)については、(1)の延長線上でしょうが、結局「山師」という言葉に象徴されるように、源内の鉱山開発は実践的な製錬技術の知識がないなどの理由で、失敗続きでお金を失うことの方が多かったようです。それでも秋田藩から鉱山開発のお礼で200両もらっていますが、これは単なる鉱山開発の指導というより、秋田ではまだ珍しかった蘭学と洋画の技術を源内が教えたことについての藩主からのお礼も含まれていたようです。
私自身、源内と似ている部分があり、多くのことに興味を持って手を出し、結局どれもものにならない、という器用貧乏な所があり、源内の生き方を追って行くのは辛い部分もありました。幸い今は源内の時より寿命がはるかに伸びており、また私はそれなりにコツコツ努力するということを亡母から受け継いでいるので、少なくとも外国語に関しては、源内のような羽目には陥らないで済んでいるようです。
源内の最後が、ある屋敷の建築を命じられた時、その図面を大工が盗んだと思い込み激高して2人を斬り殺し、結局獄中で病死したのだということは知りませんでした。源内もある意味「双極性障害」を患っていた天才だったのかもしれません。
芳賀徹先生は2020年に既にお亡くなりになっているようですが、さすが芳賀先生で、見事な源内愛が感じられる本でした。
「中世合名・合資会社成立史」の余波
ようやく、という感じですが、私が日本語訳したヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」を読んで、それをベースにして本を書いた人を見つけました。私の訳も誉めていただいていて、それは嬉しいのですが、肝心の「成立史」の読解と解釈にかなり問題があり、批評を書きました。しかし、安藤英治氏と言い、今回の方と言い、ヴェーバーがきちんと述べていることを理解せず、ヴェーバーが言ってもいないことを勝手に解釈する人が多いのは何故なんでしょうか。
姫野桂の「ルポ 高学歴発達障害」
姫野桂の「ルポ 高学歴発達障害」を読了。この「発達障害」も常々疑問を持っているもので、実際にこの本に出てくる実例を知っても、単なる性格のバリエーションとしか思えません。どうして皆が能力のレーダーチャートでどれも5段階評価で3.5以上でなければならない、みたいな考え方をするのでしょうか。私はそういうある意味何の尖った部分の無い人より、他は全て2以下でも、一つだけは5どころか10くらいある、人を評価します。しかし、同意するのは、今はやたらとそういう全外交的な能力要求の敷居があがってそういう人が生きにくくなっているというのは事実でしょう。また企業においてはかつての年功序列の時代は、それなりに従業員同士助け合ってというのがあったのを(私も若い時は先輩社員に色々助けてもらいました)、評価制度のおかげで自分のことしか関心が無く、同じ部署の出来ない人をフォローしてあげようとする奇特な人は激減したと思います。前の会社でそういう風潮を少しでも変えようと、社内で最初に自分の部署からいわゆるメンター制度を始め、それを他の部署にも広げて行きました。その時、「忙しいのにそんなことやってられるか!」という反応を半分予想していたのに、アンケートを取ったら、メンターからもメンティーからも「いい制度だから続けて欲しい」という反応があり驚いたことがあります。
それからこの本に出てくる多くの人が「大学時代は良かった」と回想しているのが目立ちました。前から思っていましたが、大学はある意味社会に適応出来ない人の「収容所」なんですよね。研究者にはむしろ発達障害の人が向いていると思います。
「中世合名・合資会社成立史」を改訂しました。
「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳、第1回正式公開版(2020年9月23日より公開開始)はその後細かな校正で30回以上改訂して来ましたが、この度第4章の一部でちょっとした誤訳があったのを発見しこれを改めたのと、特に前半部で原注の番号が抜けている箇所が多く見つかったため、これを修正してこの機会に版を新たにしました。この際に同時にヘッダーにこれまで版番号を入れていたのを読者の便宜を考え章名に変更しました。
中安信夫の「反面教師としてのDSM -精神科臨床判断の方法をめぐって-」
中安信夫の「反面教師としてのDSM -精神科臨床判断の方法をめぐって-」を読了。
これを読んだのは最近DSMというのに大いなる疑問を抱き始めたからです。(DSM{Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders}はアメリカの精神科医学会が出している、メンタルな症状の分類とその判定方法のマニュアルです。)それは、
(1) 最近やたらと発達障害とか、平均的な人に比べ若干劣っている部分があるだけで、病気にしてしまう風潮
(2) アンケート方式の安易な「うつ」(大うつ)診断、それによるうつ病患者の(表面的)増加
がDSMのせいではないかと思うようになったからです。
私が最初にDSMというものを知ったのは、2003年春に高校時代からの親友が、それまで「うつ病」ということで数年間服薬していたのに、そこにアルコール依存が加わり、また突然高揚状態になり、一日に何度も電話してきて、自作の支離滅裂なストーリーを勝手にしゃべってその後一方的に電話を切ったり、また隣人と諍いを起して暴力沙汰になりかねたり、と色々ありました。それで親友のは「うつ病」ではなく、「双極性障害(躁うつ病)」であろうと思うようになりました。その親友を診ていた医者は数年間に渡り、診察無しで代役で来た母親にうつ病の薬を渡していました。(双極性障害の患者には抗うつ薬ではなく、リーマスなどの気分安定剤を処方する必要があります。でないと躁状態の時に抗うつ薬でそれが更にひどくなります。)つまりは一種の医療過誤であり、徳島のその手の機関に相談に行ったことがあり、それで事前に「双極性障害」かどうかきちんと判定出来ないかと思ってネットで見つけたのがDSMでした。(結果的にその時に面談した精神科医も、後でメールでやりとりしたやはり高校の同期で精神科医になっていた者も、双極性障害であろう、ということで一致しました。)
DSMというのは要するに、精神的な病的症状を誰が診ても同じ結果が出るように、症状を細かく分類し、それぞれに判定の目安となる症状(エピソード)が列挙してあって、例えば大うつ病なら9あるエピソードの5つ以上だと該当、とかそういうものです。
まず著者の中安氏は日本精神病理学会理事長で、統合失調症の専門家です。中安氏はDSMを厳しく批判します。その理由は5つで、
(1)症状学というものを無視して、お互いに独立しているかどうか怪しいエピソードを羅列している。また「大うつ病」なら睡眠について「ほとんど毎日の不眠または過眠」とだけあります。しかし睡眠の障害には[1] 寝付けない [2] 何度も目が覚める [3] 早朝に覚醒してそのまま眠れない、などの種類があり、それぞれ別に扱うべきですが、DSMでは一緒くたです。
(2)択一式の診断方式を採っていて、それぞれのエピソードに当てはまるかどうかは○×であり、またその○が何個以上あるかで判定しています。これは私が考えてもおかしく、マハラノビス距離じゃないですが、エピソード間にどの程度相関性があるのかを考慮しないで、それぞれを同格に扱うのは統計学上も問題があります。
(3)Comorbidity(共存症)を認める。これは例えば大うつ病と統合失調症が同時に起こる可能性を認めているということです。
(4)NOS(Not Otherwise Specified)の採用。これは逆に「どれとも判定出来ない」というのを大分類と小分類の両方で認めているということです。
(5)成因論、何故その症状が出るようになったのかという点が考慮されない。
私は以上の5つの論点の批判はもっともだと思います。またもっと大きな問題として、このDSMを使って判定することで、本来精神科医がもっとも時間をかけて行わなければならない患者の「表出」(顔の表情、話し方、興奮度、身だしなみ、など患者について医者側から観察出来ること)の分析がまったく行われなくなる、という危険性も指摘されており、それは実際に日本で起きています。
この先生によるとアメリカは精神医学の後進国だそうです。(先進国はドイツとフランスだと言っています。)日本はその先進国に学んで来たのに、こんな後進国が作ったインチキなものを使うのは止めようという主張です。DSMは素人には便利ですが、専門家が安易に使うものではない、というのはその通りでしょう。
私の経験からおかしいと思っていることは、心療内科での「うつ」の判定が単なるアンケートであり、実際はそういう症状が無くても全部○を付ければほぼ確実に「大うつ病」であると判定されます。そして診断書をもらって会社だったら休職出来る訳です。最近「新型うつ」というのが増えているのですが、私はその大半はこうした主観的アンケートの回答で簡単に「うつ」と判定されることでそうなっているのだと思います。この先生も「うつ病の患者は決して増えていない」と主張されています。
氏家幹人の「武士道とエロス」
氏家幹人の「武士道とエロス」を読了。まあ日本のLGBTQ問題を考えるための資料としてです。タイトルは直接的には書いていませんが、要するに日本で戦国時代から江戸時代の最初の方までいかに衆道=男色がはびこっていたかという本です。まあ知識としては知っていましたが、その程度までは知らず、一時は女色よりもはるかに男色が盛んだったというのを知って、それはさすがに驚きました。またそもそも男色の始まりは寺院での僧侶が稚児を可愛がったことであり、当然のことながら仏教に同性愛を禁じる戒律はありません。また儒者では中江藤樹は、その僧侶の男色を嘆かわしいとして非難する一方で、その弟子の熊沢蕃山は、「あまり男色を厳しく排除すると、その経験のある若者が集まってこなくなる」と実にさばけた判断をしています。また神道に関する記述はありませんが、神道も男色を含む同性愛を禁じたというのは聞いたことがありません。またこの現象は東アジアに普遍ではなく、日本が一番程度がひどく、朝鮮通信使が雨森芳洲に苦情を言ったら、芳洲が「あなたも経験すればその楽しさが分ります」と答えてあきれられたという話もあります。
それでも17世紀になると次第に男色は禁じられていくのですが、それがまた明治になると薩摩藩の出身者がまたそれを東京に持ち込むということが行われます。薩摩のは「若衆宿」という、社会学で言うメンナーハウスというある意味戦士の養成機関での男色が盛んだったようです。そういえば衆道の話って「カムイ伝」にも出て来ますよね。
ちなみに江戸時代には、女性の同性愛も少しはあったようですが、ほとんど表に出てくることはなかったようです。
結論として日本における同性愛への差別は、17世紀くらいから出て来たようですが、元はといえばとても寛容な社会だったということが再確認出来ました。
「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳売れ行き
筒井康隆の「カーテンコール」
筒井康隆の「カーテンコール」読了。8割方は読む価値のまったく無い駄作以下の代物。ただ確かにこれらは筒井康隆の作品であり、昔これにちょっと似たのがあったな、という感じがするのがいくつかありますが。最後の3つぐらいは楽しめるけど、それはこれまで筒井康隆の作品をある程度読んでいる人限定。要するにこの本は筒井康隆に対し、筒井康隆のファンがこれまでご苦労様、有り難うという意味でお布施またはおひねりを上げるという意味で買うもの。「プレイバック」で亡くなったSF作家以外に存命で豊田有恒が出てくるけど、先日亡くなったので複雑な気分。また小林信彦も出てくるけど、こちらもいつ亡くなってもおかしくないです。小林信彦は昭和7年生まれ、筒井康隆は昭和9年生まれです。それから「時をかける少女」の芳山和子が類型的過ぎる(男から見た都合の良い女性)という批判があったことが出て来ますが、それは筒井康隆に限ったことではなく、最近でいえば池井戸潤の「花咲舞」なんかもまったく同じ批判が当てはまります。
田中敦夫の「獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち」
田中敦夫の「獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち」を読了。例によって電車の中の時間つぶし。(私はこのくらいの新書なら1時間程度で読めます。)
最近やたらと野生動物が人間の住む地域に出没するのは、環境破壊で動物が山の奥に住めなくなり、人里に出てきている、というのはまったくの間違いだと著者は力説します。そうでなくて、様々な意味で野生動物にとっての環境が良くなった結果、数が増えてそれが人里に出てきている、ということで、これはその通りだと思います。私はバードウォッチングを趣味としていますから、例えばカワセミは1970年代には東京都では桧原村ぐらいまで行かないと見られませんでしたが、今は神田川などの都心ですら見ることが出来ます。またカワウも一時は絶滅しかけて上野の不忍池が最後のコロニーとして有名でしたが、今はどこにでもいる一番見かける鳥です。アオサギも同じく高度成長期は北海道の釧路湿原まで行かないと見ることが出来ませんでしたが、今はどこにでもいます。野鳥がこれだけ増えているのに、他の野生動物が増えていないとは考えにくいです。
筆者はまた銃免許を持っている人が減ったのが原因というのにも疑問を投げかけ、1975年頃がピークだったので、実はその前は銃免許を持っていた人は少なかったことを指摘しています。
最近、ヒグマを殺すと「可哀想」とかで全国から非難が来ますが、野生動物と人間がどのように共存していくべきか、場合よっては殺して数を減らすことも積極的にやらざるを得ないんじゃないかと思います。TVやネットで見ているだけの人はいいでしょうが、実際に野生動物の被害を受けている人には非常に切実な問題です。