ラファエル・サバチニの「スカラムーシュ」

ラファエル・サバチニ(サバティーニ)の「スカラムーシュ」を読了しました。読んだ理由は、大佛次郎がこの小説を翻案して「照る日くもる日」を書いたというのを聞いてからです。大佛がこの本を翻案の対象として選んだのは大正解で、この小説には大衆小説の全ての要素が含まれていると言っても言い過ぎではないです。主人公のフィリップ・ルイ・モローは口が立ち、ちょっと皮肉屋で、元々剣の素養がありましたが、ひょんなことから剣を教える先生の助手を務めることになり、そこで剣に関する書を読んで練習し、師を超える腕になります。また主人公の出生に関してどんでん返しが二つあります。更にはベースは友人の敵討ちです。そこに二人の女性が絡み、主人公の宿敵もその二人の両方に絡んで来ます。たまたまディケンズの「二都物語」に続けて読んだのですが、どちらもフランス革命の時代の話です。
大佛次郎が翻案した時にはまだ日本語訳は出ておらず、小林信彦は当時の大衆小説家の外国語力について感心していますが、大佛次郎は東京帝大法学部卒で外務省で翻訳係をやっており、外国語が出来るのはある意味当り前です。
「照る日くもる日」も取り寄せ中です。菊池寛が「照る日くもる日」に大衆小説の全てが入っていると誉めたそうですが、それは元の「スカラムーシュ」の功績であり、大佛次郎の功績ではありません。

吉村昭の「高熱隧道」

吉村昭の「高熱隧道」を読了。「黒部の太陽」の映画で、黒部第三発電所というのがあってそこのも非常な難工事であったことを知って読んで見たもの。正直言って想像を絶する世界でした。
一つは初めて知ったのですが「泡雪崩」(ほうなだれ)というのがあって、それが2回工事関係者用の宿舎を襲います。この「泡雪崩」は通常の雪崩とはまったく違います。Web上にどなたかが作られたイメージ図(Webサイト自体はここ)があったのでそれを見てください。ホウ雪崩に襲われた工事宿舎は、鉄筋コンクリートの2F、木造の3・4Fを合わせた部分が鉄筋コンクリートの1Fの部分から引きちぎられ、宿舎のあった所より70mも高い尾根を超え、580mも飛ばされて最後は黒部川を超えて山腹に叩きつけられ、中にいた人は即死しています。台風でも竜巻でもこれほどのすさまじいエネルギーを出すことはありません。この「泡雪崩」の事故は1回ではなく、最初の事故の後慎重に選んだ場所でも再度発生します。そこは3方が壁のような地形に囲まれ、残った1方は樹齢数百年のブナ林でつまり数百年雪崩が起きていないことを示していました。しかしその上方で発生した泡雪崩がこのブナの原生林を根こそぎ空中に飛ばし、宿舎の屋根にそれが降り注ぎました。中にいたものは圧死するか、火鉢によって火災になって焼け死ぬかでした。
もう一つはタイトルにもなっていますが、掘削したトンネルが要するに温泉の源泉部のような所にぶち当たり、岩盤の温度が50-60℃から段々上昇し、途中地質学者が90℃が上限で後は下がるという予想をあっさり裏切り、やがて100℃を超え、最後は160℃近くにまでなります。この熱のため仕掛けたダイナマイトが点火する前に爆発する事故が発生します。また作業員の体熱を下げるため後ろからホースで水をかけますが、その水がたまって50℃くらいになります。多くの作業員が火傷し、また下半身もただれ、体から脂肪分が抜けて熱中症のような症状になります。ダイナマイトについては、熱が伝わるのを遅らせるため、最初はエボナイトの筒に入れ、次は竹に入れ、と試行錯誤し、最後はその竹の回りにアイスキャンディーのように氷を付けた状態で岩盤に装填していました。
ホウ雪崩と、このトンネル内の高温による犠牲者は合計で300名に達し、再三富山県警より工事中止命令が出ます。しかし当時(昭和11年)日本は戦争に向かってひた走っており、この工事は国策でもあり、大量の犠牲者を出しつつも最後まで敢行されます。小説の最後はダイナマイトが倉庫から盗まれ、坑夫達の間に不穏な動きが出てきて、技師達が逃げ出す、ということになっています。
福島原発事故の時に「想定外」という言葉がクローズアップされましたが、実際には厳しい自然を相手にすれば常に想定外が起きるということだと理解しました。

故橋本昌二9段の直筆署名入り本(「松和・雄蔵」)

日本囲碁体系13の「松和・雄蔵」をAmazonのマーケットプレイスで購入したら、何と監修者の故橋本昌二9段の直筆署名入り!
おそらく持っていらした方が亡くなって遺族が処分したのだとは思いますが、私としてはこういうサイン本が古書市場に出ているのを見るのはちょっと悲しいです。
橋本昌二さんは、王座を2回、十段を1回取った関西棋院の強豪で、NHK杯戦でも3回優勝されています。

古碁の棋譜

隠退生活に備えて買い込んでおいた古碁の棋譜、少しずつ並べています。道策-大仙知-元丈-知得-丈和-幻庵因碩-秀和-秀策-秀甫-秀栄という分る人には分るラインナップです。
まだ引退した訳ではありませんが、囲碁並べは(書籍と碁盤・碁石を揃えた後は)費用0で楽しめる趣味です。今のプロ棋士、例えば関航太郎天元なんかはAI同士の対局を眺めながら勉強しているみたいですが、私は人間同士の碁、特に古碁にはまだまだ学ぶものが多いと思います。

百田尚樹の「幻庵」

百田尚樹の「幻庵」(げんなん)を読了。これは週刊文春の連載時に読んでいて単行本は未購入ですが、文庫本化されていたため購入しました。「幻庵」とは江戸時代の囲碁の家元四家の内の井上家の十一世の幻庵因碩(げんなんいんせき)のことです。囲碁史上で、名人の実力がありながら名人になれなかった、ならなかった人四人を囲碁四哲と呼び、幻庵因碩はその一人です。幻庵因碩が活躍した文化文政から幕末にかけての時代は、日本で囲碁が非常に盛んになり、同時に棋士の実力も非常に向上した時代です。しかし同時に、特にこの幻庵因碩と本因坊丈和がある意味暗闘を繰り広げます。この両者は70局以上も対局している好敵手(この本では悪敵手と表現されています)ですが、丈和が名人碁所願いを出した時、本来はこの幻庵が争い碁を申し込んでそれを阻止すべきだったのですが、丈和に「6年後に名人を譲るから今回は推薦して欲しい」と言われて騙され、まんまと丈和が名人になります。これがこの人の人生での最初の大きなミス。二番目の大きなミスは、その丈和と対局して名人から引きずり降ろすチャンスが回って来たのに、自分で打たずに、自分より段位が低い弟子の赤星因徹に代わりに打たせたこと。確かにその当時の因徹は幻庵因碩とほぼ並びかけていた実力の持ち主で、仮に丈和が負けた場合はより低段のものに負けたということで名人引き下ろしがやりやすくなるという計算でした。その期待通り因徹は丈和相手に前半は見事な碁を打ちリードしますが、結核を患っていた因徹は対局の労苦に耐えられず徐々に丈和に形勢を挽回され、最後はミスもあって終に逆転負けに終わり、その瞬間血を吐いて倒れその後わずかな間に死んでしまいます。(天保吐血の局、と言います。)三回目はミスではなくチャンスだったのですが、丈和がある理由で名人で無くなったため、今度こそ幻庵因碩にチャンスが回って来ます。しかしそこに立ち塞がったのが、本因坊家跡目の秀和で、とうとう幻庵因碩は秀和の黒番に勝つことが出来ず、名人になれませんでした。ついでにその秀和も壮年期には実力的には他を圧倒していましたが、幻庵因碩の二代後の因碩との対局で実力的には劣る相手に白番で1目負けという痛恨の敗けをくらい、幕末で幕府が何かと忙しくて碁どころではなかったのもあって、秀和もまた名人になれませんでした。(ちなみにヒカルの碁で有名な本因坊秀策はこの秀和の弟子です。)
という具合にこの時代の各棋士の暗闘は本当に面白いので、この小説もなかなか面白いです。(最近の百田の本は買わないようにしていますが、これは例外。)囲碁を知らなくてもそれなりには理解出来ると思いますが、やはり囲碁を知って読んだ方がずっと面白いです。

火野葦平の「青春と泥濘」

火野葦平の「青春と泥濘」を読了。いわゆる「インパール作戦」に従軍したある部隊の悲劇を描いたもの。火野葦平は古関裕而と一緒にビルマに派遣されます。(「ビルマ派遣軍の歌」は作詞が火野葦平、作曲が古関裕而)古関が前線までは行かなかったのに対し、火野は実際の部隊と共に行動し、8冊もの詳細なノートを残しています。この「青春と泥濘」は戦後、火野が戦犯として3年間の公職追放を受けていた時期に書かれたものです。ノンフィクションとしては「インパール従軍記」が別にありますが、これはそういった取材を元にしたフィクションです。しかしながら、単なる事実の羅列を追いかけるより、小説という形式は人間の内部の感情まで深く描写することが可能です。この小説で取り上げられている部隊は、「他の部隊よりはまし」でまだ戦力が残っているという理由で、敵(イギリス軍)のM3戦車部隊の爆破とその道路の封鎖という極めて困難なミッションを与えられます。そしてほぼ全員がマラリアとアメーバー赤痢によって半病人の状態で、断崖絶壁を乗り越え、何とか敵の占領地域に入り込み、奇跡的にミッションを完遂します。しかしイギリス軍にとってはそれは古い戦車を処分する機会ぐらいの意味しかなく、日本軍が仕掛けた爆薬の量をはるかに上回る量の砲撃と空爆を受け、部隊は数人を残してほぼ全滅します。
インパール作戦については、よく「日本軍最悪の作戦」などと評価されていますが、調べてみると非常に複雑な要素が絡み合った戦いであり、今後の教訓にするにせよ、色んな面から眺めてみて考えて見るのに良い素材と思います。
ちなみにこの小説の中でおそらく牟田口廉也をモデルにしたのであろう中将が、複数の自軍兵士に命を狙われるというのが出てきますが、これはおそらく実際にあったのでしょうね。イギリス軍側の総司令官ウィリアム・スリム中将が名将であっただけ、あまりにも対照的です。

ヴェーバーポータルでの新着書き込み2件

日本マックス・ヴェーバー研究ポータルに、2つほど新しい書き込みをしました。

(1)フッサールの「厳密な科学としての哲学」(2)
(2)ヴェーバーの科学論文で言及されている「心理学」とは

どちらもヴェーバーの「理解社会学」とは何か、というのをきちんと調べようとしている動機からのものです。

David GraeberとDavid Wengrowの”The Dawn of Everything”(2)

David GraeberとDavid Wengrowの”The Dawn of Everything”をようやく読了しました。この本、ベストセラーになっていますが、このペーパーバック版で注を除いて525ページあります。そのせいか、ダイジェスト版が2種類も出版されています。中身の感想は「日本マックス・ヴェーバー研究ポータル」の方に書きましたので、そちらを参照してください。

アドルフ・ヒトラーの「わが闘争」

これを買いました。「ドイツの文化と社会」というご大層な名前の学科の卒業生としては、やはり一度は読んでおきべきかと思って。またマックス・ヴェーバーの初期の主張はヒトラーとかなり共通性がある、と言っている人もいるので、アマチュアのマックス・ヴェーバー研究者としても読むべきかと思いました。
多くの人が誤解していますが、ヒトラーは軍事クーデターや革命で政権を取ったのではなく、合法的に選挙で権力を得ています。すなわち当時のドイツやオーストリアで多くの人に支持されたということです。

白井喬二の「日本刀」(序曲)

白井喬二の「日本刀」(序曲)を読了。雑誌「現代」の昭和13年6月号に掲載。これで終わりではなく次回以降も続くのですが、それがどういう内容なのかは不明です。「序曲」の内容は、「日本刀」を書くことを出版社が予告したら、親戚の陸軍中将から電話が掛かって来た、とか、日本刀や普通名詞ではなく固有名詞であるとか、また人に日本刀の役目を聞いたら、外国人は「斬る」しか言わないだろうが日本人は色々なことを答えるだろう、とか正直どうでもいい内容です。まあこの時期は白井喬二もかなり時局に阿るようになった来たので、このエッセイ?もそんな感じで、いくら白井喬二の大ファンの私でも続きを探して買って読みたいとは思いませんでした。