開隆堂技術・家庭 技術分野教科書(中学校用)のスイッチの記述誤り(再掲)

ちょっと会社で、「スイッチの基礎」みたいな研修の講師をやったのですが、その際に以前買い求めた中学校の技術の教科書のスイッチに関する記述、改めて見てみたら本当にあきれるほどひどいので、告発の意味も兼ねて詳しく紹介します。

まず、その教科書とは、「技術・家庭 技術分野 文部科学省検定済教科書 (9/開隆堂/技術723) 中学校技術家庭科用 -」2014年2月発行のものです。その執筆者を見ると、全員学校の先生、大学の先生で、技術者的な人は一人も入っていません。要するにエレクトロニクスの素人ばかり、ということです。

 

 

 

 

 


まずは、この電子部品一覧の赤枠の所。この写真のスイッチは、フジソク(現在ニデックコンポーネント)の製品で、右の回路図が正しければ、ON-OFF-ON、スイッチ用語でセンターOFFの「単極」双投スイッチです。スイッチで「極」という場合は、同時に入り切り出来る回路の数のことですが、三極のスイッチは最低でも足が6本、ON-OFF-ONなら9本必要であり、このスイッチが「三極スイッチ」であることは100%ありません。家庭用の照明スイッチで「三路スイッチ」という言い方はしますが、何故教科書にこのような超初歩的な誤りが載るのでしょうか。(ちなみに製品写真提供者に、フジソクも日本電産コパル電子の名前もありません。)

それから更に輪を掛けてひどいのが、実際にスイッチを使った工作例。この教科書では3つのモーター(ちなみにこの教科書、まだ「モータ」という昔の表記を使っています)を使った模型の車輌が紹介されています。
それで3つのモーターについて、それぞれ正回転、逆回転、停止のために3つのトグルスイッチを使っています。その配線図が載っています。これがまた変です。

まずは、ON-OFF-ONタイプのトグルを使っていますが、これは問題ありません。(ON-ONタイプを使っていきなり正転から逆転に切り替えたりすると、モーターに負担がかかります。)何がおかしいかというと、

普通のスイッチの配線ではなく、わざわざ2つの極の配線を交差させて配線しています。これが意味不明です。2極の間で、アークが飛んで極間が短絡する危険性がある場合にこういう配線をすることがありますが、この場合普通の配線でまったく問題ありません。

これは私の推定ですが、この配線はほぼ間違いなくNKKスイッチズのスイッチに関する取説を見て、勝手に誤解してこのような変なことをやったんだと思います。NKKのその取説は以下のものです。
ここで良く見ていただきたいのは、この説明のモーターには配線が3本あります。つまりこれは三相電流で動く誘導モーター用の配線です。しかもON-OFF時に接点間にアークが飛ぶような、比較的出力の大きなモーター用です。3Vの電池で動くモーターにこの配線をする意味はまったくありません。
ちなみに、こういうオモチャみたいなのに良く使われるマブチのDCブラシ付きモーターのスペックが左にあります。この場合電圧はDC3V、電流は0.12Aで、この場合にアークが飛ぶことはありません。アークは最低でDC8V、0.4Aぐらい無いと飛びません。

要するにこの教科書のスイッチの配線は、まったく分っていない素人が、NKKのスイッチの取説を見て「モーターの正逆転をスイッチでやる時はこう配線するんだ」と思い込み、また誘導モーターとDCブラシ付きモーターの違いも分らずにそのまま転用したんだということです。何でこんなのが教科書でしかも文科省検定済みなのかまったく理解出来ません。電子立国日本はどこへ行ってしまったのでしょうか。

「プログラミング言語AKW」第2版

なんと「プログラミング言語AWK」の第2版が出ていました!初版は1989年です。私が買ったのは1991年。他のUnixツールと連携を取りながら動くスクリプト言語の元祖で、その後、perlやrubyやpythonなど多くのスクリプト言語が出て来ましたが、仕様面ではそれらに劣るとはいえ、awkがまだまだ現役で多くの人に使われているという証拠ですね。早速ポチりました。最後の方に書いてありましたが、現行のgawk(GNU版AWK)は何とPerl、Java、Python、Ruby、PHPなどより処理速度が高速なんだそうです!これはちょっとびっくりしました。言語仕様が簡素なのが処理速度の向上につながっているのでしょう。何と言ってもAWKのコスパ(書く手間と得られる利便の比)は今でも他の言語の追随を許しません。

塩野七生の「ローマ人の物語 ローマ世界の終焉」

塩野七生の「ローマ人の物語 ローマ世界の終焉」を読了。ついに、というか1000年以上も続いたローマは476年、蛮族にローマを占拠され、皇帝が廃位となり国として滅びます。その前にスティリコという父親が蛮族、母親がローマ人で「半蛮族」と呼ばれた軍総司令官が、孤軍奮闘という感じで蛮族相手に奮戦し、また人格も高潔で賄賂を取ったりせずまた部下の評価も公明正大という人だったのですが、やむを得ず蛮族と同盟を結ぼうとしたのが皇帝ホノリウスと元老院の反発を買って殺されてしまいます。守る人がいなくなったローマは国が滅びる前後で二度に渡って蛮族に徹底した強奪を受け、最終的には東ローマ帝国が派遣した軍とゴート族の17年にも及ぶ戦いで、イタリア半島の全ての都市は徹底的に荒らされ、またその戦いに勝った東ローマ帝国の軍が過酷な税を課して、ローマという国は名実共に滅びます。平家物語の「猛き者もついには滅びぬ」を思わせます。平家物語の平家の場合はせいぜい25年くらいの繁栄でしかなく、ローマとはスケールがまるで違いますが。

塩野七生の「ローマ人の物語 キリストの勝利」

塩野七生の「ローマ人の物語 キリストの勝利」を読了。大帝コンスタンティヌスが死に、その跡をまたも肉親同士の殺し合いの結果、最後に次男のコンスタンティウスが残って継ぎ、ローマのキリスト教化路線を推し進めていきます。しかし粛清をしすぎて補佐役がいなくなったコンスタンティウスは、自分が殺した兄弟の子であるユリアヌスを副帝に指名します。24歳のユリアヌスはそれまである種の隠遁生活を送っており、ギリシア哲学の愛好家でしたが、まったく経験の無かった軍務でガリアの地で蛮族相手の戦いで隠れた才能を発揮し、たちまち兵士達の心を掴み、ついには兵士達から皇帝に推挙されます。それを知ったコンスタンティウスは征伐に向かいますが、途中で病死し、ユリアヌスがただ一人の皇帝になります。ここでユリアヌスは伝統的なローマ人として、またギリシア哲学の徒としてローマのキリスト教化路線を全否定し、元の多神教崇拝に戻そうとします。しかしそれもペルシアとの戦いで戦死し、その治世はわずか1年9ヵ月に終ります。その後テオドシウス1世が皇帝になると、ユリアヌスの政策は全て反古にされ、ついにはキリスト教がローマの国教となり、キリストの勝利となります。ローマ帝国はまだ滅亡はしていませんが、実質的な中世の始まりです。

塩野七生の「ローマ人の物語 最後の努力」

塩野七生の「ローマ人の物語 最後の努力」を読了。「最後の努力」というか「最後のあがき」と言うべきか、ローマの最終的な滅亡までまだ100年ありますが、既にかなりの末期症状を呈して来ていて、蛮族の侵入、ササン朝ペルシアとの戦い、により軍人皇帝の一人ディオクレティアヌスはついに「四頭政」という正帝2人、副帝2人で分割統治し、それぞれが担当の地域を防衛するという仕組みを導入します。これは防衛という目的では機能しましたが、代償として軍人及び官僚組織の肥大を招き、ローマ市民の税負担は増えて行くばかりになります。しかしこの四頭政はわずか2代しか続かず、その後は例によって正帝・副帝間の内乱になり、最終的にコンスタンティヌスが勝ち残ります。彼はコンスタンチノポリスという自分の名前を冠した新しい首都を作り、またキリスト教を公認します。こうなるともはやローマとは言えないので、通常のローマ史はこの辺で終わりですが、塩野七生のは「ローマ人の物語」で「ローマ帝国史」ではないため、まだ続きます。

塩野七生の「ローマ人の物語 迷走する帝国」

塩野七生の「ローマ人の物語 迷走する帝国」[上][中][下]を読了。時代としては211年の皇帝カラカラから284年即位のディオクレティアヌスまでの3世紀の混迷するローマ帝国を描いています。この世紀には73年間に実に皇帝22人ともはや名前も覚えられない軍人出身の皇帝が次々に登場します。最終的にローマを滅ぼすことになるゲルマン民族の侵入が常習化し、東方ではオスティアに代わってササン朝ペルシアが登場し、四方八方で戦いが常習化し、そして皇帝ヴァレリアヌスが何とそのペルシアの奸計に引っ掛かって拿捕され、そのままローマに戻らず死ぬということまで起き、ローマの権威は地に墜ちます。更にはガリアではある軍団長がガリア帝国を宣言して独立、そして東方はパルミラのゼノビアも同じく独立し、ローマ帝国の領土は三分されてしまいます。そこに有能な軍人皇帝のアウレリアヌスが登場し、帝国を再統一し、ゲルマン民族も蹴散らしますが、統治6年で部下に謀殺されてしまいます。そういう危機の時代に、キリスト教がじわじわと勢力を拡大していきます。
という訳で下り坂をひたすらころがっていくという印象ですが、それでも大帝国だけにただでは死なないという感じで、まだまだ色々ありそうです。

塩野七生の「ローマ人の物語」の「終わりの始まり」

塩野七生の「ローマ人の物語」の「終わりの始まり」[上][中][下]を読了。五賢帝によるローマの黄金時代も、最後のマルクス・アウレリウスになると、かなり土台の傾きが感じられるようになります。大体「五」というのが数字合わせ的で、本当の賢帝と言えるのはトラヤヌスとハドリアヌスだけじゃないかと思います。(五賢帝を言い出したのはギボンです。)ネルウァは治世が短くその功績と真に言えるのはトラヤヌスを後継にしたというだけと言っても言い過ぎではないようです。ピウスは人格者ではあったでしょうが、せっかくハドリアヌスが固めた前線の守りをメンテすることをまったくしませんでした。そしてマルクス・アウレリウスは哲人皇帝としてもっとも人気が高いローマ皇帝ですが、ミリタリーおたくの塩野七生にかかると、まあピウスのせいですが、まったく前線勤務の経験が無いまま皇帝になり、しかしゲルマン民族他の侵入が激化して前線に行かざるを得なくなりますが、年取ってから戦争をやっても出来る筈がなく、結局前線で病死します。それからマルクスのもう一つの失政は後継者を自分の息子にしたことで、このコモドゥスがまた出来が悪く失政を重ね暗殺されます。ここでまた内乱の時代になり、3人の軍人が帝位を巡って争い、結局セヴェルスが勝ち残ります。しかしこのセヴェルスによってローマ皇帝は完全な軍人独裁化します。
しかし、本当に皇帝という「職業」は大変です。

塩野七生の「ローマ人の物語」の「すべての道はローマに通ず」[上][下]

塩野七生の「ローマ人の物語」の「すべての道はローマに通ず」[上][下]を読了。この巻は、ローマの特定の時代を描いたものではなく、ローマが作り上げたインフラストラクチャーをハードとソフトの両面で概観したもの。感心したのはローマの水道のレベルの高さ。消毒剤というものが無かった時代にどうやって水道の衛生さを保っていたのかと前から不思議に思っていましたが、水源を川から直接取水したりせず、山の中の湧き水などの元がきれいな水を利用していたのと、後は常に流しっぱなしを保ち、それによって水が痛むのを防いでいたようです。この流しっぱなしというのは、料金が基本無料(自分の家まで延長してもらった場合は有料)だからこそのシステムと思います。また先ごろローマのコンクリートが現代のものより寿命が長い理由が解明されていましたが、おそらくローマ人は科学的に解明したのではなく、経験的に知っていたことだと思いますが、そういう「実践知」の素晴らしさがローマの魅力です。
後半の教育の所でいわゆる「弁論術」の話が出て来ますが、この分野について塩野七生が何も知らないのだということが分りました。結局レトリックは世界で共通して「起承転結」だみたいな、トンデモ論を書いています。論文とかプレゼンテーションを準備するのに何でもかんでも「起承転結」で済まそうとする上司達と戦って来た私にはほとんど噴飯ものです。

E.M.フォースターの「モーリス」

E.M.フォースターの「モーリス」を読了しました。この本を買ったのは出たばかりの1988年で、実に36年間積ん読状態でした。私は元々フォースターのファンですが、1988年になってこの本はようやく出版され、その理由は男性の同性愛を扱っているからということのようです。しかしフォースター自身の説明によると、男性の同性愛を扱ったこと自体が出版出来なかった理由ではなく、結末がハッピーエンドだったから、ということだったようです。要は主人公のモーリスがその性的嗜好の「罰」を受けて不幸になる、という話だったらOKだったみたいです。しかしこの話は要するにモーリスがダーラムという大学での友人と同性愛関係になるけど、二人が社会人になってからダーラムが「普通の」女性愛に目覚めて結婚して、モーリスは振られた形になり、その腹いせではないのでしょうが、ダーラムの家の召使いだった若い男と関係を結んで、結末では二人が一緒に暮しはじめる所で終ります。しかし私はちっともハッピーエンドとは思えず、そもそも地位も違う二人で、当時同性愛は犯罪でした。この二人の将来が明るいものとはとても思えませんでした。全体に読んでみたらどうということはなく、大体フォースターもメンバーの一人であるケンブリッジ大学出身者のブルームズベリーグループは「ホモグループ」としても有名で、ケインズもその一人です。まあ36年経っていまやLGBTQは普通のこととされ、時代も変わりました。この小説の映画もあり、Blu-ray持ってますので観てみるつもりです。