白井喬二の「富士に立つ影」[10](明治篇)

jpeg000 168白井喬二の「富士に立つ影」第十巻、明治篇読了。ついにこの長い物語の最後に到達しました。
明治の御代になりましたが、佐藤光之助は、時勢に合わせることができず、貧窮の生活を送っています。師の杉浦星巌の娘、美佐緒のコネで開成学校のグラスという外人教師に口を利いてもらったお陰で、開成学校の教職につきますが、そのグラスが生徒であった松村介次郎を怒らせ、切りつけられました。松村は逮捕されますが、それで開成学校の生徒達は憤激し、グラスの手引きで学校に入った光之助をも排斥します。
光之助は、いまや押しも押されもせぬ侠客となっている黒船兵吾(お園と佐藤兵之助の息子)が新門辰五郎に紹介してくれたことにより、日本全国の忠臣の事績をまとめるという事業の調査役として採用されます。そうしている内に、杉浦美佐緒から、古い西洋の楽譜を手渡されましたが、それは昔、錦将晩霞が使っていたもので、欄外に、佐藤兵之助が調練隊の隊長に決まった時に、熊木公太郎が錦将晩霞に祝いの曲を所望したという驚くべきことが書いてあることを発見します。
光之助は東北地方を旅し、各地の忠臣の事績を調査しますが、調べていくと、忠臣と褒め称えられる人物が、実際には無実の人間を殺めていたりして、必ずしも立派な人間ではないのを知ります。そうしている内に、仇敵である熊木公太郎こそ理想的な人物であったのではないかと思うようになり、公太郎の足跡を訪ねて歩き、公太郎が那須にいた時の知り合いである笛の名人の森義に出会って公太郎の話を聞くことができました。
光之助は東京に戻り、新橋の陸蒸気の駅で、熊木城太郎に出会います。城太郎はある人の助手として外国に出かけることになっていましたが、光之助は城太郎にもはや仇としては付け狙わないという和解を持ちかけ、ここについに熊木家、佐藤家の三代に渡る対立は終わりを告げます。
物語の最後に、作者は光之助に、「ただこの世はおおらかなる心を持つ者のみが勝利者ではあるまいか。」と語らせています。これがこの小説を貫くテーマであると思います。

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白井喬二の「富士に立つ影」[9](幕末篇)

jpeg000 165白井喬二の「富士に立つ影」第九巻、幕末篇読了。
熊木城太郎は、糊口をしのぐために、赤松浪人団に参加します。そこの副隊長がこともあろうに、佐藤光之助でした。城太郎は光之助から、公私の区別をつけることを条件に入団を許されます。城太郎は、佐藤兵之助を一旦は討ち取ったと思っていましたが、死んだのを確認しなかったため、時が経つにつれて、実は兵之助は生きているのではないかと思うようになります。そのことを、城太郎は光之助に何度も問いただし、光之助を辟易させます。そうこうしている内に、光之助は隊長である赤松総太夫と、お八重という女性を巡って険悪になり、ついには袂を分かつことになりました。その時に団員に、光之助か総太夫のどちらについていくか問うた所、光之助に付き従うものは一人もおらず、ただ公太郎だけが歩みでます。このことを光之助は感謝し、とうとう城太郎に、兵之助が生きていることを告げます。
お八重と光之助は夫婦になりますが、城太郎は兵之助を探して江戸中を彷徨うことになります。兵之助は、音羽に潜んでいましたが、そこで火事があったのをきっかけに、城太郎に居場所を突き止められてしまいます。ですが、すぐにお八重と光之助の新居に移り、無事に城太郎をまくことができました。
兵之助はしばらく平穏に暮らしますが、老残の身になって、今は昔のお園とのことだけが懐かしくなり、お園に会いたくてたまらなくなり、ついには一人でお園に会いにいきます。お園に会って、今こそ愛していることを告げたのですが、老いたお園は今さらと、兵之助の告白を一笑に付します。失意の兵之助は帰りに懐かしい湯島天神に参りますが、そこで熊木城太郎に遭遇し、今度こそ仇を討たれてしまいます。

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白井喬二の「富士に立つ影」[8](孫代篇)

jpeg000 164白井喬二の「富士に立つ影」第八巻、孫代篇を読了。佐藤兵之助とお園の子、兵吾は武士を憎み、職人とし生きるため、船大工の鳥ノ居頼吉の元で修行に励んでいます。しかし、頼吉がふとしたことで、黒船建造についての論争で敗れてしまい、船大工を辞めることになったため、結局侠客の上冊吉兵衛の元に身を寄せることになります。その吉兵衛が、ある足が不具である侍が敵討ちに襲われるのを守ることになり、兵吾もその役目を果たしますが、その侍は実は兵吾の実の父親である佐藤兵之助でした。兵之助は熊木公太郎を鉄砲で撃って殺害した時に、自身も公太郎の知り合いの猟師の銃の弾を膝に受けて、不具者になってしまっていました。兵吾はふとした弾みから、守っている侍が実の父であることを知り、ようやく親子の対面を果たします。
一方、佐藤兵之助の正妻の子である光之助は幕府の品川への砲台建設の現場に採用されて、工事資材の監督をしています。光之助は、元々城太郎というのですが、熊木公太郎の息子も城太郎というのを知って光之助に改名しようとします。そうこうしている内に、佐藤菊太郎は老齢のためついに命を落とします。
また、熊木公太郎の息子である熊木城太郎ですが、公太郎に似た鷹揚な性格に見えて父親とは異なっており、特に二重人格というか躁鬱病みたいな所があって、「勝番」と呼んでいる調子の良い時は、武術で師範を負かしてしまう程の腕になるのですが、「負番」と呼ぶ調子の悪い時には、素人にさえ負けてしまいます。この熊木城太郎が、公太郎の親友であった大竹源五郎の助けを借りて、佐藤兵之助を親の仇としてつけねらいますが、「負番」の時が多くて、なかなかうまくいきません。そうこうしている内に、大竹源五郎は、公太郎の妻であった貢に惚れてしまった自分を恥じて、とうとう自殺してしまいます。それを知らずに、熊木城太郎はある日「勝番」になった勢いをもって、ついに佐藤兵之助と佐藤光之助の親子が会談している場所に踏みこんで仇を討とうとします…

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白井喬二の「富士に立つ影」[7](運命篇)

jpeg000 162白井喬二の「富士に立つ影」第七巻、運命篇読了。
前巻の最後で、佐藤兵之助に斬り殺されそうになったお園は、兵之助の元から身を隠すことを条件に命を助けてもらい、一人で男の子を産んで、兵吾と名付け、女手一つで育てていきます。
一方、日光霊城審議から十年が経ち、その時に約束した熊木家と佐藤家の三度目の対決の時がやってきます。熊木公太郎は昌平校の武術師範になっており、佐藤兵之助は調練隊の隊長になっています。しかし二人の対決は、思わぬ展開から斬り合いとなり、物別れと終わってしまいます。
その結果を知った熊木伯典は気を落として、死の病の床に就いてしまいます。公太郎は、その伯典を救わんとし、猿回しの助一に、御殿医玄融を連れてきて伯典を診てもらうように頼みます。玄融は、百両あれば診てやるといい、助一は玄融の囲い女の家から百両を盗み出し、玄融を伯典の元に連れてきましたが、時既に遅く、一足違いで伯典は死んでしまいました。
助一の盗みは公儀の知る所となり、助一は捕まって伝馬町で斬首されそうになります。危ない所で馬に乗った公太郎が駆けつけ、助一を助け出して江戸を逐電します。この公太郎と助一の追捕を命じられたのが、他ならぬ調練隊の隊長佐藤兵之助で、兵之助は行き先を調べるのに苦労しますが、とうとう筑波山麓に隠れ潜んでいることを探し当て、ついに両者は再び相まみえます。ここで兵之助の部下が鉄砲で公太郎を撃ち、さしもの好漢公太郎もついにここで命を落とします。

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白井喬二の「富士に立つ影」[6](帰来篇)

jpeg000 159白井喬二の「富士に立つ影」第六巻、帰来篇読了。物語の舞台は再び富士の裾野愛鷹山麓へと戻ります。佐藤菊太郎と熊木伯典の対決の時に、菊太郎に味方した花火師の竜吉は、伯典の陰謀で捕らえられたままどこかの岩牢の中に終身閉じ込められています。その竜吉が持っている口書調印状が伯典の旧悪を暴くものとして、熊木公太郎と佐藤兵之助とで奪い合いになります。しかし、ここで初めて熊木公太郎が佐藤兵之助を出し抜き、竜吉の捕らえられている岩牢を見つけ、先に口書調印状を手に入れます。兵之助は口書調印状を奪い取ろうと、公太郎に二度斬り合いを仕掛けますが、剣の腕では公太郎に敵わず、手傷を負ってしまいます。
江戸の熊木家では、公太郎の妹のお園が、那須から帰って来ても、佐藤兵之助との逢い引きを続け、とうとう兵之助の子供を身籠もってしまいます。これが両親の伯典と小里にばれ、お園は家を出て兵之助の元に身を寄せます。
一方、公太郎は、那須で知り合った音楽師である錦将晩霞の妹である貢を嫁にすることを決めます。
佐藤兵之助は、身重のお園を連れて江戸を抜け出し、大山までやってきます。兵之助は自らの立身出世のためにはお園とそのお腹の子が邪魔であると考え、お園を切り捨てようとします。
巻末の山室恭子の解説が見事で、中里介山の「大菩薩峠」とこの「富士に立つ影」を比べ、「大菩薩峠」が空間的広がりを主とし、「富士に立つ影」が時間的な広がりを主とする、としています。

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白井喬二の「富士に立つ影」[5](神曲篇)

jpeg000 157白井喬二の「富士に立つ影」第五巻神曲篇を読了。日光霊城審議で勝利した佐藤兵之助は、早速築城に取りかかりますが、半年ほど根を詰めて働いたのが体に来て、神経痛を患います。その療養に、那須の温泉宿に逗留していたところ、熊木伯典の娘お園が何故か兵之助を訪ねて来ます。その用件は、熊木の家にある牡丹群鳥の壺(昔佐藤菊太郎がその壺の偽物を誤って割ってしまった)を佐藤家に売り、その代償として、日光で囚われている上田三平を解放してもらうことでした。兵之助は断りますが、何度も話を重ねている内に、二人はお互いに惹かれ合うようになり、ついには男女の仲になってしまいます。
那須の温泉宿にはお園の後を追って伯典もやって来ます。そうこうしている内に、那須で跳梁していた山賊を討つことになり、その指揮を兵之助と伯典が執り行うことになります。山賊の山狩りはうまく行きましたが、そのドサクサで兵之助と伯典は斬り合うことになり、伯典は足を滑らせて谷に落ち、重傷を負います。それにつけこんだ兵之助は、伯典の昔の悪を白状させて念書を取ってしまいます。
実は熊木公太郎も前からこの那須の地に来ていて、樵や川漁師の真似ごとをして暮らしていたのですが、山賊とも顔なじみになっており、山狩りにあった山賊に頼まれて、それとは知らず兵之助に立ち向かうことになり、兵之助の刀を曲げてしまいます。
兵之助はお園との関係が深くなり、病気は治ったにも関わらず日光に戻らず那須にぐずぐずしています。そこに日光から兵之助が戻ってこないのをいぶかって調査のためにある侍がやって来ます。兵之助はふとしたきっかけでこの侍を斬り殺してしまいます。
一方、熊木公太郎は、隣の小屋に住む貢といい中になり、一緒になる約束をします。
といった具合ですが、日光霊城審議で鮮やかに勝った佐藤兵之助が、そのまま栄光に満ちた日を送るのかと思ったら、色々と暗雲が立ちこめ、ついには人殺しを犯してしまいます。一方で破れた熊木公太郎は、清廉潔白に暮らしていきます。

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白井喬二の「富士に立つ影」[4](新闘篇)

jpeg000 154「富士に立つ影」第四巻、新闘篇読了。
熊木伯典の一子公太郎と、佐藤菊太郎の一子兵之助は、日光霊城審議で、かつて伯典と菊太郎がぶつかったのと同じように、対決します。兵之助の親の菊太郎がただ真っ正直で策を巡らすという事ができずに伯典に負けたのに対し、その子の兵之助は抜け目なく、才気煥発で一分の隙もありません。それに対して熊木伯典の子の公太郎は、大らかですが、伯典のように策を巡らすことができず、兵之助との問答では、相手の策を褒めてしまったり、築城において農民や樵のことを思いやるべきだなどとやって、兵之助に突っ込まれてしまいます。
そういう訳で直接対決は賛四流佐藤兵之助の圧勝でしたが、公太郎についてきた伯典は裏から手を回し、賛四流をいわれなき罪に陥れようとします。それが成功し、一旦は赤針流の熊木公太郎の勝利に決まりかけましたが、その時、生命を賭けた証人が登場し…
というお噺です。公太郎につきまとって来た影法師の正体も明らかになります。

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白井喬二の「富士に立つ影」[3](主人公篇)

jpeg000 153白井喬二の「富士に立つ影」第三巻主人公篇を読了。この巻からいよいよ全体の物語の主人公である、熊木公太郎(きみたろう)が登場します。親父である熊木伯典と違って、天真爛漫で邪気の無い、善人である意味「聖なる愚者」的な人物として描かれています。この公太郎には、親父である伯典への恨みからなのか、影法師と呼ばれる謎の人物がつきまとっており、公太郎が何かを習っていよいよ免許を得ようとする段階になると、決まってこの影法師の邪魔が入り、免許を得ることができません。公太郎は、軍学者頼母木介堂に入門しようとしますが、その入門の儀式でまたしても影法師の邪魔を受け、入門することができません。そうしている内に、公太郎は一緒に旅していた猿回しの助一(実は富士の裾野の村で佐藤菊太郎に味方した牛曳きの息子)から、熊木伯典の昔の悪について聞きますが、公太郎はそれを信じることができません。実家に戻った公太郎の元へ、鼠小僧次郎吉が泥棒に入りますが、公太郎はこれを逃がしてしまい、公太郎の評判はさらに悪くなります。そうこうしている内に、伯典は幕府が日光で新しい城を築く話を聞いてきて、公太郎に築城学を仕込んで、今度こそ名を成させようとします。

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白井喬二の「富士に立つ影」[2](江戸篇)

jpeg000 151白井喬二の「富士に立つ影」、第二巻読了。
舞台は一転して富士の裾野の村から江戸に変わります。
佐藤菊太郎を慕うお染は、第一巻の最後で、熊木伯典の出生の秘密にまつわる書き付けを盗み出し、それを別の内容に書き換えたものにすり替え、伯典に戻します。そして伯典の側に住み、伯典が偽の書き付けに翻弄されて不幸に陥っていく様を眺めます。
一方で裾野村の庄屋の娘で、伯典によって危うく人柱にされかかったのをお染に救われたお雪は今は江戸に出て、芸者となって名前を小里と変え、お染に協力します。
それが何故か、まだ経緯はよくわかりませんが、小里は伯典の女房になり、妊娠します。生まれる子は第三巻以降に出てくる熊木公太郎です。二巻までは熊木は悪者ですが、公太郎は純真無垢な自然児で、ここで善役と悪役がひっくり返ります。

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白井喬二の「富士に立つ影」[1](裾野篇)

jpeg000 147白井喬二の「富士に立つ影」を読書開始。第1巻を読了。1924年から1927年にかけて報知新聞に連載された、ちくま文庫版で全10巻に及ぶ大河時代小説です。
築城家で赤針流の熊木家と賛四流の佐藤家の三代68年、江戸から明治にかけての確執を描くものです。
第1巻の「裾野篇」では、富士の裾野の村で、構築される予定の調練城を巡って、赤針流熊木伯典と賛四流佐藤菊太郎の二人の築城家が、築城の詳細を巡って、現代風に言えばコンペをやって論争します。言葉による討論は互角で決着が付かず、決着は四種類の実地検分をもってつけられることになります。この築城家というのはフィクションで、実際の歴史ではこんな築城家の流派といったものは存在せず、ましてやその築城家が実際の築城を巡って論争するなんてことはなかったと思いますが、このフィクションの築城論争がまずとても面白いです。また、熊木伯典(悪役)と佐藤菊太郎(善役)のキャラクターの対比が見事で、特に熊木伯典の憎々しさの描写は見事です。
実地検分では、四種類のうち、三種類で佐藤菊太郎が優勢で、勝利間違いなしと思われていたのですが…

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