小林信彦の「本は寝ころんで」

jpeg000 195小林信彦の「本は寝ころんで」を読了。週刊文春に1991年から1994年まで連載された書評に書き下ろしを追加したもの。書き下ろしの部分に「海外ミステリベスト10(古典)」みたいな、ベスト10が5種載っているのが、小林信彦の本としては珍しいです。
小林信彦の好きな作家であるパトリシア・ハイスミスやスティーヴン・キングが多く取り上げられています。また、安原顯を何度か褒めているのが目に付きます。いわゆる「生原稿流出問題」では、小林信彦自身も被害に遭っているのですが、そういう安原顯の問題点をこの頃はまだよくわかっていなかったようです。

小林信彦の「結婚恐怖」

jpeg000 192小林信彦の「結婚恐怖」読了。1997年の作品。個人的には小林信彦の作品の中ではもっとも評価できない作品です。前書きで作者自身が「なぜこのような奇妙な小説を書いたかがわからない。」と言っています。そのようなものを読者にそのまま提示するのはどうかと思います。最初はコメディーで途中からホラーになっていくのですが、そのホラーになっていく必然性がまったくなく、主人公を追い詰める人物の唐突さもまったくもって受け入れがたいものです。
主人公自体の設定も、放送作家で和菓子屋の息子、とこれまた小林信彦作品の中では使い古された何の工夫もないものです。
解説は私と同じで小林信彦作品は全部読んでいる坪内祐三ですが、さすがに褒めるところがなかったと見えて、「脇役の描写がいい」としてそればかりを書いています。

小林信彦の「裏表忠臣蔵」

jpeg000 190小林信彦の「裏表忠臣蔵」を再読了。1988年の作品。この作品は作者自身のノートによれば、1964年に松島栄一の「忠臣蔵」を読んだことがきっかけになっているそうです。その1964年は東京オリンピックの年であり、また、NHKの大河ドラマで「赤穂浪士」をやっていて、ある意味忠臣蔵がブームだった年です。松島栄一の本は、吉良上野介の実像が、従来の忠臣蔵伝説でのものとはかなり違うであろうことを暗示したものだそうです。「裏表忠臣蔵」は、その「暗示」をもっと膨らませて、いわゆる忠臣蔵を吉良の身の上に降りかかった不条理な不幸(作者は吉良上野介をカフカの「変身」のグレゴール・ザムザにたとえています)として、スラップスティック的に描いたものです。
そういった逆説的「忠臣蔵」の設定は興味深いのですが、当然学術書ではないので、ある意味中途半端な印象を受けます。また小説として見た場合も、「ぼくたちの好きな戦争」と同じで暴力をスラップスティック的に描くのですが、ストーリー展開がこれまた中途半端という感じです。小林信彦の元禄版みたいな和菓子屋の跡取りの源太郎が出てきたり、近松門左衛門が出てきますが、当然メインは赤穂浪士の討ち入りの描写になるので、二人ともとって付けたような活動しかしていません。
私は1964年の大河ドラマの「赤穂浪士」は、小さすぎて観ていません。しかしながら、大河ドラマでの忠臣蔵はもう1回1975年の「元禄太平記」があって、これは観ています。この時の「忠臣蔵」も色々とひねってあって、必ずしも1964年の「赤穂浪士」のような設定がいつもスタンダードとしてあった訳ではないと思います。

白井喬二の「盤嶽の一生」(続き)

jpeg000 193白井喬二の「盤嶽の一生」の完全版(?)を入手し読了。新潮文庫版は、全体の半分くらいまでしか収録していなく、かつ章の途中で切っているというひどいものであることがわかりました。ただ、この完全版(?)でも話は完結していません。
盤嶽の真実を求める旅は続いて、後半部では、大人に絶望した盤嶽が今度は青年達に希望を託しますが、それもすぐ裏切られてしまいます。それで今度は子供に期待しますが、それもまた駄目でした。最後は赤ん坊に望みを託しますが、それも期待通りに行きません。
色々あって、盤嶽は、二人の子供と一人の老人と、またかつては自分を毛嫌いしていた叔父の娘と暮らし始めることになります。その後無実の罪で牢屋に入れられますが、無事脱牢する所で終わっています。
この話を読んで、盤嶽の生き方を見て、聖書の「義に渇く者は幸いである。」を思い出しました。聖書では彼らは満たされるとイエス・キリストは言っていますが、盤嶽の場合は決して満たされることがありません。この小説を白井喬二は完結させようにも、盤嶽にふさわしい結末をとうとう考えつくことができなかったのではないかと思います。
盤嶽の映画を最初に作ったのは名匠山中貞雄です。2度目のTVドラマの最初の2回はその映画を封切り時に観た市川崑によって作られています。盤嶽のキャラクターは名匠達の心を捉えていたようです。→白井喬二の「盤嶽の一生」、の最初の投稿へ

白井喬二の「盤嶽の一生」

jpeg000 189白井喬二の「盤嶽の一生」を読了。昭和7年からおそらく昭和12年くらいまでに、三つの雑誌に連載されたもの。(「さらば富士に立つ影」の巻末の年表で確認できるのは、昭和7年3-12月に「文藝春秋・オール読物号」に「盤嶽の一生」、昭和8年11月~昭和9年6月に「大衆倶楽部」に「その後の盤嶽」、そして昭和11年3-8月に「サンデー毎日」に「阿地川盤嶽」、さらには戦後になって、昭和26年12月の「オール読物」に掲載された「盤嶽の仇討」です。しかし、「モダン日本」の昭和12年3月号に載った広告で、昭和12年の「オール讀物特輯三月號」に「盤嶽とお稲」(読み切り)の掲載が確認できます。)
阿地川盤嶽(あじがわばんがく)は武州の生まれで、12歳の時に父を、14歳の時に母を亡くし、叔父の元で育ちます。大きくなって、その叔父の家の娘に嫌われて家を出ます。26歳で剣の腕は師範代格、剣の師匠から譲られた名刀日置光平(へきみつひら)を携えていますが浪々の身でした。ある時、親友から水道樋を破壊から守る仕事を紹介されますが、その水道樋を下見に行ったら、そこにお奉行が水道樋を視察するのに出くわします。お奉行は樋を破壊しようとする狼藉者に襲われますが、盤嶽はその仲間と間違えられて、故郷を飛び出すことになります。その際に、親友からひどい言葉を投げつけられ人間不信に陥ります。逃走の旅先でも色々な経験を重ねますが、世の中が虚偽だらけだという気持ちになっていきます。その反動で真実を追い求めるようになります。ある時は、「正直先生」という地元で評判の正直者の学者に会いますが、その学者が普段嘘をつかないのは、いつか一世一代の大嘘をつくためだと告白されて、大いに落胆します。
その後江戸へ出て貧乏長屋で暮らしますが、盤嶽はいつも真実を見たいと思って行動しますが、常に裏切られることになります。ある時は付け木(マッチ)職人の新造が付け木作りの機械を作るのを手伝いますが、首尾良く完成した機械は、しかし付け木屋の職人10人の職を奪うことになってしまいます。
また、ある時は頼母子講のお金を持ち逃げした犯人を追い求めて、東海道を旅します。その途中で「かわらけ投げ」に出くわします。投げた5枚の「かわらけ」の割れ方で吉凶を占うものですが、盤嶽は「かわらけ」であれば、投げて割れるのにごまかしはないだろうと思って、試しにやってみて満足します。しかし、その後で、実は「かわらけ」には少し厚いものと薄いものの2種類があってそれぞれ割れ方が決まっていて、お客に合わせてその組み合わせを調整していると聞いて愕然とします。
その後も、何度も盤嶽が真実を追い求め、それが裏切られるというエピソードが積み重ねられていきます。普通の文庫本の三冊分くらいあるボリュームの小説ですが、結局最後まで盤嶽の願いは叶えられることないままです。しかしながら、最後でそんな盤嶽を心より慕う純な乙女が現れて、二人がうまくいくんではないか、と希望を持たせた所で、小説は唐突に終わりを告げます。おそらく白井喬二自身はまだ続きを書くつもりがあったのだと思いますが、結局書き続けられないままで終わってしまったようです。盤嶽は「富士に立つ影」の熊木公太郎と性格は違いますが、何か共通する魅力が感じられる人物です。
これまで2回映画化され、2回TVの時代劇になっています。

追伸:私が読んだ新潮文庫版は、途中までしか収録されていなくて、まだ続きがあるみたいです。続きを含む別の版を発注しました。→白井喬二の「盤嶽の一生」(続き)へ

小林信彦の「新編 われわれはなぜ映画館にいるのか」

jpeg000 186小林信彦の「新編 われわれはなぜ映画館にいるのか」を読了。元は1975年に晶文社から発行され、後に内容を組み替えてちくま文庫で「映画を夢みて」と改題されて出て、さらに内容を組み替えて2013年にキネマ旬報社から「新編」として出たものです。
初出は1960年代前半のものと、1973~1974年のもの、2000年以降のものと別れています。おそらく最初の晶文社版にあったと思われる、「進め!ジャガーズ 敵前上陸」に関するエッセイが無くなっているのが残念です。
このところ、小林信彦のあまり出来が良くない小説を数作品読んできましたが、小林信彦のエッセイはそれに比べるとキレがあり、特に若い時のものは魅力的です。中でも1960年代前半のもので、花田清輝、寺山修司、白坂依志夫といった人達をばっさり斬っている評論はすごいです。正直なところ、どんどん敵を作ってしまうようなもので、ある意味小林信彦の「世間知らず」ぶりがよく現れていると思います。寺山修司については、小説の処女作「虚栄の市」の中の複数の主人公の一人のモデルにされています。作者がその登場人物に愛情がないのは読んでいて強く感じられましたが、その理由がわかったような気がします。寺山修司の「盗作」は、俳句におけるそれが有名ですが、ミュージカルの脚本でも盗作まがいをやっていたことを初めて知りました。

小林信彦の「ムーン・リヴァーの向こう側」

jpeg000 184小林信彦の「ムーン・リヴァーの向こう側」読了。1995年の作品で、「ドリーム・ハウス」「怪物がめざめる夜」と合わせて、東京三部作だそうです。
話の内容は先日読んだ「イーストサイド・ワルツ」と重なる部分が多いです。ただ、結末が「イーストサイド・ワルツ」みたいに暗くないので、こちらの方が好感を持てます。といいつつも、この作品にも下町と山の手を巡ってのいつもの小林信彦の持論が噴出してきて、ああまたか、とうんざりした気になります。タイトルの「ムーン・リヴァー」も、たぶん隅田川(大川)のことなんだろうなと思って読んでいたら、その通りでした。正直な所、小林信彦の恋愛小説は概してうまくないですねえ。

白井喬二の「新撰組」[下]

jpeg000 181白井喬二の「新撰組」[下]を読了。
タイトルの「新撰組」は下巻の半分くらい、全体の3/4を経過したところでやっと登場します。それで池田屋事件とかも出てくるのですが、新撰組はあくまで背景に過ぎません。メインは、但馬流の織之助、金門流の紋兵衛、そして京都の伏見流の潤吉、この3人の独楽勝負を巡るお話しに、勤王の志士の妹であるお香代がからみます。織之助は、最初紋兵衛と戦い、その後潤吉と戦います。そして最後にお香代をどちらが妻にするかをかけて、潤吉と再度、肉独楽という占い独楽で決着をつけようとします。とにかくはらはらどきどき、織之助の人生も波乱万丈で読んでいて非常に楽しいです。ポケモンgoもいいけど、やっぱり本もいいです。

白井喬二の「新撰組」[上]

jpeg000 181白井喬二の「新撰組」[上]を読了。タイトルは「新撰組」ですが、上巻を読んだところでは、近藤勇も沖田総司も土方歳三も登場しません。主人公は、但馬流独楽師の織之助で、お話しは、この織之助と金門流の紋兵衛との独楽勝負です。すなわちどちらの作った独楽がより長く回っているかを競うものです。この独楽勝負の結果で、二人の美人のどちらかが異人に差し出されてしまうという緊迫した勝負です。さて勝負の行方は…

伊藤祐靖の「国のために死ねるか 自衛隊『特殊部隊』創設者の思想と行動」

jpeg000 177伊藤祐靖の「国のために死ねるか 自衛隊『特殊部隊』創設者の思想と行動」を読了。たぶん片山杜秀の右翼に関する本を買ったので、そのつながりでAmazonがおすすめで出してきたもの。強烈なタイトルに惹かれて購入。
筆者は、海上自衛隊で、イージス艦「みょうこう」の航海長在任時に、北朝鮮の工作母船と遭遇し、その船を威嚇銃撃しながら追撃し、一度は停船させましたが、結局取り逃がすという能登半島沖不審船事件に遭遇しています。この時、工作母船の船内を調査することが必要でしたが、この時点ではその任務にふさわしい技能を持ったものは自衛隊にはいませんでした。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わります。その後、特殊部隊について自衛隊の幹部と考え方が合わず退官、フィリピンのミンダナオ島に移り、そこでもさらに特殊部隊としての技能を磨いて、現在は各国警察や軍隊への指導を行っている人です。
まず、この人のお父さんがある意味異常な人で、陸軍中野学校の出身で、戦前に蒋介石殺害の命令を受け、終戦時にもその命令が解除されなかったという理由で、戦後も新たな指令に備えて、毎日射撃訓練を続け、それは1975年に蒋介石が死ぬまで続いたというそういう人です。
そういう父親を持つ人が海上自衛隊の特殊部隊の創設に深く関わるのですが、意外だったのが、アメリカの特殊部隊がある意味世界最弱で、まったく参考にならず、日本独自の特殊部隊を考案したということです。
そういう特殊部隊創設時のエピソードよりももっと興味深いのが、ミンダナオ島に移ってからの体験で、ラレインというおそらく反政府ゲリラ出身の20過ぎの女性で、この女性の「殺し」についての根性がすごいです。筆者にとって射撃は的に当てることですが、このラレインにとっては、相手の顔を吹っ飛ばすことです。また筆者とこのラレインが水中で格闘戦をやった時に、筆者はラレインの肩にまたがって、自分は水面から顔を出し、ラレインは水中に押し込められて呼吸ができないという姿勢になったのですが、ラレインはふりほどけないことがわかると、筆者を水の中に引きずり込んで、そちらも呼吸ができないようにし、結局我慢比べに勝って、不利な闘いを打開します。
そのラレインが、戦争中の日本の沈没船から、大正天皇が関東大震災の時に出した詔勅の額を引き上げてきて、筆者に訳してもらいます。それを聞いた感想が、大正天皇はエンペラーではなく、部族長だということです。何故なら命じるのではなく、ただ「こいねがう」ことしかしていないからです。
筆者の「思想」は正直な所、私には受け入れがたい部分が多いのですが、強烈な本ではありました。