白井喬二の「金色奉行」

jpeg000 211白井喬二の「金色奉行」を読了。昭和8年から9年にかけて報知新聞に連載されたもの。
猿楽太夫の川勝三九郎(かわかつさんくろう)と安中藩の若者組のエリート藩員である龍胆寺主水(りんどうじもんど)(この主水は「富士に立つ影」の佐藤兵之助を思わせる人物設定になっています)は、多津江という一人の女性を巡って争いますが、この争いは主水の勝ちに終わり、主水は多津江を妻にします。主水は、安中藩に戻って、藩主の密命で江戸に渡り、幕府から安中藩にかけられた嫌疑を晴らそうとしますが、秘かに三九郎の妨害に遭い、交渉はうまくいかず、あろうことか主水は刃傷沙汰に及んでしまいます。そのため、主水は脱藩せざるを得なくなり、多津江を連れてあちこち彷徨いますが、何をやってもうまくいかず、零落します。一方で三九郎は、時勢を見るに敏であり、江戸で次々に出世を重ねていき、特に鉱山開発で幕府を富ませることに功があり、ついには大久保岩見守となり、幕府の政策を左右するまでの立場になります。(実在の大久保岩見守長安も、元々は猿楽太夫でした。)
このように二人の人生の勝負は、一方的に三九郎の勝ちになるのですが、しかし三九郎は、最初の負けが一生忘れられず、世間からは「金色聖人」と讃えられながら、実際は女色にふけり、女人の命を奪ったりします。また、権勢に奢りが出て、秘かにポルトガル商人とつるんで、鉄砲を仕入れ、幕府を転覆させる陰謀をたくらみ、三九郎の死後それが発覚します。(大久保岩見守こと大久保長安は実在の人物で、実際に死後幕府から不正蓄財の嫌疑をかけられて、大久保家は没落します。)
また、多津江はふとしたことから主水とはぐれ三九郎の屋敷に雇われて働いていましたが、ある時に粗相で大久保家の家宝を壊してしまい、七百両の借金を負うことになり、一生飼い殺しの身分になります。主水はこの多津江を救おうと、七百両を何とか入手しようとしますが、結局いかさま博打に手を染めます。最後は何とか七百両を手にしますが、果たしてこれで三九郎に勝ったことになるのか、と自嘲する所でこの小説は終わります。
全体を通じて、人間の幸福とは何なのかを問いかけます。また、脇役ですが、岩松という人物が出てきます。これが「富士に立つ影」の熊木公太郎のような真っ直ぐな性格で、全体の清涼剤になっています。

小林信彦の「流される」

jpeg000-207R01小林信彦の「流される」を再読了。2011年の作品で、2005年の「東京少年」、2007年の「日本橋バビロン」に続く自伝的三部作の最後の作品です。
「日本橋バビロン」では主に、小林信彦の父方の祖父の話が中心でしたが、この「流される」は青山に住んでいた、小林信彦の母方の祖父にまつわる話が中心になります。この人は、創業から間もない沖電気のエンジニアで、色々な発明をして、沖電気の創業者である沖牙太郎の右腕と呼ばれた人で、沖電気退社後は、歯科用機械の工場を経営していました。太平洋戦争後、両国の生家を東京大空襲で焼かれた小林一家は、しばらくこの青山の祖父の家に身を寄せます。
あくまで「自伝的小説」であって、固有名詞は本来の名前になっていますが、かぎりなく架空の人物も登場します。その辺りの虚実の境目を意識しながら読むといい作品です。

小林信彦の「私説東京繁昌記」

jpeg002 6小林信彦の「私説東京繁昌記」を再読完了。元々1984年に中央公論社から出版され、後に加筆・再校正されたものが、最終的にちくま文庫で「私説東京繁昌記」のタイトルで出たもの。写真家のアラーキーこと荒木経惟と組んで、一緒に東京の街を歩き回り、荒木が写真を撮っています。バブル前期の東京を、小林信彦が住んだことがある街を中心として歩き回り、「下町と山の手」という視点でまとめたもので、東京という巨大都市の基本的な骨格を明らかにしようとしたものです。筆者は、東京という街について三度の「町殺し」、つまり関東大震災、太平洋戦争、高度成長期の建設ラッシュを指摘しており、基調としては詠嘆的です。この三度の町殺しの後、四度目の町殺しとしてバブルがありますが、バブルの後の東京については、1992年の「私説東京放浪記」にまとめられています。

白井喬二の「神変呉越草紙、柘榴一角」

jpeg000 204jpeg001 10白井喬二の「神変呉越草紙、柘榴一角」を読了。
「神変呉越草紙」は、白井喬二の初めての長編小説です。前に紹介した「怪建築十二段返し」などの短編小説が今一つだったのに対し、この「神変呉越草紙」は実に面白い傑作です。お話は、蝦蟇毛仙人から、それを手にする者は最高の栄耀栄華を得ることが出来るというお宝の話を聞いた若者が、それを求めて秩父の山中を駆け巡ります。お宝の手がかりの地図は二つに分かれていて、若者が持っているのは片方だけです。このお宝の手がかりの地図を巡っての争奪戦がハラハラドキドキです。色々あって、若者はついにお宝を手にするのですが、そこからの展開がまたちょっと意表を突きます。
「柘榴一角(ざくろいっかく)」は幕府の隠密であった父親の仕事を継いだ柘榴一角が大活躍する話です。この一角の性格が「富士に立つ影」の熊木公太郎と同じで真っ正直で明朗闊達です。公太郎もそれなりの剣の達人でしたが、一角は23歳にして武道の大名人で、「100人までなら任せておけ」、「1000人までなら大丈夫」とどんどん強さがエスカレートしていきます。とにかくこの強さがとても魅力的です。最後は父親が探り続けて来た贋金作りの陰謀を見事暴いて大団円です。
なお、この書籍の表紙絵を描いているのは山藤章二、そしてカラーの挿絵を描いているのは、あの小島剛夕(「子連れ狼」、「ケイの凄春」、「乾いて候」の)です。

小林信彦の「<超>読書法」

jpeg000 202小林信彦の「<超>読書法」を読了。「本は寝ころんで」に続けて、1993年から1996年に週刊文春での書評連載に一部書き下ろしを追加したもの。
この頃(1990年代半ば)から、小林信彦のエッセイには政治的な発言が多くなります。私は小林信彦のファンですが、政治的な発言については一切信用していません。
この本でも、村山富市政権を褒めたり、青島幸男都知事を激賞したりしています。それから、この本では小沢一郎を非難していますが、いつの頃からか逆に賞賛したりしています。

池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」

読売新聞に連載中の、池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」が全然面白くありません。池井戸潤の作品の魅力は読んでいてのカタルシスだと思うのですが(池井戸潤の作品は出版されているものは全部読んでいます)、今回の連載では銀行の様々な不祥事が出てくるのに対し、花咲舞は平行員としてそうした不祥事の問題点を指摘するだけで、結局組織の論理に押しつぶされてしまう、という展開がほとんで、まったくカタルシスがありません。
一方で、何故か半沢直樹が突然登場し、実に格好いいセリフを吐いて目立つのですが、対照的に花咲舞はまったく目立ちません。
元々、花咲舞が出てくるのは「不祥事」という小説ですが、私はこの作品もあまり評価していません。池井戸潤の描写する女性というのが男性から見たある種の類型に近いもので、掘り下げが浅いからです。

白井喬二の「怪建築十二段返し」

jpeg000 201白井喬二の「怪建築十二段返し」を読了。
白井喬二の初期の短編4作、「江戸天舞教の怪殿」「全土買占の陰謀」「白雷太郎の館」「怪建築十二段返し」を集めたものです。
「怪建築十二段返し」はデビュー作です。いずれの作品も、伝奇的要素は満点で怪しげでかつまことしやかな話に興味をそそられるのですが、話の展開の仕方、まとめ方が今一つで、今まで読んだ「富士に立つ影」「新撰組」「盤嶽の一生」に比べると劣ります。
表題作の「怪建築十二段返し」もタイトル見ると、どんな怪建築かわくわくするのですが、実際に出てくる内容は期待外れです。
「全土買占の陰謀」には「富士に立つ影」にも出てきた黒船と船大工が出てきます。4つの作品どれにも怪しげな建築物が出てくるところが共通点です。

小林信彦の「東京少年」

jpeg000 198小林信彦の「東京少年」を再読了。2005年の作品で、雑誌「波」に連載されたものです。
小林信彦自身の2つの疎開の体験、埼玉への集団疎開と新潟への縁故疎開の体験を描いた自伝的作品です。
前半の集団疎開の時の体験を元にした作品としては、既に1966年の「冬の神話」があります。ただ違うのが、「冬の神話」が完全なフィクションとして作られているのに対し、「東京少年」は自伝的小説として書かれています。また「冬の神話」で不評であったあまりにも暗い、辛い体験の描写は今回はかなり抑えられたものになっています。
後半の新潟での「縁故疎開」の描写は、これまでも断片的に語られることはありますが、まとまって語られたのは今回が初めてと思います。新潟での縁故疎開は、家族が一緒であったこと、食料が比較的豊富であったことから、集団疎開のような陰惨な体験はしなくて済みますが、その代わり今度は戦争が終わった後、如何に東京に帰るかということが焦点になります。

小林信彦の「本は寝ころんで」

jpeg000 195小林信彦の「本は寝ころんで」を読了。週刊文春に1991年から1994年まで連載された書評に書き下ろしを追加したもの。書き下ろしの部分に「海外ミステリベスト10(古典)」みたいな、ベスト10が5種載っているのが、小林信彦の本としては珍しいです。
小林信彦の好きな作家であるパトリシア・ハイスミスやスティーヴン・キングが多く取り上げられています。また、安原顯を何度か褒めているのが目に付きます。いわゆる「生原稿流出問題」では、小林信彦自身も被害に遭っているのですが、そういう安原顯の問題点をこの頃はまだよくわかっていなかったようです。

小林信彦の「結婚恐怖」

jpeg000 192小林信彦の「結婚恐怖」読了。1997年の作品。個人的には小林信彦の作品の中ではもっとも評価できない作品です。前書きで作者自身が「なぜこのような奇妙な小説を書いたかがわからない。」と言っています。そのようなものを読者にそのまま提示するのはどうかと思います。最初はコメディーで途中からホラーになっていくのですが、そのホラーになっていく必然性がまったくなく、主人公を追い詰める人物の唐突さもまったくもって受け入れがたいものです。
主人公自体の設定も、放送作家で和菓子屋の息子、とこれまた小林信彦作品の中では使い古された何の工夫もないものです。
解説は私と同じで小林信彦作品は全部読んでいる坪内祐三ですが、さすがに褒めるところがなかったと見えて、「脇役の描写がいい」としてそればかりを書いています。