小林信彦の「私説東京繁昌記」

jpeg002 6小林信彦の「私説東京繁昌記」を再読完了。元々1984年に中央公論社から出版され、後に加筆・再校正されたものが、最終的にちくま文庫で「私説東京繁昌記」のタイトルで出たもの。写真家のアラーキーこと荒木経惟と組んで、一緒に東京の街を歩き回り、荒木が写真を撮っています。バブル前期の東京を、小林信彦が住んだことがある街を中心として歩き回り、「下町と山の手」という視点でまとめたもので、東京という巨大都市の基本的な骨格を明らかにしようとしたものです。筆者は、東京という街について三度の「町殺し」、つまり関東大震災、太平洋戦争、高度成長期の建設ラッシュを指摘しており、基調としては詠嘆的です。この三度の町殺しの後、四度目の町殺しとしてバブルがありますが、バブルの後の東京については、1992年の「私説東京放浪記」にまとめられています。

白井喬二の「神変呉越草紙、柘榴一角」

jpeg000 204jpeg001 10白井喬二の「神変呉越草紙、柘榴一角」を読了。
「神変呉越草紙」は、白井喬二の初めての長編小説です。前に紹介した「怪建築十二段返し」などの短編小説が今一つだったのに対し、この「神変呉越草紙」は実に面白い傑作です。お話は、蝦蟇毛仙人から、それを手にする者は最高の栄耀栄華を得ることが出来るというお宝の話を聞いた若者が、それを求めて秩父の山中を駆け巡ります。お宝の手がかりの地図は二つに分かれていて、若者が持っているのは片方だけです。このお宝の手がかりの地図を巡っての争奪戦がハラハラドキドキです。色々あって、若者はついにお宝を手にするのですが、そこからの展開がまたちょっと意表を突きます。
「柘榴一角(ざくろいっかく)」は幕府の隠密であった父親の仕事を継いだ柘榴一角が大活躍する話です。この一角の性格が「富士に立つ影」の熊木公太郎と同じで真っ正直で明朗闊達です。公太郎もそれなりの剣の達人でしたが、一角は23歳にして武道の大名人で、「100人までなら任せておけ」、「1000人までなら大丈夫」とどんどん強さがエスカレートしていきます。とにかくこの強さがとても魅力的です。最後は父親が探り続けて来た贋金作りの陰謀を見事暴いて大団円です。
なお、この書籍の表紙絵を描いているのは山藤章二、そしてカラーの挿絵を描いているのは、あの小島剛夕(「子連れ狼」、「ケイの凄春」、「乾いて候」の)です。

小林信彦の「<超>読書法」

jpeg000 202小林信彦の「<超>読書法」を読了。「本は寝ころんで」に続けて、1993年から1996年に週刊文春での書評連載に一部書き下ろしを追加したもの。
この頃(1990年代半ば)から、小林信彦のエッセイには政治的な発言が多くなります。私は小林信彦のファンですが、政治的な発言については一切信用していません。
この本でも、村山富市政権を褒めたり、青島幸男都知事を激賞したりしています。それから、この本では小沢一郎を非難していますが、いつの頃からか逆に賞賛したりしています。

池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」

読売新聞に連載中の、池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」が全然面白くありません。池井戸潤の作品の魅力は読んでいてのカタルシスだと思うのですが(池井戸潤の作品は出版されているものは全部読んでいます)、今回の連載では銀行の様々な不祥事が出てくるのに対し、花咲舞は平行員としてそうした不祥事の問題点を指摘するだけで、結局組織の論理に押しつぶされてしまう、という展開がほとんで、まったくカタルシスがありません。
一方で、何故か半沢直樹が突然登場し、実に格好いいセリフを吐いて目立つのですが、対照的に花咲舞はまったく目立ちません。
元々、花咲舞が出てくるのは「不祥事」という小説ですが、私はこの作品もあまり評価していません。池井戸潤の描写する女性というのが男性から見たある種の類型に近いもので、掘り下げが浅いからです。

白井喬二の「怪建築十二段返し」

jpeg000 201白井喬二の「怪建築十二段返し」を読了。
白井喬二の初期の短編4作、「江戸天舞教の怪殿」「全土買占の陰謀」「白雷太郎の館」「怪建築十二段返し」を集めたものです。
「怪建築十二段返し」はデビュー作です。いずれの作品も、伝奇的要素は満点で怪しげでかつまことしやかな話に興味をそそられるのですが、話の展開の仕方、まとめ方が今一つで、今まで読んだ「富士に立つ影」「新撰組」「盤嶽の一生」に比べると劣ります。
表題作の「怪建築十二段返し」もタイトル見ると、どんな怪建築かわくわくするのですが、実際に出てくる内容は期待外れです。
「全土買占の陰謀」には「富士に立つ影」にも出てきた黒船と船大工が出てきます。4つの作品どれにも怪しげな建築物が出てくるところが共通点です。

小林信彦の「東京少年」

jpeg000 198小林信彦の「東京少年」を再読了。2005年の作品で、雑誌「波」に連載されたものです。
小林信彦自身の2つの疎開の体験、埼玉への集団疎開と新潟への縁故疎開の体験を描いた自伝的作品です。
前半の集団疎開の時の体験を元にした作品としては、既に1966年の「冬の神話」があります。ただ違うのが、「冬の神話」が完全なフィクションとして作られているのに対し、「東京少年」は自伝的小説として書かれています。また「冬の神話」で不評であったあまりにも暗い、辛い体験の描写は今回はかなり抑えられたものになっています。
後半の新潟での「縁故疎開」の描写は、これまでも断片的に語られることはありますが、まとまって語られたのは今回が初めてと思います。新潟での縁故疎開は、家族が一緒であったこと、食料が比較的豊富であったことから、集団疎開のような陰惨な体験はしなくて済みますが、その代わり今度は戦争が終わった後、如何に東京に帰るかということが焦点になります。

小林信彦の「本は寝ころんで」

jpeg000 195小林信彦の「本は寝ころんで」を読了。週刊文春に1991年から1994年まで連載された書評に書き下ろしを追加したもの。書き下ろしの部分に「海外ミステリベスト10(古典)」みたいな、ベスト10が5種載っているのが、小林信彦の本としては珍しいです。
小林信彦の好きな作家であるパトリシア・ハイスミスやスティーヴン・キングが多く取り上げられています。また、安原顯を何度か褒めているのが目に付きます。いわゆる「生原稿流出問題」では、小林信彦自身も被害に遭っているのですが、そういう安原顯の問題点をこの頃はまだよくわかっていなかったようです。

小林信彦の「結婚恐怖」

jpeg000 192小林信彦の「結婚恐怖」読了。1997年の作品。個人的には小林信彦の作品の中ではもっとも評価できない作品です。前書きで作者自身が「なぜこのような奇妙な小説を書いたかがわからない。」と言っています。そのようなものを読者にそのまま提示するのはどうかと思います。最初はコメディーで途中からホラーになっていくのですが、そのホラーになっていく必然性がまったくなく、主人公を追い詰める人物の唐突さもまったくもって受け入れがたいものです。
主人公自体の設定も、放送作家で和菓子屋の息子、とこれまた小林信彦作品の中では使い古された何の工夫もないものです。
解説は私と同じで小林信彦作品は全部読んでいる坪内祐三ですが、さすがに褒めるところがなかったと見えて、「脇役の描写がいい」としてそればかりを書いています。

小林信彦の「裏表忠臣蔵」

jpeg000 190小林信彦の「裏表忠臣蔵」を再読了。1988年の作品。この作品は作者自身のノートによれば、1964年に松島栄一の「忠臣蔵」を読んだことがきっかけになっているそうです。その1964年は東京オリンピックの年であり、また、NHKの大河ドラマで「赤穂浪士」をやっていて、ある意味忠臣蔵がブームだった年です。松島栄一の本は、吉良上野介の実像が、従来の忠臣蔵伝説でのものとはかなり違うであろうことを暗示したものだそうです。「裏表忠臣蔵」は、その「暗示」をもっと膨らませて、いわゆる忠臣蔵を吉良の身の上に降りかかった不条理な不幸(作者は吉良上野介をカフカの「変身」のグレゴール・ザムザにたとえています)として、スラップスティック的に描いたものです。
そういった逆説的「忠臣蔵」の設定は興味深いのですが、当然学術書ではないので、ある意味中途半端な印象を受けます。また小説として見た場合も、「ぼくたちの好きな戦争」と同じで暴力をスラップスティック的に描くのですが、ストーリー展開がこれまた中途半端という感じです。小林信彦の元禄版みたいな和菓子屋の跡取りの源太郎が出てきたり、近松門左衛門が出てきますが、当然メインは赤穂浪士の討ち入りの描写になるので、二人ともとって付けたような活動しかしていません。
私は1964年の大河ドラマの「赤穂浪士」は、小さすぎて観ていません。しかしながら、大河ドラマでの忠臣蔵はもう1回1975年の「元禄太平記」があって、これは観ています。この時の「忠臣蔵」も色々とひねってあって、必ずしも1964年の「赤穂浪士」のような設定がいつもスタンダードとしてあった訳ではないと思います。

白井喬二の「盤嶽の一生」(続き)

jpeg000 193白井喬二の「盤嶽の一生」の完全版(?)を入手し読了。新潮文庫版は、全体の半分くらいまでしか収録していなく、かつ章の途中で切っているというひどいものであることがわかりました。ただ、この完全版(?)でも話は完結していません。
盤嶽の真実を求める旅は続いて、後半部では、大人に絶望した盤嶽が今度は青年達に希望を託しますが、それもすぐ裏切られてしまいます。それで今度は子供に期待しますが、それもまた駄目でした。最後は赤ん坊に望みを託しますが、それも期待通りに行きません。
色々あって、盤嶽は、二人の子供と一人の老人と、またかつては自分を毛嫌いしていた叔父の娘と暮らし始めることになります。その後無実の罪で牢屋に入れられますが、無事脱牢する所で終わっています。
この話を読んで、盤嶽の生き方を見て、聖書の「義に渇く者は幸いである。」を思い出しました。聖書では彼らは満たされるとイエス・キリストは言っていますが、盤嶽の場合は決して満たされることがありません。この小説を白井喬二は完結させようにも、盤嶽にふさわしい結末をとうとう考えつくことができなかったのではないかと思います。
盤嶽の映画を最初に作ったのは名匠山中貞雄です。2度目のTVドラマの最初の2回はその映画を封切り時に観た市川崑によって作られています。盤嶽のキャラクターは名匠達の心を捉えていたようです。→白井喬二の「盤嶽の一生」、の最初の投稿へ