小林信彦の「ぼくたちの好きな戦争」

jpeg000 49小林信彦の「ぼくたちの好きな戦争」、たぶん3回目くらいですが読了。小林信彦の一連の「喜劇的想像力」に基づく作品の集大成ともいえる作品で、同時に小林信彦の作品の中でもベスト1ではないかと思います。
冒頭の、日本軍が酔っ払って玉砕する場面は、元々は筒井康隆がネタを提供したものだと思います。
お話しは、秋間三兄弟(秋間大作、秋間公次、秋間史郎)と大作の息子の誠を中心に進みます。三兄弟がそれぞれ、和菓子屋の主人、風刺画家、コメディアンという設定は実に小林信彦らしいです。また誠に関しては当然のことながら小林信彦自身が投影されています。ただ、誠は集団疎開には参加せず東京に残り、3月10日の東京大空襲を経験します。
秋間三兄弟の話に挿入された、架空戦記(日本がアメリカを占領する)が、「素晴らしい日本野球」、「ちはやふる奥の細道」などで発語訓練を重ねた上で生み出された傑作と思います。
戦争を喜劇として描写する、という困難な試みに、かなりの部分まで成功している、よくできた作品だと思います。

小林信彦の「神野推理氏の華麗な冒険」

Screenshot_20160517-214506小林信彦の「神野推理氏の華麗な冒険」を再読。いわゆる名探偵物のパロディーですが、ちゃんとトリックと謎解きは含まれています。私はミステリーファンではなくてほとんど読んでいないので、トリックについては論評しかねますが、やや強引なものが見受けられます。オヨヨ大統領シリーズとつながっていて、鬼面警部と旦那刑事が登場します。それどころか最後の話では、「総統」の名前でオヨヨ大統領ご本人らしきキャラも登場します。
お話しの中に、杉田久美というジャズシンガー志望で、整形して普通の歌手になったというのが出てきますが、これは明らかに弘田三枝子がモデルですね。小林信彦は、「シャボン玉ミコちゃん」という弘田三枝子が主演の番組の台本を書いていました。

小林信彦の「地獄の読書録」

jpeg000 48小林信彦の「地獄の読書録」を再読。この本は、1959年から1969年までに出版された本へのブックガイドです。前半が雑誌宝石の「みすてりぃ・がいど」、後半が平凡パンチ・デラックスに連載されたものの単行本化です。前半は名前の通り、海外ミステリーの翻訳に限定されています。(この当時はSFもミステリーの一分野として扱われていたため、SFも含まれています。)1960年代前半はミステリーブームで、毎月10点以上の翻訳ミステリーが出版されていますが、小林信彦はヒッチコックマガジンの編集長としての仕事の傍ら、これらの翻訳ミステリーのほぼすべてを読んで書評を書いています。平凡パンチ・デラックスでの連載では、書籍の範囲が広がり、日本人が書いたものやノンフィクションにも対象が広げられています。前半部のミステリーに関しては、私自身がほとんど読んでいないので、書評としての妥当性はわかりません。後半部になると少しは知った本が出てきます。全体として見た場合、SFの勃興ぶりがよくわかりますし、後半になると日本人SF作家も台頭してきています。また007のブームでスパイ物が非常に多く出ていたことがわかります。小林信彦の「地獄の~」シリーズには、他にも「地獄の映画館」「地獄の観光船」があります。どれも非常に小林信彦らしい、マニアックな労作です。

小林信彦の「素晴らしい日本野球」

Screenshot_20160516-202334小林信彦の「素晴らしい日本野球」をかなり久し振りに再読。最初の発売の時は「発語訓練」というタイトルでした。W.C.フラナガンという、日本通という設定の架空のアメリカ人が書いたものを翻訳したという、「素晴らしい日本野球」「素晴らしい日本文化」が含まれており、これは後に「ちはやふる奥の細道」につながります。「素晴らしい日本野球」がBrutusに載った時には、フラナガンが架空の人物だということが理解されないで、まともに受け取った批評が出たりしました。「素晴らしい日本文化」はその批評に応える形を取った続篇です。この頃の小林信彦は何かに取り憑かれたかのようにアイデアが噴出しており、「少女の復讐を大藪春彦風に書いたら」、「ハーレクインロマンスの主人公を老人にしたら」、「もしも日本がアメリカではなくソ連に占領されていたら」などの突飛な設定を元に喜劇的想像力を膨らませたのが、この本に入っている作品群です。「サモワール・メモワール」がソ連占領ものですが、この作品の元々のアイデアは、朝鮮戦争の頃、小林信彦が友人から「来年は日劇でコサックダンスを見ているのではないか」と言われたことに基づいているんではないかと思います。

小林信彦の「パパは神様じゃない」

jpeg000 47小林信彦の「パパは神様じゃない」を35年ぶりくらいに再読。35年ぶりですが、内容を結構覚えていたのは、このエッセイがかなり印象的だった証拠でしょう。小林信彦のお子さんは、最初のお子さんが1962年生まれの真理ちゃんで、2番目のお子さんが10年空けて、1972年生まれの由紀ちゃんで、このエッセイは由紀ちゃんが生まれた時から1年半の記録です。日本では珍しいユーモア・エッセイ(後にユーモアスケッチと名付けられました)で、この分野を開拓した作品だと思います。内容は、子供が生まれるにあたって、父親は祈るくらいしかすることがないのを、自嘲的にユーモアを交えながら書いたものです。元々は子供嫌いだった小林信彦ですが、自分の子供は別で、親馬鹿ぶりがほほえましいです。世相的には、第1次石油ショックが1973年10月ですから、それが始まる直前までの記録です。

福島正実の「未踏の時代」

jpeg000 45福島正実「未踏の時代 日本SFを築いた男の回想録」を読了。
福島正実が1975年から76年にかけてSFマガジンに連載していたものですが、作者の死により連載七回で中断しています。福島正実はそのSFマガジンの初代編集長で、同時にSF作家であり、SF翻訳家、そしてSF評論家でした。小松左京、光瀬龍、眉村卓、筒井康隆、豊田有恒らを世に出す上で功績がありました。1969年の「覆面座談会」事件で、早川書房を退社することになりますが、この回想記はそこまで至っていません。福島正実は豊田有恒の原稿を勝手に何十枚も縮めてしまったり、各所に論争を挑んだり癖の強い人だったようですが、この人がいなかったら、日本のSFの立ち上がりは数年も遅れていたことと思います。当時のエネルギッシュな仕事ぶりがこの回想記で偲ばれます。

小林信彦の「小説世界のロビンソン」

jpeg000 43小林信彦の「小説世界のロビンソン」再読完了。これは、小林信彦自身の小説体験を振り返りながら、20世紀の小説の変遷を論じたものです。小説の「物語性」を重視して、純文学とエンタテインメントに差を設けず、漱石における落語の影響を論じたり、白井喬二の「富士に立つ影」が取り上げられたりします。この本が最初に単行本で出たのは1989年2月で、その頃私は社会人3年目で、ほとんど本を読まなくなっていました。その私がこれを読んで、触発されて中里介山の「大菩薩峠」を読み始めました。そのように、読者の本を読みたいという気持ちを強力に増幅してくれる本です。(ちなみに大菩薩峠は時代小説文庫の全20巻でしたが、10巻目くらいで挫折しました。)

小林信彦の「消えた動機」

小林信彦は、三木洋の名前で(三木洋は、「虚栄の市」の登場人物の一人です)映画の原作となった作品を書いていて、「消えた動機」といいます。映画は山田洋次監督の「九ちゃんのでっかい夢」です。「消えた動機」は元々雑誌「宝石」に掲載されたものです。「消えた動機」というタイトルをつけたのは江戸川乱歩だということですが、これがよくないですね。何かというとこのタイトルから話の進行が読めてしまうからです。小林信彦はこの作品のプロットを「唐獅子暗殺指令」で再利用しています。

小林信彦の「コラムの冒険 ーエンタテインメント時評 1992~95」

jpeg000 41小林信彦の「コラムの冒険 ーエンタテインメント時評 1992~95-」を取り寄せて読了。元は中日新聞に連載されたコラムです。これを取り寄せたのは、Wikipediaに、「進め!ジャガーズ 敵前上陸」について、小林信彦自身が語っているとあったからです。「64 <カルト>GS映画の内幕」というのがそうでした。でも、所詮新聞のコラムの1回分ですから、情報量は大したことなく、「袋小路の休日」の中の「根岸映画村」の方がよっぽど詳しかったです。もっとも「根岸映画村」は小説で固有名詞も変えてあるので、Wikipediaとしては出典にする訳にはいかなかったのでしょうが。

小林信彦の「唐獅子株式会社」「唐獅子源氏物語」

jpeg000 40連休中は、小林信彦の本を集中的に読みましたが、そうなるとやっぱりこれも再読しない訳にはいきません。小林信彦で一番売れた本で、「唐獅子株式会社」の方の文庫本は平成22年時点で22刷までいっています。ただ、これが代表作のトップにあげられてしまうのは、作者的にはどうなんでしょうか。作者はどこかで「ユーモア小説を書いてしまうようになった」と自嘲していました。2回映画化されていますが、最初の映画化は監督曽根中生によるものでしたが、これはひどいものでした。2回目は前田陽一監督の遺作ですが、これは見ていません。現在入手もできないようです。
今読み直してみると、スター・ウォーズ騒ぎ、アメリカ西海岸ブーム、「いい女」ブーム、など当時の風俗を思い出させてくれるのが貴重です。タロホホ王国がからむ2話には、映画珍道中シリーズの影響が強くうかがわれます。
なお、筒井康隆が「株式会社」の方への解説で、「註釈とはこのような作品にこそ必要なのですぞ」と書いているのは、田中康夫の「なんとなく、クリスタル」に対する皮肉。こういうのは時が経つとわからなくなります。