福島正実「未踏の時代 日本SFを築いた男の回想録」を読了。
福島正実が1975年から76年にかけてSFマガジンに連載していたものですが、作者の死により連載七回で中断しています。福島正実はそのSFマガジンの初代編集長で、同時にSF作家であり、SF翻訳家、そしてSF評論家でした。小松左京、光瀬龍、眉村卓、筒井康隆、豊田有恒らを世に出す上で功績がありました。1969年の「覆面座談会」事件で、早川書房を退社することになりますが、この回想記はそこまで至っていません。福島正実は豊田有恒の原稿を勝手に何十枚も縮めてしまったり、各所に論争を挑んだり癖の強い人だったようですが、この人がいなかったら、日本のSFの立ち上がりは数年も遅れていたことと思います。当時のエネルギッシュな仕事ぶりがこの回想記で偲ばれます。
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小林信彦の「小説世界のロビンソン」
小林信彦の「小説世界のロビンソン」再読完了。これは、小林信彦自身の小説体験を振り返りながら、20世紀の小説の変遷を論じたものです。小説の「物語性」を重視して、純文学とエンタテインメントに差を設けず、漱石における落語の影響を論じたり、白井喬二の「富士に立つ影」が取り上げられたりします。この本が最初に単行本で出たのは1989年2月で、その頃私は社会人3年目で、ほとんど本を読まなくなっていました。その私がこれを読んで、触発されて中里介山の「大菩薩峠」を読み始めました。そのように、読者の本を読みたいという気持ちを強力に増幅してくれる本です。(ちなみに大菩薩峠は時代小説文庫の全20巻でしたが、10巻目くらいで挫折しました。)
小林信彦の「消えた動機」
小林信彦は、三木洋の名前で(三木洋は、「虚栄の市」の登場人物の一人です)映画の原作となった作品を書いていて、「消えた動機」といいます。映画は山田洋次監督の「九ちゃんのでっかい夢」です。「消えた動機」は元々雑誌「宝石」に掲載されたものです。「消えた動機」というタイトルをつけたのは江戸川乱歩だということですが、これがよくないですね。何かというとこのタイトルから話の進行が読めてしまうからです。小林信彦はこの作品のプロットを「唐獅子暗殺指令」で再利用しています。
小林信彦の「コラムの冒険 ーエンタテインメント時評 1992~95」
小林信彦の「唐獅子株式会社」「唐獅子源氏物語」
連休中は、小林信彦の本を集中的に読みましたが、そうなるとやっぱりこれも再読しない訳にはいきません。小林信彦で一番売れた本で、「唐獅子株式会社」の方の文庫本は平成22年時点で22刷までいっています。ただ、これが代表作のトップにあげられてしまうのは、作者的にはどうなんでしょうか。作者はどこかで「ユーモア小説を書いてしまうようになった」と自嘲していました。2回映画化されていますが、最初の映画化は監督曽根中生によるものでしたが、これはひどいものでした。2回目は前田陽一監督の遺作ですが、これは見ていません。現在入手もできないようです。
今読み直してみると、スター・ウォーズ騒ぎ、アメリカ西海岸ブーム、「いい女」ブーム、など当時の風俗を思い出させてくれるのが貴重です。タロホホ王国がからむ2話には、映画珍道中シリーズの影響が強くうかがわれます。
なお、筒井康隆が「株式会社」の方への解説で、「註釈とはこのような作品にこそ必要なのですぞ」と書いているのは、田中康夫の「なんとなく、クリスタル」に対する皮肉。こういうのは時が経つとわからなくなります。
最相葉月の「星 新一 1001話をつくった人」
最相葉月の「星 新一 1001話をつくった人」読了。小林信彦ばかり読んでいる所に、何故星新一なのかというと、これも小林信彦に関係あります。ヒッチコックマガジンの編集長だった小林信彦(中原弓彦)は、何度もショートショートの特集をヒッチコックマガジン上で行い、山川方夫のような純文学の作家にまでショートショートを書かせたりしています。いわば日本でショートショートを定着させたのが小林信彦(中原弓彦)で、その枠組みに乗ってショートショートを量産したのが星新一ということになります。小林信彦と星新一はそういう編集者と作家という関係だったのですが、未確認情報ですが、星新一が小林信彦を嫌っていたというのがあり、そのあたりのことが載っていないかと、この本を手に取りました。小林信彦自身はこの本に当時の回想を語る役どころで登場し、彼自身は星新一について特に含むところはないようです。星新一が小林信彦をどう思っていたかの記述はありませんでした。
星新一の歴史は、ある意味日本のSFの歴史でもあり、本書には日本SF黎明期の事情がよく書かれています。個人的に興味があったのが、小林信彦(中原弓彦)がヒッチコックマガジンを出した同じ年にSFマガジンを創刊した福島正実です。癖のあった人だと聞いたことがありますが、この本によってある程度福島正実の人間を知ることができました。
星新一自身について、個人的な思い出は、小学校高学年から中学生にかけてよく読んだということです。この本によれば、星新一の最初の文庫本が新潮社から出たのが、私が小学4年生の時ですから、星新一が一番売れていた時代と私が星新一を読んでいた時代は重なります。この本に出てくる星新一の珍しい長編「気まぐれ指数」も小学生の時読んだのを思い出し、懐かしかったです。ただ、星新一の作品については、中学生の時代に読んだのが最後で、その後40年読んでいません。不思議とあまりもう一度読みたいと思わない作家です。また、SFも私の小中学生の時代は日本のSFの全盛期だったと思いますが、いまやすっかり衰退してしまいました。星新一も今の子供はまだ読んでいるのか、疑問を持っています。
後、意外だったのは、新井素子が世に出る時に、星新一が高く評価して後押ししていたということで、これは知りませんでした。
小林信彦の「ドジリーヌ姫の優雅な冒険」
小林信彦の「ドジリーヌ姫の優雅な冒険」を再読。「大統領の晩餐」と並んで、小林信彦のグルメぶりが遺憾なく発揮されたある意味怪作です。元は雑誌「クロワッサン」の創刊時に12回連載されたもので、出版社側からの依頼は、明治時代の村井弦斎の「食道楽」の現代版ということでした。でも、それをそのままストレートに書いたりしないのが小林信彦で、主人公は、日活アクション映画から抜けてきたような超人ヒーロー二階堂秋彦のドジな奥さん、ドジリーヌ姫こと敏子さん。二階堂明彦は何故か料理にも異常に詳しく、それを敏子さんに教えていくという形で話は進みます。12話はバラエティに富んでいて、二階堂秋彦が超人にあるまじく太ってしまってダイエットする話や、小林信彦の生家を思わせる老舗の和菓子屋の話や、シャリアピンステーキの創始者の話など、実に楽しいです。その中に、全国各地での「雑煮」の違いを取り上げた話があって、懐かしく読みました。余談ですが、私は徳島に9年住みましたが、徳島では雑煮は元々尾張にいた蜂須賀家の家臣ゆかりの角餅を使ったもの、西日本で普通の丸餅を使っているもの、また祖谷のように米が取れないのでそもそも雑煮がない、など雑煮に関してはバラエティに富んでいるみたいです。
小林信彦の「極東セレナーデ」
小林信彦の極東セレナーデ、30年ぶりに再読。小林信彦は時代を読む力に長けている作家ですが、この小説には脱帽です。今日は奇しくもチェルノブイリ原発事故の30年目の日ですが、小林信彦がこの小説を朝日新聞に連載していた時にまさにチェルノブイリ原発事故が起きています。小林信彦はそれをすぐに連載に取り入れ、アイドルになったヒロインの朝倉利奈が意に染まない原発安全キャンペーンを無理矢理やらされそうになります。それを巡ってお話は急転直下しますが、この時点で原発安全キャンペーンを小説に取り入れた先見性に脱帽です。アイドルによる原発安全キャンペーンは実際にその後現れます。
それ以外にもAKB48のような「ファンが育てていくアイドル」を1986年の段階で出しているのもすごいです。
他にも、日航機墜落事故、阪神淡路大震災の前の神戸ポートアイランドが出てきたりして、その当時の時代(バブル前期)というものが生き生きと描写されています。
小林信彦の「衰亡記」
小林信彦の作品で、最初に直木賞候補になった「衰亡記」が「唐獅子惑星戦争」に収録されていたので、古書で取り寄せて読みました。読んでみたら、小林信彦の父親が亡くなる時の話で、「監禁」に含まれる「川からの声」とほぼ同じ内容でした。また、「日本橋バビロン」にもこの時のことが出てきますので、短期間に同じような話を3回読まされました。読んでみて、何故これが直木賞候補になったのか(内容が悪いというのではなく、直木賞的な大衆的要素が少ないという意味で)不思議でした。
小林信彦の「夢の砦」
小林信彦の「夢の砦」を33年ぶりに再読。言うまでもなく、江戸川乱歩に見いだされ、宝石社でヒッチコックマガジンの編集者となり、最後はその宝石社を追われた小林信彦自身の経験が元になっています。ですが、単純な自伝的小説ではなく、主人公の前野辰夫からは小説家としての要素は取り払われ、その代わりに川合寅彦という人物がその面を担います。それどころか、ヒッチコックマガジンの編集長の中原弓彦自身も登場する三重のこみ入った構造になっています。また、小林信彦がヒッチコックマガジンの編集長になるのは1959年ですが、この小説では舞台は1961年に移されています。これは、1959年を舞台にすると、どうしても60年安保を扱わざるを得なくなるからだと作者が説明しています。この1961年、私にとっては生まれた年なのですが、一種独特の、あらゆる分野で新しい才能が登場し、毎日がお祭りのような熱気を帯びていた時代だったようです。そういった時代の熱気に煽られるように、主人公の前野は、雑誌の成功に留まらず、広く同時代の文化人の「夢の砦」を作ろうと奔走します。小林信彦の処女作の「虚栄の市」とも重なる部分があり、赤坂の草月会館でのイベントがどちらにも登場します。この小説の一番優れている点は、1961年~64年のそうした時代の雰囲気と街の風俗がきわめて生き生きと描写されていることだと思います。ただ、物語の結末が、川合寅彦は成功の道を歩むものの、前野辰夫の方はその後が見えないある意味暗い終わり方をしていて、読後感のさわやかさがなくなっているのは残念な点です。それでも、「虚栄の市」に比べれば、登場人物に含ませた「毒」はかなり少なくなっています。もう一つ興味深いのは、作中で赤星プロとして出てくる、芸能プロの渡辺プロと小林信彦の関わりで、最初は渡辺プロの批判をしていたことは(これはどこまで事実なのかわかりませんが)初めて知りました。小林信彦は後に渡辺プロのブレーンとなって、クレージー・キャッツの映画のギャグの監修をしたりしていますので、どこかで和解したのでしょう。