マックス・ヴェーバー「中世合名・合資会社成立史」日本語訳久し振りの校正

中世合名・合資会社成立史の日本語訳ですが、久し振りにある程度まとまった校正を行いました。前の版からの校正箇所は65箇所くらいです。ほとんどが日本語として分りにくい表現をよりこなれた日本語にしたものですが、誤訳の訂正も数ヶ所含まれています。Web公開版は既に校正済みのものです。Amazonで販売されているペーパーバック版とKindle版は現在作業中で、おそらく11月18日ぐらいからの販売のものが今回の校正済みの版になります。

小泉進次郎とマックス・ヴェーバー

何かの過去の選挙の開票特番で池上彰(マックス・ヴェーバーのファン)が小泉進次郎に対して、「マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』は読まれましたか?」と聞いたのに対して、その答えが「ええ、でも中身には共感しますが、タイトルがいただけない。政治は職業ではありません。」といった答えをしています。(ここ参照。)
(1)おそらく小泉進次郎は「職業としての政治」も「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のどちらもきちんと読んでいないと思います。読んでいれば「政治家は職業ではない」などというトンチンカンな答えをする筈がない。マックス・ヴェーバーにおけるBerufの意味を全く理解していません。
(2)この答えは小泉進次郎自身に対しても不利に働くもので、この時池上彰が「職業じゃないとしたら世襲の地位なんですか?」と聞いたら、進次郎は一体どう答えたんでしょう。

ちなみに小泉進次郎はアメリカに留学し、政治学修士。(コロンビア大学で「「TOEFLのスコアが600点に達するまで大学内の語学講座で英語の授業を受ける」という条件の、ほとんど裏口入学。通常留学に要求される英語力はTOEICであれば最低でも950点ぐらい、IELTSで6.5以上。)
さらに、政治家としては4代目のこれ以上ない世襲政治家。(ちなみに曽祖父の小泉又次郎は入れ墨をしていたヤクザ代議士でした。)

エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」

エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」を読了。1978年に出た有名な本で、数年前に購入しておきながらなかなか読む機会が無く、今回やっと読了しました。
「オリエンタリズム」というのは本来は西欧の美術や文学における「中東趣味」のものという意味ですが、サイードはここでは西欧の中東学者に共通してみられる非科学的な偏見、思い込み、蔑視といった態度のことを指して使っています。
読んでいてずっと違和感を禁じ得なかったのが、サイードがオリエントという言葉の意味をほとんどが中東地域を指す言葉で使いながら、時に都合のいい時にはそれをインドや中国、日本他を含むものとして使っているということです。(英語でOrientと言えばどちらかというとアジア人を指すことが多いです。)西欧の中東への蔑視と同じ構造で、(1)西欧+中東のアジア蔑視(2)中東のアジア蔑視という2つが考えられ、サイードは手を変え品を変え西欧の中東蔑視を論じていますが、一度もこの(1)、(2)のアジア蔑視については中東を含まない形では論じていません。そういう公平さの欠けた議論によって、穿った目で見れば、単なる中東地域のひがみのような議論に聞こえ、本来有るべき文化の相対性原理の主張という点が弱くなっているように思います。
またこの本によって文化人類学がその方法論について見直さざると得なくなり、学問としての勢いが弱まったというのを、Eigoxの文化人類学者である先生から聞いたことがあります。しかし例えばイギリスの文化人類学が植民地をより良く統治するという目的で研究されていた、というのは周知の事実であり、中近東の研究がサイードの言うような偏見や先入観に彩られているとしても、それはそういう研究を見直す良い機会であり、決して文化人類学の方法論が否定されるようなものではないと思います。
サイードのこの本を読む前に、ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」を訳していて思ったのは、中世イタリアのコムメンダが、イスラム地域のムダーラバ契約の影響で生れた、と言うのが既にヴェーバーの時代に主張されているのですが、ヴェーバーがまったくそれに触れていないということへの疑問です。まあヴェーバーの頃は、オスマン帝国の弱体化-崩壊の時代で、イスラム圏への蔑視が頂点に達した時であり、ヴェーバーといえどもそういう偏見から100%自由であることは出来なかった、ということなのだと私は理解しています。

今野元の「マックス・ヴェーバー ――主体的人間の悲喜劇」

今野元の「マックス・ヴェーバー ――主体的人間の悲喜劇」を古書で購入。この著者のヴェーバーに関した本は他にももっていますが、あまり評価していないので、新書とはいえ新品を買う気がせず古書にしました。この人はヴェーバーの学問よりも伝記的なことばかりを追いかけている人で、ご丁寧にもヴェーバーの子供の時の論文(?)まで日本語訳しています。私は「中世合名・合資会社成立史」を翻訳しようとした時にまず思ったのが、こんな子供時代のはっきりいって学問的価値の無いものを訳す暇があったら、どうして「中世合名・合資会社成立史」や「ローマ土地制度史」を訳さないのかということです。しかし本文をチェックして、その「中世合名・合資会社成立史」の所を読んでいたら、Die Offene Handelsgesellschaft (合名会社)を「公開商事会社」と訳していて、ああ、これはとてもじゃないがヴェーバーの学術論文は訳せないなと思いました。それからヴェーバーの博士号論文でテオドア・モムゼンが「結論に異議を呈した」とありますが、本当の所は、「モムゼンが生涯考え続けていたローマの植民市における何かの概念についての解釈がヴェーバーと違っていた」というだけです。それからこの論文を「資本主義の起源を扱った」と書いていますが、資本主義という単語はこの論文には一度も出て来ず、実際はローマ法のソキエタースがどのように法制史上で合名・合資会社を取り込んだか、というのが主眼であり、資本主義の起源を書いたなどというのはナンセンスです。この程度の人が書いた「伝記」など読む気はしません。

ヴェーバーの誤り:母権制とメンナーハウス

マックス・ヴェーバーの「支配の社会学」の中に、「母権制」は「メンナーハウス」(戦士宿)で男子が戦士としての腕を磨くために共同で暮して家を空けた制度の名残であろうと説明しています。そしてWikipediaの「男子集会所」の項はこのヴェーバー説を正しいと認められた理論であるかのように引用しています。
しかし、
(1)まず「母権制」という概念自体がインチキで、スイスのバッハオーフェンという人が19世紀中頃に主張した説で、大昔は結婚制度がなく乱婚状態で、その場合父親が誰かは分りにくいけれど、母親が誰かは分るので、母親を中心とした家が作られた、というまったく歴史的事実に裏付けされないトンデモ説であり、いわゆるマルクス主義の原始共産制という概念もこれに基づいています。
(2)「母権制」といえる、女性が権力を継承するという社会は、世界全体では非常にまれで、「母系制」と混同しています。母系制は女性が権力を得るというものではなく、子供が母親の家系の成員となりその財産を相続するというものです。ただ、実際には母親の財産を管理しているのは男性の兄弟だったり息子だったりしますので、必ずしも女性が家長権を握っている訳ではありません。(母系制については中根千枝先生がいくつか論文を書かれています。)
(3)メンナーハウスがある所に(あった所に)、母系制社会があったというのも証明されていないと思います。メンナーハウスで一番有名なのはおそらくスパルタでしょうが、スパルタが母系社会であったというのは聞いたことがないです。
マックス・ヴェーバーの欠点は2次文献、3次3文献で得た知識を性急に一般化してしまうことで、これなんかまさしくそうだと言えます。

折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」

折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」、本日先生より贈っていただき届きました。但しAmazonで9月30日に別に予約したものはまだ届かず、今日見たら「注文後1~2ヵ月で発送」になっていました。(発送予定自体は10月14~16日)この本は、元々2019年7月の「東大闘争総括」の書評会での質問や批判に応答するというのが執筆動機であり、本来は2020年のヴェーバー没後100年の年に出る筈だったのが遅れに遅れてやっと出たものです。折原先生自身のご病気、奥様のご病気、またコロナのパンデミックによって、おそらくはスペイン風邪で亡くなったと思われるヴェーバーとの関連での記述が追加になったとか、色々な理由で遅れています。
人名索引に私の名前が出ていたので、また羽入批判関連かと思ったら、私が大学時代に先生のヴェーバーの「経済と社会」解読演習に参加していた、という話でした。
中身は、文字通り「総括」でヴェーバー研究を始めた動機、東大紛争での闘争と学問、宗教社会学の公開自主講座の話から始って、「経済と社会」の編纂問題のまとめ、宗教社会学3部作(「ヒンドゥー教と仏教」「古代ユダヤ教」「儒教と道教」)の読解とまとめ、などです。この3部作は本当に難解なので、個人的にはとても助かります。

エンツォ・トラヴェルソの「歴史記述における<私> 一人称の過去」

エンツォ・トラヴェルソの「歴史記述における<私> 一人称の過去」を読了。この本は、未來社という出版社のサイトを折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」の状況(当初の予定より2年以上遅れています)を確認するため何度か訪れている時に、同社の新刊として発見したもの。この本を買った動機は更に二つあります。
(1)以前、イヴァン・ジャブロンカの「歴史は現代文学である 社会科学のためのマニフェスト」と、その実践編である、「私にはいなかった祖父母の歴史 -ある調査」を読んでいます。この本にも登場しますが、ジャブロンカは歴史記述に小説的な一人称を持ち込んでいる代表者です。
(2)以前、AEONで英語のライティングの教材をやった時に、「フォーマルな文章では一人称を使ってはいけない。」ということを言い張るネイティブ教師が2人もいて、この問題について調べた事があること。
(1)については、元々ジャブロンカが歴史学者と文学者のどちらになるかの選択を迷ったというのが背景にあるようです。この本に拠れば、ジャブロンカだけでなく、主観的な視点での歴史記述を行っている人が何人もいて、筆者は一種の新個人主義だとしています。実はジャブロンカのような主張は、19世紀終わりから20世紀の初めにかけて、デュルケームやマックス・ヴェーバーなどが厳として否定していたもので、この2人は科学として歴史をどう扱うについて模索し、様々な方法を提唱しています。有名なのはヴェーバーの理念型とか価値自由です。それから約100年経って、今度は行き過ぎた客観主義に対する揺り戻しのような現象が出てきている訳です。
しかし、私見ではジャブロンカの方法論は濫用されるときわめて危険であり、また19世紀のような主観による歴史の脚色に戻ってしまう可能性も秘めています。但し、過去に生きたある人物を理解するためには、歴史学的な年表形式での事実の羅列が不十分であるのもまた事実で、ジャブロンカの「私にはいなかった祖父母の歴史 -ある調査」はジャブロンカの祖父母の生きた時代と二人の置かれた状況(二人ともポーランドのユダヤ人で共産主義者で、ポーランドから追放されてフランスに移り、ヴィシー政権下で捕らえられアウシュヴィッツに送られ、二人ともそこで死にます。)をより良く描写するという点で成功していると思います。ちなみにこうした1人称歴史記述は、ジャブロンカ以外でもやはりホロコースト関係だったり、第2次世界大戦期のある個人の記録だったりが多いようです。
(2)の英語のライティングの際の1人称使用禁止という誤った主張(昔はこういうことをルールとして言う人がいたのですが、今はアメリカの大学のライティング・ガイドでも、1人称を適切に使うことがむしろ推奨されています)も、20世紀初めの行き過ぎた客観主義の遺産と思われます。大体、マックス・ヴェーバーの論文読んでいると、ほぼ毎ページにわたって1人称が出てくるので、そういう意味で元々ナンセンスと思っていました。自分の単なる意見や証明されていない仮説を3人称で書くのは、むしろ客観性を装うごまかしと思います。受動態で主語を隠すのと同じです。
まあこの本は現状を整理しているだけで、これからどうなるのかを興味深く見守って行きたいと思います。

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳11回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳11回目を公開しました。
今回の箇所は、古代ローマにおける植民市が多数出てきて、それを地図にプロットして見て、ローマがどのようにイタリア半島において版図を拡げて来たのかが伺えて興味深かったです。

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の10回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第10回目を公開しました。ヴェーバーが特に注釈で細かい所をほじくるので、訳すのは大変ですが、個人的にはローマ史のお勉強にはとてもなります。今回の所も、ローマへの穀物供給はどのように行われていたのかの一端が分る内容でした。

折原浩先生の「宗教社会学」私家版日本語訳を公開

日本マックス・ヴェーバー研究ポータル、での一大イベントです。折原浩先生から私が提唱し「中世合名・合資会社成立史」の無償公開で実践もしている、「オープン翻訳」の主旨にご賛同いただき、先生がご自身で使用するために訳された「宗教社会学」の日本語訳をいただき、公開しました
ヴェーバーの「経済と社会」の中にある「宗教社会学」ですが、既に創文社から1976年に日本語訳が出ています。これは宗教上の細々とした事項について詳細な訳者注が付いているという長所はあるものの、この「宗教社会学」で使われている社会学的な概念が「理解社会学のカテゴリー」に拠っている、ということをまったく分っていない翻訳であり、社会学的な基礎用語の翻訳が適切でない物が非常に多いという欠点があります。折原先生の日本語訳はこの点の大幅な改善を意図されたものです。