日本マックス・ヴェーバー研究ポータル、での一大イベントです。折原浩先生から私が提唱し「中世合名・合資会社成立史」の無償公開で実践もしている、「オープン翻訳」の主旨にご賛同いただき、先生がご自身で使用するために訳された「宗教社会学」の日本語訳をいただき、公開しました。
ヴェーバーの「経済と社会」の中にある「宗教社会学」ですが、既に創文社から1976年に日本語訳が出ています。これは宗教上の細々とした事項について詳細な訳者注が付いているという長所はあるものの、この「宗教社会学」で使われている社会学的な概念が「理解社会学のカテゴリー」に拠っている、ということをまったく分っていない翻訳であり、社会学的な基礎用語の翻訳が適切でない物が非常に多いという欠点があります。折原先生の日本語訳はこの点の大幅な改善を意図されたものです。
「Max Weber」カテゴリーアーカイブ
ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目公開
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目を公開しました。今回の箇所は比較的長いラテン語の引用が2箇所あり、いいラテン語の演習になりました。しかし、このペースだと早くて後一年半くらいかかりそうです。
Oxford Latin Dictionary
「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開しました。
ここは、ローマの植民市における入植者への土地の配分についての特殊なケースについて述べており、最初意味を掴むのに苦労し、自分なりに図を書いてみたりしていました。何のことはない、ヴェーバー自身が添付図を付けてくれており、それを見たら一目瞭然でした。しかし何だか長方形の区画と正方形の区画の組み合わせで、昔懐かしのテトリスをやっている気分でした。
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳7回目を公開
マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳、前回は2021年12月末で5ヵ月も間が空いてしまいましたが、7回目を公開しました。(真空管アンプ作りで約3ヵ月取られました。)
「ローマ土地制度史」の日本語訳の6回目を公開
「ローマ土地制度史」の日本語訳の6回目を公開しました。いよいよ本論に入り、ローマの測量と区画割りの具体的な手法の説明があります。しかし公共建築で有名なローマの割りには、測量と区画割りの技術は原始的という印象です。特に基準線に東西の線を使うのですが、その基準とする日の出の方向が年間で移動するのを考慮していなかったというのは驚きです。
ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の5回目を公開
ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の5回目を公開しました。これでようやく序文が全部終りました。先は長いです。
しかし恐るべきは英訳の質で、翻訳に迷うような箇所をほぼ全て訳していません。曲がりなりにもこの論文は学術論文の筈ですが。
「ローマ土地制度史」日本語訳第4回を公開
「ローマ土地制度史」の日本語訳の第4回目を公開しました。「中世合名・合資会社成立史」の時より時間がかかってしまっています。後1回で序論部は終ります。ローマ史についてはあまり詳しい訳ではないので、調べながら訳しているので余計時間がかかります。
「ローマ土地制度史」日本語訳第3回目公開
「ローマ土地制度史」の日本語訳の第3回目を公開しました。P.100から102までです。ここでこのヴェーバーの研究がテオドール・モムゼンのローマ研究をベースにし、マイツェンの欧州の農村分析の手法を使ったということが明らかにされます。ヴェーバーは後にこのマイツェンの手法の使い方があまりにもストレート過ぎたことを反省しています。
ヴェーバーとポランニー
マックス・ヴェーバーの著作の英訳は何故にどれもこれもレベルが低いのだろうと思ってその理由について検索していました。そうしたら、若森みどり氏の「カール・ポランニーの「経済社会学」の誕生 ―『大転換』から『人間の経済』へ―」という論文が出てきました。
この論文の中に、ヴェーバーの「一般社会経済史要論」を最初に英訳したKnight, F. という人(経済学でのシカゴ学派の創始者の一人)が、ヴェーバーの緒論を「抽象的で難解である」として丸ごと削除して英訳した、というのが出てきます。どうやら昔からヴェーバーの英訳はパーソンズなど一部のものを除いてはひどかったということなんでしょう。
ところで、この論文に、カール・ポランニーが経済史を大学で講義するのに、ヴェーバーの「経済と社会」をベースに内容を組み立てていたとあります。
「ポランニーはコロンビア大学赴任初年度の1947年から1953年にかけて,ウェーバーの『経済と社会』第1部第2章「経済行為の社会学的基礎範疇」を題材にして講義を組み立てた (Swedberg 1998, 214)。」
私は以前、「マックス・ウェーバー その学問の包括的一肖像」へのレビューをこのブログに書いたことがあります。そこから引用します。
「個人的にこの本で啓発されたのは、私は学生時代ヴェーバーの論考を読みながら、その中に取り上げられている文化人類学的な素材が極めて限定されていることが残念でした。ヴェーバーの時代にもフレイザーの「金枝篇」とか、グリァスンの「沈黙交易」(The silent trade)などの人類学的知見があり、ヴェーバーの論考の中にも出てきます。しかし、近代的な文化人類学の始まりはブロニスワフ・マリノフスキーの「西太平洋の遠洋航海者」とラドクリフ・ブラウンの「アンダマン島民」が出てきた1922年とされており、ヴェーバーの死後2年後です。その後、いわゆるフィールドワークによって、色々な西欧以外の社会の分析が進み事例が集まる訳ですが、ヴェーバーがそうしたものを見ることが出来ていたら、と思わざるを得ません。この本に、私と同じようなことを考えている人が多い、と指摘されていました。(余談になりますが、そういう文化人類学から出てきた素材を用いて、ヴェーバー的な分析を行った人は、私はカール・ポランニーだと思います。)」
としていたので、その考えがまさに当たっていたので驚きました。
ポランニーは「貨幣使用の意味論」という論文で、これは私が大学時代に読んだ論文の中でもっともインパクトがあった論文ですが、その中でポランニーは貨幣を言語と同じシンボルの体系として定義します。これは要するにヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」に出て来る「諒解行為」で、ヴェーバーがその例として貨幣システムと言語を出していたのに影響を受けたのではないかと思います。