「ガールズ&パンツァー 最終章 第1話」

「ガルパン最終章」の第1話を観ました。(全6話)
さすがにもう「廃校」ネタは使えなくて、別のことが戦いの目的になりますが、それがちょっとしょぼくてイマイチ。
大洗の学園艦で新しい戦車がまた発見されますが、それがイギリスのマークIVという第1次世界大戦の遺物。ですが、それが意外な活躍をします。
相手校はBC自由学園でたぶんフランスがモデル。
うーん、映画版があまりに良すぎたために、それと比べるとかなり落ちます。ですがまだ第1話ですので今後に期待しましょう。

高畑勲監督の「火垂るの墓」

高畑勲監督の「火垂るの墓」を観ました。ジブリ大好きな私もこの映画だけはどうしても観ることが出来なくて今まで来ました。観るのは今しかないだろうと思いました。TVで放映されていたのを知っていましたが、録画し損ねたのでDVDで観ました。あまり安っぽい感想は言いたくないですが、この本当に悲しい話を高畑勲監督はこれ以上ないくらい叙情的に美しく描いているということが胸に残りました。

Richard Schenkmanの”The man from earth”

EigoxのSFファンの先生のお勧めで、The man from earthというSF映画を観ました。一応劇場映画として作られたようですが、何故かネットで全部観られます。全部英語で日本語の字幕も英語の字幕もないので(左の写真はトレーラーなので字幕が入っています)英語が聴き取れないとまったくストーリーは分かりません。しかも劇的なシーンはほとんどなく、淡々と室内の会話だけで話が進みます。(以下ネタバレしますので、これから観る人は読まないように。)

ストーリーは、ある大学に10年勤めたジョンという男がその大学を辞めて別の土地に行くので、仲間の教授達が私的なお別れ会をジョンの家で行います。そこでジョンは驚くべき告白を始めます。それによると彼は14,000年前の洞窟に住んでいたクロマニヨン人の生き残りで、まったく歳を取らず生き続けており、ある場所で10年過ごすと彼が歳を取らないのに人々が気づき始めるので、10年毎に住む場所を変えると言います。仲間の教授達は、考古学や古美術や精神医学のそれぞれ専門家でそれぞれの立場からかなり突っ込んだ質問をしますが、ジョンはそれにすらすら答えていきます。途中で彼はアジアでブッダの弟子になり、その教えを広めるために中東にやってきて、その話が誤って伝わってキリストと間違えられたという恐るべき話をし、敬虔なクリスチャンの女性は泣き出してしまいます。結局最後にジョンはそれまでの話は全部作り話だと言いますが、本当へ彼は事実を言っているんじゃないかという謎を残したままジョンが去って行く、というものです。

面白いストーリーですが、かなり地味なのも事実です。劇場で有名にならずネット拡散しているのはそういう理由からでしょうか。

「富士に立つ影」の映画(1942年)

白井喬二原作の「富士に立つ影」の映画版の内、1942年の大映版を観ました。
白井喬二は「盤嶽の一生」を名匠山中貞雄が映画化したものについては、「戦死せし山中貞雄をしのぶかな 盤嶽の一生 あの巧さ 良心 映画のふるさと」という歌を詠んで激賞しています。
しかし、「富士に立つ影」の3回の映画化、1回のTVドラマ化については、「映画 テレビの 富士に立つ影の不できさに 愚鈍のわれも怫然としぬ」と詠んで、まったくお気に召さなかったことがわかります。
で、本当の所はどんなものかと思って、この1942年版(阪東妻三郎主演)を観たのですが、作者の嘆きがよく理解できました。確かにこれは非道すぎます。映画に出来るのは第1巻の「裾野篇」だけで、原作では悪役が勝ってしまうので、映画ではストーリーを変えざるを得ないのは理解できます。しかし、この映画では熊木伯典(悪役)と佐藤菊太郎(主役、阪東妻三郎)の単なる外面的な争いとしてしか描かれておらず、最後は菊太郎が伯典の陰謀の証拠を突きつけて、正義が勝って一件落着という落ちに単純化されてしまっています。また菊太郎のキャラクターもかなり変えられていて、賛四流の跡取りで満足せず、自身の流儀を起こそうとする野心家に描かれています。また、喜運川兵部の娘のお染も、原作では菊太郎を慕いますが、この映画では他に男がいるという身も蓋もない設定です。何故こうしたかというと、映画の主演女優を「お雪」にするためで、原作では単に庄屋の娘(後に色々あって熊木伯典の妻になる)ですが、この映画では菊太郎を慕って、菊太郎を助けるために縦横無尽の活躍をします。このお雪を演じているのが橘公子で、私が好きな女優です。橘公子が出ている映画としては、やはり阪東妻三郎主演の「狐の呉れた赤ん坊」を観ましたが、そっちより今回の映画の方が橘公子が魅力的です。特に実地検分での馬競争(原作では牛追い競争)で、菊太郎が雇っていた名人の馬方が伯典に脅されて寝返ってしまったのを、お雪がいきなり馬に飛び乗って馬を追い、この競争を勝利に導きます。つまりこの映画はほとんど「フィーチャリング 橘公子」であり、橘公子の存在が戦前は非常に大きかったことがよく分かります。
そういう訳で、白井喬二の映画としては最低に近いですが、個人的には橘公子をたくさん見られたので、その点は良かったです。

ミック・ジャクソンの「否定と肯定」(映画)

「否定と肯定」の映画を観ました。よくまとめていて、それなりに感動的ではありましたが、肝心の裁判の中身があまりにはしょりすぎ。原作ではアーヴィングの歴史捏造が30箇所くらい逐一反証されていきますが、映画はほとんど1/10くらいに短縮されてしまっています。私はそういう歴史捏造者の手口に興味があったのですが、残念ながら映画はかなりのダイジェストと言わざるを得ません。私は原作の方をお勧めします。

ライアン・ジョンソンの「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」

「スターウォーズ 最後のジェダイ」を観てきました。何というか、宮本武蔵+宇宙戦艦ヤマト+オーム真理教でした。後、もうただこのシリーズをひたすら続けるためにストーリーを作っている感じです。個人的には次はもう観ないかも。

山中貞雄の「人情紙風船」

山中貞雄の「人情紙風船」を視聴。実はこの作品、Amazonの履歴を見ると以前も買っているのですが、ディスクは探しても見つからず、また視聴した記憶もないので、再度買い直したものです。
山中貞雄は白井喬二の「盤嶽の一生」を映画化しています。自作の映画について、白井はそのほとんどを嫌っていましたが、唯一の例外が山中の「盤嶽の一生」です。晩年になって「大衆文学百首」という短歌集を出した時の中に、「戦死せし山中貞雄をしのぶかな 盤嶽の一生 あの巧さ 良心 映画のふるさと」というのがあります。「盤嶽の一生」の中に、主人公の阿地川盤嶽が鉄砲で撃たれて足に怪我をし、他人から医者を世話をしてもらったのですが、その礼金を持ち合わせないため、夜中に西瓜畑の番をすることになります。そこに西瓜泥棒がやってくるのですが、山中の映画では、このシーンを西瓜をボールの代わりにしたラグビーのシーンで描いているそうです。(残念ながらフィルムは失われ現在観ることができません。)
結局、現在も残っている山中のフィルムは、この「人情紙風船」を含めてわずか3本だけです。山中貞雄は「人情紙風船」を撮った後招集されて中国大陸に渡り、28歳の若さでそこで病死します。
そういう経緯があってこの作品を観たのですが、私にはとても怖いホラー作品でした。海野という浪人の奥さんがとても怖く、こういう普段は従順だけど、突然無茶なことをする人って実際にいますよね。正直な所、これが山中貞雄の遺作というのは可哀想な気がします。明るい王道を行く時代劇を撮って欲しかったです。

ドゥニ・ビルヌーブの「ブレードランナー2049」

「ブレードランナー2049」観てきました。脚本がひどいの一言。全く以てお勧めしません。画面的には全体に渡って美しくお金もかかっていましたが、ともかくストーリーが全てをぶち壊しています。何というか映画の基本文法をぶち壊しているような台本でした。私の想像ですが、この台本は最初に予定されていたものから、途中で変更が入ったんじゃないかと思います。その変更が全てを台無しにしています。この映画、3時間近く続くのですが、結末を見た時には脱力感しかありませんでした。「何これ?」状態です。

それからこの映画で初めてMX4Dというのを体験しました。通常の3Dに加えて、椅子が揺れたり傾いたり、光が出たり、主人公がシャワーを浴びるシーンではミストが降ってきたり、あげくの果ては匂いまで出てきます。しかし、ミストは3Dメガネが濡れてしまいますし、また匂いは最初に出てきた時は驚きましたが、2回目は同じ匂いが使われていたので白けました。(最初のシーンは主人公が花の匂いをかぐシーン、2回目はハリソン・フォードがウィスキーを飲む場面で、この2つが同じ匂いというのはあり得ないのです。)椅子が動くのも程々にしておけばいいのに、大げさすぎて、多分車に弱い人は酔ってしまうでしょう。

セオドア・メルフィ監督の「ドリーム」(“Hidden Figures”)

「ドリーム」観て来ました。「ドリーム」は日本向けタイトルで、オリジナルは”Hidden Figures”みたいです。1961年の話で、当時アメリカはソ連に宇宙開発で完全に遅れを取っていて、ソ連から核ミサイルで攻撃されることを本気で心配していました。映画にも出て来ましたが、核攻撃を受けたら机の下に潜りましょう、なんて教育を本当にやっていたみたいです。(アニメの「アイアン・ジャイアント」にもそういうシーンが出て来ました。)そこにケネディが大統領になって、最初は巨額の費用がかかる宇宙開発に消極的でしたが、すぐに考えを改め、「10年以内に月に人を送り込む」ことを宣言します。そうした宇宙開発にはアメリカ中のthe best and the brightestと呼ばれた優秀な人員が集められましたが、その中に黒人女性も含まれていました。この映画は黒人女性の数学者がその能力を活かしてNASAで活躍しますが、公民権運動もまだ始まったばかりの頃で、エリート揃いのNASAでもしっかり差別が存在し、主人公達を悩ませます。しかし彼女たちはとてもたくましく差別を一つ一つ打ち破っていき、ついにはNASAの宇宙開発にとって無くてはならない存在になって行きます。後は1961年というのは私の生まれた年で、色んなものが懐かしかったですね。ケネディ大統領とキング牧師の姿が出て来ましたし、いかにも昔のアメ車といった自動車や、IBMのゴルフボールのタイプライターや初期のメインフレームとパンチカード。亡父は九州大学の数学科の出ですが、昔その同窓生名簿を見たら、コンピューター関係で働いている人がたくさんいました。この映画でもそうですが、初期のコンピューターをやっていた人は数学科の出身の人が多かったのだと思います。全体的にはとても良い映画でした。アメリカが本当の意味でグレートだった時代です。

ジェームズ・アイヴォリーの「ハワーズ・エンド」

E. M. フォースターの「ハワーズ・エンド」の映画を視聴。監督はジェームズ・アイヴォリーで1992年の作品。同監督はフォースター作品の「眺めの良い部屋」「モーリス」も映画化しています。主演女優のエマ・トンプソンはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞しています。
フォースターの作品は作者がおそらく作品の映画化に否定的だったのか、生前は作られず、1980年代以降に巨匠デヴィッド・リーンが1984年に「インドへの道」を映画化したのを皮切りに、アイヴォリー監督によって3作品が映画化されています。共通して言えるのは、「原作を読んでから観るべき映画」だということで、「インドへの道」が封切られた時、「ぴあ」で「ムーア夫人が何故突然インドから帰国したのかがわからない」という批評がありましたが、原作を読んでいた人には自明なことで、省かれていただけだったと思います。(「インドへの道」はベストセラー小説でした。)
この「ハワーズ・エンド」は比較的原作に忠実な映画化ですが、時間の制約でどんどんストーリーが進み省かれている部分も多いです。ただ、ヘレンとバーストが愛し合ったということは原作では最後にならないとわからないのですが、この映画では明示的にラブシーンを入れていて、それはどうだか、と思いました。
日本語字幕版は入手できなかったので、アメリカから英語版を取り寄せました。英語の字幕がついているのと原作を読んでいるので何とかなりました。ただ、この字幕は明らかに聴覚障害者用で、BGMにまでいちいち「悲しげなオーケストラ音楽」とか解説が入るのは正直言ってうざかったですが。
この作品のストーリーをかいつまんで言ってしまうと、ウィルコックス夫人が死の間際にシュレーゲル姉妹の姉のマーガレットにハワーズ・エンド荘を譲ると遺言を残したのに対し、遺族が法的に無効と判断して故人の意向を無視してしまいます。しかし、色々な偶然が積み重なり、最終的にはハワーズ・エンド荘はシュレーゲル姉妹のものになるということです。
その話の背景に、イギリスとドイツ、イギリスの上流社会級と労働者階級のそれぞれ対立と結びつきを描いています。”Only connect…”はそういう意味に私は解釈しています。