ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソード I/ファントム・メナス」

「スター・ウォーズ エピソード I/ファントム・メナス」を視聴。このエピソードは割と楽しめました。ビームサーベルじゃなかった、ライトセーバーのチャンバラの「殺陣」が、エピソードIV、V、VIに比べるとかなり改善されたように思います。若干、カンフーぽくなってきた気もしますが…(「燃えよドラゴン」の”Don’t think, feel!”も使われていましたし…)しかし、相変わらず変な日本趣味は満載で、ダース・モールの顔はほとんど歌舞伎の隈取りだし、アミダラ女王の髪型はこれまた変な日本髪だったし…ポッド・レースは、「ベン・ハー」か「マッハGoGoGo」のパクリのように思いました。(「マッハGoGoGo」はアメリカでも”Speed Racer”の名前でテレビ放映されていて、結構人気がありました。)アナキン坊やはとても可愛かったですね。あれで将来ダークサイドに落ちるとはとても思えませんが。

リチャード・マーカンドの「スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還」

「スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還」を視聴。IV、V、VIと三本観てようやくどういうお話なのかが理解できました。結末はあまりにも予想通りでしたが、大衆小説的結末でまあいいかなと。どうでもいいけど帝国軍弱すぎ。精鋭を集めて待ち構えていた所でああもあっさりとやられるとは。また、初代のデススターも二代目も結局同じような攻撃で破壊されて、帝国軍に学習能力はないのかと。また、森の月のテディベアみたいな原住民の描写が何というか今時(といってもかなり前ですが)あまりにもステレオタイプな「未開民族」描写で笑ってしまいました。まあお話はわかりましたけど、良くわからないのは、アナキン・スカイウォーカーが何でフォースの暗黒面に落ちたかということで、それでI、II、IIIが作られたんだな、と理解しました。

アーヴィン・カーシュナーの「スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲」

「スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲」を視聴。IVはそれなりに楽しめましたが、Vは私的には全然ダメでした。「星間戦争」って言っている割りには、ちゃちな局地戦を繰り返しているだけだし、帝国軍のウォーキーとかいう兵器、モビルスーツとかモビルアーマーに慣れている目から見るととても原始的にしか見えないし、挙げ句の果ては親子喧嘩…
そのダース・ベイダーとルークのチャンバラも、日本の時代劇を見慣れているこちらからすると、低レベルで嫌になりますし。
正直、後5本観るのが辛くなってきました。

ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソードIV『新たなる希望』」

「スター・ウォーズ エピソードIV『新たなる希望』」をこの歳になって初めてブルーレイで視聴。今回、ブルーレイで、エピソードIV、V、VIとI、II、IIIとVIIをまとめて購入。全部で11,000円ちょっとで、映画館で7回観るより安かったです。
「スター・ウォーズ」シリーズについては、これまで映画館でもTVでも1回も観ていません。そもそもこの映画とは出会い方があまり良くなくて、1977年に日本で封切られた時は、ただでさえ半年早くアメリカで封切られて、大量に情報が事前に日本に流れ込んできたのに加え(日本人でハワイやグアムで観てきたという人がたくさんいました)、当時は鹿児島市にいました。今は映画は新作は全国同時封切りだと思いますが、当時はフィルムであったため、まず首都圏やその他大都市圏で公開され、その後徐々に地方に回ってくることになっており、鹿児島などは首都圏に比べると半年は公開が遅かったです。そういう訳で鹿児島で公開された時は、あまりにも情報があふれていて、映画館で改めて観ようという気持ちにはなれませんでした。それに当時は高校生で全国有数の進学校に入学して、授業についていくのに必死だった頃で、その意味でも映画館に行くことはなかったです。その後TVで放映されたりしましたが、この映画は映画館で観るべきという意見に従い、TVでも観ていません。今回、家でブルーレイで観たのは、今では42インチの大形TVを持っていますし、オーディオもサブウーファー付きの素晴らしいものがあるので、家で観てもまあいいかと思いました。
で、初公開作品のエピソードIVを今回初めて観たんですが、感想は「これって日本の時代劇映画じゃないの?」でした。この映画が黒澤明の「隠し砦の三悪人」に影響を受けていることは知っていますし、「隠し砦の三悪人」も観ていますが、それ以外に、
(1)主人公のルークの服装がほとんど柔道着
(2)ライトセーバーの斬り合いがフェンシングでなくて、ほとんどチャンバラそのもの
(3)お姫様を助け出すというストーリー
(4)主人公を助けるニヒルで腕が立つ脇役(ハン・ソロ)
(5)肉体面より精神面を重視する「フォース」
など、日本の時代劇映画の特徴が満載です。調べてみたら、ジェダイの騎士のジェダイは「時代」から取ったのだという説もあるみたいです。
そういう意味で、白井喬二作品など日本の大衆時代小説を読んでいた関心とこの映画は比較的無理なくつながっている訳です。

宮崎吾朗監督の「コクリコ坂から」

ジブリ作品の「コクリコ坂から」を視聴。これで4回目です。またこの作品のサントラCDも大好きで、これまで100回以上聴いています。ジブリ作品はほぼ観ていますが、この作品が一番好きです。大きな事件も起きないし、悪者も一人も登場しませんが、1960年代の日活青春映画という感じで、浜田光夫と吉永小百合で実写であってもおかしくない内容です。原作は1980年頃の「なかよし」に載っていた少女漫画で、一度取り寄せて読んだことがありますが、内容としては二流の作品で、宮崎駿が基本的な設定だけ借りてほとんど別の話にしてしまっています。サントラにはまっていると書きましたが、全体に「歌」が非常に印象的に使われていて、特に、学園の理事長がカルチェラタンという古い建物を見学に来た時に学生が歌う「紺色のうねりが」は、東日本大震災の数ヶ月後に封切られた作品ということもあって、宮沢賢治が津波に負けないようにと歌った詩を宮崎駿と宮崎吾朗が作り直して、谷山浩子が曲をつけたもので、とても印象的です。またサブタイトルとしても使われている坂本九の「上を向いて歩こう」も、まさに丁度その時代の流行歌としてうまく使われています。ともかくとても爽やかな青春映画です。
なお、映画で出てくる徳丸理事長は、徳間書店の初代社長の徳間康快がモデルです。(ジブリの鈴木プロデューサーは徳間書店の出身ですし、ジブリも徳間書店の出資を受けています。)徳丸書店の社長室にさりげなく置かれた書籍をよく見ると、吉本隆明「情況への発言」、稲垣足穂「少年愛の美学」、安部公房「夢の逃亡」だったりします。これらすべて徳間書店のベストセラーです。但し、映画当時(1963年)のものではなく1968年のものですが。

市川崑監督の「雪之丞変化」

市川崑監督の1963年の作品、「雪之丞変化」を視聴。雪之丞と闇太郎の二役をやっているのが長谷川一夫で、長谷川一夫の映画三百本記念で、市川崑監督の初の時代劇です。とにかく役者が素晴らしく、浪路が若尾文子、軽業のお初が山本富士子、雪之丞の師匠の菊之丞が市川中車、島抜け法印が勝新太郎、門倉兵馬が船越英二、そして敵の土部三斎(原作では「つちべ」ですが、映画では「どべ」と呼ばれています)が中村鴈治郎とオールスターキャストです。それはいいのですが、この時長谷川一夫はもう55歳で若女形の役としてはさすがに老けすぎです。長谷川一夫が最初に雪之丞を演じたのは、昭和10年で、この時のものが観たくなります。女優陣は、若尾文子が可憐で実に美しく、また山本富士子のおきゃんな感じのお初もいいです。ただ、原作にあった雪之丞と闇太郎の友情が十分に描けていません。また復讐の過程も原作で5人の敵を映画では3人に減らしてしまって、ちょっとあっさりしすぎです。またストーリーの展開も、雪之丞の独白に頼っている部分が多く、もっと映像で見せて欲しかったです。

稲垣浩監督の「無法松の一生」(1958年版)

稲垣浩監督の「無法松の一生」、1958年版を観ました。1943年版が日本の軍部と、占領軍GHQによって、二度に渡って検閲を受け削除を受けた無念を晴らすため、稲垣監督が敢えてリメイクしたものです。キャストは松五郎が三船敏郎、吉岡未亡人が高峰秀子と当時としては最高のものと思います。ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。1943年版と比べてどこがカットされたかが良くわかります。日本の軍部がカットを命じたのは、要するに松五郎が吉岡未亡人に思いを寄せているとわかる所すべてです。車引き風情が軍人の未亡人に思いを寄せるなんぞはけしからん、という訳です。GHQがカットしたのも理不尽で、敏雄が学芸会で「青葉の笛」を唄う所や、提灯行列で学生が軍歌を歌う箇所などです。カットされた箇所を除いて比較して、1943年版と1958年版はどちらも素晴らしい甲乙付けがたいものだと思います。この作品、原作である「富島松五郎伝」も読んでみようと思って、取り寄せ済みです。

稲垣浩監督の「無法松の一生」(1943年)

稲垣浩監督の「無法松の一生」(1943年)を初めて視聴しました。新しいブルーレイプレーヤーを買った記念(?)です。これまでこの有名な映画を観る機会がありませんでした。また、戦前に内務省によって、また戦後にGHQによってと2度も検閲を受けてずたぼろにされた作品ですが、それでも名作ですね。阪妻は先日「狐の呉れた赤ん坊」を観ましたが、その主人公ともちょっと共通点があって、こういう役はぴったりはまっています。吉岡夫人を演じていた園井恵子は、広島の原爆に遭って亡くなってしまったということですが、物語の舞台となっている小倉も、寸前の所で原爆の惨禍に遭う所だったのを考えると、複雑な気持ちです。(長崎に投下された原爆は当初は小倉に落とされる筈でした。)この映画のクライマックスで出てくる小倉祇園太鼓の暴れ打ちは、創作で実際のものとは違うそうです。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズはこの作品の影響を受けているそうで、主人公の車寅次郎という名前も、松五郎が車屋だったところからつけたそうです。

丸根賛太郞監督の「狐の呉れた赤ん坊」

jpeg000-25丸根賛太郞監督の1945年(戦後)の作品、「狐の呉れた赤ん坊」を観ました。橘公子の実際の銀幕での姿を見たくて買ったDVDですが、実に泣けるいい映画でした。戦後の撮影でGHQにチャンバラを禁じられているため、斬り合いのシーンは一ヵ所も出てきません。荒くれ者が子供を可愛がるというのは、同じ阪妻の「無法松の一生」と共通しています。最後のシーンで、善太がある大名のご落胤であることがわかって、本当の父親である大名に会いに行くために、大井川を渡ろうとして、蓮台に載せた立派な駕籠が用意されているのに、善太が「ちゃんの肩車がいい」と言うのが泣かせます。(善太を拾って育てた張り子の寅は大井川の川渡しの人足です。)
目的の橘公子もまあ可愛かったです。

「仁義なき戦い 完結篇」

jpeg000 213「仁義なき戦い 完結篇」視聴。
この第五部は笠原和夫の脚本ではありません。で、脚本の出来不出来を言うより、どこまで腹をくくって事実を抉って脚本化するかという点で笠原脚本よりも劣るように感じます。
また、配役もかなり変に感じます。第2部の主人公だった北大路欣也が復活するのはまあ許せるとしても、第4部で殺されたばかりの松方弘樹がいきなり別の役で復活するのは違和感ばりばりです。(しかもすぐまた殺されるし…)第2部では千葉真一が演じた大友勝利がこの部では宍戸錠ってのもイマイチかな。(宍戸錠は日活作品ではいいけど、他社作品ではイマイチという評あり。)また、柔道一直線の桜木健一が、格好いい所のまったくないチンピラ役で登場し、最後に殺されて、それで広能が引退を決意するというのも、何だかなあ、です。やっぱりこの作品は第4部までかなと思います。