NHK杯戦囲碁 牛栄子3段 対 山田規三生9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が牛栄子3段、白番が山田規三生9段の対局です。牛3段はあの牛力力(ニュウリーリー)さんの娘さんだということです。(牛力力さんは、ハルビン出身の中国人棋士で、日本に来て晩年の呉清源9段のお手伝いをして、誠文堂新光社の「囲碁」に連載された呉9段の囲碁記事を呉9段に取材して執筆していました。また自身も名前の通りかなり力の強い棋風であったことを何となく覚えています。)まだ19歳ですが、既に女流棋聖戦で挑戦手合いを戦っており、謝依旻女流棋聖を後一歩の所まで追い詰めました。布石は黒も白も非常に手堅い手が多く、黒の打ち方はまるで置き碁の下手を思わせるものでした。しかしこれは牛3段の棋風で序盤は手堅く打ってしっかり地を確保し、後から力を出してくる棋風のようです。右上隅でかかった白が隅に付けていって治まりに行ったのに黒が反発し、ちょっとした小競り合いが起きましたが、結局黒が右上隅と上辺の両方を打ち、白が中央に厚みを築く展開になりました。次に局面が動いたのが、白が下辺に打ち込んで、黒がその石にコスミツケた時で、普通は白は伸びて立ちますがそれだと調子で左下隅の黒にすんなり中央に頭を出されて面白くないと見て、白はカケという強手を打ちました。黒が出て白が押さえ、黒が切っていく、という激しい展開になりました。しかし黒は切り離された左下隅が薄く、下辺で2線のハネを打たざるを得ず、下辺の白はその間に中央に顔を出すことが出来、一応白の強手は成功しました。その後黒はこの下辺の白を攻めましたが、白は劫の形が出来、弾力がある形になりました。そこで白は中央の黒を攻めに行きましたが、結局下辺で黒が一回劫を抜きそこから更に白を切っていってむしろ黒から劫を仕掛けた形になりました。この劫は中央も絡んでかなり大きな劫となり、結局下辺で白が劫を解消して治まり、代償に黒は中央で白1子をカカエるという分かれになりました。黒は中央の石から大ゲイマで左辺に下りましたが、白はその石に付けて中央との間を分断に行きました。黒は左辺と中央で別々に活きる道を選びました。左辺が一旦治まるかというタイミングで黒は左上隅の白の一間ジマリを覗いて行きました。この踏み込みが強手で左辺の黒は左上隅に食い込んで地をもって治まり、ここでは明らかに黒がポイントを上げました。残ったのは白1子を抱えたとはいえ、まだ全体に眼がない中央の黒でした。白は右辺を広げつつこの黒へのヨリツキを狙います。ここで黒が右上隅の白にノゾキを打ち、これを中央の石のシノギに役立たせようとしました。しかしこれがある意味打ち過ぎで、白に反発されて右上隅の黒と覗いた黒が切り離されて、結局覗いた石を含む4子くらいが白に飲み込まれてしまい(しかも黒は上辺から白に対しハネツギを打ち、切りを強調したのですが、白の継ぎは手を抜かれて黒4子が取られてしまいました)、更に中央の黒がまだ活きていないという、黒にとっては最悪の展開になり、ここで白がはっきり優勢になりました。白はその後安全運転で中央の黒に手を入れさせ、後は大きなヨセを先手で打ちました。特に左下隅は黒は白から三方から先手でヨセられ、最終的な黒地はわずか4目弱になってしまいました。最終的には盤面で白がいいという形勢になり、ここで黒の投了となりました。

ミラノ(2)スカラ座とドゥオモ

ミラノで「最後の晩餐」を見た後は、歩いて市街の中心部へ向かっていたら、偶然スカラ座に出遭わしました。オペラ鑑賞はその夜なんですが、スカラ座に併設してスカラ座の博物館があったので、そこを見学しました。中は実はつながっていて、開演前の舞台の準備の様子を見ることが出来ました。(オペラの本番は一眼レフを持ち込むのを差し控えたため、一眼レフで撮影した写真はありません。オペラ自体{「フランチェスカ・ダ・リミニ」}はソプラノの出来は今一つに思いましたが、ファビオ・ルイージの指揮と音楽は素晴らしく、楽しめました。)(写真はクリックで拡大します。)


その晩の演目の「フランチェスカ・ダ・リミニ」(ザンドナイ)のポスターです。
偉大なる名指揮者、トスカニーニ!トスカニーニは1898年に31歳の若さでスカラ座の芸術監督に任命されます。
そしてマリア・カラス(本名:マリア・カロゲロプーロス)!

スカラ座の外観です。想像していたより外観も中も小さいと思いました。サイズ的にはむしろ日本の新国立劇場オペラ劇場の方が大きいのではないかと思います。
ここから先はドゥオモのゴシック式の大聖堂です。イタリアで
最大だそうです。

ヴェネツィア

公開の順番が逆になりましたが、5月1日に訪れたヴェネツィアの街です。ローマから飛行機でヴェネツィアに入り(出発が90分以上遅れ、ヴェネツィアに着いたのは23時を過ぎていました)、空港からタクシーに乗ったのですが、私はヴェネツィアの市街の中心部が車が入れないと言うことを知らなくて、結局ヴェネツィア駅で降ろされ、そこからGoogleマップを頼りに深夜のヴェネツィアをスーツケースを引き摺りながら20分以上も歩くことになりました。それもあってか私のヴェネツィアの印象はイマイチ。昔、大学生の時に塩野七生の「海の都の物語」を読みましたが、昔の栄光はもはやどこにも無く、ひたすら観光客からぼろうとしている街という感じでした。トーマス・マンの「ヴェニスに死す」は、原作もヴィスコンティの映画も好きですけど、夏じゃなかったせいか、あれに出てくる湿気のこもったいかにも疫病が蔓延しそうな不健康な感じは、今回のヴェネツィアにはなかったです。ちなみに題名の「ヴェニスに死す」は、本当は「ヴェニスの死神」です。(“Der Tod in Venedig”)(ついでに述べておけば、シューベルトの歌曲および弦楽四重奏曲で有名な「死と乙女」も正確には「死神と乙女」です。)

ミラノ(1)「最後の晩餐」と街並み

5月2日に訪れたミラノの街です。この街での目的は、
(1)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見ること。
(2)スカラ座でザンドナイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」を観ること。
の2つでした。
(1)は完全予約制で予約が無いと見せてくれません。私のは朝8:15からという予約で、朝食もそこそこに駆けつけました。これがその教会で、「最後の晩餐」はここの壁画として描かれています。
これが「最後の晩餐」です。かなりレタッチしてあります。現物はもっとぼんやりした感じです。(クリックで拡大します。)

何故か「グレートマジンガー」のDVDの広告がありました。そういえばイタリアではマジンガーZが人気があったということを聞いたことがあります。

フォロ・ロマーノ他

ローマでコロッセオの見学は普通に並ぶと2時間待ちという状態だったので、やむを得ず声をかけてきた有料ガイドの提案に乗って団体で入場しました。そのツアーにフォロ・ロマーノの見学もセットになっていたので、コロッセオに続けて見学しました。しかし英語によるガイドは、最初にローマの建国神話を紙芝居みたいなので説明してくれた後は、勝手に見てくれ、という感じで、どこに何があるのかさっぱり分からずに歩き回っていました。ちなみに、ローマの建国神話については、前に何かのオペラ(ディドーとエネアスとかトロイの人々とか多分その辺り)で観たので、説明されなくても知っていました。ちなみにイタリアの観光地にはどこも公衆トイレというものがほとんどなくて、ここでもトイレを探しにかなりの時間を要しました。

ローマでの駐車事情

これがローマでの普通の駐車風景です。ほとんどの道路で路駐されています。そして日本の感覚では信じられないくらい、前後の間隔がギリギリで場合によっては10cmもないです。良く言われるように前後の車に「ぶつけて」移動させて駐車スペースを作るというのは、私は目撃しませんでしたが事実のようです。ですが「ぶつけて」というのは誇張されていて、実際は「押して」ぐらいの感じみたいです。(かなりの速度でぶつけたら、ボディに歪みが入って走行に影響が出ると思います。)このために駐車中もギア(シフト)はニュートラル、サイドブレーキは引かないかあるいは引いてもごく軽くというのが暗黙の了解になっているみたいです。といってもそういうのはイタリアかフランスぐらいで、欧州のどこでもそうやって駐車している訳ではないと思います。私もイギリスで2回運転したことがありますが、そんな駐車の仕方は見ませんでしたし、借りたレンタカーの傷チェックはちゃんとありましたから、そういう駐車をやって傷を付けたらたとえバンパー部でも余分なお金を取られます。ローマの場合は、特殊事情で地下鉄が簡単に作れないのと同じ理由(そこら中で遺跡にぶつかるため)で、地下駐車場も作れません。なので路駐するしかない訳で、走る車はその路駐の車の間を縫うようにかなりの速度で走っていました。日本では駐車場で気になるのは前後のサイズより横幅で、私も前の5ナンバーの車から3ナンバーの今の車に変えた時にそこが一番気になりました。イタリアでは横幅より何より前後サイズで、ご覧のような2人乗りの車が多く見られます。

ヴェネツィアのアカデミア美術館

ヴェネツィアのドルソドゥーロ地区にあるアカデミア美術館の絵画です。ウッフィツィ美術館みたいに有名な絵が沢山ある訳ではなく、また規模もかなり小さく訪れる人も多くないですが、なかなか心に染み入るようないい宗教画があります。羽が付いたライオンは聖マルコの象徴=ヴェネツィアの象徴である架空の動物です。例によってテカっていたり、歪んでいたり、斜めに撮っていたりで補正するのが結構大変でした。(絵の写真はクリックで拡大します。)

ヤコベッロ・デル・フィオーレの「トリッティコ」


いわゆる「聖セバスティアノの殉教」の絵。

「洗足学園」という学校がありますが、イエスのこの行為から名前を取っています。

昔のヴェネツィアも今とほとんど変わらない感じですね。

Maestro di Ceneda の「聖母戴冠」

ジョバンニ・ベリーニの「聖会話」

この写真は大きな絵の一部。ギターと同じでリュートも膝を組んで演奏するんだなと思って感心して撮ったものです。

コロッセオ

ローマで最初に訪れたコロッセオです。西暦72年に作られたものですから、2000年近く経っていることになります。ガイドの説明によると、ローマのコンクリートは火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜて作られており、年月が経つほど強度が増すそうです。現在のコンクリートだとせいぜい100年ぐらいですから、信じがたい耐久性です。このコロッセオではグラディエーターの格闘が行われましたが、初期のキリスト教徒をライオンに食い殺させたり迫害も行われた場所です。なお2番目の写真の凱旋門はコンスタンティヌス帝が西暦315年にミルウィウス橋の戦いで勝利を得た時に立てられたもので、コロッセオより後です。

NHK杯戦囲碁 洪清泉3段 対 小林覚9段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が洪清泉3段、白番が小林覚9段の対戦です。布石は洪3段が高目と目外しという中央重視で、白は2連星で対抗しました。黒が下辺から左下隅にかかっていきましたが、白は一間に受けたのが最近では比較的珍しいように思います。黒はそれに対し左辺で一間受けの裾をうかがう置き碁の上手みたいな手を打ちました。白はこれに直接受けずに下辺でかかった黒を挟みました。黒が中央に飛んだのに白は今度は左辺を挟んでいって、ここから早くも中盤の競い合いが始まりました。数手進んで白は黒を包囲するカケを打ちましたが、黒はこの白に対し付け切りを敢行しました。この結果中央でお互いに眼がない石が競い合うことになりました。特に黒は左辺の石が切り離されて包囲されており、白から打てば眼がありませんでした。しかし黒はただ活きる手は選ばず、包囲している白を攻めようとしました。白は上下に弱石を抱えていましたが、まず上部の石を右上隅に食い込む形で活きました。ただそこで後手を引いたので、今度は下部の石が厳しく攻められました。この白は実際はかなり危なかったのですが、黒の攻め方に誤算があったのか、比較的あっさり白が活きてしまいました。これで白がかなりの優勢になりました。黒は左辺の石を今度は活きにいかねばならず、左下隅に侵入してしのぎを図りました。この結果左下隅を包囲している白の眼も怪しくなり、下辺で劫になりました。劫は白が勝って下辺で活きたのですが、代償で黒は左上隅を地にしました。この結果はかなり黒のプラスでしたが、全体の形勢はそれでも盤面で白がいいというものでした。結局黒が投了となりました。

NHK杯戦囲碁 今村俊也9段 対 山城宏9段 (4月29日放送分)

4月29日放送のNHK杯戦の囲碁(旅行中だったため録画で視聴)は、黒番が今村俊也9段、白番が山城宏9段の対戦。布石は黒が2連星、白が星と三々という昔の新布石時代を思わせるようなものでした。この碁の最初の焦点は、左上隅の白の星に黒がかかったのに白が手を抜いて右辺の開きを打ち、黒が左上隅を両ガカリしてという展開になった後、白が中央に顔を出し、二間に飛んでいた所を、黒は上辺から一間に中央に飛ぶ覗きを打ち、さらにその左下に割り込んでいって、強引に白を切断に行った手です。結果として黒は白の分断に成功しましたが、その後の展開は山城9段がうまく黒の攻撃をかわして打った感じで、黒の強攻策はやや空振りの印象が強いです。その後はあまり戦いらしい戦いもなく、地味なヨセ勝負になりました。白からすれば右上隅の黒をそのまま地にさせず、何か手を付けていきたかったように思います。その後白は下辺を渡る手を打って下辺に大きな地をつけましたが、その代わり黒も中央にそれなりの地が出来ました。また右下隅のヨセで、黒は右辺の白と下辺の白に対しての両方のヨセを打った感じとなり、おそらくここでポイントを挙げて黒のリードになったのではないかと思います。結果として黒の1目半勝ちでした。白はもう少し何かやりたかった感じです。