ミラノ(1)「最後の晩餐」と街並み

5月2日に訪れたミラノの街です。この街での目的は、
(1)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見ること。
(2)スカラ座でザンドナイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」を観ること。
の2つでした。
(1)は完全予約制で予約が無いと見せてくれません。私のは朝8:15からという予約で、朝食もそこそこに駆けつけました。これがその教会で、「最後の晩餐」はここの壁画として描かれています。
これが「最後の晩餐」です。かなりレタッチしてあります。現物はもっとぼんやりした感じです。(クリックで拡大します。)

何故か「グレートマジンガー」のDVDの広告がありました。そういえばイタリアではマジンガーZが人気があったということを聞いたことがあります。

フォロ・ロマーノ他

ローマでコロッセオの見学は普通に並ぶと2時間待ちという状態だったので、やむを得ず声をかけてきた有料ガイドの提案に乗って団体で入場しました。そのツアーにフォロ・ロマーノの見学もセットになっていたので、コロッセオに続けて見学しました。しかし英語によるガイドは、最初にローマの建国神話を紙芝居みたいなので説明してくれた後は、勝手に見てくれ、という感じで、どこに何があるのかさっぱり分からずに歩き回っていました。ちなみに、ローマの建国神話については、前に何かのオペラ(ディドーとエネアスとかトロイの人々とか多分その辺り)で観たので、説明されなくても知っていました。ちなみにイタリアの観光地にはどこも公衆トイレというものがほとんどなくて、ここでもトイレを探しにかなりの時間を要しました。

ローマでの駐車事情

これがローマでの普通の駐車風景です。ほとんどの道路で路駐されています。そして日本の感覚では信じられないくらい、前後の間隔がギリギリで場合によっては10cmもないです。良く言われるように前後の車に「ぶつけて」移動させて駐車スペースを作るというのは、私は目撃しませんでしたが事実のようです。ですが「ぶつけて」というのは誇張されていて、実際は「押して」ぐらいの感じみたいです。(かなりの速度でぶつけたら、ボディに歪みが入って走行に影響が出ると思います。)このために駐車中もギア(シフト)はニュートラル、サイドブレーキは引かないかあるいは引いてもごく軽くというのが暗黙の了解になっているみたいです。といってもそういうのはイタリアかフランスぐらいで、欧州のどこでもそうやって駐車している訳ではないと思います。私もイギリスで2回運転したことがありますが、そんな駐車の仕方は見ませんでしたし、借りたレンタカーの傷チェックはちゃんとありましたから、そういう駐車をやって傷を付けたらたとえバンパー部でも余分なお金を取られます。ローマの場合は、特殊事情で地下鉄が簡単に作れないのと同じ理由(そこら中で遺跡にぶつかるため)で、地下駐車場も作れません。なので路駐するしかない訳で、走る車はその路駐の車の間を縫うようにかなりの速度で走っていました。日本では駐車場で気になるのは前後のサイズより横幅で、私も前の5ナンバーの車から3ナンバーの今の車に変えた時にそこが一番気になりました。イタリアでは横幅より何より前後サイズで、ご覧のような2人乗りの車が多く見られます。

ヴェネツィアのアカデミア美術館

ヴェネツィアのドルソドゥーロ地区にあるアカデミア美術館の絵画です。ウッフィツィ美術館みたいに有名な絵が沢山ある訳ではなく、また規模もかなり小さく訪れる人も多くないですが、なかなか心に染み入るようないい宗教画があります。羽が付いたライオンは聖マルコの象徴=ヴェネツィアの象徴である架空の動物です。例によってテカっていたり、歪んでいたり、斜めに撮っていたりで補正するのが結構大変でした。(絵の写真はクリックで拡大します。)

ヤコベッロ・デル・フィオーレの「トリッティコ」


いわゆる「聖セバスティアノの殉教」の絵。

「洗足学園」という学校がありますが、イエスのこの行為から名前を取っています。

昔のヴェネツィアも今とほとんど変わらない感じですね。

Maestro di Ceneda の「聖母戴冠」

ジョバンニ・ベリーニの「聖会話」

この写真は大きな絵の一部。ギターと同じでリュートも膝を組んで演奏するんだなと思って感心して撮ったものです。

コロッセオ

ローマで最初に訪れたコロッセオです。西暦72年に作られたものですから、2000年近く経っていることになります。ガイドの説明によると、ローマのコンクリートは火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜて作られており、年月が経つほど強度が増すそうです。現在のコンクリートだとせいぜい100年ぐらいですから、信じがたい耐久性です。このコロッセオではグラディエーターの格闘が行われましたが、初期のキリスト教徒をライオンに食い殺させたり迫害も行われた場所です。なお2番目の写真の凱旋門はコンスタンティヌス帝が西暦315年にミルウィウス橋の戦いで勝利を得た時に立てられたもので、コロッセオより後です。