「原子力潜水艦シービュー号」の”…and the five of us are left”

「原子力潜水艦シービュー号」の”…and the five of us are left”を観ました。出ました、アーウィン・アレンの変な日本軍人がまた登場!今回も名前はナカムラです。
1945年の7月に、アメリカの潜水艦のTetraが日本の駆逐艦の爆雷攻撃でダメージを受け、行方不明になります。(どうでもいいけど、終戦の1ヵ月前にアメリカ軍の潜水艦を攻撃できる駆逐艦が日本に残っている筈はありません。もしあったとしても燃料がありません。更には制空権が完全にアメリカ軍で、その駆逐艦はどうやってアメリカ軍の潜水艦までたどり着けたのか。)その潜水艦には、どういう訳から分かりませんが、日本軍の中尉が一人乗っています。多分捕虜になったんでしょうが。しかも例によって英語ペラペラです。
それで戦争終結の28年後の1973年(放送当時の設定)になって、このTetraの乗務員が書いたメッセージの入った瓶がハワイに流れ着き、5人の乗務員が生き残っていることが判明します。それでシービュー号がその瓶が海に投下されたであろう火山島を探索に出かけ、ネルソン提督と新人のスキャナー担当の男がフライング・サブで火山島を探索に出かけ、海底の洞窟を見つけます。その中でフライング・サブは強い海流に引き込まれ、座礁します。フライング・サブが流れ着いた洞窟の奥で、ネルソン提督と新人は5人の生存者を発見します。その中の一人がナカムラで、彼はずっと日本が戦争に勝ち、日本軍が自分を探しに来る筈だと思って生きており(1945年7月の段階でまだ日本の勝利があると本気で思っている日本軍人がいたらかなりお目出度いと思いますが)、ネルソン提督達を見て愕然とします。そして腹いせに(?)フライング・サブを沈めてしまいます。
さらに変な話は、スキャナー担当の若者が突然5人の中の一人が自分の父親であると言い出し、Tetraの事故でその父親は1人生き残った者の嘘の証言のために「臆病者」のレッテルを貼られてしまい、その若者と母親は大変苦労し、母親は死んでしまったと言って、自分の父親を殴ります。しかし若者はネルソン提督に「臆病者が28年もここで生存し続けることが出来ると思うか」と説得します。
結局、行方不明のフライング・サブを追いかけて来たシービュー号が洞窟の途中まで入り、そこからボートを出して、火山の噴火が始まるギリギリで皆を救出します。
スキャナー担当の若者は自分の父親と和解しますが、ナカムラは自分には帰る所が無い、と嘆き、ネルソンが日本にはこんな詩があるだろう、と聞いたこともないような詩を語り、ナカムラが後を続けますが、それは花が散っても次の春にはまた咲くという内容でした、という話です。しかし、横井さんや小野田さんが発見されたのは1970年代で、この話はそれを予言していると言えなくもないです。

現時点の包丁と砥石のコレクション

ともかく、私の趣味の特徴は、「集める」ということです。使うとか使わないとかに関係なく、取り敢えず一式全部揃えたくなるのが私の性分です。和包丁の薄刃とか、洋包丁の牛刀27cmなんて一体いつ使うのか自分でも不思議です。
砥石も、荒砥が2種類、中砥3種、仕上げ砥5種、面直し4種です。後、砥面の微修正用の名倉(人造)が3種。その内天然砥石が3種。写真上の一番右は若狭の戸前、水浅葱というので、これが一番高価です。

養殖の肥満児鯛を捌く

魚を裁く練習のため、豊洲市場の通販で養殖のタイを注文したら、ご覧のような肥満児タイが来ました。取り敢えず半身を刺身にしました。サクをきれいに揃えられなくて見た眼はかなりイマイチですが、まあ久しぶりにやったにしては包丁の切れ味のお陰でそこそこ出来たかな、と。
残りの半身は塩焼きに、頭は吸い物にする予定です。

「原子力潜水艦シービュー号」の”Time Bomb”

「原子力潜水艦シービュー号」の”Time Bomb”を観ました。第2シーズンの第2話ですが、この話で初めて新しいメカである「フライング・サブ」が登場します。第1シーズンのミニサブは単に小さな潜水艦でしかも防水シールドされておらず乗組員はウェットスーツを着けて乗り込まないといけないものでした。それに比べて「フライング・サブ」は気密性があるので、ノーマルスーツで乗り込めますし、何より潜水艦としてだけではなく海面から発進して空中を飛べるという優れものです。しかし海面から飛び上がるシーンはかなりヨタヨタしていますが…またシービュー号の全面のガラス(ハーキュレース)は第1シーズンでは2段になっていましたが、この回から1段に変わります。ちなみにフライング・サブがどうやってシービュー号に搭載されるようになったかの説明はまるでありません。
ちなみに第2シーズンからはシービュー号のクルーにも新顔が2人加わっており、こちらは第1話で既に登場していました。
で今回のお話なのですが、何というか二流の007としかいいようのないスパイ物です。007の「ドクター・ノオ」が公開されたのが1962年で、この第2シーズンは1965年で、スパイブームのまっただ中です。ミニサブ自体がボンドカーのような乗り物の影響を受けていると思われますし、また何故かかなり年配の筈のネルソン提督がスパイ役として、黒海の畔の都市にあるソ連の核兵器の製造基地に乗り込みます。笑っちゃうのが、ネルソン提督が出発する前に、色々な「秘密兵器」の説明を受けることで、007そのままです。しかもその説明をするのがタイム・トンネルで老博士スウェインを演じていた役者で、「原子力潜水艦シービュー号」では2度目の登場です。ネルソン提督はジェームズ・ボンドばりに味方のエージェント(女性)と濡れ場まで演じます。でそのエージェントがダブル・エージェントであり、実は最初からソ連の罠で、ネルソン提督はアメリカで水鉄砲に似せた特殊が銃で体内に特殊なセシウムを注射されており、核反応炉にネルソン提督が近づくと核爆発を起こし、それがアメリカの攻撃だという口実にしようとする陰謀です。それでネルソン提督を止めるために、クレーン艦長もカメラマンに化けてスパイ活動を行います。
何だか先が思いやられる第2シーズンです。

「原子力潜水艦シービュー号」の”Jonah and the whale”

「原子力潜水艦シービュー号」の”Jonah and the whale”を観ました。この話から第2シーズンとなり、カラーになります。ソ連の海底研究所が大クジラに襲われ破壊されます。それを設計したロシア人女性博士が、シービュー号から潜水球(ダイビングベル)を降ろして破壊の跡を調査しようとします。(何故アメリカとソ連が仲良く協力しているのかの理由は不明です。)しかし最初の調査で潜水球がまたもクジラに襲われ乗っていた人は死にます。それで次はロシア人女性科学者とネルソン提督が潜水球で調査に向かいますが、こちらもクジラに襲われ、クジラに潜水球が飲み込まれてしまいます。後はシービュー号のクレーン艦長以下が如何にこの潜水球を救助するかというだけの話です。タイトルは旧約聖書の「ヨナ記」に基づいています。この旧約聖書ではヨナは大きな魚に飲み込まれ、その腹の中で3日を過ごします。ともかくクジラの体内の特撮がちゃちでビニールとかを使っているのが丸わかりでアーウィン・アレンらしい安っぽさです。

NHK杯戦囲碁 高尾紳路9段 対 小林覚9段

本日の(正確には昨日の)NHK杯戦の囲碁は黒番が高尾紳路9段、白番が小林覚9段の実力者同士の対局です。布石は右上隅でナダレもどきになり、左上隅でも白が黒にカケを打ったので、黒は両方で3線を這った形になり、白が中央に向かって厚くなりました。白が左辺を大きく模様にしたのに黒は低く打ち込み、ここで劫になりました。しかし黒は左辺を活きに行こうとはせず、軽く捨てて、その替わり下辺の白を切り離しこれへの攻めを見ました。白は右下隅でも左辺から一本かかったきりになっており、黒は下辺を攻めるとみせてこちらも狙っていました。白はそれを察知しまず右辺から動き下辺とは連絡したふりをしているという感じでした。黒はその2つを切りにいきましたが、白は右下隅にすべって眼形を確保しにいきました。黒はすぐその石を切り離しに行きました。白は右下隅で実利を得ましたが、中央と下辺と弱い石が2つ出来ました。中央を捨てるかと思いきや、中央の白を動き出し、右辺の黒にプレッシャーを与えました。この結果右辺に石が来たので、右上隅に切りが成立するようになり、実利で得をしました。その後白が上辺に打ち込み結局右上隅の黒を取りましたが、黒も代償で中央の白を取り、この辺り互角でしたが、やや白がリードかという形勢でした。その後左上隅で大きな劫になり、黒が勝って若干得をしましたが、まだ白が少し厚い形勢でした。黒は挽回しようと左辺で更に劫を仕掛けましたが、この劫は白が勝ち、黒は2目ほど損をしました。結局白の4目半勝ちとなりました。プロらしい、お互いに捨て石を駆使した面白い対局でした。

Cell phones and social etiquette

The following essay is what I wrote as an assignment of an English school AEON.

Topic: Cell phones and social etiquette
Style: Formal
Among many alleged manners for cell phones or smartphones, the most vocal one in these days might be “do not use your cellphone/smartphone while you are walking on the street”. It is absolutely true that looking at the screen of a cellphone/smartphone during your walk is quite dangerous not only for you, but also for others whom you may jostle. Some of smartphone applications, however, require users to watch the screen while they are walking. The most typical one is Google Map. Many people (including myself) use the app to find destinations when they are lost in unfamiliar areas. Some may argue that we should use the “vocal guidance” function so that we do not need to look at the screen. For many others, however, it is inevitable to look at the screen even with some vocal guidance since the app is named “map”. And a map is to look at while we are walking. In the past, when we had no cellphone/smartphone, nobody said that we should not look at a paper map while we were walking. The difference between the old information system and the new one is, just the number of people who use it. People did not always have maps in the past, but now most of them have smartphones and they use them almost all the time while they are awake.
From this example, we can argue that we should think more how to solve the addiction to smartphone than to expect good manners for smartphones. For many young people, the first thing to see in the morning after they woke up and the last thing to see before they fell asleep are the same thing, their smartphones. When I travelled in China in last September, what shook me most was the fact that many young engineers with whom I had a lunch one day started to check their smartphones as soon as they finished eating. At this point of change in personal behavior, we should intensively study potentially negative impacts to human health for both body and mind.
As a conclusion, smartphone addiction is quite a serious problem and to consider good smartphone etiquettes is quite useless without thinking of possible solutions for this addiction.

究極の果物剥きを求めて

究極の(?)果物剥きを求めて。元々毎日包丁を使っているのは、リンゴ、梨、柿といった果物剥きのためでした。一番左のヘンケルの比較的安価な三徳包丁を使っていましたが、研ぎ技術がアップして切れ味が良くなると、もっと他の包丁を試してみたくなりました。左から2番目がより大形の三徳包丁ですが、これは明らかに失敗で、刃厚がありすぎて食いつきが悪く、ある一定の力以上になるとすっと切れるので、危ないです。実際指を切りました。次が日本の伝統である、小形の薄刃の皮むき包丁(両刃)です。これは刃の全体を使えるので、確かに柿などの皮を剥くのには最適ですが、如何せん刃の長さが短かすぎてリンゴを割ったりするのには不向きです。次にそれより長いペティナイフです。よくあるペナペナしたのではなく、硬めのものです。これも悪くないんですが、刃の幅が狭いと、意外と剥きにくい感じです。それで結局三徳包丁に戻って来て、元々使っていたヘンケルの17cmよりちょっと短い15cmのに落ち着きました。和食での包丁の使い方の基本は桂剥きだそうですが、西洋包丁を使っていても皮剥きは基本中の基本のように思います。

和包丁(片刃包丁)の「裏押し」のコツ

小出刃も買いました。それで懸案の「裏押し」(和包丁の裏は中スキといって中央部を削いであって、平面に置いて横から見ると、2点接触状態になっています。裏押しはこの点で接触している部分を削って置いた面と平行な平面を作って、表の刃に対する基準面を作る作業です。)に再チャレンジしました。今度はうまくいったんじゃないかと思います。コツは、

(1)1000番の中砥を使い、まず準備として表面を完全に近い平面にすること。私は、ツボ万 アトマエコノミーというアルミ板にダイヤモンドペーパーを貼り合わせたものを面直しに使っています。要するに平面を出す作業なんで、砥石の方が平面でないと包丁も平面になりません。
(2)包丁を裏を砥石に当て、刃がある側を前面にします。包丁は砥石に対し直角にセット。
(3)研ぐ方向は刃がある側に向けて押して研ぎます。引いてはいけません。
(4)指で押すのは若干刃のある側により力を入れる。峰側に力を入れると刃先にうまく平面がつきません。
(5)場所を変えて研ぎますが、各回、4~5回で十分で、研ぎすぎは禁物。研いだ後、光っている場所が数mmあれば十分です。
(4)中砥の作業が終わったら、仕上げ砥に変えて、出来た平面を鏡面に仕上げます。

なお、刃先に関しては鏡面になっている部分が大きくなりますが、これは刃先にRがついているせいで、正常なので気にする必要はないです。

一回裏押しの作業が終わったら、以降は中砥では研がず、仕上げ砥のみを使って軽く研ぐだけにします。

参考文献:柴田書店 SHIBATA BOOKS 「包丁と砥石」
包丁の研ぎ方の本は4冊くらい読みましたが、この本が一番お勧めです。

広中一成の「牟田口廉也 『愚将』はいかにして生み出されたのか」

広中一成の「牟田口廉也 『愚将』はいかにして生み出されたのか」を読みました。読んで内容にかなり疑問を持ちました。サブタイトルの意味は、「牟田口廉也の『愚将』ぶりは、個人の才覚というより陸軍の構造的問題が生み出したもの」という所に留まらず、「実は言われている程牟田口廉也は愚将ではない」とまで言いたいように見えます。牟田口並みの「愚将」が陸軍にゴロゴロいたのはそれは事実でしょうが、それをもってして牟田口の「愚かさ」は弁護できないと思います。
(1)一番強硬にインパール作戦を主張したのは牟田口で、彼がいなかったら実行されなかった可能性が高い。
(2)無謀極まりない作戦でありながら「これ以上確実な戦いはない」などと非合理きわまりないことを主張した。
(3)実際にはまったく機能しなかった「ジンギスカン作戦」の失敗が明らかになっても、次の手を打たず、「敵の食料を奪取せよ」と無茶苦茶な命令を出し続け、兵士を餓死に追い込んだ。
(4)何かと言うと部下を更迭した。
(5)きわめて極端な精神主義で戦いは勝てると主張した。
等々を考えると、牟田口を「愚将」とするのに十二分な理由があると思います。
しかもこの本は、インパール作戦を巡る命令体系については詳しく書きますが、インパール作戦に参加した兵士の悲惨さについてはあまり書いていません。全部で9万人が参加し、生きて帰ってこれたのはわずか1万人程度、という太平洋戦争で最悪の結果を引き起こしたということがあまり書かれていません。
また、牟田口の上官がインパール作戦を止めなかったから、牟田口だけの責任ではないのだ、という理屈は丸山眞男の「無責任の体系」そのものです。
結論として、この本をもってして従来の「牟田口=愚将」という見方が覆ることはないでしょうし、またあってはならないと思います。