平凡社の白井喬二全集の第15巻の「随筆感想集」の収録内容

平凡社の白井喬二全集の第15巻の「随筆感想集」の収録内容です。
いくつかの随筆、「朝日ヶ丘より」シリーズなどは、「大衆文藝」に載ったものだと思います。

カミソリ
私はこんな問題を喜ぶ
社会政策的史実に面して
学友変化
作者の言葉
統計抄
怪奇雑嚢中より
芸道怪奇蔵
秋の感想
作者の言葉
「富士に立つ影」の上演について
さい作りの話
座談二題
動かざる映画
カンヅメ
「新撰組」を終えて
即興死
映画身辺語
作者の言葉
「大衆文藝」宣言文
大衆作寸言
現在の「大衆文藝」
独楽の話
小説義塾
生田氏夫人の追悼文
感覚二題
探偵創作文章寸見
キジ
文藝予約的修行
今昔虚無入門
有島武郎氏追悼
大衆文藝と現実暴露の歓喜
映画疑問読本
朝日ヶ丘より その一
電碁戦後日
朝日ヶ丘より その二
電車太公望
朝日ヶ丘より その三
作者の言葉
紙城
朝日ヶ丘より その四
澤田撫松氏を悼む
大衆文藝の話
川柳選評
人口問題と文学
味覚直覚先生
女性の誘惑を克服する練習
海の色
戊辰初感
学究に非ず実行なり
我が民衆文学論
教育所感
作者より読者諸賢へ
読者と幼時の友を懐ふ
鎌倉日記
作者の言葉
無題(百字文)
読書は学に非ず(百字文)
感想二三
國史挿話全集序文
國史挿話全集月報随感集
いろいろ近況を語る
小我を没するの境地
プロレタリア大衆文藝の将来
怪奇と近代味
日常茶飯語
小説と歴史の区別
趣味の歴史挿話
朝日ヶ丘より
少年春月の思ひ出
実話の罐詰
掌篇フースーヒー
中国山脈と突破先生
文楽絶賛
大衆文藝論は複雑な文藝論であらねばならぬ
軟式野球観戦記
考證一夕話
幸吉君の印象
新緑近きに語る
考證の屑籠
回答一束

平凡社の白井喬二全集の第5巻の「中篇集」の内容

平凡社の白井喬二全集の第5巻の「中篇集」の内容が国会図書館での調査で判明しました。
収録作品は以下の通りです。

沈鐘と佳人     1927年03月サンデー毎日
明治の白影     1930年10月週刊朝日
葉月の殺陣     1929年09月講談倶楽部
湖上の武人     1927年03月~05月文芸倶楽部
第二の巌窟     1927年07月週刊朝日
おぼろ侠談     1930年05月文芸倶楽部
幽閉記       1930年07~09月日曜報知
金襴戦       1925年01~12月婦人公論
江戸市民の夢    1928年02月~12月文芸倶楽部

中里介山の「大菩薩峠」第1巻

中里介山の「大菩薩峠」全20巻の内の第1巻を読了。ついにこの未完の大作に再挑戦することにしました。20代の終わりの頃一度読みましたが、10巻くらいで挫折。理由はその辺りになると時間の流れがほとんど停滞してしまいお話が進まなくなり読み進める気力をなくしたからでした。今回は何とか最後まで行ければいいと思いますが、さてどうなるか。
途中からだれるこの小説ですが、出だしはこの上なく魅力的です。まず題名にもある大菩薩峠で、巡礼の老人が主人公である机龍之助に一刀の下に斬られます。何故龍之助は老巡礼を斬ったのか、このことに何の説明もなく、読者は龍之助の冷酷無残な性格について強烈に印象づけられます。
後の巻になって盲目となった龍之助は夜な夜な辻斬りに出かける悪鬼羅刹のような殺人鬼に成り果てるのですが、この巻での龍之助はまだ多少人間的で、自分が試合で打ち殺した宇都木文之丞の妻であったお浜を自分の妻として、子供まで設けます。また大和の国三輪で世話になった植田丹後守には、父親であった弾正を思い出して神妙に仕えたりします。
表紙の写真のようにこの小説は5回も映画化されていますが、映画が扱っているのは最初の方だけです。この辺りは「富士に立つ影」と事情は同じです。

白井喬二の「守綱雨」

白井喬二の「守綱雨」を読了。読切倶楽部の昭和29年2月特別増大号に掲載されたもの。7年前、富裕の郷士の山田家に養子に来た守綱は、ある日親族が集まって何やら打合せをしているのを、てっきり自分を離別する相談だと思い、びくびくしていました。その打合せに呼び出されて話を聞けば、守綱の女房のおたき、の母親が二十年前に夫を裏切って間男と駆け落ちし、それだけならまだしもその間男は結局その母親を殺してしまったということです。そしてその男が何故か近くに戻って来ているので、守綱に敵を討って欲しい、という相談でした。離別の話でないことに喜んだ守綱はすぐに敵討ちを引き受けます。ところが敵討ちを準備している時に、突然その間男が守綱の元に何やら相談に来て…という話です。この先は省略しますが、話としてはきちんと決着していませんが、主人公である守綱が何やら感慨にふける、という白井喬二の良くあるパターンの話になります。あまり出来がいい作品とは思いません。

池田浩士の「大衆小説の世界と反世界」

池田浩士の「大衆小説の世界と反世界」を斜め読みで読了。筆者はこの本が書かれた1983年当時京都大学教養学部勤務で、ルカーチの著作の訳者。私にとって興味がある、白井喬二、国枝史郎、そして雑誌「新青年」関係の所を中心に読み、後は飛ばし読みです。白井喬二については、デビュー作の「怪建築十二段返し」の終わり方が、講談の終わり方をそのまま真似しているなど、いくつか私には新しい指摘がありましたが、総じて白井の作品をあまり読んでいないのが明らかでした。例えば平凡社の現代大衆文学全集の第1巻の白井の巻に収められている「新撰組」以外の作品は、白井の創作ではなく、近松門左衛門や竹田出雲の現代語訳(白井喬二が作家デビュー前の学生時代にアルバイトとしてやったもの)に過ぎないのですが、それすらわかっていないようです。
「新青年」については読者参加を中心に色々と新しい試みをしていたということをこの本で知りました。読者から小説を募集するのはもちろんのこと、複数の作家でリレーで作品を書いていったり、あるいは複数作家で最初から最後まで一本の小説を書いたりとかしていました。またある作家が連載途中で死亡してしまった後、読者からその続きを募集していたりしたことを初めて知りました。