獅子文六の「自由学校」

獅子文六の「自由学校」を読了。この作品、中学生の時に一回読んでいる筈なのですが、内容をまったく覚えていませんでした。家に「昭和文学全集」みたいなのがあって、その中に「獅子文六」の巻があり、確かに「自由学校」が入っていたと記憶しているんですが…
昭和25年に朝日新聞に連載されたもので、連載中から話題の大人気作になり、昭和26年になんと松竹と大映の競作という形で同時に映画化され、それが5月連休に封切られて大当たりしたことから、「ゴールデンウィーク」という呼び方がこの時初めて生まれます。また、中に神楽囃子が出てきます。そのリズムの表現として「テンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤ」という描写が出てきますが、この擬音語を矢代秋雄が自作の交響曲の第二楽章で、八分の六拍子+八分の二拍子+八分の六拍子という変拍子として使います。この交響曲のCDはNaxosから出ていて所有しています。他にも色々エピソードがあって、「とんでもハップン」という言い方は、獅子文六がこの小説で使って有名にした表現です。
お話しは、生活能力の優れた駒子と、育ちは良くて巨体だけどぐうたらな五百助の夫婦が、いつの間にか勝手に職場を辞めていた五百助に駒子が「出て行け」と怒鳴り、五百助がはいそうですか、と家出する場面から始まります。一人になった駒子には、三人の男が言い寄ってきます。一方、ほぼルンペンにまで落ちぶれた五百助ですが、意外とたくましく暮らしていき、橋の下に住みながら結構裕福な暮らしを送ります。色々あって、結局この二人は獅子文六らしく元の鞘に収まるのですが、その収まり方がまたとても現代的です。五百助がお茶の水の橋の下に暮らすというのは、獅子文六が戦後実際にそういう人達を自宅から観察していたことが、「娘と私」に出てきました。
戦後、「自由」というものが外から与えられたものとして日本に入ってきて、それによって日本人の色んな人が翻弄される様子を面白可笑しく書いている作品です。

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」を読了。「わかる本」となっていますが、この本を一冊読んだ後も、冠詞についてわかるようにはなりませんでした。むしろ、ますます混乱が拡がったような。何故ならば、この本は最新の英文のコーパスに基づいて、「一般的には~だけど、コーパスでは~という言い方も多くされている」といった例がたくさん示されていて、元々例外だらけだった冠詞についての文法規則が、さらに例外を認める方向に拡大している、ということがわかるからです。ただ、一つ役に立ちそうなのは、特に商用の文(コピーなど)については、冠詞はどんどん省略される方向に向かっていることがわかったことでした。Amazonで、もう一冊冠詞に関する本を注文しました。

NHK杯戦囲碁 蘇耀国9段 対 趙治勲名誉名人

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が蘇耀国9段、白が趙治勲名誉名人の好カード。この対局のポイントは左辺の攻防で、白が黒の4子を取り、更に残りの左辺の黒も取り切り、代償として黒が中央に鉄壁の厚みを築いて、白が下辺と右辺にかけてどの位黒地を減らせるのかのしのぎ勝負かと思われていました。しかし黒の蘇9段は左辺に手をつけていき、ここは白が正しく受ければ取られていた黒の半分を連れ戻すヨセの手が残った程度でした。しかし白の趙名誉名人は受けを間違え、結果としては黒の先手ゼキになり、黒は先手で取られていた石を全部生還させるという大きな戦果を挙げ、ここで勝負は決まってしまいました。その後白は右下隅に手をつけていき、黒の対応がまずかったせいもあって一定の戦果を挙げましたが、それまでの損を挽回することはできず、終わってみれば黒の4目半勝ちでした。

ルパート・サンダースの「ゴースト・イン・ザ・シェル」

「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観てきました。原作の「攻殻機動隊」はコミックもアニメも一切観ていません。映画としては、ストーリーはありがちな展開で結末が簡単に予測できる感じであまり感心しませんでした。ただ映像は楽しめて、特に香港のちょっと未来という感じが非常に良く出来ていて、怪しげな3Dホログラム広告が実に香港ぽかったです。またミラ少佐が芸者ロボットの中にダイブする場面が、子供の時良く見ていた夢の感覚に似ていて懐かしい感じがしました。後は「映画は女優で観る」(by 小林信彦)で、やはりスカーレット・ヨハンソンがとても良かったです。ビートたけしは、久しぶりに観て、かなり老けたという感じでした。

ユリウス・パツァークの「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」

ユリウス・パツァークのシューベルトの「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」のカップリングのCDを海外から取り寄せて聴きました。ユリウス・パツァークというテノール歌手は、日本のクラシックファンには、ほとんど一枚のレコード(またはCD)にて記憶されています。それは、ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルで、1952年に録音されたマーラーの「大地の歌」で、パツァークはキャスリーン・フェリアーと一緒に歌っています。この盤は現在でもこの曲のベスト1の録音と言われています。この曲のLPには音楽評論家の宇野功芳が解説を書いていて、パツァークについては「ドイツリートなども録音しているが、あまり声量がなく大した歌手ではないが、たまたまその声量と声質が『大地の歌』(中国の漢詩の世界を西洋人が誤解して、「生は暗く、死もまた暗い」のような厭世的な歌詞がたくさん出てきます)にはぴったり合ってこれ以上ないような名唱になった。」などと言ったことを書いていました。最初に「冬の旅」の方から聞いて、確かに声量がなく、息が浅く、素人みたいな歌い方と思いました。しかし、「美しき水車小屋の娘」の方を聴いてみたら、そういう評価はまったく覆り、声量も十分で、堂々の大歌手の歌い方でした。調べて見たら、「美しき水車小屋の娘」が録音されたのが1943年でパツァークは45歳、「大地の歌」の時は54歳、そして「冬の旅」に至っては1964年で66歳です。「大地の歌」と「冬の旅」での声量の衰えは加齢によるもので、若い頃は立派な歌手だったことがわかりました。やはり人の言うことを鵜呑みにしないで、自分で実際に確かめてみることが大事と改めてわかりました。