獅子文六の「ちんちん電車」を読了。昭和41年に週刊朝日に連載されたエッセイ。幼少の頃から都電(市電)を利用し続けてそれに慣れ親しんでいた獅子文六が、73歳になって当時もう増え続ける自動車に邪魔者扱いにされていて、やがて消えゆく運命だった都電に乗って、自分と都電(市電)との関わりを回想したもの。品川から始まって上野、浅草へと行く幹線に乗っています。出だしで泉岳寺-札の辻が出てくるのが個人的にちょっと懐かしいです。というのは最初に勤めた会社が、勤めて9年目ぐらいに新宿から芝浦に引っ越し、ちょっと歩くと札の辻辺りに出たからです。グルメの獅子文六だけあって、沿線の食べ物屋の記載が詳しく、今はもう無くなった店も多いですが、今でも残っている店もあり、東京の老舗ガイドみたいに読めなくもありません。
個人的な市街電車との関わりは、生まれ育った下関には、私が10歳になる頃まで市街電車があり、通った幼稚園のあった新町四丁目の交差点を唐戸方面と東駅方面を結ぶ電車が走っていたのを記憶しています。高校に入って暮らした鹿児島市には市街電車があり、これは今でも残っています。高校のあった谷山は鹿児島市の南の外れで、天文館のような繁華街に出るには高校生ですからタクシーは使えず、もっぱら電車でした。30分くらいかかったと思います。当時の高校の教育で、電車の中では座ることを禁じられていました。後は大学に入って最初に暮らしたのが豊島区の雑司が谷で、ここには都電荒川線が走っており、今でもそうです。ただ乗ったのは数回です。小林信彦の「路面電車」という作品は、親子でこの荒川線に乗りに行く話です。
今でも市街電車が残っている都市は、日本では上述の鹿児島市や広島市、富山市などが頭に浮かびます。スピードはあまり出ませんが、CO2も出さないエコな乗り物なので、悪くないと思います。海外出張した先ではスイスのジュネーブやドイツのミュンヘンに市街電車(トラム)がありました。
獅子文六の「ちんちん電車」
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