これ誰だっけ?

何となく森山加代子の「白い蝶のサンバ」が聴きたくなって買ったのがこのCD。左上はヒデとロザンナ、右上はいしだあゆみで、それはすぐ分ったのですが、左下と右下が誰だっけ?状態。Googleの画像検索で調べて、左下が平山三紀、右下が辺見マリでした。何となく髪型が時代を感じさせます。今の感覚だとちょっと重い感じ。「白い蝶のサンバ」の作詞が阿久悠だというのを初めて知りました。阿久悠の最初の大ヒット曲みたいです。それから、この頃の女性歌手の歌には、女性が男性に一方的に尽くすといった内容が多いと思います。これも時代ですね。

ヴェーバーの「中世合名会社史」、英訳も全集版の注釈も問題…

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳、またも英訳の明らかな間違いと同じ箇所での全集の注釈が適当な所を見つけてしまいました。英訳者の訳し方が表面的であることは既に分ってきたので今さらですが、全集版の注釈は本来ドイツの学界の全力を挙げてこれを出した筈(2004年にシュルフター教授からもらったメールには「歴史的な史料批判が加えられたマックス・ヴェーバーの全著作が、批判に対する反批判の注釈付きで、もうすぐ出版される」とありました。)なので、困ったもんです。少なくとも3万円を超える価格(この巻は送料含めずに€259です。私が買っているのは全て自腹です。)に見合った研究レベルではないと思います。ラテン語の引用の綴りの間違いとかは非常に沢山注が付いていますが、肝心な内容の理解に関する注が突っ込み不足です。ランゴバルド法のmetaの解釈もおかしかったですし。

コロナ接触確認アプリの惨状(第2アベノマスク)


この記事(週刊文春、「メンタルが破綻」 コロナ接触確認アプリ不具合の裏に安倍政権の”無理な発注”)を読んで暗澹としました。まるっきりアベノマスクと同じ、いやお金をきちんと払わないで安直にやっているだけアベノマスクより悪いです。
この接触アプリの開発の件、良く考えると本当におかしいです。

1)そんなに重要なアプリが何故無償のボランティア開発者1人+少数の協力者任せなのか。アベノマスクに100億円以上かけておいて、何故ソフトウェアにはきちんとお金を出さないのか。通常IT外注の1人月の相場は80万円~120万円くらい(IBMとかは除く)だと思いますが、仮に30人月かかっても最高で3600万円です。そんなの安倍首相のポケットマネーでも出せるでしょう。私は昔からLinuxをサーバーに使っているのでオープンソースは良く知っているつもりですが、こういう最低でも何百万もの人が使うアプリに責任の所在が不明なオープンソースは合わないと思いまし、また公開したアプリのバグ出しと改修には通常最低でも半年はかかると思います。
2)個人のプライバシーに深く関係するアプリなのに、使う人への説明もほとんど無く、また法的な検討もほとんどされていない。
3)きちんとした検証期間が当初から盛り込まれていない。
4)国民の6割が使わないと十分な効果が出ないと言いながら、どうやってそれを実現するかの計画がまったく無い。

アベノマスクも物を作ることに関わったことの無いド素人が仕切った結果の惨事でしたが、これもソフトウェアの開発がどういうことであるのか、どういうプロセスが必要なのかまったく知識が無い官僚が仕切った結果でしょう。一番問題なのは政治家なのに政策のド素人である安倍晋三首相ですが。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第34回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第34回目を公開しました。これで全体の70%を訳し終わりました。最近は順調です。今訳している部分はラテン語が出てきても断片的なものが多いので、それほど時間がかかりません。
なお、英訳の誤りと思われるものを別のポストで指摘しましたが、私の解釈で前後はきちんとつながりますので、やはり誤訳だと思います。訳者にメールしましたが、今の所返事はありません。

古関正裕の「君はるか 古関裕而と金子の恋」

古関正裕(古関裕而の息子さん)の「君はるか 古関裕而と金子の恋」を読了しました。読んでる途中は飛び交うキスマーク、ハートマークに当てられて中々独り者には辛い部分はありましたが、通して読んで二人の本当に真剣な恋に感銘を受けました。なお、現在残っている手紙は古関裕而が保管していたもので、奥さんが保管していたものは夫婦喧嘩の時に全部燃やしてしまったみたいです。この鴛鴦夫婦がどうしてそんな大げんかしたのかにちょっと興味がありますが。二人の恋は、昔のことで郵便によるというのがある意味丁度いいペースを保つのに成功したんじゃないでしょうか。今みたいにメールとかLINEでやりとりしていたとしたら、盛り上がるのも速いですが、醒めるのもまた速いのではないかと。ともかく二人で何百通もの手紙を交換しただけで、一度も直接会うこと無しに、ただ写真の交換ぐらいで二人は結婚を決意します。前に調べたことがありますが、確かこの頃の見合い結婚の比率は8割くらいあった筈です。そんな時代によくもこんなピュア100%の恋愛を貫いて結婚までにこぎつけたものだと感心します。
なお、ちょっと収穫だったのが山田耕筰が古関裕而のことを天才だと評価していたということで、だからこそコロンビアの専属作曲家という生計の道をわざわざ用意してあげたんだと思います。セクハラ親父で晩年は特に悪名の高い山田耕筰ですが、この点に関しては一人の貴重な才能を世に出したということで高く評価されるべきと思います。
それから残念なのが、手紙の中に出て来る古関裕而が心血を注いで完成させた5台のピアノのための協奏曲他の楽譜が失われて聴くことが出来ないことです。これは本当に残念です。

マイナポイントの申し込み

マイナポイントをスマホのお財布ケータイのEdyで登録しようとして、悪戦苦闘。初日のPCからの登録ではID番号とセキュリティ番号を入れろというので、スマホのEdyにはどこを探してもそんなの無いので、別にRakutenポイントカードを申し込みました。しかし7月3日になってスマホのEdyにマイナポイント登録メニューが出てきたので、そこから登録しようとしました。そうしたら今度はマイナンバーカードのスマホでの読み取りが上手くいかず悪戦苦闘。SONYの機種は機種毎にカードを当てる場所がてんでバラバラで違います。結局スマホのカバーを付けた状態では上手くいかないことが分って、カバーを外してやってやっと何とか登録完了。しかしポイントが反映されるのは10月10日以降でまだ先の話。別に申し込んだRakutenポイントカードは無駄でした。しかしこんなの普通の高齢者には絶対無理だと思うけど。

NHK杯戦囲碁 鈴木歩女流棋聖 対 安斎伸彰7段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が鈴木歩女流棋聖、白番が安斎伸彰7段の戦いです。序盤は左上隅で黒の三々入りに、白が応対の途中で右下隅の小目に付けていったのが研究済みなのでしょうが面白く、これがシチョウアタリになって左上隅で黒1子をシチョウに取り、全体に黒の実利、白の厚みという展開になりました。この碁の焦点は右辺の攻防で、白が黒のシチョウアタリに天元の左斜め上に打った手がちょっとAI風でしたが、右辺の打ち込みに役立ちました。黒は右辺で白が三間に開いて右上隅の黒に迫ったのに、逆にその真ん中に打ち込み、のっぴきならない戦いになりました。しかし一段落した結果は白が右辺で黒3子を取り込んで20目以上の地を持って治まり、対して黒が得たのは上辺の白地を少し食い破っただけで、右上隅の黒の一段はまだ治まっておらず、ここで白が優勢になりました。白はその後も左辺を大きくまとめ、黒は下辺の白地を少し減らしたぐらいで白の優勢は変わりませんでした。最後に左下隅で劫が発生して一瞬事件起こる起きたかと思いましたが、白が若干譲歩して手厚くまとめ、白の中押し勝ちになりました。

古関裕而とアイヌ

古関裕而のリンクについて落ち穂拾い。

古関裕而とアイヌ

菊田一夫が台本を書き、古関裕而が音楽を担当した「君の名は」の映画版の第2部は、ようやく氏家真知子に巡り会った後宮春樹が、真知子が既に誰かと結婚してその子を宿していることを知り、傷心して北海道に渡ります。そこでアイヌの娘であるユミと出会い、ユミは春樹を好きになって…というストーリーです。

このユミの歌が「黒百合の歌」です。
 
織井茂子「黒百合の歌」
 
古関裕而の曲らしく、何度も聴くと本当に病みつきになるような曲で、エキゾチズムあふれる名曲です。
しかし、菊田一夫の詞と映画のストーリーはある意味アイヌに対する偏見にも満ちていて、日本人の真知子が大人しく内気で、アイヌのユミが大胆で積極的に春樹への愛を告白するようなタイプに描かれていますが、これはビゼーの「カルメン」と同じで、異民族の女性が(性的にだらしなく)積極的に男性にアプローチするというある意味典型的な偏見です。(カルメンはジプシー=ロマです。)なお歌詞の中に出て来る「ニシパ」はアイヌ語で「旦那さん、お兄さん」といった意味。
 
伊藤久男「イヨマンテ(熊祭)の夜」
 
これまで敢えてリンク集で紹介していませんが、古関裕而の曲の中ではベスト5に入れてもおかしくない名曲で、歌謡曲というよりオペラアリアという感じです。また伊藤久男(「エール」の佐藤久志=プリンスのモデル)の代表曲です。
イヨマンテは確かにアイヌの熊祭ですが、この曲は元は「鐘の鳴る丘」で木こり達が木を切りながらハミングで(歌詞無しで)歌うものでした。それを歌いにくいのでということで伊藤久男が菊田一夫に詞を付けて欲しいと頼んで、1年くらい経ってやっと作詞されたのがこの曲です。その頃菊田一夫がアイヌ文化にはまっていたため、イヨマンテが採用されたのですが、古関裕而が「アイヌの何かはどうですか」と菊田一夫に勧めたという情報もあります。曲自体は名曲でも歌詞は色々問題で、イヨマンテの祭は昼間に行うものでかがり火を焚いて夜にやったりしないとか、あまり正確な描写ではありません。なお、この曲はコロンビアから発売された時に当時のコロンビアの文芸部長が「こんな曲は売れない」と断言して、まったく宣伝もしなかったのに、伊藤久男が意地になってあちこちで歌い、やがて歌に自信がある人がNHKののど自慢で歌い始め、発売の年にのど自慢で一番多く歌われたのがこの曲だそうです。
 
ちなみに、チュプチセコル(江戸時代のアイヌ語を考える会会長)という方が、上記2つと映画「モスラ」に出て来るやはり古関裕而が作曲した「モスラの歌」のリズムがまったく同じであることを指摘しています。
 
ザ・ピーナッツ「モスラの歌」
 
古関裕而が「モスラ」の音楽に採用されたのは、おそらく古関が戦争中に慰問兼現地の民謡の蒐集ということで東南アジアを3回くらい訪問しているので、その経験を重視したのではないかと思います。ちなみに「モスラ」の最初の映画は、インドネシアのインファント島という架空の島で、現地の人を日本人俳優が顔を黒塗りして演じて、ほとんど裸で火の回りで歌ったり踊ったりしており、現在では完全にアウトな描写です。古関にとっては別にアイヌや東南アジアに差別意識があったのではなく、彼なりのエキゾチズムの表現がこれらの3つの曲だということだと思いますが、アイヌの方の指摘にはちょっと考えさせられました。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第33回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第33回目を公開しました。前回のと今回の部分は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の「資本主義の精神」の所の資本主義の発達と、教会法の利子禁止がどのようにからむかという所でゾンバルトを批判している所と密接に関係しています。

シャープ製マスク当選

シャープ製不織布マスク50枚、今さら感もありますが、当選の通知があり、購入申し込みをしました。このマスクが売り出された当初は非常に人気が高く当選確率は低かったと思いますが、生産も安定して来たし、一度当たった人は除かれるので、確率がかなり上がって来たんだと思います。まあ予想ですが、後2ヵ月くらいで抽選無しで買えるようになるのではと思います。50枚で税+送料込みで3,938円(1枚あたり79円)とまったく安くありませんが、信頼出来る国産マスクは歓迎です。これで国産マスクのストックがユニチャーム+興和+シャープで207枚になりましたのでコロナの第2波、第3波に対してもまず大丈夫でしょう。もちろん以前紹介した自作マスクの材料も70枚分くらいあります。