「名犬ラッド」の映画版を観ました。1962年公開のものです。98分と短く、原作の色んなエピソードを散りばめていますが、大きな違いは「ウォール街の農夫」というあだ名のラッドの主人とは対照的な金で高い犬を買って名声を得ようとするグルーアという男に一人娘がいて(母親は離婚)、足が不自由で歩けないという設定にしていることです。その娘を演じているのがアンジェラ・カートライトで、宇宙家族ロビンソンのペニー役の時より4、5年前なので幼く、とても可愛らしいです。それはいいんですが、結局この娘とラッドとの心の触れ合いがストーリーの中心になってしまって、原作のラッドというコリー犬の素晴らしさが1/10ぐらいしか伝わって来ません。例えば原作では女主人が病気になって生死の境を彷徨い、病床にあること数ヶ月で、ラッドがその間部屋の前に座り込んで、その数ヵ月間ほとんど食事も取らないで、というのが、映画では女主人が意識を失っていた(犬小屋が放火され、その中のレディと子犬を助けようとして倒れてきた柱で頭を強く打ったため)のはたった6日間になっています。これでは女主人が回復した時のラッドの喜びもちょっと中途半端になってしまいます。この映画評判が良ければ続篇も作られる予定だったようですが、当時も私と同じく感じた人が多かったらしく、結局これ一本だけに終わりました。映画の中で、「アルプスの少女ハイジ」の有名な「クララが立った!」と同じことが起きます。それにしてもうらやましいと思うのは、ラッドの主人の家で、こんな素晴らしい環境の所に家があって、ラッドみたいな犬を飼えたら本当に幸せだろうなと思います。
投稿者「kanrisha」のアーカイブ
白井喬二の「読切小説 白井喬二自選集」
白井喬二の「読切小説 白井喬二自選集」(輝文堂書房、昭和17年2月20日発行)を読了。内容は短篇5篇で、「梁川庄八」、「相馬大作」、「関根弥次郎」、「風流刺客」、「平手造酒」、「般若の雨」を収録。「梁川庄八」は紹介済みなので省略。二篇目の「相馬大作」については、白井喬二は相馬大作ものを3作書いています。1938年に「日の出」に掲載された「相馬大作」、もう一つは共同通信系の地方紙夕刊 1952年12月-1953年6月掲載された「新説相馬大作」、そして「オール小説」の昭和31年7月号に掲載された「春雷の剣」です。今回の書籍に入っているのが一番目のものです。「春雷の剣」は以前読みましたが、私はそれは今回読んだ戦前のものが単に改題されただけかと思っていました。しかし内容は別でした。とすると、白井喬二は相馬大作をネタに3回も小説を書いている訳です。相馬大作は南部藩の武士で、津軽藩の藩主を襲って殺そうとしますが失敗します。しかし講談などの世界では、見事成功したことにされており、忠臣蔵と同じで主君の恨みを晴らした忠臣ということになっています。今回の戦前の作品でも相馬大作は一度鉄砲で津軽藩主を狙って失敗しますが、二度目にこの藩主が川を舟で渡ろうとした所を襲い成功します。
三番目の関根弥次郎も、一種の忠臣もので、藩を牛耳る奸臣を除こうとして辞職を勧告したのに対して逆に逆臣にされたのを、その奸臣の館に斬り込んで16人斬りをするが結局その奸臣を打ち漏らすという話です。
「風流刺客」については、白井らしい変わった設定のお話。「平手造酒」は講談や浪曲の「天保水滸伝」で有名な剣士で、立派な剣の腕を持ちながら酒で身を持ち崩して侠客の用心棒となって、結局最後に出入りで死ぬというもの。「般若の雨」についてはこれも変わった設定ですが、ハッピーエンドなのがちょっと救われます。
宮沢賢治童話村の怪しいモニュメント
宇宙家族ロビンソンの”One of Our Dogs Is Missing”
宇宙家族ロビンソンの”One of Our Dogs Is Missing”を観ました。出ました!恐怖のWilliam Welch脚本です。なのでとことんナンセンスな事件が続きます。まずは何故かロビンソン一家のいる星で地球の子犬が見つかります。初期の宇宙実験に使われたのが生き延びたという設定ですが、南極物語かよ!タローとジローは生きていました、みたいな設定です。(ソ連が人工衛星にライカ犬を乗せて打ち上げたのは有名ですが、そのライカ犬は打ち上げ直後に部屋の中が高熱になりすぐ死んでしまったとされています。)それよりさらに意味不明なのは、ナマハゲか日本の鬼みたいなエイリアンで、結局何がしたかったのかがさっぱり不明で、レーザーで数回撃たれても平気で生きていて、結局隕石が作ったクレーターの砂の中に消えて行きます。ドクター・スミスのナンセンス振りもWelch脚本だと拍車がかかり、何故かジュピター2号のレーザーガン全てを分解して元に戻せなくなってしまいます。また、子犬をエイリアンのスパイだと言い張り、子犬を探して撃ち殺す捜索隊を結成したりします。モーリーンはそういう状況に自分ではどうにも出来なくて、ロビンソン博士に無線で連絡しますが、博士が重要なミッション中ということで自分達の危険を言い出せず、でもロビンソン博士がモーリンの声の調子がおかしいのに気がついてすぐに引き返すという、1960年代らしい男女の役割のステレオタイプな描写が見られます。
宇宙家族ロビンソンの”The Raft”
宇宙家族ロビンソンの”The Raft”を観ました。なかなか面白いストーリーでしたが、出ました、使い回しのアーウィン・アレン!ロビンソン博士とドンはジュピター2号の残り少ない燃料の有効活用として、燃料をプラズマ化して高出力を得る実験をします。それはジュピター2号を飛ばすには出力不足でしたが、小さなカプセルなら飛ばせるのでは、と何とジュピター2号の原子力エンジンを取り出してカプセルにします。原子力エンジンなんで中は当然放射能に汚染されていますが、ドンが何かスプレーみたいなのを2回振りかけただけで除染OK。そしてこのカプセルの正体が何と原子力潜水艦シービュー号のダイビング・ベルです!そしてドンが乗って近くの惑星まで行く予定でしたが、例によってドクター・スミスがあれこれと企んで、中をいじっていた時にウィルに見つかりますが、二人が乗り込んだ時、ドクター・スミスがロボットに先にしていた命令のため、ロボットがカプセルを発射させてしまいます。カプセルは無事に宇宙に出ますが、すぐにレーダーに何かが反応します。それは惑星で地球にそっくりでした。ドクター・スミスは帰ってこれたと狂喜してウィルに着陸を命じます。しかしウィルはこの星はどこかおかしいと気付きます。二人はカプセルを降りて人がいる所まで行こうとしますが、途中で変な怪獣が作った草木のトラップに捕まってします。そしてこの怪獣が原子力潜水艦シービュー号で2回出てきた、へドラみたいな怪獣の使い回しです!2人は実は別の星に着陸した訳ではなく、元の星に戻っただけでした。ドクター・スミスが怪物に捕まって落とした無線機を使ってウィルはロビンソン博士に連絡を取り、2人は間一髪で怪獣にやられる所をロビンソン博士とドンに助けられます。
NHK杯戦囲碁 伊田篤史9段 対 今村俊也9段
本日のNHK杯戦の囲碁は、高校野球のため13:30よりの放送。黒番が伊田篤史9段、白番が今村俊也9段の対戦です。
布石では、白が下辺に打ち込んで中央に逃げ出した弱い石を持ちながら、上辺に模様があり、黒は下辺の白を攻めながら右下隅から右辺に模様を張っていきました。白が上辺の白模様と右辺の黒模様の接点となる所を飛んでいった時、黒は上辺に打ち込んで行きました。白が受けずに右辺をコスんだ時、黒は更に上辺右の白の中に打ち込みました。これが上手い手で左側の黒か右上隅の黒かにどちらかに渡れました。結局白が右上隅をハネ、黒はいい形で左側の黒と連絡しました。右上隅の黒が心細くなったため、黒は活きに行きましたが、代償で中央の白が厚くなりました。ここで白は右下隅に付けて黒ハネに切り違えました。黒が一目抱えた後、隅に下がっていれば小さく活きることが出来ましたが、それだと小さいということで、当てて行きました。黒は当て返してこの白全体を取りに行きました。その後白が当てたのが間違いで結局ここの白は全て取られ右下隅が味良く黒地になりました。代償で白は右辺を少し侵略しましたが、元々そこに大きな黒地は見込めなかった所であり、この分かれは明らかに黒優勢でした。そこで白としては局面を複雑化して乱戦に持ち込むしかなく、左上隅の黒を攻めると思わせながら、左下隅から延びた黒の中央に飛んだ一子の左側に付けて行き、黒が上からハネたのに左に延びたのが、実に鋭い勝負手でした。黒はこの白2子を取り込むことが出来ず、この白が中央に逃げ出したため、左下隅からの黒に二眼無くなり、一気に勝負模様になりました。しかし眼のない石が絡み合う複雑な局面で白が間違え、結局左上隅の黒が活きて白の投了となりました。しかし敗れたとはいえ、今井9段の鋭さが出た対局でした。
白井喬二の「梁川庄八」と「梁川庄八諸国漫遊」(講談の小説化)
ヤフオクで落札した「白井喬二自選集」(輝文堂、1942年)の中の「梁川庄八」を読了。梁川庄八は戦前の講談で有名だった仙台藩出身の豪傑のようです。1926年に映画にもなっています。白井の小説では、泥亀という盗賊を捕らえる話と、そもそも親の仇である茂庭周防を討ち取る所で話が終わっています。終わり方が中途半端だったので買ってみたのが左のもので「長編講談 豪傑智勇 梁川庄八諸国漫遊」で、大正6年の出版です。この2つを比べると、大衆小説が最初「新講談」って呼ばれたのは良く分かります。講談の方が白井のより話としては面白く、特に庄八の母親が女性ながら大変な力持ちで、器量は良くないのですが、庄八の父が酒が入った状態でからかって、最後はその女性を妻にするエピソードがなかなか面白いです。庄八は茂庭周防を討ち取った後自首して牢に入れられますが、最終的には脱獄して、日本全国を旅します。そして行く先々で義に加担して大暴れします。「諸国漫遊」というと水戸黄門が有名ですが、この頃の講談には明智光秀のとか猿飛佐助の諸国漫遊というのもあったようです。梁川庄八は日本人が好きな義に厚い豪傑です。しかしながらGHQの封建思想の抑圧によって戦後はまったく忘れられてしまったようで、ググってもほとんど情報が出てきません。白井のこの小説はそれほど出来がいいものではありませんが、少なくとも梁川庄八という忘れられたキャラクターを教えてくれるきっかけにはなりました。尚、立川文庫では「柳川庄八」という表記になっています。
キャッチオール規制の怪しさ
キャッチオール規制について、日本は2002年からですが、他の国について調べてみました。当然最初はアメリカからなのですが、これの始まった時期が極めて不透明で1990年代のどこか、という書き方しかされていません。また、Wikipediaの英語版の”Catch-All controls”`のページが存在せず、何故かドラフト段階のものだけがあります。中味はほとんどありません。
EUについては2000年に民間・軍需両用の製品についてのキャッチオール規制の条項が出来ています。
どうもこの規制は怪しさ満点です。また当初の対象国はイラン・イラク・アフガニスタン・北朝鮮(つまりブッシュジュニアが「悪の枢軸」と呼んだ国)の4国です。
ちなみに北朝鮮の核開発、ICBM開発の進展を見ればこの規制がほとんど効果を上げていないのは明白です。
また当初はあくまでも軍事転用可能な民生品が対象だったのが、どこからかほとんどすべてのものが対象になっています。ある新聞の記事に90年代にイラクが汎用部品をかき集めてウラン濃縮装置を作った、みたいなことが書いてありましたが、実際には湾岸戦争の後、イラクは大量破壊兵器製造施設をすべて破壊しており、あり得ないと思います。
アルバート・ペイスン・ターヒューンの「名犬ラッド」
アルバート・ペイスン・ターヒューンの「名犬ラッド」を読了。もしあなたのお子さんが小学校高学年から中学生くらいで、動物好きなら、夏休みの読書に是非ともこの本をお勧めします。日本語訳は絶版で新品では手に入りませんが、古書や図書館で入手出来ると思います。きっと一生の宝となることを保証します。もっとも読んだ後で、コリー犬を買って欲しい、と言われても知りませんが…その時はこの本にある「人は犬の所有者になることは簡単に出来る。しかし犬の主人になることが出来るのは選ばれた人間だけである。」と言ってごまかしましょう。私は日本語訳と英語のオリジナルを両方買いましたが、その理由は日本語訳ではオリジナルの第7章と第9章が翻訳されていないからです。
日本語訳の訳者はコリー犬の雄であるラッドをこう描写します。「愛するもののためには命を投げ出し、死をも恐れない勇気があり、小さいもの、弱い者に同情し、掟を守り、平和を愛し、誇りをもち、不正を憎み、誠実で、人なつっこく、寛大で、しんぼうづよく、しかも強い大きな美しい体を持ち、主人を絶対的に敬い、敏感で、人間の気持ちをよく理解し、ご愛嬌にチョッピリちゃめっ気まであり、大好きな女主人の前では子犬のようにじゃれ…」まったくこの通りの犬であることがこの本を読むと分かります。しかも架空の犬ではなく、正真正銘のアルバート・ペイスン・ターヒューンの実在の愛犬でした。
このラッドの話は世界が第1次世界大戦で戦火の中にある時に雑誌に連載されました。16年の生をラッドが全うした時には、子供たちからの悲しみの手紙が殺到したそうです。
この物語には、ラッドの主人と女主人とは対照的な人物として自称「ウォール街の農夫」というのが登場します。この人こそ、お金で様々な高級な犬を買い込んで、それをコンクールに出して名誉を得ようとしますが、結局本当の意味での犬の主人にはなっていないため、いつもボロを出して失敗し、結果的にラッドの引き立て役みたいになっています。日本語訳で省略されている2話もこの男がからみます。
名犬ラッシーの最初の映画は、別の飼い主に売られたラッシーが逃げ出して元の主人にまた会うためにはるばると旅をする話ですが、ラッドの中の話でも、ラッドがニューヨークの品評会で優勝して車で家に帰る時、口輪をはめられた状態で車から振り落とされ、主人にはぐれてはるかな距離を旅する話があります。また別のコリーが前の飼い主に会うためにはるばる旅した例があったことが紹介されており、名犬ラッシーはやはり名犬ラッドを元にした話だと思います。
色々いい話がありますけど、ラッドの若い奥さんのレイディとか、息子のウルフの話も感動的です。
宇宙家族ロビンソンの”Wish Upon a Star”
宇宙家族ロビンソンの”Wish Upon a Star”を観ました。自分の責任を果たさずトラブルばかり起こしているドクター・スミスにロビンソン博士はついに我慢できず、ドクター・スミスはジュピター2号を出ていきます。そして心配になって追いかけて来たウィルと一緒に荒野の中でおそらく100年くらい前に難破した宇宙船の残骸を見つけます。そこで見つけた奇妙な機械は、頭に帽子のようなものをかぶって念じると、自分の欲しいものを何でも出してくれる夢の機械でした。ドクター・スミスは珍しくそれを独占せずにジュピター2号に持ち帰り、完全なジュピター2号を出そうとしますが、出てきたのはミニチュアのジュピター2号でそれは失敗します。また1日に2回しか使えないことが分かります。ジュディはその機械でドレスを出し、ドンとデートに出かけます。ペニーとウィルは次にどちらが機械を使うかで喧嘩し、ペニーはロビンソン博士に決めてもらうからと言ってウィルを騙し、音楽テープを出します。それに対してロビンソン博士はペニーに「お前は得たものより多くのものを失ったんだよ」と厳しく教育します。この辺り、ロビンソン一家は本当に理想的一家として描かれています。ロビンソン博士はその機械が一家に不和をもたらしていることを憂慮し、それを破壊しようとしますが、ドクター・スミスはそれを持ってまた難破した宇宙船に戻ります。そこでドクター・スミスは単にモノだけではなく、召使いを出そうとしますが、それは実現せず、代りに宇宙船のドアの中からのっぺらぼうのエイリアンが出てきます。エイリアンはマシンを取り戻そうとしますが、ドクター・スミスは機械を持って逃げます。そのうち、機械が出したジュディーのドレスはぼろぼろになり、果物は腐り、ペニーの音楽テープも聴けなくなってしまいます。ロビンソン博士の説得でドクター・スミスはエイリアンにマシンを返すことに渋々同意し、エイリアンはマシンを受け取ると消えてしまいます。おそらく余りに多くを望まなければマシンは手助けをしてくれたのが、ドクター・スミスがあまりにも強欲に走ったのがいけなかったのだ、というオチでした。ちょっと物欲を諫めるキリスト教的視点のお話でした。