保阪正康の「高度成長ー昭和が燃えたもう一つの戦争」を読了。この本を読んだのはある意味私自身の拠って来る所、精神的なルーツ探しの一環です。私の中に、ある種の「ガンバリズム」みたいな部分があって、それは自分で振り返ってみて、明らかに幼少期にいわゆる「スポ根」のドラマやアニメを観て育ったのが大きいと思います。ところがそういったスポ根ものは純粋なフィクションとして自然に登場したのではなく、大松博文監督と東洋の魔女とか、相撲の横綱の初代若乃花(「土俵の鬼」と呼ばれた)とか、現実の方が先行していた訳です。そうなるとその大松監督や東洋の魔女の女子バレー選手達が、あそこまでひたむきに、お金になる訳でもないのに(相撲はお金になりますが)、一つのことに打ち込めたそのエートスはどこから来るのか、という疑問がマックス・ヴェーバーを学んだ者としては当然出てきます。大松監督も東洋の魔女も、その当時として特別に珍しい人間類型という訳ではなく、おそらくは当時の人のかなりの部分はそこまで徹底してはいなくても、結構近いような働き方をしていたのではないかと思います。だからこそ皆が同調して感動したんだと思います。
そこでこの本ですが、ちょっとエートスの部分は置いておいて、いわゆる高度成長という物が、後から振り返ると当たり前の事のように思えるのですが、実際は池田勇人首相とそのブレーンが意図的にそちらに日本全体を引っ張っていったのだなということが発見でした。私には池田首相は、病気ですぐ辞任したという印象が強かったのですが、実際は4年半くらい在職しています。その後の佐藤栄作首相はある意味、池田首相の引いた路線をそのまま継承して進めたという意味が強いと筆者は解釈しています。
エートスというか、高度成長を支えた国民各層の当時「モーレツ」とも形容された頑張りを、筆者は戦争路線の失敗に求めており、満州事変から終戦までの14年と、池田首相の「所得倍増計画」から石油ショックまでの14年とを対比させて分析しています。そして特に海軍の主計将校と言われた戦争での経理を担当した人達が、戦後各界で日本を引っ張っていったとし、その共通する精神は戦争時の日本の無謀さを十分に反省し、経済の分野でその反省を活かして高い成長を実現する、としています。
まあ筆者によると、大松式のモーレツ主義は、1960年代の後半になると早くもほころび始めており、あまりにも早すぎる成長の歪みの実感と、豊かになったことの裏返しで、いわゆるレジャーにいそしむ若者などが登場するようになったとしています。
60年代の日本のエートスを考える上で、戦争の影響は確かに避けて通れないでしょう。大松博文監督もインパール作戦の生き残り兵士ですし。それはそうですが、何かちょっとすっきりしないというか、あまりにも単純化した解釈だと思いますが、さらに突っ込んだ解釈は今後の課題です。