原子力潜水艦シービュー号の”The city beneath the sea”

原子力潜水艦シービュー号の”The city beneath the sea”を観ました。ある男が海底に秘密基地みたいなのを作って世界征服をたくらんでいるのを、シービュー号がそれを破壊する話です。まだクレーン艦長がその秘密基地に捕まっているかもしれないのに、何も考えずに魚雷をぶっ放してその基地を完全破壊するネルソン提督。どうでもいいですが、最新鋭の潜水艦の割りには魚雷のセットが手動だったりします。前方のカメラのモニターも明らかにブラウン管で、近未来という感じはまるでなく時代を感じます。

NHK杯戦囲碁 秋山次郎9段 対 河野臨9段

日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が秋山次郎9段、白番が河野臨9段のトッププロ同士の興味深い対局です。布石はごくオーソドックスでしたが、今時の対局でAI風の手が出ないということはまず無く、この碁でも白が右上隅の黒の小ゲイマウケに肩付きし、更に右下隅の大ゲイマジマリの星の位置に付けていったのがそうです。しかしながら布石はどちらも手堅く打っていました。局面が動いたのは黒が左辺から左上隅にすべった時で白は三々に受ければ普通ですが利かされと見て左辺の黒に付けて行きました。黒は上からハネて、どちらも石が分断され、急に戦いが始まりました。ここで白の打ち方が変幻自在というか、取られかけていた3子を更に大きくして5子にして捨て、その代わり左辺でサガリと当てを利かし、また絞って、左下隅の地模様を大きくしました。黒は5子をポン抜いてこれ以上ないくらい厚くなりましたが利かされた石のせいで石が重複気味でした。黒はその後鉄壁の厚みを活かして上辺に打ち込んでいき、白を分断しましたが、白も両方の眼形を確保して黒にチャンスを与えませんでした。その後焦点は右辺と右下隅になりました。黒は白を分断し攻めを狙いましたが、上方の白はほとんど活き形でした。それで黒は右下隅から延びる白を狙いました。その過程で下辺の白にモタレて攻めの体制を作ろうとしましたが、途中疑問手があり、白への攻めは不発で却って自分の活きを図らないといけなくなりました。ここで白が完全にリードしました。その後白が右上隅に置いて行って攻め取りにさせて締め付けるヨセを狙いましたが、白が間違えあまり締め付けが利きませんでした。そういうミスはありましたが、その後は手堅く打ち、終わってみれば白の2目半勝ちでした。

エストニアのタリン Tallin in Estonia

Eigoxの英語のレッスンで、海外に70回以上行ったことがあると言ったら、何人かの先生からどこが一番良かったか聞かれました。私としては一番印象に残っているのは2008年に訪問したエストニアの首都のタリンです。

In some lessons of Eigox (online English lesson), when I said to the teachers that I had ever traveled abroad more than 70 times, they asked me which country was the most impressive one. For me, Tallin in Estonia, which I visited in 2008, was the most impressive place.

「ペンギン・ハイウェイ」(森見登美彦原作のアニメ)

「ペンギン・ハイウェイ」を観て来ました。なかなか良かったです。主人公が小学4年生の少年のせいか、子供連れの客が多かったですが、ちょっと子供には難しいのではないかと思います。原作は森見登美彦です。私は森見登美彦の小説は全部読んでいるので、この小説も2010年に出た時に読んでいます。その時は森見登美彦もちょっと新しい方向を模索しているな、という感じで、ストーリーもほとんど覚えていません。なので映画で原作とどこが変わっているかは分かりません。印象的なのは主人公の少年が全くの不条理な現象に対しとことん「科学的」アプローチを貫こうとしている所で、また少年のお父さんがいわゆるヒューリスティックス(エウレカ)的な問題解決のアドバイスを与えたりしてなかなか格好いいです。この辺り京都大学農学部出身の森見登美彦自体の少年時代がおそらく反映されているのでしょう。しかし森見ワールドと言うのはそういう合理的・科学的な世界と幻想的な非合理的世界が境界が曖昧なままミックスされていることで、日本の高度なアニメ技術はその辺りをうまく表現していました。またアニメそのものはCGだけに頼らず、かなりの部分手描きが行われていたのだと思います。実際にクレジットにはかなりの数のアニメーターが参加していたようで、タツノコプロの名前も見えました。このアニメはまた少年のVITA SEXUALISでもあります。結構あの年頃って年上の女性に憧れたりしますが、その辺りが上手く描かれ、その少年が好きで「お姉さん」に嫉妬する同じクラスの女性もいかにもありそうな感じで良かったです。

Bangaku no Issho (The life of Bangaku) by Kyoji Shirai

Let me introduce today one of the most impressive novels of Kyoji Shirai: Bangaku no Issho (The life of Bangaku, “盤嶽の一生”). This novel is a collection of short stories featuring Bangaku that Kyoji wrote for several magazines from 1932 to 1935.

As the title shows, this novel describes the life of Bangaku Ajigawa (“阿地川盤嶽”), a lone wolf Samurai worrier, who loves rightness and always try to find it and is eventually betrayed. He was born in Bushu (the curent Saitama-Tokyo-Kanagawa area) and lost his father at 12 years old and his mother at 14. After the death of his parents, he was raised by his uncle, but because the daughter of his uncle (namely his cousin) disliked him much, he left his uncle’s house when he became an adult. Since his skill of swordplay reached the expert level when he was 26 years old, his master gave him a noted sword named Heki Mitsuhira (“日置光平”) .

As I wrote in my introduction of Kyoji Shirai’s life, Kyoji inherited the sense of justice from his father who was a policeman when he was born. Bangaku can be considered to be an alter ego of Kyoji. All Christians know the Jesus’ Sermon on the Mount: “Blessed are they which do hunger and thirst after righteousness: for they shall be filled.” (Mattew 5.6, KJV). Bangaku is truly one of those who do hunger and thirst after righteousness. If he were a Christian, he might have been filled, but he was not.

Repeated stories of Bangaku that he expects righteousness and he is finally betrayed and disappointed are funny but sad at the same time. For example, when he was living in a slum of the Edo city, he sympathized with miserable workers of a match factory. Since he had some scientific knowledge, he tried to construct an automated machine of match production in order to reduce the heavy work of the workers. When the machine was completed, however, the owner of the factory fired many workers because he can save them by the power of the machine. If we see another example, Bangaku tried once a fortune-telling play by throwing some unglazed dishes (fortune is judged by how dishes broke) because he thought that such thing can be completely coincidental and no human malicious intention is included. The truth was, however, the fortune-teller was preparing several patterns of broken dishes in advance and was selecting the results according to the economical status of the customer.

Bangaku gradually lost any expectation for adults and started to hope for young people. But some young guys betrayed him bitterly and then he started to hope for children, or finally for babies. All his trials were not satisfactory at all.

These stories had not been finished. IMHO, the author, Kyoji, could not find out an appropriate end for these stories, or he might have thought that Bangaku, a kind of dreamer, should wander in the limbo between expectation and disappointment eternally.

This novel was picturized twice and made to a series of TV drama also twice.
The first movie was taken by Sadao Yamanaka in 1933. Sadao Yamanaka was a gifted movie director but died as a soldier in China at the age just 29. While Kyoji Shirai was not satisfied with most movies based on his stories, he evaluated the talent of Sadao Yamanaka very highly. Although the film itself was lost by war, there was a legendary scene in the movie where some thieves of watermelon (Bangaku was having his eyes on a watermelon field in the night) act like rugby players passing a watermelon from one to another. Kon Ichikawa, a Japanese movie director who picturized the first Tokyo Olympic in 1964, watched this movie of Bangaku when he was a child, and he scripted for the TV drama of Bangaku broadcasted in 2002. Bangaku was played by Koji Yakusho (“役所広司”).

「原子力潜水艦シービュー号」の”Eleven Days to Zero”

「謎の円盤UFO」を観終わったので、今日から「原子力潜水艦シービュー号」の第1シーズン。取り敢えず第1シーズンのDVDだけ買ってあります。第2、第3シーズンも続けて観るかどうかは未定。第1シーズンはまだ白黒です。今回のお話は、2つの巨大地震の発生が予知され、その2番目の地震で世界中の多くの地域で巨大津波が発生することが報告されます。シービュー号のネルソン提督がその大津波を防止するために、北極で核爆弾を爆発させて地震のエネルギーと相殺させて津波の発生を防ぐことを提案します。(どうでもいいですが、映画版でもそうでしたが、核兵器の威力を買いかぶっています。自然のエネルギーは水爆一発なんかよりはるかに巨大です。)この時国連で審議する科学者の中に、タイムトンネルの老科学者の俳優(ジョン・ザレンパ)が出ていました。多分この役者さんアーヴィン・アレンのお気に入りだったんでしょう。そういう訳でシービュー号は北極に向かいますが、それを阻止しようとする某国が登場し、飛行機から機雷を投下したり、また潜水艦で追いかけてきて魚雷を発射してシービュー号を撃沈しようとします。機雷によってソナーが損傷してアンテナ部が海底に落ちてしまったのを、ダイバー3人が拾いに行きます。そこでお約束のサメ(北極の近くにサメがいるとは思えないんですが)と大イカが…(映画版にも出てきたので多分そのフィルムの使い回しでは。)結局色々ありましたが、シービュー号のミッションは成功し、クレーンが正式に艦長に就任します。

「謎の円盤UFO」の全26話の感想

「謎の円盤UFO」の全26話を観終わっての感想。ともかく子供の時から好きだったシリーズをようやく全話観ることが出来たのはとても良かったです。全編を通じて、ともかくストレイカー司令官がほぼ常にメインで話が進むということが分かりました。このドラマは撮影の途中でスタジオの工事の都合で長い中断が入っており、途中で最初に出ていた役者の一部がいなくなります。その一人がフリーマン大佐で、ストレイカーの盟友で副参謀的なキャラでしたが、26話中17話にしか登場していません。ストレイカーに次いで登場回数が多いのがフォスター大佐で、何故元単なる民間のパイロットだった彼が大佐にいきなり抜擢されるのかは理解出来ませんが、彼も色んな女性を口説いたり、エイリアンに拉致されたり(夢でしたが)、死刑判決を受けたりと、なかなか忙しいキャラでした。フリーマン大佐が登場しなくなって代わりに出てくるのがレイク大佐(女性)でしたが、なかなか美人ですがイマイチ存在感に乏しかったように思います。(このレイク大佐を演じている女優、何とあのベネディクト・カンバーバッチのお母さんです!)
ストーリーの展開は、最初はお気楽路線でやたらと女性を口説いたりするシーンが目立ちましたが(どうもイタリア人の脚本家がいたようです)、ストレイカーの私生活の話が混じりだすと、途端に暗くシリアスになりました。ある意味脳天気なアメリカのSFドラマとはそこが違います。またオカルトとか超能力とかサイコ系の話が多いのも特徴で、これはもうイギリス人の趣味としかいいようがありません。
特撮は全体に素晴らしいですが、難点を挙げれば、インターセプターのプラモ臭さが抜けなくて今一つリアル感に乏しいのと、スカイワンの発進シーンで水中からの発進なのに排煙が盛大に上がっていることです。(水中だったら泡になる筈です。)これは多分普通の空気中で撮ったシーンと水中シーンの合成なんでしょうが、スカイワン以外でも魚雷が爆発するシーンで同じように煙りが出ている所がありました。
まあ色々ありますが、私にとってはあらゆるSFのテレビドラマの中で、No.1ではないかという思いは変わりません。このドラマが今一つ視聴率的には良くなく、わずか26話で打ち切られたというのは、内容があまりにも大人向け(女性を口説く、女性がベッドの側で半裸になって誘惑する、何故かスカイダイバーの女性スタッフはブラジャー付けずに網目ユニフォームを着ている{”Sub-Smash”の時の女性クルーは付けていましたが}、仕事が忙しすぎて奥さんに離婚される、レイプや殺人のシーンがある等々)であり、それまでのジェリー・アンダーソンのファン層との食い違いが大きくてTV局側が扱いに困った、と言うところじゃないでしょうか。ただ、アメリカへの売り込みに失敗したサンダーバードと違って、これはアメリカでも放映されたみたいですが。(ストレイカー司令官を演じたエド・ビショップがアメリカ人だったり、イギリスに本部があるのに車が右側通行だったり、と結構アメリカを意識した作りになっています。)

「謎の円盤UFO」の”The long sleep”

「謎の円盤UFO」の”The long sleep”を観ました。これが最終回なのですが、最終回らしき話はまったくありませんでした。日本語版がこの最終回をどのように処理したか分かりませんが、多分ナレーションで「ストレイカー司令官とSHADOのUFOとの戦いはこれからも続くのである」とか言って終わったんじゃないかと推測します。おそらくこれを撮影している時には打ち切りはまだ決まっていなかったんじゃないかと思います。
お話は、10年前にストレイカーが車ではねた女性(突然女性が道路に飛び出したのであり、ストレイカーに落ち度はない)が10年間の昏睡状態の後、意識を取り戻します。女性は跳ね飛ばされた時に「UFOを見た」と言って気絶したため、ストレイカーは意識の戻った女性を取り調べます。10年前にその女性は家出してロンドンにやってきて、ティムという男性と知り合い、一緒に田園地帯の農場の空き屋敷に泊まります。そこでティムとその女性は多分LSDか何かをやって(とても60年代的)、ラリって騒いでいましたが、そこにUFOとエイリアンがやってきます。エイリアンは何かをその屋敷に仕掛けようとしていましたが、その女性とティムがふざけて、そのメカの円筒形の部品を持って行ってしまいます。それで追いかけっこをしている内にティムはふざけて屋根から落ちて死んでしまいます。女性はその後エイリアンに追いかけられて意識を失いますが、翌朝目覚めて空き屋敷を出てヒッチハイクでトラックに乗りますが、その運転手にレイプされそうになって車から降りて走り出して逃げて、ストレイカーの車にぶつかったものでした。結局エイリアンが仕掛けようとしていたのは、一発でイギリス全体を吹っ飛ばすことが出来る爆弾で、ティムと女性が持って行った円筒形のものはその起爆装置でした。エイリアンは死んだティムを操ってその女性に何かの薬剤を注射し記憶を取り戻させ、起爆装置を回収しようとします。SHADOも同じことをしますが、一足遅く起爆装置はティムの手に渡ります。ティムは起爆装置をセットして爆弾を起動させます。SHADOはそれを何とか分解しようとしますが出来ず、結局ロケットに積んで宇宙に持って行ってそこで爆発させるようにします。ティムは自分の役目を終えると白骨死体に戻りました。また女性の方は、ティムとSHADOの手で2回自白剤のような注射をされた結果、急速に老けて老婆と化して死んでしまいます。何か最終回とは思えない後味の悪い話でした。写真の右側はSHADOの医師ですが、ポーランド系の役者さんみたいで、とても独特な英語をしゃべり、かなり奇妙な味を出しています。

「謎の円盤UFO」の”Timelash”

「謎の円盤UFO」の”Timelash”を観ました。この回は中学生の時ではなく、小学生の時の最初の放送の時に観て、強く印象に残っているものです。確か邦題は「時間凍結作戦」。まだ小学生だったので細かい筋は覚えていませんでしたが、最後に写真のようにストレイカーがバーズカで、時間を凍結させている間にSHADO本部を攻撃してくるUFOを一人だけで迎撃するシーンをずっと覚えていました。
お話はSHADOのスタッフの一人のターナーがエイリアン側と通じてSHADO本部のどこかに時間を凍結させる装置を取り付けます。レイク大佐を空港に迎えに行っていたストレイカーとレイク大佐だけがこの凍結を免れますが、SHADO本部に入るとそれまで夜の8時だったのが突然昼間に戻り、また凍結した人間を目撃します。SHADO本部の中で一人だけ動いている者を見つけそれがターナーでした。ストレイカーとレイク大佐はターナーを追いかけますが、ターナーは広い映画スタジオの中を逃げ回ります。その内UFOの音が聞こえてきて、ストレイカーはターナーの追いかけをやめてバズーカを取り出してUFOを撃墜しようとします。しかしターナーがレイク大佐を気絶させ、バズーカのキーを持って行ってしまいます。再びストレイカーとターナーの追いかけ合いになりますが、時間を操れるターナーはなかなか捕まりません。ストレイカーはマシンガンでターナーを撃ちますが、彼が見えている所には既に彼はいない、ということが分かり、360°の方向にマシンガンを乱射して、それがターナーに命中して倒します。何とかキーを取り戻したストレイカーはバズーガで見事1撃でUFOを撃滅します。本部に戻ったストレイカーは時間凍結装置を壊すため、SHADOの装置を手当たり次第破壊し始め、そのどれかが奏功して時間が流れ始めますが、ストレイカーは2週続けて発狂扱いされて医務室に連れて行かれ、そこで強力な自白剤を注射されて真相を語り、ようやく皆が理解する、というストーリーです。
後1話を残すだけになりました。

藤田嗣治展(没後50年記念)

上野の東京都美術館で行われている藤田嗣治展に行って来ました。素晴らしい展示会で藤田の作品がこれだけの規模で集められる機会はそうそう無いのではないかと思います。事前に本(Eigoxのレッスン用に買ったもの、「もっと知りたい」シリーズの「藤田嗣治」)を見てから行きましたが、本に掲載されている作品のほとんどの実物を見ることが出来ました。
ただ残念だったのは、藤田の「戦争画」がわずか2点(「アッツ島玉砕」と「サイパン島 同胞臣節 全うす」)しか展示されていなかったことです。購入した目録によれば東京都美術館は藤田の他の戦争画数点を含む戦争画全153点を収録しているそうです。今回の展示会とは別に戦争画だけの展示会を是非開いて欲しいです。以前読んだもりたなるおの「芸術と戦争―従軍作家・画家たちの戦中と戦後」によれば、今回展示されている藤田の戦争画は国民の間で評判になりましたが、軍部からはこのような悲惨な場面の絵は国民の戦意を削ぐ、ということでそれ以降は藤田は戦争画を描くことを止められます。にも関わらず戦後は、画家の中での戦争協力者の筆頭として戦犯として糾弾されかけます。その結果藤田はフランスへ移住することを決意します。
後絵を実際に観て思ったのは、藤田の戦前・戦後の子供の絵は、奈良美智の描く子供の絵とちょっと共通点があるのではないかということです。どっちもある意味人工的な子供です。(藤田は5回結婚していますが、子供はいません。)
ちなみに、藤田をフランスで有名にした「乳白色」は鉛をベースとする絵の具に炭酸カルシウムとタルクを混ぜていたようです。戦前土門拳が撮影した藤田の作画風景に、シッカロールの缶が写っています。シッカロールは一般的に言えばタルカムパウダーで主成分はタルクです。