NHK杯戦囲碁 王銘エン9段 対 趙治勲名誉名人

本日のNHK杯戦の囲碁は、年度が変わって第66回の一回戦です。黒番が王銘エン9段、白番が趙治勲名誉名人、そして解説が井山裕太7冠王と第一回戦から豪華な顔ぶれです。
布石は両方が2連星という、最近では割と珍しいかと思います。AIの影響で星に対してはいきなり三々に入るのが普通になり、それを嫌って星を避ける棋士も多くなっています。黒が左上隅に上辺からかかった時、白は一間に低くはさみました。ここではさんだ白にケイマでかけていったのが王9段らしい打ち方です。白は上辺を2間に開き、黒は左辺から隅の白をはさみました。ここで白はケイマの黒にツケコシを打ちました。ここの折衝の結果、左上隅には大きな劫が残りました。それをにらみつつ黒は左下隅に肩付きをしましたが、白も我慢してじっと這って受けました。さらにその後黒は左下隅につけて行き、白がはねて受けた後黒はふくらみました。ここで白は下から当てたい所ですが、そうすると黒は上から当て返してこれを劫材にして左上隅の劫を決行する可能性があります。結局白は左上隅で劫を抜き、黒は当たりを決めて継がせた後左辺を手厚く伸び、白はさらに左上隅で黒1子を抜いて劫を解消しました。黒は左上隅で出られて困る所を押さえたので、白に先手が回りました。白は下辺の黒に打ち込んでいきました。これに対して黒は肩を付きました。白は一本中央に出た後、下辺を左に這って、その後右にケイマし、一応ほぼ活きるスペースを確保しました。その後黒は右辺の白に肩付きを打ち、中央を厚くしました。その後黒が右下隅から下辺にケイマして下辺の白の活きを促しましたが、白は手を抜いて、天元のケイマ右上にふわっとした手を打って黒模様の削減を狙いました。黒は手を抜いた下辺白の眼を取って中央に追い出しました。しかし白は黒の断点を狙いつつうまく中央に眼を作り、この辺りは白ペースでした。ただ中央下部に黒の厚みが出来たので、黒は上辺の白1子に付けていきました。白は普通は受ける所ですが、手を抜き、中央の1子から左に飛びました。黒は上辺を制し、白は更に中央を打ちました。しかしそれでも黒は中央の白を狙い、取られかけていた1子を引っ張り出しました。白は中央から右辺につながろうとはせず、却って左上隅の黒の断点を覗きました。黒は継がずに当てを打って反発しました。ここの戦いはのっぴきならないものになり、もっとも強くいけば攻め合いになる所でしたが、白は自重して左上隅と中央の石の渡りを打ちました。黒はしかし、その間に左下隅に利かした石に対し白が手を抜いており、そこを出ることにより白4子を取るという戦果を挙げました。分断された左上隅の白は白から打てば活きでしたが、白は手を抜いて上辺を打ちました。その後、白は中央の黒の分断を狙って劫を仕掛けました。この劫争いで、黒は損コウですが何手か劫材があったのですが、それを使わず右辺の白への劫材を打ちました。白は劫を解消して黒の大石を取りました。黒は右辺の白の穴を出ましたが、結局1線に打って右上隅とつながらなければならず、白から色々利くので右辺の白は活きており、黒の戦果としては大石を取られた損に見合わず、ここで黒の投了と成りました。

SSLのマルチドメイン証明書の申請手順、インストール手順メモ

今回、SSLの証明書はValueSSLという会社が提供するCOMODO社のポジティブSSL マルチドメインというものを使いました。以下、手順をメモしておきます。
私の環境は、
CentOS 7.4
Apache 2.4.6
OpenSSL 1.0.2k-fips
です。

(以下、.keyファイルの作成方法は省略しています。)

1. opensslでマルチドメイン証明書用のCSRを作成

以下は https://rms-digicert.ne.jp/howto/csr/openssl.html の記述の引用です。

/etc/pki/tls/openssl.cnfの[req]セクションで

[req]
req_extensions = v3_req
上記記述がコメントアウトされている場合は、有効にします。 記述がない場合は上記を追加してください。

[ v3_req ]セクションで

[ v3_req ]

basicConstraints = CA:FALSE
keyUsage = nonRepudiation, digitalSignature, keyEncipherment
上記に続けて以下を追加してください。

subjectAltName = @alt_names

[alt_names]
DNS.1 = foo.com
DNS.2 = www.foo.org
上記は、Subject Alternative Names(サブジェクトの別名)に foo.com と www.foo.org を登録する例です。
DNS.1 =、DNS.2 = .. に続けて、Subject Alternative Names(サブジェクトの別名)に登録するホスト名を記載してください。

以下のコマンドで /etc/ssl/san_openssl.cnf を使ってコモンネーム www.foo.com の CSR を作成します。

openssl req -key yourkey.key -config /etc/ssl/san_openssl.cnf -new
この後は通常の openssl コマンドと同様に、対話的にデータを入力します。コモンネーム www.foo.com も入力します。

作成できた CSR は以下のコマンドで内容を確認できます。$CSR_FILENAME は内容を確認する CSR ファイルの名称です。

openssl req -text -noout -in $CSR_FILENAME
以下の様な内容が表示されるはずです。

Attributes:
Requested Extensions:
X509v3 Basic Constraints:
CA:FALSE
X509v3 Key Usage:
Digital Signature, Non Repudiation, Key Encipherment
X509v3 Subject Alternative Name:
DNS:www.foo.com, DNS:foo.com, DNS:www.foo.org

2.ValueSSL社のサイトで、ポシティブSSL マルチドメインを申し込み。その際に1.で作成したCSRの内容を貼り付けます。

3.SSL証明書の取得には、申し込んだドメインの正式な所有者であることを証明するため、そのドメインでのメールアドレス(ValueSSL社が何パターンか出してくる中から選ぶ)でメールを受信してその中にあるリンクをクリックして手続きする必要があります。(私が使っているvaluesslというサービスではメール認証が面倒な時には、ファイル認証もサポートしています。この方法はサービス会社が指定する内容のファイルを、サイトの特定のディレクトリーに置いて、サービス会社のクローラーがアクセスして読んで内容が一致すればOKというものです。)このため、

(1)DNSサーバーの設定でMXレコードを設定し、普段メールで使っているドメインでそのドメインのメールが受信できるようにします。
(2)/etc/postfix/virtual を編集し、以下を追加。
shochian2.com anything
admin@shochian2.com t-maru

max-weber.jp anything
administrator@max-weber.jp t-maru

この際に、/etc/alias に別の転送設定が指定されていないか注意します。

4.3.でメールを受信して手続きすると、1時間くらいで(私の場合作業したのが夜でイギリスのCOMODO社はたまたま営業時間内だったのでしょう)COMODO社から直接英語のメールで4つのcrtファイルが来ますが(本サイト1+バーチャルドメイン2の場合)、これは無視して何もしません。(私は最初この4つのcrtファイルをインストールしようとしてはまり、apacheが再起動しなくなってトラブリました。)

5.次の日くらいにValueSSL社から、メールでサーバー証明書1つと中間CA証明書1つがメール中に記載された形で来るので、それぞれを切り出して、.crt、.caファイルを作成します。

6./etc/httpd/conf.d/ssl.conf を編集して以下を書き換え+追加。(その前に、.key、.cer、.caファイルは、オーナーをroot、ファイル属性を400に変更しておきます。)

# Server Certificate:
# Point SSLCertificateFile at a PEM encoded certificate. If
# the certificate is encrypted, then you will be prompted for a
# pass phrase. Note that a kill -HUP will prompt again. A new
# certificate can be generated using the genkey(1) command.
SSLCertificateFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.crt

# Server Private Key:
# If the key is not combined with the certificate, use this
# directive to point at the key file. Keep in mind that if
# you’ve both a RSA and a DSA private key you can configure
# both in parallel (to also allow the use of DSA ciphers, etc.)
SSLCertificateKeyFile /etc/pki/tls/private/shochian2.key

# Server Certificate Chain:
# Point SSLCertificateChainFile at a file containing the
# concatenation of PEM encoded CA certificates which form the
# certificate chain for the server certificate. Alternatively
# the referenced file can be the same as SSLCertificateFile
# when the CA certificates are directly appended to the server
# certificate for convinience.
SSLCertificateChainFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.ca

#以下はファイルの末尾に記載追加。
#文字コードの指定は私の環境ではEUC-JPとUTF-8のドメインが混在していて文字化けが発生したため入れたもの。

NameVirtualHost *:443

<VirtualHost *:443>
DocumentRoot /var/www/wordpress
ServerName shochian2.com
SSLEngine on
SSLProtocol all
SSLCertificateFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.crt
SSLCertificateKeyFile /etc/pki/tls/private/shochian2.key
SSLCertificateChainFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.ca
<Directory “/var/www/wordpress/”>

</Directory>
# ErrorLog /var/www/domain1/logs/error_log
</VirtualHost>

<VirtualHost *:443>
DocumentRoot /var/www/html
ServerName shochian.com
SSLEngine on
SSLProtocol all
SSLCertificateFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.crt
SSLCertificateKeyFile /etc/pki/tls/private/shochian2.key
SSLCertificateChainFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.ca
<Directory “/var/www/html/”>

</Directory>
# ErrorLog /var/www/domain2/logs/error_log
</VirtualHost>

<VirtualHost *:443>
DocumentRoot /var/www/maxweber
ServerName max-weber.jp
SSLEngine on
SSLProtocol all
SSLCertificateFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.crt
SSLCertificateKeyFile /etc/pki/tls/private/shochian2.key
SSLCertificateChainFile /etc/pki/tls/certs/shochian2.ca
AddDefaultCharset UTF-8
AddCharset UTF-8 .cgi .htm .html .pl
<Directory “/var/www/maxweber/”>

</Directory>
# ErrorLog /var/www/domain3/logs/error_log
</VirtualHost>

注:ValueSSL社のサイトにあった説明では<VirtualHost *:443>の*の所に具体的IPアドレスが記載されていましたが、その記述ではバーチャルドメインが機能しなかったので修正しました。

7.systemctl restart httpd.serviceでapacheを再起動します。

「日本のマックス・ヴェーバー研究ポータル」設置

学生時代からお世話になっている折原浩先生の研究の結果をもっと効果的に日本のマックス・ヴェーバー研究者に活用してもらうという目的で、「日本のマックス・ヴェーバー研究ポータル」というのを設置しています。
まだ外形だけで中身は何もありませんが、これからじっくり時間をかけて整備していくつもりです。

ブログをSSL対応にしました。

現在私の自宅サーバーでは1台で2つのドメインを管理していますが、そこに更に1つ付け加わることになりました。それもあって、SSLの正式な導入を決めました。
現在GoogleはすべてのサイトでSSLを採用するようにプレッシャーをかけてきており、既に検索順位では非SSLサイトはSSLサイトより順位が下になるようにされています。更に2018年夏にChromeで非SSLサイトにアクセスすると警告を出すそうです。今回導入したSSLの証明書は1つの証明書ファイルで3ドメインのすべてに対応するマルチドメイン証明書です。
このブログ自体のSSL化は、Really Simple SSLというプラグインで行いました。ボタンを押すだけでとても簡単でした。ただ投稿中のリンクは手動修正する必要があります。

 

久地円筒分水と二ヶ領用水の桜:2018年春

先週はサーバーの再構築をやっていて、桜の写真を撮りに行けませんでした。今日まで桜が何とか残っているか心配だったのですが、まだほぼ満開状態でした。また久地円筒分水と二ヶ領用水ですが、ここの桜は私の定点観測の場所になっていて、ここの桜を見ないと春が来たという感じがしません。

荒川敏彦の「殻の中に住むものは誰か 『鉄の檻』的ヴェーバー像からの解放」

荒川敏彦の「殻の中に住むものは誰か 『鉄の檻』的ヴェーバー像からの解放」を読了。「現代思想」の2007年の11月増刊号の「総特集 マックス・ウェーバー」の中の一篇です。ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後に出てくる”ein stahlhartes Gehäuse”は、アメリカの有名な社会学者のタルコット・パーソンズがこの論文を英訳した時に、”iron cage”(鉄の檻)と訳し、この「鉄の檻」という言葉が一人歩きし、ヴェーバーが変質して(初期のプロテスタンティズムの倫理が忘れ去られて)人々を縛り付けるものとなった資本主義をペシミスティックに捉えた、と理解されるようになりました。実際、ミッツマンという人は、ヴェーバーの伝記を出す時にタイトルを「鉄の檻」にしています。また日本の大塚久雄も、この論文の日本語訳を改訳する時に、最初の翻訳者である梶山力が「外枠」と訳していたのを、わざわざ「鉄の檻」に変更しました。明らかにパーソンズの英訳に影響されています。
ところが、このパーソンズの英訳が「誤訳」で、Gehäuse(ゲホイゼ)は、一般的は「ケース」「外装」「貝殻」などの意味であり、「檻」のように中に無理矢理何かを閉じ込めるというニュアンスはなく、むしろ逆に中のものが傷つかないように守る、というニュアンスが正しいのだそうです。つまりヴェーバーはここで確立した資本主義のシステムを、(1)その中に守られて生きていくしかない(2)しかしそこから外に出て行くことは難しい(死んでしまう)という両方のニュアンスを込めている、とのことです。
これはなかなか目から鱗が落ちる感じでした。たった一語の翻訳ですが、それの誤訳でヴェーバーのイメージががらっと変わってしまいますから、怖いと思います。

折原浩先生の「ヴェーバー『経済と社会』の再構成 トルソの頭」

折原浩先生の「ヴェーバー『経済と社会』の再構成 トルソの頭」を読了。1996年に出版されたもの。1984年の冬学期から始まった東大駒場の教養学科と相関社会科学の大学院の合同演習で延々10年間をかけて、「理解社会学のカテゴリー」と「経済と社会」の旧稿部分の精読を進めた結果として発表されたものです。(私はその開始から2年半その演習に参加しています。)
「マックス・ウェーバー基礎研究序説」の時に紹介したように、「経済と社会」の従来二部とされてきた旧稿部分は、従来のように「社会学の基礎概念」をそのカテゴリー論として読むべきではなく、(直接的には「ロゴス」誌に発表され「経済と社会」とは一見無縁に見える)「理解社会学のカテゴリー」をカテゴリー論として、つまり「頭」として読むべきだという仮説を提示し、なおかつ最初の編纂者であるマリアンネ・ヴェーバーとメルヒオール・パリュイが恣意的に並べた順番を本来のあるべき順番に戻す、という作業を、「前後参照句」(「以前論じたように」とか「後で詳しく論じる」のように、テキストの他の箇所への参照を示す句)を手がかりに、その参照が「内容的に」どこにつながるのか、ということを精読を通じて地道に解明したものです。この「前後参照句」は実は最初の編纂の際に、その時の順番に合わせるために、編纂者によって書き換えられている可能性もあり、その手が加えられた箇所も同時に抜き出していかないといけません。その結果、全体で409の前後参照句の内、「旧稿の中のどこにも該当部分が無い」(が「理解社会学のカテゴリー」にその該当部分がある)、「前後の参照方向が間違っている」ものが41発見されました。その一つ一つを逐一詳細に論理的に検証し、(1)確かに「頭」として「理解社会学のカテゴリー」が必須であること(2)どうテキストを並べ替えれば順番の辻褄が合うか、という作業を徹底して行ったものです。
この作業の結果、旧稿に欠けていた「頭」が蘇り、また間違った配列も正される、「経済と社会」の再編纂問題における、画期的な進歩を達成したのが、この本に収められている論文になります。この本に入っている論文は独訳され、「ヴェーバー全集」を編集しているチームにも送られました。その中心メンバーであるシュルフター教授も、折原説には一度は賛成し、問題は解決したかと思われましたが、問題はさらにもつれます。これについてはまた次の機会に紹介します。

「汚名挽回」は誤用ではない!

「汚名挽回」が間違った表現だと言い張る人達がいます。ATOKも昔、JUST MEDDLERというお節介機能で「汚名挽回」と変換させると、「誤用で『汚名返上』が正しい」なんて馬鹿なメッセージを出していました。しかしその当時ATOKの企画に携わっていた私がその後強く抗議して(監修の先生とも相談の上)止めさせました。「劣勢を挽回する」というのが「劣勢を取り戻す」という意味ではなく、「劣勢状態を良い状態に回復させる」という意味であることを考えれば、「汚名挽回」も汚名の不名誉を雪いで良い方に持っていく、という意味であることは間違いありません。ググって見つけたサイトによると、1976年頃に、「汚名挽回」を誤用とする本が出て、それで広まったみたいです。つい最近では2月くらいの読売新聞の朝刊のコラムで「汚名挽回」を誤用と書いていました。

「汚名挽回」が間違っていないというのの証明として「青空文庫」で「挽回」を検索すると、

頽勢を挽回する(5例くらい)
名誉を挽回する
皇運を挽回する
敗戦挽回の策
勇気を挽回する
人気を挽回する
荒地挽回
家産を元通りに挽回する
旧勢力を挽回する
勢力を挽回する
頽(くづれ)を挽回する
蹉跌を挽回する
家運を挽回する
悪い体勢を挽回する
財産を挽回する
家運を挽回する
衰勢を挽回する

などで、かなり多く「マイナスの状態」を示す言葉にくっついています。ここから見ても「挽回」が「取り戻す」という意味でないことは明白です。

「名誉挽回」も「名誉を取り戻す」という意味ではなく、ニュアンスとしては「(失われた)名誉を復活させる」という意味だと思います。

その「汚名挽回」誤用説について、そのきっかけになったという「死にかけた日本語」という本を入手してみました。編者の中に福田恆存が入っているんで、まさか福田恆存ほどの人が何を馬鹿なことを言っているのかと思っていましたが、中を確認したら「誤用」としているのは単なる素人の投書です。それもある人が朝日新聞で「汚名ばん回」とあったのを間違いと投書して、それを「そうだそうだ」と引用して投書しているもの。間違いだという根拠は「挽回は取り戻すという意味で、汚名を取り戻すのはおかしい」という、俗説きわまりないものです。なんでこんな素人の屁理屈が堂々とまかり通るようになったのか、そちらの方が不思議です。

白井喬二の「信長と鉄火裁判」

白井喬二の「信長と鉄火裁判」を読了。大日本雄弁会講談社の「キング」の昭和9年8月号掲載。小説やエッセイと言うより、信長にまつわる逸話紹介という感じです。しかしながら、白井の日本逸話大事典にはこの話は出ていませんでした。お話は、信長の頃、「火起證」という裁判のやり方があって、それは古代の「盟神探湯」にも似ていて、裁判の両者に真っ赤に焼いた鉄棒や鉄板を握らせて、無事な方を勝ちとする、という今から見ると何とも不思議な判定方法です。この話では庄屋の甚兵衛と左介という者が争って、左介が池田信輝の被官だったので、裁く者が依怙贔屓で左介を勝ちとしようとしていたのに、たまたま信長が通りかかり、甚兵衛の代わりに焼けた鉄棒を握って何事もなく、甚兵衛を勝ちに導くという話です。

折原浩先生の「マックス・ウェーバー基礎研究序説」

折原浩先生の「マックス・ウェーバー基礎研究序説」を読了。1986年に出た本です。この本が出た時私は既に就職していて、この本をその時に買っていて一度読んでいますが、その時はこの本の内容を十分に理解したとはとてもいえないものでした。今回、まずテンブルックの論文(ヴェーバーの「経済と社会」の編纂問題を初めて指摘した人)を読み、それからベンディクスの書いたヴェーバーの全体像に関する本を読み、更にシュルフターが書いたこの編纂問題に関するまとめを読んで、ときちんと順序を踏んで再度この本に挑み、ようやくその内容がちゃんと理解できるようになりました。
ヴェーバーの「経済と社会」はその妻マリアンネによって、1920年までにヴェーバー自身が校訂を済ませた部分と、第一次世界大戦前の1911年~1913年に渡って書かれ、戦争その他の理由で出版されることがなく草稿のままとなった「旧稿」(ヴェーバーはこの「旧稿」もきちんと改訂して用いる予定があったのだと思いますが、1920年に彼はスペイン風邪からによる肺炎で急死し、この作業を行うことはできず、またどのように全体を構成するかのメモも残されませんでした)の2つの部分に分かれています。マリアンネと、またこの「経済と社会」の再編纂を試みたヨハネス・ヴィンケルマンの両方が、1920年校訂版を第一部、旧稿を第二部とする二部構成を採用し、一部が理論や範疇論で、二部がその具体的な展開で、「宗教社会学」や「法社会学」といった「○○社会学」という個別的展開であるという構成を採用していました。また第一部の冒頭には「社会学の根本概念」が全体に対するカテゴリーを説明するとして置かれていました。
で、テンブルックはこの構成が嘘であり、ヴェーバーが意図したものではなく、「経済と社会」にもはやヴェーバーの主著としての価値はないとします。これに対し日本では折原浩先生、ドイツではヴォルフガング・シュルフターがテンブルックの二部構成批判に対しては賛成するものの、「経済と社会」の価値を否定せず、改めてあるべき構成を再構築しようとしてきました。
この折原浩先生の書は、その研究の初期に書かれたものです。先生は、東京大学で10年間の年月をかけて、「経済と社会」の旧稿の部分の精読を行って、その中に含まれる「参照指示」(「これまで我々が見てきたように」とか「後でもう一度議論することになるが」といった、別の箇所への参照を示す章句)を分析し、それを手がかりにあるべき全体構成を見出そうとします。また、マリアンネ版でカテゴリー論文として冒頭に置かれている「社会学の根本概念」の内容が、旧稿には適用できず、旧稿を読むためには1914年に書かれた「理解社会学のカテゴリー」の中の諸概念を使わなければならない、ということを検証しようとしました。
私は、この折原先生の10年間の検証作業の最初の2年半に一学生として参加しました。その時は最初に「理解社会学のカテゴリー」をきちんと読み直し、その後「法社会学」以下への解読へと進みました。そういう意味で私にとっても思い入れの深い内容です。
折原浩先生の研究はドイツ語で論文として何本か発表され、その後ドイツでヴェーバー全集の編集委員の一人として同じくこの問題に関わったヴォルフガング・シュルフター教授と論争していくことになりますが、今後それも追いかけていきます。