ロジクールのメカニカルキーボード(オムロン製キースイッチ使用)


家でも会社でも文字入力数はそれなりに多いので、以前から高級キーボードに興味がありました。業界で有名なのはCherryのスイッチを使ったものですが、一般的に1万数千円から場合によっては2万円を超す値段でちょっと手を出す気がしませんでした。しかし、ロジクール K840 メカニカルキーボードというのが、7,646円で、レビューでも比較的高評価なんで、これを買ってみました。現物が届いたら、箱にスイッチ屋にはおなじみの操作力のグラフが付いていたので、これは多分ちゃんとしたスイッチメーカーがスイッチ部を作っているな、と思って調べてみたら、オムロンの鳥取工場で作っているものでした。
で、ちょっと使ってみたんですが、静音タイプではなく、昔のキーボードほどはカチャカチャしませんが、それなりにうるさいのと、ストローク(トラベル)量が3mmとかなり深く、今までのメンブレンに慣れた感覚だと深すぎて逆に手が疲れる感じもします。

考えて見ると、PCが普及する前は、英語圏ではタイプライターだった訳で、それも最初は手動です。今時手動のタイプライターを触ったことがある人はもうごく少数派でしょうが、あれはかなりの重さです。というかある程度の重さと加速度を付けてキーを叩かないと、ちゃんと字が印字されませんので使い物になりません。タッチタイピングではなくヒットタイピングです。特に力の弱い小指でちゃんと打つのはかなり大変で、人によっては左右それぞれ三本指でタイプを打つ人は昔は結構いたと思います。電動タイプライターがアメリカで普及し出すのは丁度第二次世界大戦の頃からぐらいみたいですが、電動タイプライターは手動のように力一杯叩く必要はないので、キーの重さは軽くなったかというと、私の知る限りではそれなりの重さが維持されていたと思います。それはやはり手動タイプライターで打ち癖が付いている人が違和感なく打てるという配慮だったと思います。何が言いたくてタイプライターの話を延々としているかと言うと、初期のコンピューター用のキーボードも、タイプライターに習って、それなりに重さがあり、かつストロークがあるものが好まれたのではないかと言うことです。つまり、メカニカルキーボードがいい、と言っている人は、ある意味昔のキーボードが懐かしいというだけではないのでしょうか。今はメカニカルよりキーの重さも軽く、ストロークも短めのメンブレンのキーボードどころか、それを通り越して、毎日スマホの液晶に表示されたソフトキーボードを押すのではなく、タッチして文字を入力しており、それに慣れてしまいつつある訳です。

私は大学の時に卒論をドイツ語で書かなければならなかったので、ABCの電動タイプライターを持っていましたし、パソコンに至っては1980年にNECのPC-8001を買っている、というキーボードに関してはかなり先駆者的存在です。なので、タイピングはそれなりに速く、また以前勤めた会社で日本語変換ソフトを開発していた関係で、文字入力の効率にもかなりこだわりがあります。そういう経験から、今のメカニカルキーボードを考えると、これが本当に「打ちやすさ」とか「高速な入力」に貢献しているかというと、ちょっと疑問に思います。本当に「タッチタイピング」で高速に入力するなら、重い操作力や長いストロークはむしろそれに反すると思います。まあメカニカルキーボードでも実際は接点がONになるポイントは一番奥まで押した所ではなくてもっと浅いので、メカニカルキーボードで高速入力しようと思ったら、キーを奥まで押し込まないで途中まで打って次のキーに移ることが必要だと思います。

まあ、メカニカルキーボードをそれなりに使って、それからメンブレンを使うと確かにゴムのぐにゃっとした感触に違和感がありますが、しかしそれは慣れの問題に過ぎないように思います。

タイムトンネルの”Devil’s Island”

タイムトンネルの”Devil’s Island”を観ました。今度は1894年のドレフュス事件で、ドレフュスが流された南米の仏領ギアナ沖のディアブル島(デヴィルズ島)にトニーとダグが流されます。この事件は、反ユダヤ主義の事件として有名なものなので、おそらくはアメリカのマスコミに多いユダヤ系の人が脚本を書いたのではないかと思います。この回ではタイムトンネルのスタッフはまたも間違えてデヴィルス島の囚人の一人を現代に転送してしまいます。(それでいてトニーとダグは何故現在に戻らずに色んな時間に飛ばされるのかまったく説明が無いです。)しかし、結構19世紀と20世紀初めの話が多いのは、アメリカ人に受けやすい歴史というとその辺になるのでしょうか。日本で幕末がやたらとドラマ化されるのと同じかもしれません。

PENTAX K-1 また故障

PENTAX K-1については、5月末にカードスロットの不良を修理(基盤交換)をしたばかりです。それまでSDカードを抜いてPCに挿してデータを読み取っていたのですが、あまり頻繁にSDカードの抜き差しをするとまた壊れるのではないかと考え、USB接続によるデータ読み取りに変えました。しかし、約1ヵ月経った所で、今度は2つのカードスロットがUSBのドライブとしてまったく認識されなくなりました。別のPCでも試してみましたが、同じでした。無償での修理を申し込みましたが、何だかなあ…
また、イメージトランスミッターというソフトでのテザリング接続も動作しておらず、これは修理完了品を受け取ってからそういう状態です。ただテザリングは機能がしょぼくて今は使っていないので、特に再修理には出していませんでした。

追記:修理に出す前にもう一度見てみたら、USBの受け端子が基板から外れていました。まったくPENTAXの欠点は昔からこういうハードウェア関係のもろさです。

NHK杯戦囲碁 依田紀基9段 対 清成哲也9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が依田紀基9段、白番が清成哲也9段の対局です。依田9段は特に布石を中心とする碁の明るさ、清成9段はご本人が「亀さん流」と称されているように着実な手を打って相手に付いて行き、最後に抜き去るという碁を得意としています。本日の対局はまさにその二人の特長が良く出たものになりました。布石は左下隅で黒がかかって挟まれたのに手を抜いて、更に付けて封鎖された時に、黒が割り込んでいき、依田9段の得意のパターンになりました。しかし清成9段も研究会でこのパターンを研究していて、左辺で白の3子を頭をぶつけて打ったのがある意味新手でした。しかし白は左辺で切りを打たないで左上隅に転じ、すかさず黒に左辺を開かれ、左下隅は劫残りとはいえ白が取られていて新手の効果は不発気味でした。その後白が右上隅に裾がかりしていって上辺に展開した時に、黒が左上隅に仕掛けて行きました。白は目一杯頑張って左上隅を地とし、左辺の黒1子も制しましたが、その代わり白3子を取られ、ここで黒が優勢になりました。しかしここからの黒の打ち方があっさりしすぎで、厚みを生かして上辺の白を攻めたてれば良かったと思いますが、白の右下隅の大ゲイマ締まりを軽く消しにいって十分という判断でした。白は左下隅の劫を仕掛けましたが、結局劫は黒が勝ち、劫立てで白は黒の右辺の模様を破りました。これで差は縮まりましたが、ヨセ勝負となりました。ヨセも黒のリードで進みましたが、白の左辺に進出した石を切り離しにいったのが余計で結果として白はすべて連絡し、また右辺にも左辺にも進出出来て、ここで白が逆転しました。結局白の半目勝ちで、イソップ寓話のウサギとカメの競争の結果そのままとなりました。依田9段の対局はこれまで何度か見ていますが、負ける時は今日のような楽観しすぎの逆転負けが多いようです。

TOEIC S&Wの公式練習問題集

今度の7月1日にTOEICのSpeaking&Wrtingテストを受けるので、週末はその模擬試験(公式問題集)をやっています。しかし、その模擬試験集の解答例がとても変。例えばこの写真はライティング用の問題で、この写真を見て、写っているものを”wait”と”because”の2つの単語を入れて一文で書きなさい、という問題です。その解答例が”People are waiting at the airport because their connecting flight has been canceled.”になっています。この絵のどこに「接続便がキャンセルされた」などという情報があるのか、謎です。何やら表示板は写っていますが、ぼけぼけで文字は判読できません。このテストはどうもフェイクニュースのライターを養成する試験みたいです。もう一方ではスピーキングの方で、写真の内容を出来るだけ詳しく述べなさいという問題もあり、そちらはおそらく勝手に想像を交えて脚色するのは多分不可です。
また、スピーキングで相手が何か問題があると言っているのを、「その問題について分かったことを伝え」、「その上で質問を一つと提案を二つする」なんていうのもあります。これが結構大変で、「貴方はイタリア料理のケータリングサービスをやっています」という前提で、相手が今週末に何か会社の人同士のパーティーをやるから、そこに料理を届ける、ということで、どういう料理やサービスを提案するか、という問題です。これ、自分が良く知っている業界だったらそんなに難しくありませんが、この「イタリア料理のケータリングサービス」なんてほとんど知識がなく、具体的な提案をするのはかなり大変です。また、社会人経験がない学生さんにとってもかなりの難問になると思います。

タイムトンネルの”Massacre”(大量虐殺)

タイムトンネルの”Massacre”(大量虐殺)を観ました。1876年にカスター将軍がインディアン(ネイティブ・アメリカン)との戦いで殺されるまでを描いたものです。この話もアメリカ人なら誰でも知っている話でしょう。カスター将軍というのはWikipediaで見ると、南北戦争で非常に勇敢な兵士として数々の功績を挙げ、20代にして将軍になった人です。しかし、その後1868年に平和主義者のインディアンであったシャイアン族の集落を襲い、女子供まで皆殺しにするという虐殺を実行します。そしてこの虐殺がその後のアメリカのインディアンに対する基本方針に大きな影響を与えることになります。1876年にリトルビッグホーンでカスター将軍は200人ぐらいで2000人近いインディアンと戦って戦死しますが、そのことによって彼はアメリカの英雄に祭り上げられます。そういう時代が長く続きましたが、ようやく1960年代になって公民権運動の盛り上がりもあってインディアンからの主張も取り上げられるようになり、次第にカスター将軍の残虐さが暴かれ、英雄から悪役へと変わっていくことになります。このタイムトンネルの話は丁度カスター将軍観の転換期であって、インディアンが一方的に悪役として描かれることはなく、タイムトンネルの所長が「どっちが野蛮人なんだ」とつぶやき、スー族の子孫である男が「野蛮人はどちらの側にもいる」と答え、中立的に描かれます。またカスター将軍は自分の栄誉に走ってトニーやダグの忠告を一切聞かない男として描かれています。写真はシッティング・ブルがトニーの力量を確かめようとしてインディアンと戦わせる場面です。なお、この回でもトニーとダグが現在に戻れないのに、スー族の男が間違ってタイムトンネルの管理センターに飛ばされます。そこでその男はスー族の子孫である男からスー族の言葉で説得され、平和の道を探るためにまた元の時代に戻ります。

タイムトンネルの”Revenge of gods”

タイムトンネルの”Revenge of gods”を観ました。今回ははるか昔に飛ばされて、何と「トロイの木馬」で有名なトロイア戦争です。トニーとダグがギリシア軍に会って、いきなり英語で話し始めます。19世紀のインドネシアで現地人が英語しゃべるというのは絶対にあり得ないということはないですが、さすがに紀元前12世紀にはまだ英語どころかその元になっているゲルマン諸語だって無いと思うのですが…
で、この回もう無茶苦茶。トニーがトロイとの戦いに参加して危なくなると、タイムトンネルの総責任者の司令官は、「マシンガンを転送しろ!」と命じます。マシンガンだけの転送は失敗に終わり、今度はジグスという警備員にマシンガンを持たせて紀元前12世紀に送り込みます。もう歴史にひたすら介入しまくりで「戦国自衛隊」状態。そしてトニーをマシンガン乱射で救ったジグスは、すぐに現在に戻されます。それが出来るんだったら、何故トニーとダグが戻れないのか、何の説明もありません。
後逆に、トロイの兵士が間違って転送されてタイムトンネルの基地に現れます。彼は警備員と戦った後、剣を投げつけて元の時代に帰って行きましたが、残された剣を見て、「トロイア戦争は神話じゃなくて本当にあったんだ!」とスタッフが話しますが、トロイア戦争が歴史的事実であることは、シュリーマンが遺跡を発掘してとっくに知られていた筈ですが…
また、「イーリアス」を始めとするこの戦争の記録は、事実と神話をごちゃごちゃにしていますが、何故かこの話に登場するユリシーズ(オデュッセウス)を始めとする登場人物は神話の話を事実のように語ります。

歴史は科学か?邪馬台国関連フェイクニュース

相変わらずWeb上にはフェイクニュースが多いです。
これ(「モモの種で「邪馬台国論争」終止符か」)もその典型。奈良県の纏向遺跡から桃の種が大量に出土し、その年代鑑定が邪馬台国の時代と一致するから、纏向遺跡が邪馬台国だという、無茶苦茶な論理。

魏志倭人伝の邪馬台国の箇所には、かなり詳細な邪馬台国の植生の記述が出てきますが、そこに「桃」の記述はまったく出てきません。「桃支」という単語は出てきますが、これは竹の種類の一つです。

この作者は「中国でモモ(核果類)が栽培された歴史は6000年以上ともいわれ、やがて日本にも伝えられたのだろう。もしも卑弥呼が不老不死の西王母にならってモモを食べていたなら、今回の纒向遺跡で大量のモモの種が出土したこととつなぎ合わせ、また年代も合致することから邪馬台国の場所である可能性が高い。」と書いているが、こんなデタラメな論理は見たことがないです。卑弥呼が桃を食べていた証拠は一体どこにあるのでしょうか?西王母信仰と卑弥呼との関連も何の説明もない論理の飛躍そのものです。また、日本の遺跡での桃の種の出土例は今から約6,000年前の縄文前期の遺跡に遡るそうなので、中国と同じくらいの歴史が日本にもあることになり、たまたま桃の種が多く出土したから、それが邪馬台国と関連がある証拠にはまるでなりません。

纏向遺跡から邪馬台国と同じ時代の桃の種が多数出てくるなら、それはむしろ纏向遺跡が邪馬台国ではない有力な証拠としか思えません。(そもそも纏向遺跡には、その出土品の中に大陸との交流を示すようなものがほとんどなく、邪馬台国関連の遺跡であるというのは元々無理があります。)(こういう単純な論理がわからなくて、今回の件をほぼそのまま報道している毎日新聞、朝日新聞、日経新聞の新聞各社も、無責任きわまりないと思います。)

さらには、ベースとなっている放射線炭素年代測定もかなり怪しいです。2800個の桃の種の内調べたのはわずか12個(0.4%)で、それでいて「この12個は同じ時期に捨てられた可能性が高い」とし、にも関わらず「西暦135~230年のほぼ100年間」と断定していますが、この記述が正しければ、単にその100年のどこか1年で食べられたということに過ぎないのに、わざと幅を持たせてその時代ずっと桃が食べられていたかのように記述し、邪馬台国の時代と一致するような印象操作を行っています。更にはその12個が本当に同じ年代なのであれば、サンプリングとして適切だったかどうか、なおさら別の試料も調べて対比するべきだと思います。(私の想像では多分実際はもっと多くの桃の種を測定し、その中から都合の良いデータだけを選んだのではないかと思います。)

藤村新一による旧石器時代の遺物捏造事件は記憶に新しい所ですが、考古学界の体質は変わっていないようです。
(私は大学の時に、教養学科の選択科目としてですが、考古学を1年ほど学んでいます。東京大学の考古学教室そのものは本郷にありますが、駒場の教養学科でも文化人類学をやっている関連で、考古学の授業がありました。)

マックス・ヴェーバーの「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」(富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳)

マックス・ヴェーバーの「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」(富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳)を読了しました。元々富永祐治・立野保男訳で「社会科学方法論」という書名で岩波文庫で出ていたもので、この論文の初の日本語訳だったものです。実は日本語訳については他に4種類くらい出ていて、たとえば「中世合名会社史」や「ローマ農業史」が未だに日本語訳が一つも出ていないのと著しい対照を成しています。折原先生は元々岩波書店から「新訳」を頼まれたそうですが、最初の翻訳を参照しながら、どこが新しくなったのか分からないような「新訳」が多数出る状況に疑問を抱かれ、実際には訳文の全面的な見直しをされたにも関わらず敢えて「補訳」と称されています。更には雑誌「アルヒーフ」に載った「移行予告」「告別の辞」「緒言」も一緒に掲載し、その上折原先生による丁寧な解説が付いているという、この論文の日本語訳の決定版です。
この論文をこのタイミングで読み直しているのは、今「経済と社会」の旧稿部を読んでいる訳ですが、そこで「決疑論(カズイスティーク)」について考えた際に、決疑論でまず行われる歴史の諸事例の類型化というのはまさに「理念型」なのであり、ヴェーバーが「理念型」にどのような意味を込めているのかを再度確認したくなったからです。結局の所ヴェーバーの学問は(というよりちゃんとした社会科学は)歴史事象を分析してある理念型を作り、それを元に理論を組立て、その結果更に考えが発展したら一旦設定した理念型を壊してまた新しいものを作り、ということを延々と繰り返していくものなのだ、と理解しました。
話は少しずれますが、ヴェーバー的方法論というのは、私にとって学問だけの問題ではなく、たとえばビジネスにおいても非常に役に立っています。ビジネスにおける様々な問題も社会科学の設定する問題とかなり近いものがあり、例えば自然科学の天文学のように、月食の日時を正確に予測する、といった精度で理論を組み立てることが不可能な事象が多数存在します。そういった場合に、(ビジネス上の)価値判断とは切り離した上で、自分なりに理念型を構成し、曖昧模糊とした先行きを少しでも正確に予測する、ということの方法論として十分に役立っています。なのでヴェーバーの学問は私にとって、閉じた象牙の塔だけのものでは決してない訳です。

タイムトンネルの”Crack of doom”

タイムトンネルの”Crack of doom”を観ました。この回は、インドネシアのクラカトア火山の1883年の大爆発の直前にトニーとダグが送り込まれます。例によって何故か英語がペラペラの現地人とかは置いておいて、この回は色々新しいことがあって、なかなか面白かったです。タイムトンネルのスタッフによる新しい試みで、2人一度に転送するのではなく、1人にエネルギーを集中させる、ということを行い、トニーが首尾良く「現在」に戻ります。しかしトニーがそこで見たのは時間が止まった世界でした。仕方なくトニーは、メモを残して、自分でタイムトンネルを操作して、クラカトアに戻ります。その後、今度はトニーとダグの世界とタイムトンネルのコントロール・ルームの間の通信が、短い時間だったけど成功します。その通信(まるで天から降ってくる声)を聞いて、それまでトニーとダグの言うことを信じなかったイギリス人の火山学者とその娘が避難することを了承します。なおこの時の大爆発で、島は全て吹っ飛び、またその時発生した大津波によって、全部で3万6千人もの死者が出ています。
次の回は、トロイア戦争で、あの木馬が出てきます。(要するに、製作会社である20世紀フォックスがかつて映画にしたことがあるものの、そのフィルムがそのまま使われています。)