松本道弘の「難訳・和英口語辞典」

松本道弘の「難訳・和英口語辞典」を読了。「辞典」となっていますが、実際には英語に関するエッセイみたいな感じで読めます。会社で日本語の文書を英訳している時にしばしば「これはどう訳せばいいのか」と悩むことの解決になればと思って買ってみましたが、この本は「口語辞典」であって、書き言葉の英訳にはあまり役に立たないと思います。また、「口語」としても、実際に会話している時にこの辞典を引くわけにもいかず、そうだからといってこの本の内容を一度読んだくらいで全部マスターして、すらすら口から出てくるなんてこともあり得ないので、実用性に関しては疑問です。ただ、ネイティブにとって理解しやすい、本当の意味での英語らしい表現を学ぶ本としては価値があると思います。ただ、「難訳語」の英語化といっても、個人的見解では、いつの場合でもこれで大丈夫といった決まったものはないと思っています。文脈や伝える相手の教養の程度などで、その都度英訳も変わらないといけないと思っています。

天頂の囲碁6との九路盤互先対局 白全滅。

この対局は天頂の囲碁6との九路盤互先の対局で、左下の白が死形になるまでは前の対局と同じ。その後の打ち方で最善は何なのかを試してみただけですが、何と白は全滅して72目半勝ちになりました。右上隅の白が死んでしまったのは驚きで、Zenが基本的な死活を理解しているのか疑問に思います。また、最後の手77も不要なのですが、何故かこう打たないと天頂の囲碁6は左下の白が死んでいると認識してくれないので、やむを得ずこう打っています。

NHK杯戦囲碁 王立誠9段 対 淡路修三9段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が王立誠9段、白番が淡路修三9段の対局です。王9段はかつて棋聖2連覇などタイトルを取った一流棋士、かたや淡路9段もタイトルこそ取っていませんが、挑戦者としては何回も登場し、ロッキーと言われた剛腕の持ち主です。対局は白が左上隅でやり損ねて、はっきり活きて厚くはなったのですが、何手もかけ過ぎで効率の悪い打ち方で黒に地を稼がれてしまいました。白がその左上隅から左辺を更に押していった時に黒が左下隅をかけたのが好手で、左辺で白が出切って1目取る価値を小さくしました。黒は逆に白を出切って、隅から効かせ、先手で切り上げ右下隅のかかりに回り、黒が優勢でした。しかし白はその後うまく打ち回し、黒に弱石2つを作ってこの2つをカラミ攻めにすれば有望な局面かと思われました。しかし、白は2つの石の分離がうまくいかないと思ったのか自重した手を打ち、黒はつながることが出来ました。これで再び黒が優勢になったようです。その後白は左下隅の黒を封鎖する手を打ち、これが先手と思っていましたが、黒は受けずに中央を打ちました。白は左下隅の2の2に付けていきましたが、黒から1線に下がる手が好手で、白からは最初に4目取られて、その後劫になるくらいしかありませんでした。最後に白は黒に包囲された中央の白1子を動き出しましたが、最後は攻め合い1手負けで手にならず、ここで投了となりました。終始王9段の冷静な打ち回しが光った1局でした。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(下)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(下)を読了。予想通りブッデンブローク家は次第に没落していき、当主トーマスは年齢を重ねるに連れ、次第に厭世的になり、やがてショーペンハウアーの厭世哲学に救いを見いだします。しかし、歯の治療の失敗が原因で、濡れた路上で転倒して頭を強打し、まだ50歳にもならない年齢で命を落とします。後を継ぐべきハンノはまだ若く、かつ芸術家気質で、結局ブッデンブローク商会は100年の歴史の後で解散となります。愛すべきトーニは、これらすべての一家の没落を最後まで見守るという役を演じます。最後の希望だったハンノも、物語の最後で突然…という終わり方をしていてある意味救いようのない結末ですが、不思議と陰惨な感じはしません。それはブッデンブローク家というある一家だけの滅亡というより、産業革命や宗教改革で生まれた市民層そのものが没落していく話だからかもしれません。トーマス・マンの年譜が最後についていますが、意外だったのがマンがいわゆるインテリではなく、ギムナジウム出身ではないことです。この小説中のハンノと同じく、マンも学校とはきわめて相性が悪かったようです。北杜夫がマンの小説の中で、何故これを最高傑作としているのかが、今回読んでみてももう一つ判然としませんでした。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(中)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(中)を読了。父のコンズル・ブッデンブロークの死後、その長男トーマスはブッデンブローク商会を継ぎ、そこそこの安定成長を実現します。その弟のクリスチアンは遊び人で何の仕事をやっても長続きせず、身を持ち崩して行きます。妹の愛すべきトーニは、最初の夫と別れた後、今度こそ心の美しい(容貌は大したことがない)男性を見つけ再婚しますが、その男性の郷里であるミュンヘンになじめず、また夫がトーニの持参金を得ると仕事をやめてぶらぶらしだし、挙げ句の果ては小間使いに手を出し、その不倫の現場をトーニに見られ、トーニはまたも出戻りになってしまいます。一方でトーマスは仕事で着実な成果を上げる一方で参事官に選ばれ市の政治にも参加します。
こういった感じで、中巻は、ブッデンブローク一家が繁栄しながらも、あちこちに影が忍び寄ってきて、やがてこの一家が没落していくのではないかという予感を抱かせます。特に、トーマスの一粒種のハンノが、その母親のゲルダがヴァイオリニストである血を引き、音楽を熱愛し商売に関心を示さず、ここでブッデンブローク家の跡継ぎに異分子が現れます。この小説は、マン自身の家系をモデルにしているということですが、このハンノの設定は、マン自身の経験が投影されているのでしょうか。それ以外に、この小説は普仏戦争の当時のドイツの社会の雰囲気とか、北ドイツの人が、南部のミュンヘンの人をどうみていたのか、といったことも教えてくれます。

津田山の昔

「大衆文藝」の第二巻第五号(昭和2年3月)の裏表紙裏にあった、玉川電車の広告です。これは2000年まであった東急新玉川線の昔の姿です。(現在は東急新玉川線は東急田園都市線に取り込まれています。)
私は南武線の久地駅が最寄り駅なのですが、久地駅から川崎方面への次の駅が津田山駅です。この広告によると何と津田山には「津田山遊園地」があったみたいです!(ちなみに現在は川崎市営墓地です…)調べて見たら、元々は七面山と言った山をこの玉川電車の津田社長という人が開発して遊園地にしたみたいです。で津田社長の名前を取って、七面山から津田山に名前が変えられたのだとか。ちなみに駅の名前も、最初は「日本ヒューム管前停留場」でした。現在の日本ヒュームの川崎工場が1940年にここに作られたからです。
また、玉川電車の昭和2年の渋谷から二子玉川までの運賃は16銭です。現在の田園都市線での同じ区間の料金は195円です。倍率で約1200倍です。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(上)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(上)を読了。北杜夫の「楡家の人びと」をいつか読もうと思っていますが、その前にはまずこれを、ということで読み始めているものです。訳者の望月市恵は、旧制松本高校で北杜夫のドイツ語の先生だった人です。「どくとるマンボウ青春記」に、北杜夫らが「太陽党」(Die Sonnepartei)を結成すると、Die Sonnenparteiの方がいいよ、と言ってくれるドイツ語の先生が登場しますが、それが望月市恵です。ただ個人的には、この望月さんの訳はイマイチで、低地ドイツ語やその他のドイツ語のバリエーションや、フランス語が混ざった会話を苦労して訳しているのはわかるのですが、今一つこなれていないという感じがします。といっても今さらドイツ語で読もうなどとはさらさら思いませんが…
物語は19世紀の北ドイツのリューベックで、裕福な商人の一家だったブッデンブローク家が段々と没落していく様子を描いた長篇です。上巻ではコンズル・ブッデンブロークの娘のトーニが中心で、意に染まないが裕福な商人から結婚を申し込まれ、それを断って時間稼ぎをしている内に、モルテンという医者の卵の青年と本当の恋をするけど、結局親の勧める裕福な商人との結婚を承諾する。そして二人の間には娘が生まれるが、ところがその裕福な商人の正体は…という展開です。

白井喬二の「華鬘(げまん)の香爐」(贋花)

白井喬二の「華鬘(げまん)の香爐」を読了。読切小説倶楽部昭和26年4月号に載っているもので、ヤフオクで見つけて、白井喬二のまだ読んでいない作品だと思って落札したのですが…半分くらい読んだ所で、「うん?」とこの話既に読んでいるという思いが。慌てて、白井喬二のこれまで読んだ本をひっくり返してみたら、昭和16年に出た短篇集「洪水図絵」に入っている「贋花」が改題されただけでした…
物語は、ある庄屋が飢饉の救済の金に充てようと、家宝である「華鬘の香炉」を300両で売ろうとするが、大金だけに、鑑定書を買おうとした殿様から要求されます。庄屋は50両の手数料で、人を介して近くの高僧に鑑定書を頼むのですが、ところが…という話です。白井喬二の戦争の頃の作品は、短篇集「侍匣」の多くの話が戦後の短篇集「ほととぎす」で再利用されていますが、今回のケースもそれみたいです。

天頂の囲碁6との九路盤 ついに互先対局

天頂の囲碁6との九路盤対局、今度はついに互先(コミ6目半)での対局。しかし、途中の手順が少し違いますが、結局左下隅は前二局とまったく同じ形になりました。白はこのまま死形です。(一見セキみたいに見えますが、白から内ダメを詰めると、5目中手になり白死。黒からは外ダメをすべて詰めてから、板六の形に6目にして取らせて、急所に置けば白死です。)後は回りを包囲している黒が二眼作って活きてしまえばそれで終わりで、この碁では右下隅で二眼作れましたのでそれで終わりです。黒の31目半勝ち。

 

群司次郎正の「侍ニッポン」

群司次郎正の「侍ニッポン」を読了。この作品は映画化を前提に執筆され、その映画化の時の主題歌で有名です。曰く、
♪人を斬るのが 侍ならば
恋の未練が なぜ斬れぬ
伸びた月代 さびしく撫でて
新納鶴千代 にが笑い
昨日勤王 明日は佐幕
その日その日の 出来心
どうせおいらは 裏切者よ
野暮な大小 落し差し

という歌詞が、昭和6年当時(満州事変の頃)の世相とマッチしてヒットしました。といっても、私の世代がこの歌のことを少しでも知っているのは、梶原一騎・井上コオの「侍ジャイアンツ」で主人公の番場蛮がよくこの歌の替え歌を歌っていたからです。曰く
♪タマを打つのが 野球屋ならば
あの娘のハートが なぜ打てぬ
思いニキビを プチュンとつぶし
番場の蛮さん 泣き笑い

しかし、梶原一騎は子供の頃元歌を聞いたのでしょうが、「侍ジャイアンツ」の読者だった当時の子供(私を含む)が元歌なんて知る由もないですが…
お話は、幕末の安政から万延にかけての動乱の時代、大老井伊直弼の落とし胤である新納(にいろ)鶴千代が、ふと悪旗本から救うことになったお公家様の姫君に恋しながら、武士という身分に疑問を持ち、勤王にも佐幕にもなりきれないながら、色々なしがらみで水戸藩の勤王の志士と行動を共にするが最後は…という内容です。鶴千代は剣の腕はすばらしいものがあるのですが、酒に溺れ女性にも未練を持ち、胸が空くような活躍はまるでしません。その辺りのニヒルさが戦争へとひた走る日本の雰囲気と合ったのかもしれません。