菊地清麿の「評伝 古関裕而」

菊地清麿の「評伝 古関裕而」を読了。自伝とムック本を除いて、古関裕而に関する本はこれが5冊目です。これまで読んできた本で最大の不満点であった「古関裕而の音楽そのものへの分析がほとんどない」という点に関しては、この本はかなりの情報量を持っています。筆者は元々明治大学で古賀政男以来の伝統を持つマンドリンクラブにいた人のようで、昭和流行歌謡史が専門のようです。それはいいのですが、そういう長所を言う前にこの本の校正レベルの低さに辟易しました。ほとんど数ページに一箇所ぐらいの割合で校正ミスを発見します。また、とても信じられないような内容を書いている箇所も多数あり、例えば古関が奥さんの金子さんのために作曲したオペラ3作について「どの作品をとっても豊かな音楽性に溢れ、出演者の力量を十分に活かした作品だった」(P.233)と書いていますが、この人はそういうことを一体どうやって確認したのでしょうか。と言うのもこの3作のオペラについては録音テープがあったらしいのですが、アメリカに送られて行方不明と聞いており、これまでレコードもCDも出ておらず、おそらく放送もされていません。また1960年生まれということなので実演を聴いたということもあり得ません。つまりは聴いても(観ても)いない音楽で適当なことを書く人なのだということです。また、古賀政男がコロンビアから首にされたと書いている所もありますが、実際はテイチクに好条件で引き抜かれたのであって、コロンビアは古賀を訴えています。首にした者を訴える筈がありません。という具合で、ともかく色んな情報があるのはいいのですが、かなりの部分が記憶にだけ頼って書き飛ばしている感じで、一つ一つ他の資料で確認しないととてもそのまま信じる気にはなりません。筆者は大学で講師として教えているそうですが、その割りには日本語も変な箇所が沢山あります。ともかく残念な本でした。

ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳の第43回目を公開

ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳の第43回目を公開しました。今回はゲゼルシャフト(ソキエタス)の連帯責任原理が法的にどういう風に論理構成されたかという議論です。
残り12.5ページとなり、ラストスパートに入っています。まだ終わっていませんが、ここまで来れて感無量です。

ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳の第42回目を公開

ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」(最終的な翻訳名はこれにしようと思っています)の日本語訳の第42回目を公開しました。
第5章が終わり、ついに結論の章に入りました。結論部はラテン語やイタリア語の出て来る割合が少ないので助かります。この箇所でもまた利子禁止(高利禁止)の話が出てきます。
この42回を含め、後5回で最後まで行く予定です。9月20日頃で一通り翻訳を完了し、その後校正に入り、年内には最終版を公開出来ればと思っています。最初の予想よりもかなり早く完成しそうで、ヴェーバーの没後100年の記念の年に間に合いそうで何よりです。

白井喬二の未読本(龍ケ崎市歴史民俗資料館蔵)

先週訪問した龍ケ崎市歴史民俗資料館で入手した、ここで過去に行われた白井喬二展の図録。ここが所蔵している白井喬二の本で私がまだ未読なのは、

彦左一代(地龍の巻)   
淡海社  昭和8年
新説岩見重太郎      
文芸図書 昭和27年
しぐれ草紙        
恭誠社  昭和33年

の3冊。その内貸してもらえないか手紙を書くつもりです。おそらく倉庫にしまってあるだけだと思いますが。上の2つは前からあるのを知っていますが、最後の「しぐれ草紙」は今まで聴いたことがなくてどんなものなのか不明です。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第41回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第41回目を公開しました。第5章も後1段落を残すのみで、全体でも残が21ページになりました。9月末までの完了(校正前版)を予定しています。面倒な中世イタリア語の翻訳も、最終章(結論部)では1箇所8行ほどが残っているだけであり、山は越えたと思います。

龍ケ崎市歴史民俗資料館

8月10日に茨城県龍ケ崎市の歴史民俗資料館に行って来ました。何故かというと、白井喬二は人生最後の10年間を、次女の嫁ぎ先であった龍ケ崎市で過ごしているからです。かといって白井喬二に関する展示はありませんでしたが、20数年前に展示会をやった時の図録を買えましたので、戦果はありました。その図録によるとこの資料館は私がまだ読んでいない白井作品を3作くらい持っていることが分り、その内貸してもらえないか手紙を書こうかと思います。
展示は、何かほとんど私の子供時代でした。既にそれらが博物館などで展示されるようになってしまったということです。特に食品店兼お菓子屋みたいな店のガラスケースが懐かしいです。昔はたとえばオカキみたいなのはこういうガラスケースに売っていてグラムいくらで量り売りでした。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第40回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第40回目を公開しました。フィレンツェの通貨システムについての調査に時間がかかりました。
英訳はますます手抜きになってきて、時には元のイタリア語の文章の半分だけ訳している箇所まで出て来ています。(前回ドイツ語でも訳さないで飛ばしている所がありました。)
そのため、自分で考えて訳すしか無くなっておりその分時間がかかっています。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第39回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第39回目を公開しました。いい調子でこの分だと9月20日頃には最後まで行き着きそうです。
ところでまた英訳の話ですが、ここでは理解出来ない箇所を訳さないで飛ばすという暴挙に出ています。もう馬鹿馬鹿しくなったので訳者には逐一連絡しませんが。
この箇所の話は、これまでのちまちました貿易のためや家内制手工業のためのソキエタスではなく、フィレンツェの名門銀行家ファミリーの話で、歴史としてみても興味深い所です。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第37回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第37回目を公開しました。
この箇所は中世フランス語が出てきたり、また中世イタリア語の所で、eccecuzioneという単語が色々調べて見てもヒットせず、ググるのを繰り返してようやく現代のイタリア語ではesecuzione(執行する)という単語だということを突き止めることが出来ました。今になって冷静に振り返ってみれば英語のexecutionとほとんど同じですね。
これで全体の約8割が完了しました。後10回くらいで終わると思います。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第36回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第36回目を公開しました。ここの所割といいペースで進んでいましたが、ここは中世ラテン語(Vulgar Latin)の法規が3つも4つも出てきて大変でした。「蹄鉄工」とか「養蚕」とか古典ラテン語の時代にはないものばかりで、当然古典ラテン語の辞書を引いても出てきません。また注の中で当時のゲルマニステンの代表であるギールケを批判しているのですが、それも元のギールケの説が分らないので意味を取るのに苦労しました。まあこの辺りが胸突き八丁です。