オーランド・ファイジスのクリミア(読了)

オーランド・ファイグスの”Crimea”をようやく読了。毎日20~30分音読して2ヵ月かかりました。しかし読んで良かったです。この戦争はロシア以外にはほとんど「忘れられた戦争」です。
イギリスは、海軍力は優れていたのでしょうが、民主主義の祖国の一つでありながら、貴族階級と平民という階層をそのまま軍隊が引き継ぎ、無能で優柔不断な貴族出身の指揮官が、多くの戦いで多数の犠牲者を出し、フランス軍の足を引っ張っています。(ちなみにイギリスの軍隊の階層システムをそのまま導入したのが大日本帝国海軍です。海軍での士官以上と一般兵卒の待遇の大きな差は有名です。例えば戦艦大和で士官以上用のトイレは70人に対し11箇所{6.4人に1箇所}、一般兵用は1,330人に12箇所{111人に1箇所}でした。出典:「日本軍の小失敗の研究」)この戦いでのナイチンゲールの行動はあまりに有名ですが、有名になった理由の一つが、イギリス軍があまりもだらしなくて、ろくに功績も挙げられなかったので、ナイチンゲールぐらいしか讃えるものが無かったとう事情があるようです。またセヴァストポリ攻城戦の冬で、フランス軍が1812年のナポレオンのロシア征服の失敗の教訓もあったのでしょうが、十分な防寒装備を用意して対策したのに対し、イギリス軍は黒海沿岸だから冬の寒さはそれほど厳しくないだろうと考え、ろくな装備も準備せずに、多くの兵士を凍死させたり凍傷にかからせています。
フランスはそれに対し、戦勝に大きく貢献していますが、クリミア戦争終結の14年後に対プロシアで敗北して、クリミア戦争のことは忘れてしまいます。
ロシアについては、推定死者45万人という大きな犠牲者を出し、なおかつ南下政策が完全にストップしますが、軍隊の近代化で大きく遅れて劣勢だったにもかかわらず、セヴァストポリ攻城戦で11ヵ月も持ちこたえたことは、ロシア兵士の愛国心の賜、ということでセヴァストポリは一種の聖地のようになります。プーチンが何故クリミアを併合したかの一つの理由にはこのこともあるようです。なお、プーチン大統領は、クリミア戦争で列強の情勢を見極めないで不利な戦争をしかけたことによって非常に不人気なアレクサンダー1世の写真を執務室に飾っているそうです。ロシアにとっては、この戦争は農奴解放や軍の近代化などの改革につながり、歴史的にはそれなりに意味がありました。また南下政策が止められた結果としてアジア進出を強化して、その結果日本と戦争になるのはご承知の通りです。
ロシアが最初にこの戦争を始めたのは、オスマン帝国内のギリシア正教徒住民を保護するという目的がありました。当然ながら敗戦によってこの目的は達成されませんでしたが、オスマン帝国内のスラブ民族の問題は持ち越され、結局それが第1次世界大戦を引き起こすことになります。

大木毅の「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」

大木毅の「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」を読了しました。今、英語でクリミア戦争の本も読んでいますが、そっちは後1/4くらいです。この本は出た時結構話題になったと思いますが、今日まで読む機会がありませんでした。こういう本読んでまず思うのが、自分がこれまでの戦争について知らないことです。とは言っても、小学校の時は当時戦記ブームみたいなものがあり、太平洋戦争に関する本はかなり読みました。それに対し、欧州方面はどうしても手薄です。
クリミア戦争も色々細かいことを知ると、英仏とオスマン帝国連合軍も、ロシアも色々と凄惨な戦いはやっていますが、どこかまだ牧歌的な雰囲気が残っていて、セバストポリの攻城戦が長期化した中だるみの時期には、時には双方が一時休戦して一緒に煙草を分け合ったり、歌を歌ったり、という世界がありました。また、戦争はしているものの、目的は相手の国を完全につぶすということでは当然無く、どちらもどこで手を引くかということは考えながら戦争していました。
それに対してこの第2次世界大戦の独ソ戦は、ある意味史上もっとも醜く、もっとも凄惨な戦いです。この戦いでの例えば相手捕虜とかの殺害が、ドイツではユダヤ人の組織的虐殺につながった、という指摘にはなるほどと思いつつも、やり切れなさが強く残ります。また、今行われているウクライナでの戦いとも共通する要素は多くあり、春先の雪解けの時期にはロシア西部は道が泥濘化してドイツ自慢の機甲部隊が役に立たなくなる、ということが今でも起きています。また、ドイツは少なくとも敗戦国で大きな代償を払い、このような凄惨な「絶滅戦争」をしかける、ということはしなくなっていますが、ソ連-ロシアについては、戦勝国になったことで、考え方を変えるといったことはまるでなく、今でもこの時の野蛮極まる戦争のやり方を引き摺っているように思います。
また、どうしてもこの戦いを例えば日中戦争とも比較してしまいます。日本は日中戦争で首都の南京さえ陥落させれば戦争は終り、と思って日本全国で提灯行列して祝いましたが、ご承知の通り、国共合作の軍は奥地に逃げて徹底抗戦を続けます。ドイツの方も緒戦での圧倒的勝利までは計画的にやって成功したものの、どうやって最終的に戦争を終らせるかについて、モスクワ攻略を主張する軍部と、石油などの資源の豊富な南部攻略を主張するヒットラーで分裂しており、明確な戦略を決めることが出来ませんでした。
おそらくはこの戦争の全貌は、こんな新書1冊で描写出来るものではないと思いますが、コンパクトに良くまとめた概説書だと思います。

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の10回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第10回目を公開しました。ヴェーバーが特に注釈で細かい所をほじくるので、訳すのは大変ですが、個人的にはローマ史のお勉強にはとてもなります。今回の所も、ローマへの穀物供給はどのように行われていたのかの一端が分る内容でした。

折原浩先生の「宗教社会学」私家版日本語訳を公開

日本マックス・ヴェーバー研究ポータル、での一大イベントです。折原浩先生から私が提唱し「中世合名・合資会社成立史」の無償公開で実践もしている、「オープン翻訳」の主旨にご賛同いただき、先生がご自身で使用するために訳された「宗教社会学」の日本語訳をいただき、公開しました
ヴェーバーの「経済と社会」の中にある「宗教社会学」ですが、既に創文社から1976年に日本語訳が出ています。これは宗教上の細々とした事項について詳細な訳者注が付いているという長所はあるものの、この「宗教社会学」で使われている社会学的な概念が「理解社会学のカテゴリー」に拠っている、ということをまったく分っていない翻訳であり、社会学的な基礎用語の翻訳が適切でない物が非常に多いという欠点があります。折原先生の日本語訳はこの点の大幅な改善を意図されたものです。

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目を公開しました。今回の箇所は比較的長いラテン語の引用が2箇所あり、いいラテン語の演習になりました。しかし、このペースだと早くて後一年半くらいかかりそうです。

Oxford Latin Dictionary

Oxford Latin Dictionaryを買いました。5万1千7百円もしましたが、先日のヴェーバーの論文に出て来る”conternatio”(3つで1組のもの、という意味)がなかなか出ている辞書を発見出来ず、ようやく見つけたのがこのOxford Latin Dictionaryでした。で、その項目を見ると、その用例として上がっているのがまさにヴェーバーの論文に出て来るローマの測量人であったハイジナスの書籍の該当の部分!ちなみに元々この辞書のポケット版は持っていましたが、大きさ比べてみてください。上下2巻です。

「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開しました。
ここは、ローマの植民市における入植者への土地の配分についての特殊なケースについて述べており、最初意味を掴むのに苦労し、自分なりに図を書いてみたりしていました。何のことはない、ヴェーバー自身が添付図を付けてくれており、それを見たら一目瞭然でした。しかし何だか長方形の区画と正方形の区画の組み合わせで、昔懐かしのテトリスをやっている気分でした。

オーランド・ファイジスの「クリミア」

オーランド・ファイジスの「クリミア」を読書中。19世紀のクリミア戦争に関する本です。最初日本語訳を買おうとしたら、上下分冊で2冊で14,000円以上するので、英語版を買ったもの。こちらは1,800円です。なんでクリミア戦争の本を読んでいるかというと、どこかで今回のロシアのウクライナ侵攻とクリミア戦争について結構共通点が多いとあったからです。
まだ二割くらいしか読めていませんが、確かに色々と共通点があります。
(1)今回はロシアのウクライナ侵攻ですが、クリミア戦争の直接のきっかけはロシアのポーランド侵攻です。それで欧州での反ロシア機運が盛り上がりました。
(2)今回のプーチンのウクライナ侵攻をロシア国内のギリシア正教会が支持していますが、クリミア戦争の性格は、ギリシア正教会(ロシア)とイスラム教(オスマン帝国他)とカトリック(フランス)とプロテスタント(イギリス国教会)の戦いです。(一種の変形した十字軍。オスマン帝国の首都イスタンブールは元の名前はコンスタンチノープルでギリシア正教における聖地でした。またエルサレムも当時オスマン帝国が支配していました。)
(3)クリミア戦争では、産業革命を経験したイギリスとフランスと経験していないロシアの兵器の差が如実に出ました。今回ロシアの旧態依然の兵器がNATOの最新兵器で撃破されているのはご承知の通りです。
(4)クリミア戦争では、多くのrussophobia(ロシア恐怖、ロシア嫌い)の人がかなりのフェイクな本でロシアへの恐怖感と嫌悪感を煽りました。今はSNS上でフェイクニュースが飛び交っています。
(5)それまでは「光栄ある孤立」を貫いていたイギリスがクリミア戦争には参加しています。今回のウクライナ侵攻にもイギリスはかなりウクライナへ積極的に関与しています。
(6)ロシアの拡張主義。これはクリミア戦争も今回のウクライナ侵攻も同じです。
(7)クリミア戦争当時のニコライ1世とプーチンの強権的政治という共通性。
クリミア戦争は結局勝者無き戦争だったようですが、果たして今回のウクライナ侵攻はどう結着するか。クリミア戦争は結局20世紀の2つの大戦につながりました。そういう意味でプレ世界大戦でした。

豊下楢彦の「昭和天皇・マッカーサー会見」

豊下楢彦の「昭和天皇・マッカーサー会見」を読了しました。久し振りに大きな衝撃を受けた本で、またこれこそ「自分の属する階級の上にも下にも嫌がられることを(けど正しいことを)言う」というマックス・ヴェーバーが言う所の「学者の本分」を全うしている本だと思いました。
この本を読み始めたきっかけが、通説のようになっている昭和天皇とマッカーサーの最初の会見で、昭和天皇の「全ての(戦争)責任は私にある。私の身柄を貴方に委ねる。」という発言が、本当はどうだったのか、という興味からです。
結論から言えば、このエピソードのソースはマッカーサーの回顧録だけであり、それは老人になったマッカーサーが自分の過去をある意味脚色して述べているという文脈の中で述べられているもので、事実関係でその回顧録はかなり信憑性が低い、ということを多数の資料にあたって突き止めています。昭和天皇が一度は「自分が退位して責任を取れば治るのではないか」という考え方を持ったのは事実のようですが、しかしそれはおそらく周りの天皇制存続のための論理にかき消され、結局は東条英機や松岡洋右が自分の意思をねじ曲げて戦争に走った、という風になってしまいます。これについては昭和天皇自身がイギリス王室に書いた手紙に出て来るので信憑性は高いです。また終戦までは自分の言ったことをすぐ実行してくれるということで、東条英機を高く評価していたのに、一旦戦犯の中心という風に見なすと今度は不倶戴天の敵のような見方に変わります。その証拠にある時からA級戦犯が靖国神社に合祀されると、それ以来靖国神社への参拝を取りやめ、亡くなるまで一度も行っていません。
更に驚くのは、日本国憲法が制定され、天皇は「象徴」となり一切の政治的な活動が禁じられたにもかかわらず、サンフランシスコ条約の締結時などに、吉田茂他に働きかけ、方針を変更させたりしています。サンフランシスコ条約の時は朝鮮戦争のすぐ後で、対共産圏への前線として日本国内の米軍基地の価値がアメリカにとっても高くなっており、それを利用して対等な立場で基地の設置を認めるということが可能であったのに、昭和天皇が「アメリカにお願いして駐留してもらっている」ということにこだわり、結局アメリカ側の要求を全て受け入れたような形になります。サンフランシスコ条約だけでなく、その後の安保条約締結まで、その陰に昭和天皇が深く関わっていることが、資料調査で実証されます。
個人的に、今さら昭和天皇の戦争責任や憲法違反を蒸し返せ、とは思いませんが、神話というのは古事記や日本書紀が編纂された当時だけでなく、現代においても作り続けられているのだということを分からせてくれた本でした。未読の方は是非一読をお勧めします。

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳7回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳、前回は2021年12月末で5ヵ月も間が空いてしまいましたが、7回目を公開しました。(真空管アンプ作りで約3ヵ月取られました。)