小林信彦・編の「横溝正史読本」

小林信彦・編の「横溝正史読本」を読了。小林信彦と横溝正史の1975年から76年にかけての4回の対談を中心にまとめたもの。小林信彦の編集者としての仕事の内、もっとも良質な部分が良く出た本だと思います。特に、戦前の、横溝正史が「新青年」の編集長をしていた頃を中心とする話が興味深かったです。小林信彦は宝石社のヒッチコックマガジンの編集長をやっていた頃に、宝石社に保管してあった「新青年」の多くに目を通しており、またその頃の宝石社には、真野律太という、博文館の「譚海」という雑誌の編集者をやっていた人が校正の嘱託として働いており、小林信彦と交流がありました。横溝正史の「神変稲妻車」を読んだ時に、白井喬二と国枝史郎の影響を感じたのですが、白井喬二の影響はこの本では良くわかりませんでしたが、年譜から白井喬二と横溝正史がほとんど同じ頃文壇デビューを果たしているのを知りました。国枝史郎については、ある出版社から文庫本による国枝史郎の作品集が出た時、三人の監修者の一人が横溝正史だったということでした。横溝正史が国枝史郎の作品を高く評価していることはよくわかりました。
私は横溝正史の作品としては、「本陣殺人事件」、「犬神家の一族」、「八つ墓村」程度しか読んでいないので、それ以外の部分は論評を差し控えますが、小林信彦が知識の量としては横溝正史にまったくひけを取らず、横溝正史から色々な情報を引き出していることを高く評価したいと思います。

獅子文六の「自由学校」

獅子文六の「自由学校」を読了。この作品、中学生の時に一回読んでいる筈なのですが、内容をまったく覚えていませんでした。家に「昭和文学全集」みたいなのがあって、その中に「獅子文六」の巻があり、確かに「自由学校」が入っていたと記憶しているんですが…
昭和25年に朝日新聞に連載されたもので、連載中から話題の大人気作になり、昭和26年になんと松竹と大映の競作という形で同時に映画化され、それが5月連休に封切られて大当たりしたことから、「ゴールデンウィーク」という呼び方がこの時初めて生まれます。また、中に神楽囃子が出てきます。そのリズムの表現として「テンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤ」という描写が出てきますが、この擬音語を矢代秋雄が自作の交響曲の第二楽章で、八分の六拍子+八分の二拍子+八分の六拍子という変拍子として使います。この交響曲のCDはNaxosから出ていて所有しています。他にも色々エピソードがあって、「とんでもハップン」という言い方は、獅子文六がこの小説で使って有名にした表現です。
お話しは、生活能力の優れた駒子と、育ちは良くて巨体だけどぐうたらな五百助の夫婦が、いつの間にか勝手に職場を辞めていた五百助に駒子が「出て行け」と怒鳴り、五百助がはいそうですか、と家出する場面から始まります。一人になった駒子には、三人の男が言い寄ってきます。一方、ほぼルンペンにまで落ちぶれた五百助ですが、意外とたくましく暮らしていき、橋の下に住みながら結構裕福な暮らしを送ります。色々あって、結局この二人は獅子文六らしく元の鞘に収まるのですが、その収まり方がまたとても現代的です。五百助がお茶の水の橋の下に暮らすというのは、獅子文六が戦後実際にそういう人達を自宅から観察していたことが、「娘と私」に出てきました。
戦後、「自由」というものが外から与えられたものとして日本に入ってきて、それによって日本人の色んな人が翻弄される様子を面白可笑しく書いている作品です。

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」

正保富三の「英語の冠詞がわかる本」を読了。「わかる本」となっていますが、この本を一冊読んだ後も、冠詞についてわかるようにはなりませんでした。むしろ、ますます混乱が拡がったような。何故ならば、この本は最新の英文のコーパスに基づいて、「一般的には~だけど、コーパスでは~という言い方も多くされている」といった例がたくさん示されていて、元々例外だらけだった冠詞についての文法規則が、さらに例外を認める方向に拡大している、ということがわかるからです。ただ、一つ役に立ちそうなのは、特に商用の文(コピーなど)については、冠詞はどんどん省略される方向に向かっていることがわかったことでした。Amazonで、もう一冊冠詞に関する本を注文しました。

白井喬二の「唐手侍」

久しぶりに白井喬二のまだ読んでいない作品の「唐手侍」を読了。別冊小説新潮の昭和36年の7月号に掲載されたもの。これ、6月に発売されたものだとすると、奇しくも私が生まれたまさにその月です。白井喬二の「さらば富士に立つ影」によると、英文学者の吉田健一が「武士の典型として時代小説の面白さがここにある」と評した作品。単行本にはなっておらず、本当は学芸書林の白井喬二全集の第二期のものに収録される予定でしたが、白井喬二の申し入れでこの第二期が取りやめになったため、今日に至るまで単行本では出ていません。従って初出のこの「別冊小説新潮の昭和36年7月号」を入手するしかなく、たまたま見つかったのはラッキーでした。
お話しはタイトル通り、「唐手」を身につけた侍が、本能寺で織田信長を討った明智光秀の家来である間者と、刀対素手で戦う話です。この時代ですから、唐手(琉球空手)については大したことは書いていないだろうと思っていましたが、意外にどうして、中国の張三豊(この作品では張三峰、中国の内家拳の始祖と言われています)から琉球に伝わった唐手について、その技法についても結構詳しく書いています。琉球に渡ったことのある兄より、幼い頃から唐手を仕込まれ、かなりの腕前であるのに、実際は引っ込み思案である武士が、実戦で唐手を使って勝利し、戸惑いながら自分の力に目覚めていく様子が描かれた、ちょっと不思議な、でもとても白井喬二らしいトーンの作品です。

橋本崇載の「棋士の一分 将棋界が変わるには」

橋本崇載の「棋士の一分 将棋界が変わるには」を読了。羽生さんの本を買ったら、Amazonがレコメンドしてきて、見てみたらレビューでものすごい悪評たらたらなので、どんなもんかと思って買ってみました。Amazonで酷評される程ひどい本ではないと思いますが、例の三浦弘行9段のソフトカンニング疑惑で、「ほぼクロ100%」とか断定したせいで、かなりブーイングを喰っているようです。この人どういう人か知りませんでしたが、Wikipediaを見たら「NHK杯戦で二歩を打って負けた人」とあったので、ああ、と思いました。
気になるのは、コンピューター将棋に対してかなりネガティブなことで、将棋をプロ棋士のいわば既得権益みたいに捉えていて、コンピューター将棋はその領域を侵すもの、みたいに考えているようでした。囲碁の世界で、アルファ碁とMaster、DeepZenGoの打つ手を積極的に評価しようとする態度が多く見られるのとは対照的です。
しかし、この人が危惧しているように、今のように新聞社が棋戦に大金を出すことが続くかどうかは、極めて危ういでしょうね。羽生さんの本によると、コンピューターが打ち出した手を「矢倉定跡」ではどうしても打ち破ることができず、そのためかつては本格将棋の代名詞だった「矢倉」を指す棋士が激減したそうです。また、昔「燃えろ!一歩」っていう将棋漫画があって、ある少年棋士が先手番で「完全将棋」(先手必勝の手順)を編み出して、そのために名人が引退してしまう、という話がありましたが、コンピューター将棋がこの少年棋士の役割を果たしてしまう可能性は十分考えられると思います。

羽生善治+NHKスペシャル取材班の「人工知能の核心」

羽生善治+NHKスペシャル取材班の「人工知能の核心」をざっと読了。2016年5月に放送された、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」のために、世界中を取材した内容をまとめたもので、羽生さんが本文書いて、NHKのディレクターが章末にレポートを追加しています。忙しい羽生さんが本当に全部書いたのか疑問にも思いますが、もしかするとゴーストライターが羽生さんに取材して書いたという可能性も否定できません。あまりじっくり読んでいませんが、NHKらしく浅く広くで、突っ込みが足りないという感じを受けました。特に折角羽生さんなんだから、コンピューター将棋、コンピューター囲碁についてじっくり語って欲しかったですが、そこはかなり控えめです。1996年に将棋年鑑のインタビューで、「コンピューター将棋がプロ棋士を倒す日が来るとしたらいつか」という問いに、多くの棋士が「そんな日は来ない」と回答したのに(映画の「聖の青春」でもそのシーンが出てきました)、羽生さんは2015年と答えたそうです。羽生さんは、アルファ碁を見て、コンピューターが「引き算の思考」をやり始めた所に感銘を受けたそうです。羽生さんはそこをアルファ碁の強さの秘密、みたいに書いていますが、私はちょっと違うと思います。モンテカルロ木探索では、全部の手を制限時間内に読むことはできないから、どちらにせよ読む手は制限するしかないだけだと思います。後、面白かったのは、日本のコンピューター将棋が、今回Googleがアルファ碁でやったような大量の資金をかけて一気に作り上げるというのの対極で、個人が細々と延々と努力して作り上げてきた、と振り返っている所。この点はZenなどの日本のコンピューター囲碁ソフトも同じでしたが、アルファ碁出現後は、ドワンゴがZenの開発者を資金支援し、コンピューターリソースを提供するなど、流れが変わりました。また、将棋の場合、ディープラーニングをするには、棋譜の数が日本だけなので十分ではないそうです。その他、色々と書いてあって、テキストの形態素解析の話まで出てきますが、全体では散漫な印象を受けました。

獅子文六の「てんやわんや」

獅子文六の「てんやわんや」を再読。前に読んだのは中学生の時だから、実に40年以上が経っています。「四国独立」の話が出てくる、ということ以外はほとんど忘れていました。
獅子文六は戦後2年間ほど、2番目の奥さんの実家がある愛媛に暮らしましたが、その時の経験を活かして書いたものです。昭和23年から24年にかけて毎日新聞で連載されたものですが、開始直前に獅子文六は戦犯の仮指定を受け、その指定が解かれるまで半年かかり、連載スタートが遅くなりました。
全体に愛媛の架空の町を、ある意味桃源郷のような理想郷のように描写していてそこは好感が持てるのですが、とんでもないと思うのは、主人公が山奥の平家部落と呼ばれる村に出かけ、ある家で泊まったら、そこの美人の娘が「夜伽」をしてくれたということ。(「夜伽」は四国ではお通夜の意味でも使うみたいですが、ここではSEXの奉仕、ということです。)いくらなんでも昭和20年代にそれはないんじゃないかと思います。本音部分では四国をものすごい田舎と思っていたのかもしれません。
四国独立の話は確かに出てくるのですが、全体的に大した構想ではなくて、あっという間に頓挫してしまいます。それより南海地震をモデルにしたと思われる大地震の話が出てくるのが興味深いです。
この小説は、新聞連載中はあまり話題にならなかったみたいですが、単行本が出るとベストセラーになり、映画にもなります。漫才師の「獅子てんや・瀬戸わんや」は、この小説のタイトルから名前を取っています。

横溝正史の「髑髏検校」

横溝正史の「髑髏検校」を読了。「髑髏検校」は、いわゆる「ドラキュラ」を、まだ戦前で日本語訳も出ていない段階で、横溝正史が原書を読んで感動し、それを江戸を舞台にした物語に翻案したものです。吸血鬼の犠牲になった人が自身も吸血鬼になってしまうなどの設定は忠実に守られています。ただ、吸血鬼と戦う側の鳥居蘭渓が何故吸血鬼がニンニクに弱いことを知っているのかという疑問が残り、またキリスト教国ではない日本の江戸でどうやって吸血鬼を倒すのかという問題がありますが、なかなか良く出来た翻案ではあります。最後の吸血鬼の正体があっという感じです。
もう一作収録されている「神変稲妻車」が、まるで白井喬二と国枝史郎を足して2で割ったような、伝奇浪漫の快作です。雑誌「譚海」に掲載されたもので、この雑誌は小林信彦の「隅の老人」に出てくる真野律太が編集長をやっていた雑誌です。タイトルの「神変」やお宝(=二本の笛)の奪い合いという展開は白井喬二の「神変呉越草子」を想像させます。また信州高遠が舞台で、山窩族が出てくる所は、国枝史郎色を強く感じます。戦前の横溝正史は、当時探偵小説が当局からほとんど禁止されていたので、「人形佐七捕物帳」のような時代物や、このような伝奇小説を書いていたみたいです。後年の「八つ墓村」や「犬神家の一族」に見られるような伝奇色は、横溝正史は元々持っていたのだということがわかりました。

遠藤周作の「海と毒薬」

遠藤周作の「海と毒薬」を読了。1945年の九大医学部における、アメリカ人捕虜に対する生体解剖事件を題材にした小説です。Wikipediaで読んだ実際の事件と、遠藤のこの小説はかなり異なっているように思います。遠藤の関心は「日本人とは何なのか」が主なものであり、大した葛藤もなく、生体解剖を行った関係者の姿がある意味淡々と描かれています。実際の事件は、当時(1945年5-6月)、日本の都市へ無差別爆撃を繰り返し、罪のない一般市民の命を奪っていたB-29の搭乗員への憎しみがあり、どうせ死刑にするなら、という発想で生体解剖を行ったということが推測されます。だからといって生きた人間を医療実験に使った関係者の罪は免れ得ないものだと思いますが、遠藤の描写は非常に一面的で突っ込みにかけるもののように思います。遠藤はこの作品については第二部を書く予定があったようですが、実際には書かれずに終わりました。

三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」

三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」を部分的に読みました。以前、白井喬二の「富士に立つ影」をくさしたものについては読んでいましたが、今回直木三十五の「南国太平記」をどうくさしているかが知りたくて買ってみたもの。ちなみに三田村鳶魚は昭和27年没で既に著作権は切れていますので、国立国会図書館のデジタルアーカイブなどで無料で読むことができます。ただ、それは読みにくいので文庫本版を買いました。
ともかく、とてもネガティブです。自分自身で取り上げた作品を「読むのが苦痛」としています。それから、作品の全部はたぶん読んでいません。特に白井喬二の「富士に立つ影」と中里介山の「大菩薩峠」は冒頭の所だけしか読んでいないのは明白です。
特に鼻につくのが、「○○というものは私は今まで見たことも読んだこともない。」という言い回しを再三することで、そうは書いてありませんが、「なのでそういうものは存在しない。」と暗に言っています。ある意味とても傲慢です。例えば白井喬二の「富士に立つ影」では、「築城師、城師などというものは聞いたことがない。」と書いています。それに対し、白井喬二は「さらば富士に立つ影」という自伝の中で、築城家熊木伯典、佐藤菊太郎の名前は、「築城家列伝」の中で見つけたといっており、実在の人物で、「富士に立つ影」の連載中にその子孫にあたる人(双方)から手紙をもらったと語っています。白井喬二は「国史挿話全集」を編むほど、江戸時代の文献に広く目を通していますから、私は白井喬二の方を信用します。
直木三十五の「南国太平記」についての評論も読んでみましたが、こちらも歴史的な事実の誤りを指摘するというよりは、どちらかというと登場人物の「口の利き方」を細々と批判しています。こういう身分のものが、別の身分のものに、このような口の利き方をする筈がない、というような指摘が延々と続きます。たぶん三田村鳶魚の言っていることはほぼ正しいのでしょうが、大衆小説家が歴史に題材を取って小説を書く場合、そこまで調べなければいけないのかと思います。
取り上げられている作品は、「南国太平記」と「富士に立つ影」、「大菩薩峠」以外は大佛次郎の「赤穂浪士」、吉川英治の「鳴門秘帖」、林不忘の「大岡政談」(丹下左膳)、佐々木味津三の「旗本退屈男」などです。
私は大衆小説が本来持っていた荒唐無稽なエネルギーを失ったのは、この三田村鳶魚の本が一つの原因であると思います。