北杜夫の「楡家の人びと」第二部

北杜夫の「楡家の人びと」第二部を読了。第一部が稀代のハッタリ屋だけど行動力とアイデアの固まりの楡基一郎を中心としたいわば叙事詩的な物語だったとすると、第二部に入ると今度は叙情詩的な物語に変じていきます。それは、明らかに北杜夫自身がモデルである、楡徹吉の次男の周二に、北杜夫の思い出が投影されていて、人間関係の観察が直接見聞きしたものになって濃くなったからだと思います。楡家は基一郎が亡くなって、徹吉の時代になりますが、世田谷区松原に新病棟を作る苦労が徹吉の上に追い被さり、借金もできてかなり大変になります。しかし、精神病院自体が圧倒的に不足していた時代の追い風を受けて、徐々に楡脳病院は盛り返していきます。斎藤茂吉がモデルである徹吉は、しかしこの小説では文芸に走ることはせず、学芸の世界にのめり込み、原稿用紙で3000枚にも及ぶ精神医学史をまとめます。これは現実の斎藤茂吉が「柿本人麻呂」論をまとめたのが投影されているようです。このようにある意味叙情詩的に始まった第二部ですが、昭和の初めという時代は暢気に過ごすことはできず、時代は戦争へと突入し、徹吉の長男である峻一の友人である城木達紀が空母瑞鶴に軍医として乗り込んで真珠湾に向かいそのドキュメンタリーのようになり、最後は米英との開戦がラジオで告げられ、それを徹吉が周二に伝える所で第二部は終わります。

北杜夫の「楡家の人びと 第一部」

北杜夫の「楡家の人びと 第一部」を読了。北杜夫がトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」に影響を受けて、自身の一家のことを小説にしたもの。何せ斎藤茂吉と北杜夫という二人の偉大な文学者を出した家系ですから、さぞかし文学的な葛藤に満ち満ちたものだと想像していたら、まるで違いました。北杜夫のお祖父さんにあたる、ドクトル楡基一郎という人の破天荒な行動力とそのはったり人生にある意味圧倒されます。北杜夫のある意味奇矯な行動は、双極性障害(躁うつ病)という病気のせいだと今まで思っていましたが、北杜夫はかなりこの祖父の性格を受け継いでいるんじゃないかと思いました。関東大震災でも大きな被害を受けなかった楡脳病院が、火事を出してしまい、斎藤茂吉がドイツ留学中苦労して集めた医学書が全部焼けてしまった、というのに胸を打たれます。第一部は楡基一郎が火事による打撃にもめげずに、世田谷区松原に新しい病棟を建てようとして測量に行き、そこで倒れて命を落とす所で終わります。

松本道弘の「難訳・和英口語辞典」

松本道弘の「難訳・和英口語辞典」を読了。「辞典」となっていますが、実際には英語に関するエッセイみたいな感じで読めます。会社で日本語の文書を英訳している時にしばしば「これはどう訳せばいいのか」と悩むことの解決になればと思って買ってみましたが、この本は「口語辞典」であって、書き言葉の英訳にはあまり役に立たないと思います。また、「口語」としても、実際に会話している時にこの辞典を引くわけにもいかず、そうだからといってこの本の内容を一度読んだくらいで全部マスターして、すらすら口から出てくるなんてこともあり得ないので、実用性に関しては疑問です。ただ、ネイティブにとって理解しやすい、本当の意味での英語らしい表現を学ぶ本としては価値があると思います。ただ、「難訳語」の英語化といっても、個人的見解では、いつの場合でもこれで大丈夫といった決まったものはないと思っています。文脈や伝える相手の教養の程度などで、その都度英訳も変わらないといけないと思っています。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(下)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(下)を読了。予想通りブッデンブローク家は次第に没落していき、当主トーマスは年齢を重ねるに連れ、次第に厭世的になり、やがてショーペンハウアーの厭世哲学に救いを見いだします。しかし、歯の治療の失敗が原因で、濡れた路上で転倒して頭を強打し、まだ50歳にもならない年齢で命を落とします。後を継ぐべきハンノはまだ若く、かつ芸術家気質で、結局ブッデンブローク商会は100年の歴史の後で解散となります。愛すべきトーニは、これらすべての一家の没落を最後まで見守るという役を演じます。最後の希望だったハンノも、物語の最後で突然…という終わり方をしていてある意味救いようのない結末ですが、不思議と陰惨な感じはしません。それはブッデンブローク家というある一家だけの滅亡というより、産業革命や宗教改革で生まれた市民層そのものが没落していく話だからかもしれません。トーマス・マンの年譜が最後についていますが、意外だったのがマンがいわゆるインテリではなく、ギムナジウム出身ではないことです。この小説中のハンノと同じく、マンも学校とはきわめて相性が悪かったようです。北杜夫がマンの小説の中で、何故これを最高傑作としているのかが、今回読んでみてももう一つ判然としませんでした。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(中)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(中)を読了。父のコンズル・ブッデンブロークの死後、その長男トーマスはブッデンブローク商会を継ぎ、そこそこの安定成長を実現します。その弟のクリスチアンは遊び人で何の仕事をやっても長続きせず、身を持ち崩して行きます。妹の愛すべきトーニは、最初の夫と別れた後、今度こそ心の美しい(容貌は大したことがない)男性を見つけ再婚しますが、その男性の郷里であるミュンヘンになじめず、また夫がトーニの持参金を得ると仕事をやめてぶらぶらしだし、挙げ句の果ては小間使いに手を出し、その不倫の現場をトーニに見られ、トーニはまたも出戻りになってしまいます。一方でトーマスは仕事で着実な成果を上げる一方で参事官に選ばれ市の政治にも参加します。
こういった感じで、中巻は、ブッデンブローク一家が繁栄しながらも、あちこちに影が忍び寄ってきて、やがてこの一家が没落していくのではないかという予感を抱かせます。特に、トーマスの一粒種のハンノが、その母親のゲルダがヴァイオリニストである血を引き、音楽を熱愛し商売に関心を示さず、ここでブッデンブローク家の跡継ぎに異分子が現れます。この小説は、マン自身の家系をモデルにしているということですが、このハンノの設定は、マン自身の経験が投影されているのでしょうか。それ以外に、この小説は普仏戦争の当時のドイツの社会の雰囲気とか、北ドイツの人が、南部のミュンヘンの人をどうみていたのか、といったことも教えてくれます。

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(上)

トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」(上)を読了。北杜夫の「楡家の人びと」をいつか読もうと思っていますが、その前にはまずこれを、ということで読み始めているものです。訳者の望月市恵は、旧制松本高校で北杜夫のドイツ語の先生だった人です。「どくとるマンボウ青春記」に、北杜夫らが「太陽党」(Die Sonnepartei)を結成すると、Die Sonnenparteiの方がいいよ、と言ってくれるドイツ語の先生が登場しますが、それが望月市恵です。ただ個人的には、この望月さんの訳はイマイチで、低地ドイツ語やその他のドイツ語のバリエーションや、フランス語が混ざった会話を苦労して訳しているのはわかるのですが、今一つこなれていないという感じがします。といっても今さらドイツ語で読もうなどとはさらさら思いませんが…
物語は19世紀の北ドイツのリューベックで、裕福な商人の一家だったブッデンブローク家が段々と没落していく様子を描いた長篇です。上巻ではコンズル・ブッデンブロークの娘のトーニが中心で、意に染まないが裕福な商人から結婚を申し込まれ、それを断って時間稼ぎをしている内に、モルテンという医者の卵の青年と本当の恋をするけど、結局親の勧める裕福な商人との結婚を承諾する。そして二人の間には娘が生まれるが、ところがその裕福な商人の正体は…という展開です。

白井喬二の「華鬘(げまん)の香爐」(贋花)

白井喬二の「華鬘(げまん)の香爐」を読了。読切小説倶楽部昭和26年4月号に載っているもので、ヤフオクで見つけて、白井喬二のまだ読んでいない作品だと思って落札したのですが…半分くらい読んだ所で、「うん?」とこの話既に読んでいるという思いが。慌てて、白井喬二のこれまで読んだ本をひっくり返してみたら、昭和16年に出た短篇集「洪水図絵」に入っている「贋花」が改題されただけでした…
物語は、ある庄屋が飢饉の救済の金に充てようと、家宝である「華鬘の香炉」を300両で売ろうとするが、大金だけに、鑑定書を買おうとした殿様から要求されます。庄屋は50両の手数料で、人を介して近くの高僧に鑑定書を頼むのですが、ところが…という話です。白井喬二の戦争の頃の作品は、短篇集「侍匣」の多くの話が戦後の短篇集「ほととぎす」で再利用されていますが、今回のケースもそれみたいです。

群司次郎正の「侍ニッポン」

群司次郎正の「侍ニッポン」を読了。この作品は映画化を前提に執筆され、その映画化の時の主題歌で有名です。曰く、
♪人を斬るのが 侍ならば
恋の未練が なぜ斬れぬ
伸びた月代 さびしく撫でて
新納鶴千代 にが笑い
昨日勤王 明日は佐幕
その日その日の 出来心
どうせおいらは 裏切者よ
野暮な大小 落し差し

という歌詞が、昭和6年当時(満州事変の頃)の世相とマッチしてヒットしました。といっても、私の世代がこの歌のことを少しでも知っているのは、梶原一騎・井上コオの「侍ジャイアンツ」で主人公の番場蛮がよくこの歌の替え歌を歌っていたからです。曰く
♪タマを打つのが 野球屋ならば
あの娘のハートが なぜ打てぬ
思いニキビを プチュンとつぶし
番場の蛮さん 泣き笑い

しかし、梶原一騎は子供の頃元歌を聞いたのでしょうが、「侍ジャイアンツ」の読者だった当時の子供(私を含む)が元歌なんて知る由もないですが…
お話は、幕末の安政から万延にかけての動乱の時代、大老井伊直弼の落とし胤である新納(にいろ)鶴千代が、ふと悪旗本から救うことになったお公家様の姫君に恋しながら、武士という身分に疑問を持ち、勤王にも佐幕にもなりきれないながら、色々なしがらみで水戸藩の勤王の志士と行動を共にするが最後は…という内容です。鶴千代は剣の腕はすばらしいものがあるのですが、酒に溺れ女性にも未練を持ち、胸が空くような活躍はまるでしません。その辺りのニヒルさが戦争へとひた走る日本の雰囲気と合ったのかもしれません。

白井喬二の「珊瑚重太郎」の戦前での評価

この写真は、「キング」の昭和11年1月号にあった、同じ大日本雄弁会講談社の「講談雑誌」の広告で、そこで新連載となる白井喬二の「陽出づる艸紙」の広告です。そこに「『富士に立つ影』『新撰組』『珊瑚重太郎』等の大傑作によって大衆文学の大御所と仰がれる作者が…」とあります。私は「珊瑚重太郎」を白井の小説のベスト4に挙げております。戦前でも「珊瑚重太郎」が傑作と評価されていたことがわかってうれしいです。

長谷川伸の「日本敵討ち異相」

長谷川伸の「日本敵討ち異相」を読了。中央公論で昭和36年から37年にかけて13回連載された、長谷川伸の遺作です。長谷川伸というと「瞼の母」や「一本刀土俵入」の作家で、股旅物というジャンルを作った作家です。この作品は、日本史上での敵討ちの文献を長谷川伸が370件ほども集めて、その内の13件を改めて長谷川伸がまとめ直したものです。敵討ちで、卑属が尊属の敵を討ってもいいけど、逆は駄目、というのは知っていましたが、姦通を行った不義の妻と相手の男を討つ「女敵討ち」というのはこの作品で初めてそういうものがあったのを知りました。他には敵を討つまで実に35年もかかって、その時相手は82歳だったとか、なかなかすさまじい実例が出てきます。敵を討つ方も討たれる方もなかなかに大変だったということもよくわかりました。長谷川伸は、白井喬二と一緒に二十一日会に参加しています。また、池波正太郎の先生です。