羽生善治+NHKスペシャル取材班の「人工知能の核心」をざっと読了。2016年5月に放送された、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」のために、世界中を取材した内容をまとめたもので、羽生さんが本文書いて、NHKのディレクターが章末にレポートを追加しています。忙しい羽生さんが本当に全部書いたのか疑問にも思いますが、もしかするとゴーストライターが羽生さんに取材して書いたという可能性も否定できません。あまりじっくり読んでいませんが、NHKらしく浅く広くで、突っ込みが足りないという感じを受けました。特に折角羽生さんなんだから、コンピューター将棋、コンピューター囲碁についてじっくり語って欲しかったですが、そこはかなり控えめです。1996年に将棋年鑑のインタビューで、「コンピューター将棋がプロ棋士を倒す日が来るとしたらいつか」という問いに、多くの棋士が「そんな日は来ない」と回答したのに(映画の「聖の青春」でもそのシーンが出てきました)、羽生さんは2015年と答えたそうです。羽生さんは、アルファ碁を見て、コンピューターが「引き算の思考」をやり始めた所に感銘を受けたそうです。羽生さんはそこをアルファ碁の強さの秘密、みたいに書いていますが、私はちょっと違うと思います。モンテカルロ木探索では、全部の手を制限時間内に読むことはできないから、どちらにせよ読む手は制限するしかないだけだと思います。後、面白かったのは、日本のコンピューター将棋が、今回Googleがアルファ碁でやったような大量の資金をかけて一気に作り上げるというのの対極で、個人が細々と延々と努力して作り上げてきた、と振り返っている所。この点はZenなどの日本のコンピューター囲碁ソフトも同じでしたが、アルファ碁出現後は、ドワンゴがZenの開発者を資金支援し、コンピューターリソースを提供するなど、流れが変わりました。また、将棋の場合、ディープラーニングをするには、棋譜の数が日本だけなので十分ではないそうです。その他、色々と書いてあって、テキストの形態素解析の話まで出てきますが、全体では散漫な印象を受けました。
「Book」カテゴリーアーカイブ
獅子文六の「てんやわんや」
獅子文六の「てんやわんや」を再読。前に読んだのは中学生の時だから、実に40年以上が経っています。「四国独立」の話が出てくる、ということ以外はほとんど忘れていました。
獅子文六は戦後2年間ほど、2番目の奥さんの実家がある愛媛に暮らしましたが、その時の経験を活かして書いたものです。昭和23年から24年にかけて毎日新聞で連載されたものですが、開始直前に獅子文六は戦犯の仮指定を受け、その指定が解かれるまで半年かかり、連載スタートが遅くなりました。
全体に愛媛の架空の町を、ある意味桃源郷のような理想郷のように描写していてそこは好感が持てるのですが、とんでもないと思うのは、主人公が山奥の平家部落と呼ばれる村に出かけ、ある家で泊まったら、そこの美人の娘が「夜伽」をしてくれたということ。(「夜伽」は四国ではお通夜の意味でも使うみたいですが、ここではSEXの奉仕、ということです。)いくらなんでも昭和20年代にそれはないんじゃないかと思います。本音部分では四国をものすごい田舎と思っていたのかもしれません。
四国独立の話は確かに出てくるのですが、全体的に大した構想ではなくて、あっという間に頓挫してしまいます。それより南海地震をモデルにしたと思われる大地震の話が出てくるのが興味深いです。
この小説は、新聞連載中はあまり話題にならなかったみたいですが、単行本が出るとベストセラーになり、映画にもなります。漫才師の「獅子てんや・瀬戸わんや」は、この小説のタイトルから名前を取っています。
横溝正史の「髑髏検校」
横溝正史の「髑髏検校」を読了。「髑髏検校」は、いわゆる「ドラキュラ」を、まだ戦前で日本語訳も出ていない段階で、横溝正史が原書を読んで感動し、それを江戸を舞台にした物語に翻案したものです。吸血鬼の犠牲になった人が自身も吸血鬼になってしまうなどの設定は忠実に守られています。ただ、吸血鬼と戦う側の鳥居蘭渓が何故吸血鬼がニンニクに弱いことを知っているのかという疑問が残り、またキリスト教国ではない日本の江戸でどうやって吸血鬼を倒すのかという問題がありますが、なかなか良く出来た翻案ではあります。最後の吸血鬼の正体があっという感じです。
もう一作収録されている「神変稲妻車」が、まるで白井喬二と国枝史郎を足して2で割ったような、伝奇浪漫の快作です。雑誌「譚海」に掲載されたもので、この雑誌は小林信彦の「隅の老人」に出てくる真野律太が編集長をやっていた雑誌です。タイトルの「神変」やお宝(=二本の笛)の奪い合いという展開は白井喬二の「神変呉越草子」を想像させます。また信州高遠が舞台で、山窩族が出てくる所は、国枝史郎色を強く感じます。戦前の横溝正史は、当時探偵小説が当局からほとんど禁止されていたので、「人形佐七捕物帳」のような時代物や、このような伝奇小説を書いていたみたいです。後年の「八つ墓村」や「犬神家の一族」に見られるような伝奇色は、横溝正史は元々持っていたのだということがわかりました。
遠藤周作の「海と毒薬」
遠藤周作の「海と毒薬」を読了。1945年の九大医学部における、アメリカ人捕虜に対する生体解剖事件を題材にした小説です。Wikipediaで読んだ実際の事件と、遠藤のこの小説はかなり異なっているように思います。遠藤の関心は「日本人とは何なのか」が主なものであり、大した葛藤もなく、生体解剖を行った関係者の姿がある意味淡々と描かれています。実際の事件は、当時(1945年5-6月)、日本の都市へ無差別爆撃を繰り返し、罪のない一般市民の命を奪っていたB-29の搭乗員への憎しみがあり、どうせ死刑にするなら、という発想で生体解剖を行ったということが推測されます。だからといって生きた人間を医療実験に使った関係者の罪は免れ得ないものだと思いますが、遠藤の描写は非常に一面的で突っ込みにかけるもののように思います。遠藤はこの作品については第二部を書く予定があったようですが、実際には書かれずに終わりました。
三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」
三田村鳶魚の「大衆文藝評判記」を部分的に読みました。以前、白井喬二の「富士に立つ影」をくさしたものについては読んでいましたが、今回直木三十五の「南国太平記」をどうくさしているかが知りたくて買ってみたもの。ちなみに三田村鳶魚は昭和27年没で既に著作権は切れていますので、国立国会図書館のデジタルアーカイブなどで無料で読むことができます。ただ、それは読みにくいので文庫本版を買いました。
ともかく、とてもネガティブです。自分自身で取り上げた作品を「読むのが苦痛」としています。それから、作品の全部はたぶん読んでいません。特に白井喬二の「富士に立つ影」と中里介山の「大菩薩峠」は冒頭の所だけしか読んでいないのは明白です。
特に鼻につくのが、「○○というものは私は今まで見たことも読んだこともない。」という言い回しを再三することで、そうは書いてありませんが、「なのでそういうものは存在しない。」と暗に言っています。ある意味とても傲慢です。例えば白井喬二の「富士に立つ影」では、「築城師、城師などというものは聞いたことがない。」と書いています。それに対し、白井喬二は「さらば富士に立つ影」という自伝の中で、築城家熊木伯典、佐藤菊太郎の名前は、「築城家列伝」の中で見つけたといっており、実在の人物で、「富士に立つ影」の連載中にその子孫にあたる人(双方)から手紙をもらったと語っています。白井喬二は「国史挿話全集」を編むほど、江戸時代の文献に広く目を通していますから、私は白井喬二の方を信用します。
直木三十五の「南国太平記」についての評論も読んでみましたが、こちらも歴史的な事実の誤りを指摘するというよりは、どちらかというと登場人物の「口の利き方」を細々と批判しています。こういう身分のものが、別の身分のものに、このような口の利き方をする筈がない、というような指摘が延々と続きます。たぶん三田村鳶魚の言っていることはほぼ正しいのでしょうが、大衆小説家が歴史に題材を取って小説を書く場合、そこまで調べなければいけないのかと思います。
取り上げられている作品は、「南国太平記」と「富士に立つ影」、「大菩薩峠」以外は大佛次郎の「赤穂浪士」、吉川英治の「鳴門秘帖」、林不忘の「大岡政談」(丹下左膳)、佐々木味津三の「旗本退屈男」などです。
私は大衆小説が本来持っていた荒唐無稽なエネルギーを失ったのは、この三田村鳶魚の本が一つの原因であると思います。
獅子文六の「娘と私」
獅子文六の「娘と私」を読了。昭和28年から昭和31年まで「主婦之友」に連載された、自伝的私小説です。ラジオドラマ化され、さらに昭和36年にNHKの朝の連続ドラマになります。この「娘と私」が現在まで続くNHKの朝の連続ドラマの第1回です。獅子文六がフランス人の女性と結婚し、巴絵という一人娘(物語中では麻理)が生まれますが、その妻は日本での暮らしがストレスになって病気になり、フランスに帰国してしばらくして病死してしまいます。麻理ちゃんはまだ6歳でした。獅子文六は、その頃はまだ文名も上がらず、親の遺産もなくなり、しかも家の用事と子供の世話で文章を書く十分な時間も取れず、大変苦労します。私は獅子文六という人は苦労なしでとんとん拍子に文壇に受け入れられたと思っていたので意外でした。麻理ちゃんは白薔薇学園(実際は白百合学園)という小学校に入り、そこの寮に入りますが、ある冬の日、重症の肺炎にかかり、戦前のことで抗生物質もなく、死にかかりますが、学校の寮からは冷たく追い出されてしまいます。幸いなことに麻理ちゃんは命を取り留めますが、その後も度々大きな病気にかかり、その負担は獅子文六にのしかかります。獅子文六は後妻を迎えることを決意し、何度かのお見合いの後、千鶴子(実際の名前は静子)と再婚します。この再婚の後、書かれた作品が「悦ちゃん」で、この小説に出てくる麻理ちゃんのしゃべり方が、悦ちゃんのしゃべり方にそっくりです。「悦ちゃん」の最後のシーンは、父親である碌さんが、鏡子さんと再婚し、九州に引っ越して暮らし始めるのですが、そこで悦ちゃんが、友達から「悦ちゃんのママは継母でしょう?」と聞かれたのに対し、悦ちゃんが「継母は『ママ』と『はは』を合わせたものなんだから、世界で一番いいお母さんなのよ」と答える所です。これこそ獅子文六が「悦ちゃん」で書きたかったことで、再婚した妻と麻理ちゃんが実の親子以上に仲良くなって欲しいという思いを込めたものでした。なお、「悦ちゃん」に出てくる、カオルさんという、芸術家が好きだけど子供は好きではない女性も、獅子文六と見合いした人がモデルみたいです。幸いにも再婚した千鶴子さんは心の優しい人で麻理ちゃんを可愛がり、麻理ちゃんも新しい母親に懐いて、獅子文六をほっとさせます。この新しい奥さんは愛媛の出身で、獅子文六一家は昭和20年の12月に、疎開していた湯河原の混乱を避けて、愛媛に移り住み、そこで2年ぐらい暮らします。この時の体験が元になって「てんやわんや」という作品や、「大番」が生まれます。この奥さんはしかし、麻理ちゃんが成人し、もうすぐお嫁に行くという時期になって、元々心臓肥大があってそこから来た脳血栓で、命を落とします。NHKのサイトで見ることができる「娘と私」の動画は、麻理ちゃんの結婚式のシーンであり、亡くなった奥さんが遺影として参席しています。
その他、戦後獅子文六が戦争協力者としてパージの対象になり、そしてすぐに許された事情などもわかり、獅子文六ファンにとっては、非常に興味の尽きない内容になっており、お勧めできます。
水無飴とボンタンアメ(山本夏彦の「二流の愉しみ」)
山本夏彦の「二流の愉しみ」を取り寄せて、「『水無飴』始末記」を再読。今村の水無飴は明治時代に、森永のキャラメルに遅れること数年で出たもので、元になっているのは熊本の朝鮮飴(求肥飴、今でも熊本で売っています)だということです。これでセイカ食品のボンタンアメと、水無飴が似ている理由が判明しました。ボンタンアメも元々、セイカ食品の社員が朝鮮飴を一口サイズに切って遊んでいた所から思いついたもので、ベースは朝鮮飴です。水無飴の説明は、「餅米と水飴と砂糖からなり、それをキャラメル大にかためて、それを一つ一つを白いかたくり粉でまぶして、蝋紙のかわりにオブラートで包んだもの。オブラートごと食べる。」とあり、ボンタンの果汁が入っていないだけで、基本的にボンタンアメと同じです。ボンタンアメの発売開始は大正年間ですから、オブラートで包むなどは先行していた水無飴を真似たのではないかと思います。
獅子文六の「大番」(下)
獅子文六の「大番」(下)を読了。上巻はギューちゃんの恩人の木谷社長が自殺する所で終わりましたが、失意のギューちゃんは帰農するつもりで故郷の愛媛に戻ります。しかし、都会暮らしですっかり体力が落ちたギューちゃんにはもう農業は出来ず、大阪と愛媛の間でのヤミ物資の取り引きに手を染めることになります。太平洋戦争が始まって、この戦争は負けると予感したギューちゃんは再び株を始め、日本の負けで相場が下がると予想しますが、案に相違して初戦は日本軍が勝ち続け、ギューちゃんはヤミで儲けた資金をすっかりすってしまいます。戦争中はそういう訳でぱっとしなかったギューちゃんですが、戦後2年目で再び東京に出て、また株を始めます。戦争前に大損して迷惑をかけていたため、戦後新しく開設された取引所の正会員になるのに苦労しますが、パルプ産業の将来性を見抜いて大規模な買いを行い、大きく当てて大丸証券を設立します。その後は色々紆余曲折があるのですが、女好きのギューちゃんは最大で6人の女性を囲います。しかし、心に秘めているのは、故郷で天皇と言われた森家の令嬢の可奈子さんで、戦後は森家は没落しますが、ギューちゃんは何かと可奈子さんの世話をします。しかしギューちゃんの一生を賭けた恋の結末は…
「悦ちゃん」は子供向けの作品ですが、「大番」は完全にアダルト向けの作品。しかもお堅い週刊朝日での連載だというのがちょっと驚きです。経済小説として見ると、今の経済小説に比べると深みはありませんが、花登筺の「どてらい男」のような一代でのサクセスストーリーの嚆矢のような作品だと思います。
獅子文六の「大番」(上)
獅子文六の「大番」(上)を読了。週刊朝日に1956年から1958年に連載された作品です。主人公は、四国の愛媛の貧農の息子に生まれた赤羽丑之助(ギューちゃん)です。横山まさみちの漫画に出てきそうなキャラクターです。このギューちゃんが地元の名士の超美人の娘にガリ版刷りの恋文を渡したことが事件になり、ギューちゃんは東京に出奔することを余儀なくされます。ギューちゃんは株屋の小僧として働き始め、少しずつお金をため、自分でも投機をやり始め、一旦大きく当てて今の金で2億円くらいを稼いだと思ったら、次の株で失敗して借金を背負い、また立ち直って世話になっている富士証券の木谷社長と一緒に、鐘紡株を巡る仕手戦に買い一方で参加し、紆余曲折がありながら、一時は大成功し、今のお金で数十億円もの利益を上げます。しかし、その後政府の投機抑制方針などもあって、鐘紡株は暴落し、ギューちゃんは逆に10億円くらいの借金を負い、また世話になった木谷社長は自殺してしまう、という所で上巻は終わります。舞台になっているのは昭和一桁の頃で、世界大不況の頃から始まり、515事件や226事件、盧溝橋事件などがあって、その度に株価に影響を与え、ギューちゃんはその波に翻弄されます。ちなみに、ギューちゃんが愛媛出身なのは、獅子文六の二番目の奥さんの実家が愛媛で、獅子文六自身も戦後2年ばかり宇和島に避難していたからです。「てんやわんや」も四国独立騒ぎを扱った作品で舞台は愛媛です。ちなみに、「鐘紡」は戦前日本で一番大きな会社でした。他にも日本産業(日産)や、久原鉱業(日立製作所の源流)みたいな懐かしい会社名が登場します。
岩田豊雄(獅子文六)の「海軍」
岩田豊雄(獅子文六)の「海軍」を読了。真珠湾攻撃で、特殊潜航艇に乗り込んで湾内に潜入し、魚雷攻撃を行い、ついに全員が帰還しなかったいわゆる「九軍神」の内の一人、鹿児島出身の横山正治少佐をモデルにした小説。(奇しくも「南国太平記」に続けてまた薩摩を舞台にした小説です。)特殊潜航艇による攻撃は、後の「回天」のような特攻攻撃ではありませんでしたが、極めて生還の確率の低いものでした。また戦争中は横山少佐の特殊潜航艇が戦艦アリゾナを撃沈したとされましたが、これは事実と違っていて横山少佐の艇の放った魚雷は目標には当たりませんでした。ただ、全部で5隻の特殊潜航艇(甲標的)が真珠湾内への潜入に成功しており、そのうち一隻の放った魚雷が戦艦オクラホマを撃沈しています。
獅子文六はこの小説を朝日新聞に連載し、朝日文化賞を受賞します。しかし、その影響で海軍関係の文章を戦争中に多く発表したため、戦後は「戦争協力作家」とされ一時追放の仮指令を受けてしまいます。しかし、今冷静にこの小説を読んでみると、主人公の谷真人が親友である牟田口隆夫と対比されながら、非常にさわやかな好感あふれる青年として生き生きと描写されており、どこにも「戦争賛美」のようなものは感じられません。またタイトルが「海軍」となっているように、単に軍神の伝記ではなく、主人公を一人前の軍人に育成していく海軍の仕組みがきちんと描写され、それは戦後の目で見ても優れたものがあることを否定できません。(例えば、「5分前精神」など。)また作中に出てくる、明治43年に潜水艇の訓練中の事故で亡くなった佐久間勉大尉の遺書は、獅子文六が書いている通り、まさに「これを読んで哭かざるは人に非ず」というものです。