エンツォ・トラヴェルソの「歴史記述における<私> 一人称の過去」

エンツォ・トラヴェルソの「歴史記述における<私> 一人称の過去」を読了。この本は、未來社という出版社のサイトを折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」の状況(当初の予定より2年以上遅れています)を確認するため何度か訪れている時に、同社の新刊として発見したもの。この本を買った動機は更に二つあります。
(1)以前、イヴァン・ジャブロンカの「歴史は現代文学である 社会科学のためのマニフェスト」と、その実践編である、「私にはいなかった祖父母の歴史 -ある調査」を読んでいます。この本にも登場しますが、ジャブロンカは歴史記述に小説的な一人称を持ち込んでいる代表者です。
(2)以前、AEONで英語のライティングの教材をやった時に、「フォーマルな文章では一人称を使ってはいけない。」ということを言い張るネイティブ教師が2人もいて、この問題について調べた事があること。
(1)については、元々ジャブロンカが歴史学者と文学者のどちらになるかの選択を迷ったというのが背景にあるようです。この本に拠れば、ジャブロンカだけでなく、主観的な視点での歴史記述を行っている人が何人もいて、筆者は一種の新個人主義だとしています。実はジャブロンカのような主張は、19世紀終わりから20世紀の初めにかけて、デュルケームやマックス・ヴェーバーなどが厳として否定していたもので、この2人は科学として歴史をどう扱うについて模索し、様々な方法を提唱しています。有名なのはヴェーバーの理念型とか価値自由です。それから約100年経って、今度は行き過ぎた客観主義に対する揺り戻しのような現象が出てきている訳です。
しかし、私見ではジャブロンカの方法論は濫用されるときわめて危険であり、また19世紀のような主観による歴史の脚色に戻ってしまう可能性も秘めています。但し、過去に生きたある人物を理解するためには、歴史学的な年表形式での事実の羅列が不十分であるのもまた事実で、ジャブロンカの「私にはいなかった祖父母の歴史 -ある調査」はジャブロンカの祖父母の生きた時代と二人の置かれた状況(二人ともポーランドのユダヤ人で共産主義者で、ポーランドから追放されてフランスに移り、ヴィシー政権下で捕らえられアウシュヴィッツに送られ、二人ともそこで死にます。)をより良く描写するという点で成功していると思います。ちなみにこうした1人称歴史記述は、ジャブロンカ以外でもやはりホロコースト関係だったり、第2次世界大戦期のある個人の記録だったりが多いようです。
(2)の英語のライティングの際の1人称使用禁止という誤った主張(昔はこういうことをルールとして言う人がいたのですが、今はアメリカの大学のライティング・ガイドでも、1人称を適切に使うことがむしろ推奨されています)も、20世紀初めの行き過ぎた客観主義の遺産と思われます。大体、マックス・ヴェーバーの論文読んでいると、ほぼ毎ページにわたって1人称が出てくるので、そういう意味で元々ナンセンスと思っていました。自分の単なる意見や証明されていない仮説を3人称で書くのは、むしろ客観性を装うごまかしと思います。受動態で主語を隠すのと同じです。
まあこの本は現状を整理しているだけで、これからどうなるのかを興味深く見守って行きたいと思います。

デイヴィッド・グレーバーとデイヴィッド・ウェングロウの”The Dawn of Everything”

Facebookの紹介でこの本が出てきて、内容が学生の頃から私が思っていることにかなり近いので、取り寄せてみました。私は昔から「発展段階説」が大嫌いで、例えば日本のいわゆる「縄文時代」について、原始共産制みたいなユートピアでもなく、逆に現代から見て文字通り「原始的」で常に飢えに脅かされて必死に狩猟採集を行っていた時代とも思っていません。この本は、いわゆる原始時代の社会構造がきわめて多種多様であって、現代人が考えるような低レベルのものではないことを、様々な考古学や文化人類学の事例を元に論じているようです。同様の本にマーシャル・サーリンズの「石器時代の経済学」がありますが、そこでの議論からどう発展しているかに興味があります。
ちなみに、日本の原始時代を「縄文時代-弥生時代ー古墳時代」とするのはマルクス主義的な発展段階説に毒された結果であり、私は異を唱えています

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳11回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳11回目を公開しました。
今回の箇所は、古代ローマにおける植民市が多数出てきて、それを地図にプロットして見て、ローマがどのようにイタリア半島において版図を拡げて来たのかが伺えて興味深かったです。

オーランド・ファイジスのクリミア(読了)

オーランド・ファイグスの”Crimea”をようやく読了。毎日20~30分音読して2ヵ月かかりました。しかし読んで良かったです。この戦争はロシア以外にはほとんど「忘れられた戦争」です。
イギリスは、海軍力は優れていたのでしょうが、民主主義の祖国の一つでありながら、貴族階級と平民という階層をそのまま軍隊が引き継ぎ、無能で優柔不断な貴族出身の指揮官が、多くの戦いで多数の犠牲者を出し、フランス軍の足を引っ張っています。(ちなみにイギリスの軍隊の階層システムをそのまま導入したのが大日本帝国海軍です。海軍での士官以上と一般兵卒の待遇の大きな差は有名です。例えば戦艦大和で士官以上用のトイレは70人に対し11箇所{6.4人に1箇所}、一般兵用は1,330人に12箇所{111人に1箇所}でした。出典:「日本軍の小失敗の研究」)この戦いでのナイチンゲールの行動はあまりに有名ですが、有名になった理由の一つが、イギリス軍があまりもだらしなくて、ろくに功績も挙げられなかったので、ナイチンゲールぐらいしか讃えるものが無かったとう事情があるようです。またセヴァストポリ攻城戦の冬で、フランス軍が1812年のナポレオンのロシア征服の失敗の教訓もあったのでしょうが、十分な防寒装備を用意して対策したのに対し、イギリス軍は黒海沿岸だから冬の寒さはそれほど厳しくないだろうと考え、ろくな装備も準備せずに、多くの兵士を凍死させたり凍傷にかからせています。
フランスはそれに対し、戦勝に大きく貢献していますが、クリミア戦争終結の14年後に対プロシアで敗北して、クリミア戦争のことは忘れてしまいます。
ロシアについては、推定死者45万人という大きな犠牲者を出し、なおかつ南下政策が完全にストップしますが、軍隊の近代化で大きく遅れて劣勢だったにもかかわらず、セヴァストポリ攻城戦で11ヵ月も持ちこたえたことは、ロシア兵士の愛国心の賜、ということでセヴァストポリは一種の聖地のようになります。プーチンが何故クリミアを併合したかの一つの理由にはこのこともあるようです。なお、プーチン大統領は、クリミア戦争で列強の情勢を見極めないで不利な戦争をしかけたことによって非常に不人気なアレクサンダー1世の写真を執務室に飾っているそうです。ロシアにとっては、この戦争は農奴解放や軍の近代化などの改革につながり、歴史的にはそれなりに意味がありました。また南下政策が止められた結果としてアジア進出を強化して、その結果日本と戦争になるのはご承知の通りです。
ロシアが最初にこの戦争を始めたのは、オスマン帝国内のギリシア正教徒住民を保護するという目的がありました。当然ながら敗戦によってこの目的は達成されませんでしたが、オスマン帝国内のスラブ民族の問題は持ち越され、結局それが第1次世界大戦を引き起こすことになります。

大木毅の「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」

大木毅の「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」を読了しました。今、英語でクリミア戦争の本も読んでいますが、そっちは後1/4くらいです。この本は出た時結構話題になったと思いますが、今日まで読む機会がありませんでした。こういう本読んでまず思うのが、自分がこれまでの戦争について知らないことです。とは言っても、小学校の時は当時戦記ブームみたいなものがあり、太平洋戦争に関する本はかなり読みました。それに対し、欧州方面はどうしても手薄です。
クリミア戦争も色々細かいことを知ると、英仏とオスマン帝国連合軍も、ロシアも色々と凄惨な戦いはやっていますが、どこかまだ牧歌的な雰囲気が残っていて、セバストポリの攻城戦が長期化した中だるみの時期には、時には双方が一時休戦して一緒に煙草を分け合ったり、歌を歌ったり、という世界がありました。また、戦争はしているものの、目的は相手の国を完全につぶすということでは当然無く、どちらもどこで手を引くかということは考えながら戦争していました。
それに対してこの第2次世界大戦の独ソ戦は、ある意味史上もっとも醜く、もっとも凄惨な戦いです。この戦いでの例えば相手捕虜とかの殺害が、ドイツではユダヤ人の組織的虐殺につながった、という指摘にはなるほどと思いつつも、やり切れなさが強く残ります。また、今行われているウクライナでの戦いとも共通する要素は多くあり、春先の雪解けの時期にはロシア西部は道が泥濘化してドイツ自慢の機甲部隊が役に立たなくなる、ということが今でも起きています。また、ドイツは少なくとも敗戦国で大きな代償を払い、このような凄惨な「絶滅戦争」をしかける、ということはしなくなっていますが、ソ連-ロシアについては、戦勝国になったことで、考え方を変えるといったことはまるでなく、今でもこの時の野蛮極まる戦争のやり方を引き摺っているように思います。
また、どうしてもこの戦いを例えば日中戦争とも比較してしまいます。日本は日中戦争で首都の南京さえ陥落させれば戦争は終り、と思って日本全国で提灯行列して祝いましたが、ご承知の通り、国共合作の軍は奥地に逃げて徹底抗戦を続けます。ドイツの方も緒戦での圧倒的勝利までは計画的にやって成功したものの、どうやって最終的に戦争を終らせるかについて、モスクワ攻略を主張する軍部と、石油などの資源の豊富な南部攻略を主張するヒットラーで分裂しており、明確な戦略を決めることが出来ませんでした。
おそらくはこの戦争の全貌は、こんな新書1冊で描写出来るものではないと思いますが、コンパクトに良くまとめた概説書だと思います。

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の10回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第10回目を公開しました。ヴェーバーが特に注釈で細かい所をほじくるので、訳すのは大変ですが、個人的にはローマ史のお勉強にはとてもなります。今回の所も、ローマへの穀物供給はどのように行われていたのかの一端が分る内容でした。

折原浩先生の「宗教社会学」私家版日本語訳を公開

日本マックス・ヴェーバー研究ポータル、での一大イベントです。折原浩先生から私が提唱し「中世合名・合資会社成立史」の無償公開で実践もしている、「オープン翻訳」の主旨にご賛同いただき、先生がご自身で使用するために訳された「宗教社会学」の日本語訳をいただき、公開しました
ヴェーバーの「経済と社会」の中にある「宗教社会学」ですが、既に創文社から1976年に日本語訳が出ています。これは宗教上の細々とした事項について詳細な訳者注が付いているという長所はあるものの、この「宗教社会学」で使われている社会学的な概念が「理解社会学のカテゴリー」に拠っている、ということをまったく分っていない翻訳であり、社会学的な基礎用語の翻訳が適切でない物が非常に多いという欠点があります。折原先生の日本語訳はこの点の大幅な改善を意図されたものです。

ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の第9回目を公開しました。今回の箇所は比較的長いラテン語の引用が2箇所あり、いいラテン語の演習になりました。しかし、このペースだと早くて後一年半くらいかかりそうです。

Oxford Latin Dictionary

Oxford Latin Dictionaryを買いました。5万1千7百円もしましたが、先日のヴェーバーの論文に出て来る”conternatio”(3つで1組のもの、という意味)がなかなか出ている辞書を発見出来ず、ようやく見つけたのがこのOxford Latin Dictionaryでした。で、その項目を見ると、その用例として上がっているのがまさにヴェーバーの論文に出て来るローマの測量人であったハイジナスの書籍の該当の部分!ちなみに元々この辞書のポケット版は持っていましたが、大きさ比べてみてください。上下2巻です。

「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開

マックス・ヴェーバーの「ローマ土地制度史」の日本語訳の8回目を公開しました。
ここは、ローマの植民市における入植者への土地の配分についての特殊なケースについて述べており、最初意味を掴むのに苦労し、自分なりに図を書いてみたりしていました。何のことはない、ヴェーバー自身が添付図を付けてくれており、それを見たら一目瞭然でした。しかし何だか長方形の区画と正方形の区画の組み合わせで、昔懐かしのテトリスをやっている気分でした。