中国のトイレでのおかしな英語

9月24日から29日まで中国に出張に行ってきました。この看板みたいなのは、武漢から車で随州に向かうハイウェイの複数のサービスエリアのトイレで、男性小用便器の前に貼ってあったもの。中国語の意味はわかりませんが、英語の方はまったく意味不明です。

The drawing close to civilization
The nearness is convenient

本日AEONでオーストラリア人講師にも見せて分かるかどうか聞きましたが、「まったく分からない」とのことでした。

無粋ながら何がおかしいかを列挙すると、
(1)drawingは図面のことで、文字だけが書かれたものをそうは呼ばない。
(2)最初の文には動詞がなく、単なる名詞句に過ぎない。次の文との関係も不明。最後に”:”をつけて次の文につなぐのならまだ理解できるけど。
(3)たかがトイレの便器に近づいてオシッコすることは、”civilization”とは関係ない。
(4)英語の抽象名詞に一般的に定冠詞は付かない。”The nearness”はおかしい。
(5)nearnessという単語は確かに辞書に載っているけど、よっぽど特別な場合に「近さ」を名詞で言いたい時だけに使うもので、一般的にはほとんど使われない。
(6)nearnessは何かが近くにあるというならconvenientでもいいでしょうが、この場合、便器に近づくことは利用者にとってはconvenientでも何でもない。
(7) 文末にピリオドも無い。

多分、言いたいのは「便器の近くに寄れ」ということで、それを普通の英語で書けば、”As a good manner, please stand close to the toilet bowl (pan).”だと思います。

p.s.
これ、どうもAIによる翻訳をそのまま使ったのではないかと思われます。Google翻訳は最近かなり良くなったという話を聞きますけど、中国製AIの翻訳だとしたらかなりレベル低いですね。

昭和37年の「人物往来 歴史読本」の企業広告

もう一つ、昭和37年の「人物往来 歴史読本」の広告ネタ。この頃の広告は、何故か社長名が堂々と記載されていることが多いです。それも小さな会社ならわからないでもないですが、小野田セメントや信越化学といった大会社まで。

この信越化学の社長の「小坂徳三郎」ってどこかで聴いた名前だと思ったら、自民党で運輸大臣までやった大物政治家でした!総裁候補だったんだけど、運輸大臣の時に国鉄の改革に消極的で中曽根などと対立して総裁にはなれなかったみたいです。

昭和37年の「人物往来 歴史読本」の総理府広報室の広告

また昭和37年の「人物往来 歴史読本」の広告ネタ。何と総理府広報室の広告が裏表紙見返りに掲載されています。それによると、テレビやラジオの冠番組まで持ち、グラフ誌まで出していたようです。今はせいぜい安倍総理のTwitterぐらいですが、当時はかなり積極的に広報していたのですね。

昭和12年の「ダットサン」の広告

昭和12年の「モダン日本」3月号に載っている「ダットサン」の広告。「ダットサン」というブランドは「ニッサン」ブランドよりも古く、かつてアメリカでは「ダットサン」の方が「ニッサン」よりはるかに有名でした。但し、「ダッツン」と発音されていましたが。

昭和37年のトヨペットの広告

また「歴史読本」の裏表紙の広告で、昭和37年8月号のものです。トヨペットクラウン1900デラックスの広告です。何と、オートマです!この時代にもうオートマがあったとはびっくりです。また面白いのが、「右足でアクセル・ペダル、左足でブレーキ・ペダルを踏むだけで…」と左足ブレーキをはっきりと打ち出していることです!
ちなみに馬力は1900ccで90馬力と、さすがにこれは今の車に比べると控えめです。
(写真はクリックで拡大します。)

昭和37年の日立のステレオの広告

「歴史読本」の昭和37年2月号の裏表紙に、日立のステレオの広告があったので、ちょっと紹介。
(1)価格が53,500円。調べてみたら、この当時の大卒初任給が1万7千円くらいです。その3倍くらいということは、今の大卒初任給が20万円として、60万円くらいの感じでしょうか。一般向け(マニア向けではなく)と考えるとちょっと高いかなという気がします。
(2)日立マークの下に青で「日立」の文字が入っているのがちょっと珍しいような。日立マークの右に「HITACHI」とあるのはよく見ましたが。
(3)ラジオ・プレーヤー2点組み合わせ。となっているのが面白いです。すなわち初期のステレオチューナーは、単にモノラルチューナーを2台組み合わせただけだったということです。
(写真はクリックで拡大します。)

津田山の昔

「大衆文藝」の第二巻第五号(昭和2年3月)の裏表紙裏にあった、玉川電車の広告です。これは2000年まであった東急新玉川線の昔の姿です。(現在は東急新玉川線は東急田園都市線に取り込まれています。)
私は南武線の久地駅が最寄り駅なのですが、久地駅から川崎方面への次の駅が津田山駅です。この広告によると何と津田山には「津田山遊園地」があったみたいです!(ちなみに現在は川崎市営墓地です…)調べて見たら、元々は七面山と言った山をこの玉川電車の津田社長という人が開発して遊園地にしたみたいです。で津田社長の名前を取って、七面山から津田山に名前が変えられたのだとか。ちなみに駅の名前も、最初は「日本ヒューム管前停留場」でした。現在の日本ヒュームの川崎工場が1940年にここに作られたからです。
また、玉川電車の昭和2年の渋谷から二子玉川までの運賃は16銭です。現在の田園都市線での同じ区間の料金は195円です。倍率で約1200倍です。

昭和40年代

北海道旅行の最後に行った「北海道博物館」での展示。このようなものが既に博物館で展示されるようになったということにかなり複雑な気分。確かに最近の子供はまるで知らないでしょうね…

鹿島神宮

1月28日(土)に鹿島神宮に行ってきました。片道120Kmですが、ほとんど高速なので2時間で到着しました。ちょっと変わった作りで、本殿はこの規模の神社にしてはこぢんまりしていましたが、本殿の先の境内が広大で、「要石」は本殿から400m奥に行った所にありました。3枚目の写真のように、それは地面からほんの少し顔を覗かせているだけでした。水戸光圀がどこまで深く埋まっているのかを確かめようと要石の回りを彫らせたのですが、とうとう一番下を確かめることができなかったということです。一番最後のが宝物殿にあった「鯰絵」です。鯰絵は安政の大地震の後に大量に発行された、地震避けのおまじないの絵で、武甕槌大神が要石によって大鯰を封じ込めるのが基本ですが、色々なパターンがあります。

長音符の記号「引」

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以前、亡父の四十九日を自分なりのやり方で悼むため、浄土真宗のお経のCDを取り寄せました。それには、お経のテキストがついているのですが、「日本語における長音符の起源」で紹介した、本来の音引き記号である「引」が、お経では今でも使われていることを発見しました。(写真は「正信偈」の最後の方です。)
ちなみに現在の長音符の「ー」は、元々この「引」の旁(つくり)だけが残ったものと言われています。(なので、明治時代から昭和に入っても、横書きの時でも長音符だけは縦に書くことが行われていました。詳しくは上記のHP参照。)