現時点で買ってから21年経っている日立の洗濯機の糸くず取り用のフィルターの布の部分が破れてしまいました。でも、恐るべきことに、この古い古い機種用の糸くず取り用フィルターがまだちゃんと純正品として販売されていて、問題なく入手し交換することができました。たぶんずっとデザインを変えていないんだと思います。最近のものってやたらとすぐデザインが変わりますが、変わらない良さ、というのを実感しました。ちなみにこのフィルターの交換は21年の使用で2度目です。
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1996年製日立の洗濯機、未だに稼働中
上海蟹に再挑戦
上海蟹については、この間の中国出張の時に初めて食しましたが、
(1)まだ季節の走りだった
(2)小さかった
(3)雌だけだった
ということで、私としては不満足でした。
なので、横浜の中華街で食べてみようかと思ったのですが、ネットで予約しようとしたら、全部の店で一人での予約は受け付けてくれません。
では、自分で料理しようと思って、ネットを探したら、楽天のショップで簡単に買えました。雄の170gと雌の130gを買いました。料理といっても、冷凍なのでそれを流水で30分くらいさらして解凍し、それから茹でるだけです。雌を12分、雄を16分茹でました。ソースは市販の蟹酢+醤油にショウガの切ったのを入れたものです。
これで試してみましたが、冷凍なのでどうかと思いましたが、上海の店で食べた時より今回の方がずっと楽しめました。また雌の蟹ミソ(卵巣)もなるほどと思うおいしさでした。
デザートで柿を食べたのですが、これはネットで見たら食べ合わせでNGとなっている組み合わせでした。理由はどちらも体を冷やすからだそうです。でも一緒に体を温めるショウガを摂っているし、高麗人参も服用しているので、まあ大丈夫でしょう。
ちなみに、蟹スプーンは無くても構いませんが、蟹ハサミは必需品です。無いと脚部を食べるのがかなり大変になります。
中国のトイレでのおかしな英語
9月24日から29日まで中国に出張に行ってきました。この看板みたいなのは、武漢から車で随州に向かうハイウェイの複数のサービスエリアのトイレで、男性小用便器の前に貼ってあったもの。中国語の意味はわかりませんが、英語の方はまったく意味不明です。
The drawing close to civilization
The nearness is convenient
本日AEONでオーストラリア人講師にも見せて分かるかどうか聞きましたが、「まったく分からない」とのことでした。
無粋ながら何がおかしいかを列挙すると、
(1)drawingは図面のことで、文字だけが書かれたものをそうは呼ばない。
(2)最初の文には動詞がなく、単なる名詞句に過ぎない。次の文との関係も不明。最後に”:”をつけて次の文につなぐのならまだ理解できるけど。
(3)たかがトイレの便器に近づいてオシッコすることは、”civilization”とは関係ない。
(4)英語の抽象名詞に一般的に定冠詞は付かない。”The nearness”はおかしい。
(5)nearnessという単語は確かに辞書に載っているけど、よっぽど特別な場合に「近さ」を名詞で言いたい時だけに使うもので、一般的にはほとんど使われない。
(6)nearnessは何かが近くにあるというならconvenientでもいいでしょうが、この場合、便器に近づくことは利用者にとってはconvenientでも何でもない。
(7) 文末にピリオドも無い。
多分、言いたいのは「便器の近くに寄れ」ということで、それを普通の英語で書けば、”As a good manner, please stand close to the toilet bowl (pan).”だと思います。
p.s.
これ、どうもAIによる翻訳をそのまま使ったのではないかと思われます。Google翻訳は最近かなり良くなったという話を聞きますけど、中国製AIの翻訳だとしたらかなりレベル低いですね。
昭和37年の「人物往来 歴史読本」の企業広告
昭和37年の「人物往来 歴史読本」の総理府広報室の広告
昭和12年の「ダットサン」の広告
昭和37年のトヨペットの広告
昭和37年の日立のステレオの広告
「歴史読本」の昭和37年2月号の裏表紙に、日立のステレオの広告があったので、ちょっと紹介。
(1)価格が53,500円。調べてみたら、この当時の大卒初任給が1万7千円くらいです。その3倍くらいということは、今の大卒初任給が20万円として、60万円くらいの感じでしょうか。一般向け(マニア向けではなく)と考えるとちょっと高いかなという気がします。
(2)日立マークの下に青で「日立」の文字が入っているのがちょっと珍しいような。日立マークの右に「HITACHI」とあるのはよく見ましたが。
(3)ラジオ・プレーヤー2点組み合わせ。となっているのが面白いです。すなわち初期のステレオチューナーは、単にモノラルチューナーを2台組み合わせただけだったということです。
(写真はクリックで拡大します。)
津田山の昔
「大衆文藝」の第二巻第五号(昭和2年3月)の裏表紙裏にあった、玉川電車の広告です。これは2000年まであった東急新玉川線の昔の姿です。(現在は東急新玉川線は東急田園都市線に取り込まれています。)
私は南武線の久地駅が最寄り駅なのですが、久地駅から川崎方面への次の駅が津田山駅です。この広告によると何と津田山には「津田山遊園地」があったみたいです!(ちなみに現在は川崎市営墓地です…)調べて見たら、元々は七面山と言った山をこの玉川電車の津田社長という人が開発して遊園地にしたみたいです。で津田社長の名前を取って、七面山から津田山に名前が変えられたのだとか。ちなみに駅の名前も、最初は「日本ヒューム管前停留場」でした。現在の日本ヒュームの川崎工場が1940年にここに作られたからです。
また、玉川電車の昭和2年の渋谷から二子玉川までの運賃は16銭です。現在の田園都市線での同じ区間の料金は195円です。倍率で約1200倍です。