トワイライト・ゾーンの”One More Pallbearer”を観ました。pallbearerは「棺桶を担ぐ人」の意味。百万長者のポール・ラディンはある夜3人の人を彼が作らせた地下300フィートの所にある核シェルターに招きます。一人は彼の高校の時の女性教師で、ラディンがあるテストでカンニングして、それがばれたのを他の生徒のせいにしようとしたのを皆の前で糾弾した人です。もう一人は、ラディンが第2次世界大戦のアフリカ戦線で兵士として戦った時、その命令違反によって部隊が危機に瀕したのを咎めて軍事法廷送りにした上官でした。最後の一人は、ラディンによって自殺に追い込まれた女性のことを糾弾した牧師でした。ラディンは今晩核戦争が起き、米ソ双方が核ミサイルを撃ち合い、それによって世界は滅亡すると言います。彼は金持ちの特権で先にそれを知ったと言います。そして実際に政府機関による避難を呼びかける緊急放送がスピーカーから流れます。ラディンは3人に、助かる方法はただ一つ、このシェルター内に留まることであり、もしそれを希望するなら、条件は3人が過去の彼に対する仕打ちについて謝罪することだと言います。しかし、3人は3人とも毅然として、ラディンと一緒に生き残るより、愛する者と一緒に死ぬ方がましだ、と言って誰もラディンのリクエストを承知しようとしません。ラディンはそうした3人の行動が理解出来ず、エレベーターで去って行く3人に、「これは全部ジョークだ」と叫びます。しかしエレベーターで地上に上がるとそこは核ミサイルで攻撃された後の廃虚で、ただ一人の生存者になった彼は泣き叫びます。しかしそれは彼の狂った頭の見せた幻想で、ラディンは行き交う通行人の側でわめいていて、結局警察官に連れて行かれます、という話です。
うーん、もう一ひねり欲しい話で、結末がある程度予測出来るのが難点でした。また以前も核戦争で銀行の金庫に入っていて助かる男の話がありましたが、核ミサイル爆発直後の都市を歩けば残留する放射線ですぐにやられて死んでしまう、ということがまったく分っていないという点で進歩がありませんでした。
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トワイライト・ゾーンの”Nothing in the Dark”
トワイライト・ゾーンの”Nothing in the Dark”を観ました。ある老女が地下の部屋に一人で暮しており、いつも何かに怯えていました。ある日、外で銃声が鳴り響き、一人の若い男(何とロバート・レッドフォード!)が玄関のドアの前で倒れます。男は自分は警官であり銃で撃たれたので老婆に助けてくれるように頼みますが、老婆は「私をだまさないで」という具合に拒み、中々中に入れてくれません。結局若い男が気を失う寸前に老婆はドアを開け、若い男を中に入れます。老婆は若い男を介抱しお茶を飲ませますが、医者を呼ぶことはしません。その理由として、老婆は外でこれまで何度も色んな男の格好をした死神が、年取った女性に死をもたらすのを見たといい、死神を中に入れないためこんな部屋に何年も暮していると言います。その後、別の男がドアをドンドン叩きます。若い男が、何で返事をしないんだとなじったので、老婆はドアチェーンを付けたままドアを半開きにしますが、その別の男がドアを蹴破るようにして中に入りました。その別の男の説明によると、老婆の住んでいる部屋は古くて今にも解体の危険があるため、取り壊し、老婆には別の新しい住処を提供すると言います。男は市に頼まれた解体業者でした。しかし老婆は外には出たくないと言い、若い男に説明してくれるように頼みます。しかしその解体業者は若い男の姿を見ることが出来ません。解体業者が出ていった後、若い男は鏡を見るように言います。そこには彼の姿は映っていませんでした。ようやく老婆は今度こそ若い男が死神であり、彼女を騙して中に入ったことに気が付きます。老婆は必死に抵抗しますが、死神は優しく手を差し伸べて一緒に行こうと言い、手を差し出した老婆は、ベッドの上に既に死んでいる自分を見る、というお話です。
死神が出てくるのはこれで3回目で、いつも男性ですね。しかしロバート・レッドフォードもこの頃はまだこんな役をやらされていたんだなあ、と思いました。
熊井啓の「黒部の太陽」
実際に黒部ダムを見てきて、やはり映画の「黒部の太陽」を観たくなり、Amazon Primeで観ました。石原裕次郎がこの映画は映画館で観て欲しいと言ったことから、長い間DVDやBlu-rayにならずにほぼお蔵入りフィルムと化しかけていたものです。
最初の企業とのタイアップ映画で、そのせいか関電の社長が格好良く描かれすぎですが、そうはいっても三船敏郎と石原裕次郎という二大スターの競演は素晴しく、その他も宇野重吉、大滝秀治、志村喬、辰巳柳太郎、二谷英明、樫山文枝、高峰三枝子など豪華きわまりないキャスティングです。
この映画で初めて知ったのは、いわゆる黒部ダムの黒四ダムの前に黒三ダムというのが戦争中に建築されて、これが黒四以上の大変な工事でトンネルがもろに活断層に当たったため岩盤の温度が170℃以上になり、ダイナマイトをセットすると導火線で点火する前にその熱で爆発してしまい、雪崩で宿舎がやられたのと合わせて300人もの犠牲者が出たということでした。(吉村昭にこのトンネル工事を題材にした「高熱隧道」という小説があります。)石原裕次郎の父親がその工事の指揮を執っていて、自分の子供(裕次郎の兄)に発破を仕掛けさせて死に至らしめたという過去があることになっています。
最初に登場する裕次郎はフォッサマグナ沿いにトンネルを掘ることの危険性を訴えますが、この辺り1968年当時で学生紛争のピークの時期であり、そういう学生運動の影響が裕次郎の言動に感じられます。また私は破砕帯のリスクは当時分っていなくて、実際に工事して初めて遭遇したのかと思っていましたが、実際はある程度は予想していたようです。しかしその割りには準備が不十分極まりなかったと思います。
一方の三船敏郎はまあ言うことなくて、こういうビジネスマンの役も見事にこなしています。また破砕帯にぶちあたった時の画面は、撮影のセットのミスで計画の倍の水が押し寄せてきたんだそうですが、三船敏郎が一歩も退かなかったそうで、それが「退避!」と叫ぶシーンに活かされています。
まあ3時間16分という長大な映画ですが、やはり一度は観ておくべき映画と思います。
アウター・リミッツの”The Duplicate Man”
アウター・リミッツの”The Duplicate Man”を観ました。ヘンダーソン・ジェームズという科学者が、メガソイドという凶悪でかつ人間よりもIQが高くテレパシー能力を持っているエイリアンを、法律で禁じられているにも関わらず密輸によって生体を入手し、秘かに自分の家の中で研究のため飼っていました。このエイリアンは繁殖期以外は、ひたすら生き物を殺しまくる危険なものです。しかしある日、丁度繁殖期にあったメガソイドが逃げ出してしまいます。ヘンダーソンは、当時既に開発されていたクローン人間技術を使い、自分の複製を作り、それにメガソイドを処分させようとします。しかしクローンはメガソイドに傷を負わせましたが逃がしてしまいます。クローンは法律で作成後1日以内に処分してしまわないといけないことになっています。もしクローンが本体と同じ記憶を持つと、まったく本体と区別がつかなくなり、社会的混乱が生じるからです。クローンは、メガソイドの密輸を行った宇宙船長のエメットの家に行きますが、彼が警察に電話しようとしたので殴って気絶させます。そしてヘンダーソンの家に電話し、電話に出たヘンダーソンの妻ローラを「プリンセス」と呼びます。それはヘンダーソンがまだメガソイドの研究に夢中になってローラに冷たくなる前の呼び方でした。深夜に自宅に戻ってくるようにプログラムされていたクローンは、自宅で本物と対峙します。本物はエメットに金を払ってクローンを始末させようとしていましたが、エメットはしかしやはり戻って来ていたメガソイドに殺されてしまいます。本物とクローンはどちらもお互いを殺すことが出来ず、そこに現れたメガソイドを倒そうとし、片方の犠牲により、メガソイドを何とか殺すことに成功します。そこにローラに、クローンを闇で作った科学者から電話があり、クローンを始末しなくても、夜の12時になるとその血管中に毒が流れ自動的に死ぬということを説明します。メガソイドを殺して戻って来たどちらか分らないヘンダーソンは、ローラを「プリンセス」と呼んだので、ローラはそれはクローンだと思い、12時の鐘が鳴った時の悲劇を予想して青ざめます。しかし、それはクローンによってローラへの愛を取り戻した本物でした、というハッピーエンドです。
クローンと本物とローラの三角関係は面白いですが、メガソイドというエイリアンは一体何のため?という感じもします。クローンを使って完全犯罪を企むなど、ミステリーとしてはもっと色んな展開があり得るように思います。
スター・トレック・ザ・ネクスト・ジェネレーションの”Code of Honor”
スター・トレック・ザ・ネクスト・ジェネレーションの”Code of Honor”を観ました。何と言うか、これまで観たスター・トレックのお話の中での最悪のお話の一つです。(ワースト1は、オリジナルシーズンの最終話の、女性艦長への偏見に満ちた描写があったものですが、それに続くワースト2でしょう。)1987年という時代にまだこんな脚本が書かれていたとは驚きです。エンタープライズ号がある星で猖獗を極めている疫病のワクチンを求めて、リゴンIIという星の住民と交渉するのですが、その住民の姿が、肌が浅黒く頭にターバンを巻いて、といわゆるシェークスピア作品に出てくるムーア人(アラブ・アフリカのイスラム教徒)のイメージそのままです。その住民達は最初は礼儀正しくピカード船長らと接していましたが、去り際に向こうのトップのルタンがヤール中尉を無理矢理強奪して行きます。そしてルタンがその星で、ヤール中尉を自分の第一位の妻(この順位付けもイスラム教徒への偏見を感じます)にしたいと言い、元々の第一の妻とヤール中尉が決闘することになります。毒針付きのグラブを付けて二人は戦いましたが、ヤールが勝って元正妻は倒れます。ヤールは彼女をエンタープライズ号に転送させて、蘇生させます。元正妻は結局ルタンを見限り、ハゴンというNo.2だった男を自分の夫に選び、その土地と財宝を与えます。ヤール中尉はルタンの妻になるのを拒否したため、結局ルタンは全てを失ったけど、礼儀にはかなっていて名誉は保てた、という話です。全体でこれこそオリエンタリズムそのものの偏見に満ちた描写で、別にリゴンIIという星の住民をムーア人みたいに描く必要性はまったく無かったと思います。
トワイライト・ゾーンの”A Quality of Mercy”
トワイライト・ゾーンの”A Quality of Mercy”を観ました。時は1945年8月6日、日本人ならすぐに何の日か分る日です。場所はフィリピンのミンダナオ島でした。あるアメリカの歩兵部隊が、洞窟に閉じ籠もった20人くらいの日本人部隊を見張っていました。ベテラン軍曹のカウサラーノは、中の日本兵が傷ついてほとんど戦う力がもう残っていないことを知っており、その洞窟を放置したまま先へ進もうとします。そこに新任少尉のカテルがやって来て、日本兵の皆殺しのための攻撃を命じます。カテルはまだ戦場の経験が浅く、ともかく敵は皆殺し、という考え方しかありません。しかしカテルが双眼鏡を落した瞬間、彼はタイムワープし、1942年5月4日のコレヒドールに移動し、何と日本兵ヤムリ(おそらく家森、八森、ヤモリの間違い、あるいは山森)になってしまっています。その日は日本軍によるアメリカ軍のコレヒドール要塞への総攻撃の日でした。ここでは逆にアメリカ兵が20名程度洞窟の中に傷ついた状態で潜んでいました。ヤムリは上官に、アメリカ兵は傷ついているので、攻撃しないで先へ進むべき、と意見しますが、上官はアメリカ軍は皆殺しだ、それが戦争だ、と聞き入れません。総攻撃の開始の瞬間、ヤムリはまたカテルに戻り、時間も1945年8月になります。そこでは後方部隊から、広島に落した新型爆弾の威力で日本はもうすぐ降伏するだろうから、これ以上攻撃を続ける必要は無い、という指令が来ます…
大平洋戦争の話はこれで2話目ですが、前回もフィリピンの話でした。たまたまなのか、脚本家達に実際にフィリピンで戦った者がいたのかは不明です。ただ8月6日の段階で、日本が降伏するだろうはまだ希望的観測のように思います。
ベン・アフレックの「エア」
「エア」を観て来ました。今月映画8本目で、いい加減に観たいものが無くなって来て、まあ観てみるか、という感じでしたが、なかなか良い「ビジネス」映画でした。1984年当時の話で、その頃バッシュのシェアはトップがCONVERSE、2位がAddidasで、NIKEのシェアはわずか17%で、撤退寸前でした。それが担当者がまだNBAに入る寸前のマイケル・ジョーダンに注目し、3人分の予算をつぎ込んでジョーダンの個人ブランドを作って一発逆転を図るという話です。なんか結構「こういうのビジネスであるある」が多くて、子供には分からない映画ですね。リスクの話ばかりして消極的だったCEOも最後にCEOらしいいい仕事をします。エアージョーダンの大成功でナイキはトップシェアになり、1996年にCONVERSEを買収しているんですね、知らなかった。それからAddidasの創業者の本当の名前が「アドルフ」で元ナチ党員だったというのが出て来ましたが、本当なんでしょうか。(今調べたら本当でした。)
エイゼンシュテインの「アレクサンドル・ネフスキー」
エイゼンシュテインの「アレクサンドル・ネフスキー」を観ました。この映画のDVDは2年前くらいに買ったのですが、ロシアがウクライナに攻め込んだため、いわばロシア愛国映画なこれを観るのを保留していました。この映画は、しかし昔から音楽で知っています。この映画のBGMはプロコフィエフによって作曲されており、それがカンタータとして作り直されています。アバドの指揮する演奏のLPやCDを持っています。改めて映画で観てみて、その音楽が本当にぴたりと内容にはまっているのを確認出来ました。
アレクサンドル・ネフスキーは13世紀のノヴゴロド公国の王子で、まずスウェーデン軍をネヴァ川の戦いで打ち破ってから「ネヴァ川の」という意味の「ネフスキー」と後世呼ばれるようになります。さらにはこの映画で描かれているように、侵略して来た(といよりカトリックのギリシア正教に対する十字軍です)ドイツ騎士団と冬のチュド湖で戦い、これを打ち破っただけでなく、ドイツ騎士団が割れた氷によって湖に落ち、ほぼ全滅しています。(多分偶然でしょうけど、この映画ではアレクサンドルがノヴゴロド軍より重武装しているドイツ騎士団の兵士を、氷が薄い所に誘い込んでそうなった、ということにされています。)
アレクサンドルの時代は、実はロシアは東からはモンゴルによって侵略されており(タタールの軛)ましたが、モンゴルはアレクサンドルの武勇を恐れてノヴゴロドには攻め込まなかったようです。このように、ロシアは侵略ばかりしている国ではなく、歴史上はモンゴル、スウェーデン、ドイツ騎士団、ポーランドといった所から侵略も受けています。だからといってもちろんウクライナ侵攻が正当化される訳ではまったくありません。
ちなみに英語字幕でしたが、かなりひどいブロークンな英語でした。おそらく機械翻訳かと。
ジョナサン・ゴールドスタイン&ジョン・フランシス・デイリーの「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」
「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」を観て来ました。まったく予備知識無しで観て、超古典的RPGだなと思ったら、まさにその通りで、1974年のアメリカのテーブルゲームでの同名の元祖RPGを映画化したものです。そういう訳でストーリーもほとんどあるような無いようなもので、男女ペア(女性の方が強いのが今日的)と魔法使いとエルフというチームもRPGそのものです。結局悪い魔女をどう倒すかというだけですが、まあまあ楽しめました。
トワイライト・ゾーンの”Five Characters in Search of an Exit”
トワイライト・ゾーンの”Five Characters in Search of an Exit”を観ました。あるアメリカ陸軍の大佐が目覚めると、不思議な空間の中にいました。そこは円筒形で周りも床も全て金属でした。大佐はそこにピエロがいるのを発見します。更には、日雇い労働者、バレーダンサー、バグパイプ吹きの合計5人がいることが判明します。その誰もが何故ここにいるのか知っておらず、またはお腹が空くことも喉が渇くこともありませんでした。大佐は必死に出口を探しますが、どこにも無く、そういった努力は既に先住の4人が試みていたことでした。しかし大佐はここは地獄に違いない、と言いつつも諦めません。5人でそれぞれを肩に載せれば出口の天井の縁に届くのではないかということで、やってみますが、後ちょっとで届きません。しかし大佐は今度は自分が一番上になり、そこであり合わせの衣服で作ったロープをピエロが持っていたサーベルの柄にくくりつけてそれを投げ、天井に縁に引っかけることに成功します。大佐はロープを伝ってついに天井の縁に届きましたが、逆側に墜落してしまいます。そこは雪の上でした。そこはある町のクリスマスの時期であり、5人が入っていた缶は「孤児達に人形をプレゼントしましょう!」と書いてありました。通りかかった女の子が雪の上に落ちていた大佐の「人形」を缶の中に戻します…
まあそれなりに良く出来た脚本でした。これは1961年12月22日のクリスマスシーズンに放送されたものです。