「ボヘミアン・ラプソディー」観て来ました。フレディ最高!自分をミュージシャンやアーチストではなくパフォーマーとしている所が素晴らしいです。私はボヘミアン・ラプソディーのイメージからクィーンがヨーロッパのクラシック音楽とオペラの伝統を背景にしたロックバンドと思っていましたが(実際メンバーは大学出の結構インテリ、またフレディもインドでイギリス式のパブリックスクール出身)、フレディがゾロアスター教徒でインドからザンジバルに移住し、更にザンジバルから追われて難民のようにロンドンにやって来たことを知りませんでした。この映画が今作られた理由は明白で、移民を嫌悪し、また少数派に対する敵意が剥き出しになっている現在、ある意味また振り子の揺り戻しのように元に戻そうとする主張のように思いました。実際フレディこそ、移民による多様性が新しいパワーをある国にもたらす、という良い例のように思います。
また私の世代が今の若い世代より良かったと思うことは、共通の音楽体験を持てたことです。このクィーンなんかまさにその典型です。実際、映画館で沢山の同世代の人を見ました。
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エーリヒとカルロス/二人のクライバー
クレメンス・クラウスの97枚組を聴き終えた後、私は今度はエーリヒ・クライバーが聴きたくなり(二人は同じウィーン生まれで同時期に活躍していたライバルです)、既に沢山エーリヒのCDを持っているにも関わらず、重複覚悟でエーリヒの34枚組を購入しました。まだ聴いている途中ですが、驚くのはベートーベンの「田園」(交響曲第6番)が5種類も入っていることです。そもそも私がエーリヒ・クライバーという指揮者を大好きになったのは、学生時代にエーリヒの指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団の「田園」を聴いてからです。そのオケの自在なコントロール振りと、歌心溢れる演奏に一発で魅了されました。この34枚組に「田園」が5種類も入っているのは、やはりエーリヒの得意曲だったということでしょう。
面白いのがエーリヒの息子のカルロス・クライバーで、元々カルロスが有名になった演奏はベートーベンの交響曲5番と7番ですが、6番の「田園」については私の知る限り1983年のライブ盤のみが残されています。父親が「田園」を得意としていたから、カルロスの「田園」が素晴らしいかと言うと、私に言わせると、彼の残したCDの中でおそらく最低の演奏がこれです。極めてテンポがせかせかしていて落ち着きが無く、最終楽章もさらっと終わってしまって、ライブですが聴衆が「え?もう終わったの?」という感じで呆然としてしまい、拍手が始まるまでかなりの時間がかかっています。今、Amazonのレビューを見たらそういう演奏を褒め称えている人もいますが、カルロスのCDにしてはレビューの数も少なく、私は少数意見と思います。
エーリヒは彼自身の書き込みが入った多数の楽譜をカルロスに残したとされています。カルロスのレパートリーがかなりの部分エーリヒとかぶっているのはそのせいもあると思います。しかし、「田園」に関しては一子相伝の芸にはなっていないように思います。
クレメンス・クラウスの97枚組セット
クレメンス・クラウスの全97枚のセットを全部聴き終えました。中に数枚音飛びがするCDがありましたが、送り返すのが面倒で返品交換は求めていません。
クレメンス・クラウスについては、ウィンナ・ワルツのニューイヤーコンサートを始めた人で、私も最初はそちらから入りました。しかし感銘を受けたのはブラームスの交響曲第1番の演奏で、歌心あふれる素晴らしいブラームスでした。それでこのセットを買い求めました。
クラウスはウィーンの国立歌劇場のバレリーナの私生児です。父親が誰かは分かっていませんが、ご覧の通りの端正な顔立ちであるため、父親が当時の皇帝であるという噂もあります。皇帝でなかったにしても、かなり高貴な身分の人であっただろうと思います。
全体を通して、クレメンス・クラウスが偉大な指揮者であることが十二分に確認出来ました。中でも一番感銘を受けたのがヨハン・シュトラウスの「こうもり」です。CDなんで当然映像はありませんが、何というか大晦日の演奏の定番であるこのオペレッタがこれほどワクワクした響きを持っていることに驚かされました。クラウスの指揮だけでなく、ユリウス・パツァーク、ヒルデ・ギューデン、アントン・デルモータといった素晴らしい歌手が集まっていることにも感銘を受けます。後は伝説の名演と言われるバイロイト音楽祭のライブである「指輪」と「パルジファル」も素晴らしいです。その他リヒャルト・シュトラウスについては、クラウスはある意味協力者と言っていい位R・シュトラウスの音楽を取り上げていますし、最後のオペラ「カプリッチョ」に至ってはクラウスが台本を書いています。このセットにもかなりの数のR・シュトラウスの音楽が入っており貴重な記録だと思います。
惜しいのは、イタリアオペラもヴェルディやプッチーニなど多数収録されているのですが、すべてがドイツ語歌唱だということです。現在でもドイツの主として地方ではドイツ語上演が普通で私もフィッシャー・ディースカウの「リゴレット」のCDを持っていたりしますが、やはりちょっと違和感は否めないです。
Wikipediaの「クレメンス・クラウス」の項には「ウィーン、ベルリン、ミュンヘンとドイツ圏の三大歌劇場の総監督をすべて歴任し、ウィーン・フィル最後の常任でもあった指揮者ながら、日本ではこれに見合った位置づけがほとんど行われていない。」とありますが、同感です。これだけの名指揮者としては評価が低すぎると思います。
日立コール・ファミリエ 第19回演奏会
日立コール・ファミリエの合唱のコンサートに今年も行きました。今回で多分連続12回目くらいです。昔の上司3人が合唱団に参加しており、その中のお一人から毎年チケットをいただいています。合唱そのものよりも1年に1回昔の仲間に会う日になっています。メインの曲は指揮者の趣味で、かなりのマイナーな曲が多かったのですが、さすがに団員からクレームが出るようになったと見えて、一昨年はフォーレのレクイエムで、今年はモーツァルトのレクイエムです。有名曲のせいか、ソリストも歌い慣れており、また合唱団員の熱気も感じられてなかなか良い演奏で、今までで一番良いのではないかと思いました。ただ、リタイアされた方々がメンバーの中心であるため、年々平均年齢が上がっていっているのは否定しようがなく、数名の方が椅子に座っての合唱でした。それに比べると指揮者の木村義昭さんのお若いことにはびっくりします。もう80代半ばだということですが、まったく衰えを感じさせいない指揮振りで、モツレクでもうまくまとめていました。
ロビン・ティチアーティーのブラームス交響曲全集
ブラームスの交響曲全集は70種類くらい持っていて、さらに1番だけなら220種類くらい持っていますけど、ロビン・ティチアーティーのブラームス交響曲全集が出たとあっては買わざるを得ません。ティチアーティーは1983年生まれでまだ35歳に過ぎませんが、既に一流の指揮者として欧州各地で大活躍しています。特に若くしてグラインドボーン・オペラ祭の音楽監督になったことも記憶に新しいです。
それでこのブラームスですが、1番の出だしから響きの新しさが強く印象づけられます。一言で言ってしまえばピリオド奏法なのかも知れませんが、手持ちのブラームスではガーディナーのものと似ている感じです。それでティチアーティーの場合は単に音色の新しさで終わらず、緊張感を終始保った素晴らしいブラームスです。ティチアーティーは未だに日本語のWikipediaのページも無いのですが、日本で何故注目されないのかが不思議です。
クラギも復活(予定)
Martin D-35の生還(続き)
マーティンD-35復活
マリス・ヤンソンス指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のマーラーの交響曲7番「夜の歌」
マリス・ヤンソンス指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のマーラーの交響曲7番「夜の歌」を聴きました。ヤンソンスの7番は実に3回目で、最初がオスロ・フィル、次がバイエルン放送楽団で、今回がコンセルトヘボウです。全部持っています。私はマーラーの交響曲の中ではこの7番が一番好きで30種類くらい持っています。普通交響曲というと、ベートーヴェンの5番が典型ですが、「ジャジャジャジャーン」のように格好良く始まるのが多いのですが、この曲は実に静かに物憂げに、まさに夜の雰囲気で始まるのがいいんです。また途中で私の好きなギターやマンドリンが出てくるのもいい感じです。最終楽章は一転して狂乱の大騒ぎになりますが、私はこれを「百鬼夜行」と名付けています。ヤンソンスも3回も録音しているということは、彼も7番が好きなんだと思います。今回の3回目が一番素晴らしく、手持ちの7番のすべての演奏の中でもかなり上位に来る出来だと思います。
二代 大島伯鶴の「寛永三馬術 度々平住込み」「寛永三馬術 平九郎浪人の巻」
二代 大島伯鶴の「寛永三馬術 度々平住込み」「寛永三馬術 平九郎浪人の巻」を聴きました。間垣平九郎は、将軍家光の前で、愛宕神社の男坂という絶壁のような急な石段を馬で駆け上がり、梅の枝を手折って駆け下りてきて、家光よりお褒めをいただいて出世した、という伝説の人です。そのお話は「寛永三馬術 出世の春駒」というお話ですが、このCDに入っているのはその後日談で、讃岐に戻った平九郎が度々兵という筑後の柳川からやってきた男を仲間としますが、その度々兵が藩の重役の弟といさかいを起こして、結局浪人するまでの話です。大衆小説は最初「新講談」と呼ばれましたが、確かに講談のお話の調子は初期の大衆小説に近いですね。
ちなみに「出世の春駒」はCDなどは出ていませんが、ここで聴くことができます。