1945年4月に公開されたアニメの「桃太郎 海の神兵」を観ました。このアニメ自体に興味があったというより、音楽監督が古関裕而だったので観てみたものです。途中2/3くらいの戦闘が始まるまではミュージカル仕立てで、古関の音楽が素晴らしかったです。また前半は本当にほのぼのとした田園に囲まれた村の描写であり、戦争中に作られたものとは思えないくらい牧歌的で童心に訴えるものです。真ん中辺りで、お猿さん(まあ桃太郎だから部下は犬、猿、雉です)の先生が色んな動物に日本語を教えるシーンでの「アイウエオの歌」が良いです。この歌は実際に東南アジアの日本占領地域で宣撫策として日本語を現地の子供に教えるために使われた曲のようで、古関の作曲ではないのでは、という人もいますが、私が聴く限りこのメロディーはまず古関だろうと思います。しかもこの映画の製作が始まった1944年当時、古関は軍事歌謡で数々のヒット曲を持つ大作曲家だった訳であり、その古関がメインのシーンの音楽を人ので済ますというのは考えにくいですし、また別の作曲者のキャプションもありません。モデルとなっている戦いは、太平洋戦争初期の海軍によるセレベス島北端のメナド(マナド)攻略作戦で、パラシュート部隊が空港占拠に成功したものです。パラシュート空挺部隊での戦果というと、パレンバン攻略作戦があまりにも有名ですが、あれは陸軍空挺部隊によるもので、海軍としては意地でもその一ヵ月前に行われた最初の空挺部隊による戦果であるメナド攻略作戦を再アピールするという意図があったのかもしれません。(このアニメのスポンサーは海軍省です。)物語の背後にあるのは大東亜共栄圏と八紘一宇で、要するに悪い鬼=白人(英語をしゃべっています)によって奪われた東南アジアの国々を日本が武力で解放する、というものになっています。最後捕まった白人捕虜の中にポパイとブルータスがいますが、このシーンは公開時には削除されていたようです。
カテゴリー: Music
アニメンタリー「決断」のテーマ曲の作曲者
「アニメンタリー 決断」はあのタツノコプロが、太平洋戦争をアニメで描いたもので、1971年4月から半年間放送されました。(アニメンタリーはアニメ+ドキュメンタリーの造語。1972年の男子バレーを描いた「ミュンヘンへの道」でもこの言葉が使われていました。)
この作品は、かなり真面目に太平洋戦争を描いていて、私と私の友人の間では結構話題になりました。(当時は戦記ブームでした。)しかし、放送当時PTAからは戦争賛美だという批判が強くありました。特に主題歌が「軍歌そのもの」と言われていました。それで作曲者を調べたら、何とオープニングもエンディングも古関裕而でした!そりゃ、軍歌そのものになりますわな。ちなみに作詞の丘灯至夫は古関と同郷の福島出身で、「高原列車は行く」で古関と組んでいます。「ハクション大魔王」の主題歌の作詞者でもあります。
主題歌
オープニング:「決断」 作詞:丘灯至夫 作曲:古関裕而
エンディング:「男ぶし」 作詞:丘灯至夫 作曲:古関裕而
古関裕而のCD
連休の前に、注文しておいた古関裕而のCDが全部揃いました。「栄冠は君に輝く」はちょっとダブりだけどまあいいか。しかしこれだけ集めても120曲ちょっと。生涯で5,000曲以上を作曲している古関裕而の作品全体の3%にもなりません。藍川由美のCDはJ社時代に買ったもので、私に古関裕而の魅力を教えてくれたCDです。資料的にも「六甲颪」が3バージョンも入っていたり、永井隆博士が「長崎の鐘」のお礼として送った短歌に古関が曲を付けた「新しき朝の」世界初録音など、価値が高いCDです。(「新しき朝の」は藤山一郎も曲を付けて、「長崎の鐘」に続けて歌うことを良くやっていたため、古関裕而は自分の作曲したものを世に出さずある意味封印していました。)
The Bell in Nagasaki (Nagasaki no Kane; 長崎の鐘)
The Bell in Nagasaki was the theme song of the same name movie released in 1950. The Bell mentioned in this song was that of the Urakami Cathedral in Nagasaki city, which located just at the epicenter of the atomic-bomb’s explosion on August 9, 1945. The bell (Angelus bell) was miraculously digged up from the debris and ashes of the Cathedral without serious damage on the Christmas Eve of 1945.
The movie desribed the life of Dr. Takashi Nagai. He was a Christian (Catholic) and worked as a radiologist during the World War II and suffered from leukemia due to the poor shielding of X-ray at that time. By the atomic-bomb’s attack, he lost his wife and he also was seriously injured in his carotid artery but could fortunately survive. After the war, he contributed to the cure of many patients who suffered from the atomic-bomb diseases until he died in 1951. The Bell in Nagasaki was originally the title of his essay.
This song is extremely impressive and contains deep sense of prayer for peace. The lyrics were written by Hachiro Sato, who lost his younger brother also by the atomic-bomb dropped down on Hiroshima. The music was composed by Yuji Koseki. He was one of the most famous composers in Showa period, and he composed the march for the opening ceremony of the first Tokyo Olympic games in 1964. He also composed many war songs during the war time and composed this song in 1950 with deep regret and prayer as a kind of requiem for the victims of the war. In the last two lines of each section, the melody turns from minor to major and it leaves hope for those who listened to this music.
You can listen to the music here. (sung by Ichiro Fujiyama, the original singer)
I translated the lyrics into English for readers outside Japan:
こよなく晴れた青空を
悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に
はかなく生きる野の花よ
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る
Even while looking to the brightest sky,
I painfully feel the deepest sorrow.
Within the ever undulating human world,
I am just an ephemeral wildflower.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.
召されて妻は天国へ
別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの
鎖に白きわが涙
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る
Summoned by God, my wife has returned to heaven,
leaving me alone in this world.
When I look at the rosary left as her memento,
I only find the traits of my tears.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.
こころの罪をうちあけて
更けゆく夜の月すみぬ
貧しき家の柱にも
気高く白きマリア様
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る
While I confess sins in my heart,
the moon shines brightly in the deepening night.
Even on a pillar in a poor man’s house,
there hangs a statue of the Holy Virgin Mary.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.
(notes)
(1) The first two lines:”Even while looking to the brightest sky, I painfully feel the deepest sorrow.” are if literally translated, “It is usually delightful for most people to see clear and blue sky, but I cannot help feeling sad even if I do so. It is a pity for me to feel so.”
(2) Regarding the last line of each section: “the Bell in Nagasaki resonantly rings”, there is no word corresponding to “resonantly” in the original Japanese lyrics. But I added it so that the line can be easily sung in English. (“the Bell in Nagasaki rings” is too short for the melody.)
Let peace ring from the bell in Nagasaki!
「若い力」と「栄冠は君に輝く」
「栄冠は君に輝く」を何度も聴いて、そういえば良く似た感じの歌があったと思ったら「若い力」でした。この歌調べたら1947年の石川県での国体の時の歌です。「栄冠は君に輝く」の詞は1948年で、作詞家の加賀大介さんは石川の人です。おそらく加賀さんは「若い力」の歌詞に影響されてその野球版を書こうとしたのでは、という仮説。もっと言うと、「若い力」の作詞は佐伯孝夫で、古関裕而と組んで多数の名曲の詞を書いた西条八十の弟子です。古関裕而→西条八十→佐伯孝夫→加賀大介→古関裕而という円環を成す不思議な人の縁です。
P.S. 2020年5月30日追記
佐伯孝夫は、古関裕而の戦時中のヒットした軍事歌謡である「ラバウル海軍航空隊」の作詞者でした。古関裕而はコロムビア専属、佐伯孝夫はビクター専属なので、通常この二人が組むことはあり得ないのですが、元々NHKからの依頼で実現します。それで最終的にはレコードとしてはビクターから発売されるのですが、コロムビアはその代償としてビクター専属であった信時潔の作曲したものをコロムビアのレコードにすることを条件としたそうです。しかし「ラバウル海軍航空隊」が大ヒットしたのに対し、信時潔の曲はあまり売れず、コロムビアは悔しがったということです。
決定版「栄冠は君に輝く」
こういうCDを聴きました。古関裕而のあまたの名曲の中でもこの「栄冠は君に輝く」はベスト3にも入るものだと思います。また曲だけではなく、詞も素晴らしいと思います。作詞者の加賀大介さんは、石川の脚本家・作詞家ですが、ご自身が野球少年だったのをある試合で大怪我をし、右足の膝から下を切断しなければならなくなり、野球が出来なくなります。この歌詞の太陽の下で熱い戦いを繰り広げる若人への共感というのはそういう体験から来ているのだと思います。また3番の「美しくにおえる健康」というちょっと不思議な表現も、加賀さんの経験を考えるとよく分ります。
ちなみに加賀さんはあのゴジラ松井と同じ小学校の出身で、地元では松井は加賀さんの生まれ変わりではないか、という説があるそうです。
古関裕而の名曲集YouTubeリンク
会社で私の部署の人に元気を出してもらおうとメールで送った古関裕而の名曲リンク集。シェアします。
古関裕而名曲集
オリンピックマーチ
https://www.youtube.com/watch?v=F3ZGwt9aQxc
いわずと知れた1964年の東京オリンピックの開会式の入場行進で使われた名曲です。
最後の箇所で君が代の「苔のむすまで」のメロディーを引用して終わります。
栄冠は君に輝く
https://www.youtube.com/watch?v=A3pd2U_6Fxk
これも夏の甲子園で1948年以来未だに演奏され続けている名曲です。
前奏が「オリンピックマーチ」とそっくりですが。
スポーツショー行進曲
https://www.youtube.com/watch?v=U57An6MqZhw
NHKのTVのスポーツ中継の時に冒頭で流れるもの。聴けばすぐ分ります。
小学校の時の運動会の行進はいつもこれでした。
阪神タイガースの歌
https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4&t=88s
いわゆる「六甲颪」で阪神ファンで知らない人はいない曲。上記リンクは最初のバージョンの「大阪タイガースの歌」です。
闘魂込めて
https://www.youtube.com/watch?v=7MMad7Lzg84
阪神の応援歌を作曲したかと思えば、巨人の応援歌も古関裕而。
紺碧の空
https://www.youtube.com/watch?v=M-AlZLeVxgg
早稲田大学の7番目に作られた応援歌ですが、今では一番歌われる応援歌になりました。
我ぞ覇者
https://www.youtube.com/watch?v=EryNYyQs3F0
と思ったら、早稲田の永遠のライバル、慶応大学の応援歌も古関裕而。早稲田の方が「覇者、覇者、早稲田」で終わるのに対し、対抗意識丸出しのタイトルです。出来たのはこちらの方が後です。
露営の歌
https://www.youtube.com/watch?v=gRKy0VcWru8
古関裕而は戦前は多数の軍歌を作っており、最初に大ヒットしたのがこれです。
長崎の鐘
https://www.youtube.com/watch?v=z-000VudpMg
古関裕而は自分が作った軍歌を歌いながら死んでいった若者のことを考え深く反省し、戦後は平和の歌を多く作っています。その中でももっとも有名なのがこの曲で、長崎で原爆症患者の治療にあたりながら、昭和25年に白血病で亡くなられた永井隆医学博士の映画「長崎の鐘」の主題歌です。昭和の戦後の歌謡曲のベスト50に必ず入る名曲です。
短調で暗く悲しく始まり、途中で「なぐさめはげまし」で長調に転じて、希望を持たせる最後になっています。なお、藤山一郎さんの歌唱は2番の「ロザリオ(rosário)」のrの音をきちんと巻き舌で発音していることに感心します。
とんがり帽子(鐘の鳴る丘)
https://www.youtube.com/watch?v=zEc5ViEq8XQ
NHKで戦後790回以上も放送された戦災孤児を集めた施設が舞台のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌。「鐘の鳴る丘」は後に映画にもなっています。
「鐘が鳴りますキンコンカン、メエメエ小山羊も啼いてます」のフレーズは有名です。
刑部芳則著の「古関裕而―流行作曲家と激動の昭和」
刑部芳則著の「古関裕而―流行作曲家と激動の昭和」を読了。著者は日本史家で、今NHKの朝ドラでやっている古関裕而夫妻の話である「エール」の風俗考証を担当されている方です。朝ドラのおかげで今何冊も古関裕而の本が出ていますが、ぱっと見た感じはこれが一番良さそうでした。歴史家だけあってきちんと事実に基づいて古関像を描いて行きます。
この本で初めて知ったのは、あれだけの生涯で5000曲にも及ぶ数々の名曲を作曲しながら、しかしコロンビアの専属作曲家としての最初の頃は中々芽が出なかったことです。同じコロンビアに古賀政男というもう一人の天才がいて、哀愁を帯びたいわゆる古賀メロティーでヒットを連発したのに対し、古関の曲はある意味正統的、クラシック的過ぎてヒットせず、当時新民謡と言われたご当地ソングみたいなものばかりを作曲していました。そういう時代の例外としては早稲田大学の応援歌である「紺碧の空」があります。これは早稲田としては七番目の応援歌であったにも関わらず、あっという間に人気が出て早大での一番有名な応援歌になります。(ちなみに慶応大学の応援歌も古関裕而で、こちらはかなり後になります。早稲田の方の歌詞の最後が「覇者、覇者、早稲田」となっているのに対し、慶応の方のタイトルは「我ぞ覇者」で早稲田への対抗意識が感じられます。)古賀に負け続けていた初期の古関裕而ですが、時代は次第に戦時色を強めて行き、古賀の哀愁調の曲から、古関の応援歌的スタイルが次第に受入れられるようになり、最初に大ヒットしたのが「露営の歌」でいわゆる「♪勝ってくるぞと勇ましく誓って国を出たからは」です。全国で出征兵士の見送りには必ずこの歌が歌われるほど人口に膾炙します。そしてその後も「若鷲の歌」(♪若い血潮の予科練の)、「ラバウル海軍航空隊」など、次々にヒットを飛ばすようになります。古関の軍歌は、軍隊の賛美一方ではなく、底にある種の哀愁を帯びているのが特徴で、戦時下の国民に非常に愛されました。
しかし、戦後になると、古関は自分が書いた「若鷲の歌」を口ずさみながら特攻に飛び立って行った若者も多くいたことを反省し、戦後は一転して平和の歌を書くようになります。代表曲として昭和のベスト50に間違いなく入る「長崎の鐘」、「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」などが作られます。しかし、その後古関の本領である応援歌調は再び愛されるようになり、その頂点が1964年の東京オリンピックでの「オリンピック・マーチ」です。この曲は今井光也作曲のオリンピックファンファーレと通常続けて演奏されますが、何と曲の最後では国歌「君が代」の「苔のむすまで」の部分が引用されます。これは実は戦前の「皇軍の戦果輝く」(昭和17年)とまったく同じでした。(「皇軍の戦果輝く」はここです。)著者は古関は一度書いたものはすぐに忘れてしまう人で、これは意識してやったことではないだろうとしています。
という具合に書いていると止まらなくなるのですが、古関裕而って本当にいいなと思います。この新型コロナウイルスのまさにそのさなかで古関裕而夫妻を主人公とする朝ドラが放送されているというのはちょっと不思議です。
ピンクレディーの頃
こんなの買ってしまいました。理由:NHKの朝ドラのスカーレットで(このドラマの主人公、亡母と名前が全く同じでしかもほぼ同じ生年です)、主人公の子供(1961年生まれで私と同じ)の友人達が、主人公の陶芸家の所に二人組の女性アイドルが一日陶芸家入門に来たのに、サインをもらってもらうことを頼んだという話でした。その子供が高校生の時ならピンクレディー以外にはあり得ません。それで懐かしくなって。
他にもっと曲数のあるベスト盤もありましたが、私にはこのCDに入っているのがほとんどピンクレディーの全てといった感じです。まとめて聞いて感心するのは阿久悠の作詞のうまさ。いい意味での「見世物小屋」的雰囲気というか、J-POPになる前の昭和歌謡曲の真骨頂です。また、最近のAKBとか欅坂とかみたいにダラダラと長く続くのではなく、3~4年ぐらいで燃え尽きた感じも私はいいと思います。ウォンテッド、UFOくらいがピークで、そこからサウスポーまではまだいいとして、その後モンスター→透明人間→カメレオン・アーミーとどんどん人気が落ちていったのを覚えています。ちなみにピンクレディーの頃って私には受験勉強の時代で、寮とか下宿にいてTVは無かったですが、それでもこれだけ覚えているというのはすごいことですね。
久石譲のベートーヴェンの交響曲全集
久石譲、フューチャー・オーケストラ・クラシックス(ナガノ・チェンバー・オーケストラ)のベートーヴェンの交響曲全集を聴きました。この全集が出たのは知っていました。しかし、ベートーヴェンの交響曲全集に関しては既に50種類以上持っているので、パスしていました。しかしながら「レコード芸術」のレコードアカデミー賞を取ったと聞いたので、やっと購入しました。
1.良い所
(1)オケが少人数で密度が濃く、レベルの高いアンサンブル
(2)ともかくエネルギー感がすごい
(3)ベートーヴェンのリズムの感覚の素晴らしさが良く分かる
2.悪い所
(1)あまりにもセカセカし過ぎ。タメとかコクがもう少し欲しい。特に8番。
(2)第9で1~3楽章と4楽章がなんだかチグハグ。
久石譲の指揮者としての技量は高いと思いますが、だからといってこれを何度も聴きたいかというと、そういう気にはあまりなれません。他の指揮者と比べると、ヘルマン・シェルヘンのと共通点があると思いますが、シェルヘンみたいな狂気は感じません。(芸術において狂気は必ずしも悪い意味ではありません。)