中里介山の「大菩薩峠」第9巻を読了。この小説の本筋というものがあるならば、それは宇津木兵馬の敵討ちということになるのかと思います。この巻では一応兵馬が龍之助が滞在している白骨温泉に一歩一歩近づいては行きますが、ある意味どうでもいい話がいっぱいはさまって話がなかなか進みません。たとえば、松本で江戸から来たという「市川海老蔵」ならぬ「市川海土蔵」を懲らしめる話とかの話が出てきます。また、裏宿の七兵衛が江戸幕府の「竹流し分銅の黄金」を何とか一目見ようと思うのも物語全体の展開にとっては重要性は薄いです。(この「竹流し分銅の黄金」は、野村胡堂の「三万両五十三次」にも出てきましたが。)第6巻の感想で、この小説には心から共感できるような登場人物が一人も居ないと書きましたが、まあお松と与八とムク犬は多少共感できるかもしれません。しかしたとえば与八ですが、白井喬二の主人公的な活躍をする訳ではなく、段々新興宗教の教祖みたいになってくるところが、中里介山的です。また前巻から登場している善良な人好きのするキャラとして描かれるお雪はこの巻では、何と男性とまだ関係していないのに身籠もったと思い込んで、鬱々とする、という不思議な展開になってきています。20代の私はこの次の第10巻で読むのを止めたのですが、あの当時は英語とかコンピューターとか身につけようとしたものがたくさんあって、さすがにこんなだらだらした展開を読み続けて時間をある意味浪費するのに耐えられなかったのだと思います。中里介山のこの小説は、音楽で言えばシューベルトのピアノ・ソナタに似ています。ストーリーをひたすら追っかけるという読み方を止めれば、それなりに楽しめる小説です。
月別アーカイブ: 2017年9月
中里介山の「大菩薩峠」第8巻
中里介山の「大菩薩峠」第8巻を読了。
この小説の冒頭で保護者である老巡礼を龍之助に斬り殺されたお松ですが、その場面を見ていた訳ではありません。また目撃者もいません。なので龍之助がやったことはわかる筈はないのですが、この巻辺りではお松は何故か龍之助が犯人であることを知っています。京都の島原で龍之助と偶然出遭った時には、龍之助が犯人だとはまるで知らなかった筈でした。この辺り、どうもご都合主義的な展開です。また、そろそろ物語全体が停滞し出した感じがし始めています。この巻では龍之助は眼の治療に信州の白骨温泉に行き、そこで冬を過ごすことになります。中里介山の時代には、白骨温泉は秘湯という感じでほとんど一般には知られていなかったようですが、「はっこつ」とも読めるのが作者の気に入ったからではないかと思います。新たなキャラクターとして、飛騨高山の穀屋の後家とその男妾が登場します。また、龍之助を白骨温泉に連れてきたお雪は、この小説のキャラクターとしては珍しく順良で誰とも親しくなれる人好きのする女性として描かれています。
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鶴見俊輔の「大衆文学論」
鶴見俊輔の「大衆文学論」を古本で購入。例によって白井喬二の所だけを読みました。読んですぐ「ああ、これはダメだ」と思いました。何かと言うと、白井喬二に関しては「富士に立つ影」しか読んでいなくて、しかもストレートに最初から読んだのではなく、尾崎秀樹が書いた荒筋を読んでから読んだということです。私に言わせれば、白井喬二の作品を一作しか読んでいなくて、「大衆文学論」などと題した本を出さないで欲しいということです。共感できたのはただ一点、「富士に立つ影」が映画よりもTVに向いているという指摘だけです。前から思っていますが、NHKは誰も聞いたことないような女城主の話を大河ドラマにする前に、「富士に立つ影」や「新撰組」を大河ドラマにすることを、プロジェクトチームを作って検討すべきと思います。
白井喬二の作品をかなり読み込んでいるのは、戦前では中谷博がいますが、戦後は誰もいません。特に戦前と戦後の両方の作品をきちんと読んでいる人を今まで一人も見つけられていません。白井喬二の長男でNHKの大河ドラマ「花の生涯」と「赤穂浪士」のプロデューサーであった井上博は、白井作品を全部読んでいたそうですが、既に故人です。
NHK杯戦囲碁 小林覚9段 対 結城聡9段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が小林覚9段、白番が結城聡9段の対戦です。布石は両者4隅とも星打ちという、最近では珍しいものです。AIのMasterが星に対していきなり三々に入るという打ち方を多く試みて、その対策についてまだ十分研究が進んでおらず、プロ棋士が星打ちを避けるようになってきているみたいです。黒は白の左辺での大模様化を妨げるために左上隅に対して左辺からかかりました。しかし白はその意図を外して挟んだので、結局左辺は白が模様を張りました。右下隅では白が手を抜いて右上隅にかかり、白は実利を稼ぎましたが、その代わり右下隅にかかった石からの一連の石が弱くなり、この石がどの程度攻められるかがポイントとなりました。黒はその後左上隅の白の外勢にくっついている石を動き出し、あわよくば白の外勢を攻めて、右下隅の白石とカラミにしようとしました。しかしその間白は左下隅で大きく地をまとめ、地合では白がリードし、後は黒が二カ所の白石をカラミにして如何に得をして追い上げるかでした。白はまず右下隅の白石を安定させました。その後白は中央の黒2子を切断しようとするノゾキを打ちました。それに黒は受けず、上辺の白を攻める手を打ちました。しかし白は平然と黒2子を取り込んでしまい、地合は大差となって黒は上辺の白を全部取るしかなくなりました。しかし攻めている途中で黒が間違え、白石が活きて黒の投了となりました。もし黒が間違えなくても、白からは最悪劫にする手段はあったようで、劫材はどちらが多かったか分かりませんが、いずれにせよ黒が勝つのはなかなか大変ではなかったかと思います。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンのベートーヴェン交響曲全集
パーヴォ・ヤルヴィ指揮/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンのベートーヴェン交響曲全集を聴きました。
通常、ベートーヴェン交響曲全集のCDの一枚目の一曲目は、第1番か第2番のどちらかが普通ですが、この全集では何故か突然3番「エロイカ」から始まります。このエロイカがとても良いのです。颯爽としたテンポでいて、アクセントもしっかり刻み、何よりキビキビした演奏です。とても気に入りました。全体では出来不出来はそれなりにあるように思いますが、今まで聴いてきたベートーヴェン交響曲全集(30種類以上)の中でもベスト5には間違いなく入る演奏のように思います。ベーレンライター版の全集ではたぶん一番いいんではないかと思います。(ほぼ同時にラトル/ベルリンフィルも聴きましたが、そちらよりもずっといいです。)ヤルヴィは現在N響の首席指揮者です。一度生で聴いてみたくなりました。
中里介山の「大菩薩峠」第7巻
中里介山の「大菩薩峠」第7巻を読了。駒井能登守の子を宿したお君は、男の子を産み、お松が「登」と名付けます。しかし、お君は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまいます。それを知らされた宇治山田の米友と、駒井能登守の両方が悲しみにくれます。一方龍之助は、お若の妹お雪に連れられて、信州の白骨温泉を目指して旅立ちます。
この巻の感想では、この文庫本(ちくま文庫)の注釈について文句を書いておきます。この文庫本では必要な語句に注釈がなく、どうでもいい語句に注釈が付いているのが目立ちます。例えば、この巻の102ページで「鎮西八郎」に注がついていますが、この本を読むくらいの人であれば、「鎮西八郎為朝」のことであることはすぐにわかります。その一方で同じページにある「御厩の喜三太」(おんまやのきさんだ)については何も注釈がありません。少なくとも私は「御厩の喜三太」をWikipediaで調べてみるまでは知りませんでした。(Wikipediaによれば「義経記」に登場する架空の人物で、普段は主人である義経に対面する事もない最も身分の低い下男であったが、源頼朝の命を受けた土佐坊昌俊が京の義経亭を襲撃した際、郎党が出払っていた館に唯一残っており、弓を持って奮戦した、とのことです。)また163ページに出ている茂太郎が歌う外国語混じりの不思議な歌である「宮原節」にも何の注釈もありません。その一方で「大塩平八郎」とか「レーニン」の類いに注が付いているので煩わしく感じます。
白井喬二の生誕128年目
本日は白井喬二の生誕128年目です。白井喬二は1889年の9月1日に横浜で生まれました。
ラファエル・クーベリックのベートーヴェン交響曲全集
ラファエル・クーベリックのベートーヴェン交響曲全集を聴いています。この全集は1番から9番まで全部違うオーケストラというので話題になった全集です。第1番:ロンドン交響楽団、第2番:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、第3番:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、第4番:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、第5番:ボストン交響楽団、第6番:パリ管弦楽団、第7番:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、第8番:クリーヴランド管弦楽団、第9番:バイエルン放送交響楽団、となっています。
そういう全集だと一種の「際物」かと一瞬思うのですが、聴いてみたら骨太で力強い中に、チェコ出身の指揮者らしい柔らかさもあり、素晴らしい全集でした。
こういうオケの振り分け企画が成立したというのも、クーベリックが戦後亡命して色んなオケを渡り歩いたという経歴から可能になったものではないかと思います。(クーベリックは戦前チェコフィルの常任指揮者でしたが、1948年にチェコが共産化すると、イギリスに亡命しました。)1番から9番までの中では、クーベリックが一番長く付き合ったバイエルン放送響との9番が一番いいと思います。