エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」を読了。1978年に出た有名な本で、数年前に購入しておきながらなかなか読む機会が無く、今回やっと読了しました。
「オリエンタリズム」というのは本来は西欧の美術や文学における「中東趣味」のものという意味ですが、サイードはここでは西欧の中東学者に共通してみられる非科学的な偏見、思い込み、蔑視といった態度のことを指して使っています。
読んでいてずっと違和感を禁じ得なかったのが、サイードがオリエントという言葉の意味をほとんどが中東地域を指す言葉で使いながら、時に都合のいい時にはそれをインドや中国、日本他を含むものとして使っているということです。(英語でOrientと言えばどちらかというとアジア人を指すことが多いです。)西欧の中東への蔑視と同じ構造で、(1)西欧+中東のアジア蔑視(2)中東のアジア蔑視という2つが考えられ、サイードは手を変え品を変え西欧の中東蔑視を論じていますが、一度もこの(1)、(2)のアジア蔑視については中東を含まない形では論じていません。そういう公平さの欠けた議論によって、穿った目で見れば、単なる中東地域のひがみのような議論に聞こえ、本来有るべき文化の相対性原理の主張という点が弱くなっているように思います。
またこの本によって文化人類学がその方法論について見直さざると得なくなり、学問としての勢いが弱まったというのを、Eigoxの文化人類学者である先生から聞いたことがあります。しかし例えばイギリスの文化人類学が植民地をより良く統治するという目的で研究されていた、というのは周知の事実であり、中近東の研究がサイードの言うような偏見や先入観に彩られているとしても、それはそういう研究を見直す良い機会であり、決して文化人類学の方法論が否定されるようなものではないと思います。
サイードのこの本を読む前に、ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」を訳していて思ったのは、中世イタリアのコムメンダが、イスラム地域のムダーラバ契約の影響で生れた、と言うのが既にヴェーバーの時代に主張されているのですが、ヴェーバーがまったくそれに触れていないということへの疑問です。まあヴェーバーの頃は、オスマン帝国の弱体化-崩壊の時代で、イスラム圏への蔑視が頂点に達した時であり、ヴェーバーといえどもそういう偏見から100%自由であることは出来なかった、ということなのだと私は理解しています。
エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」
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