古代ローマの「聖なる春」の真の意味

今訳しているヴェーバーの「ローマ土地制度史」の中に、以前紹介した「聖なる春」が出て来ます。

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――部分的に植民地開拓政策の意味を持っていたローマ古代の ver sacrum ≪聖なる春。古代ローマで凶作の秋の翌年春に生まれた新生児を神への捧げ物とし、その新生児が成長して一定年齢になると新植民市の開発のため未開の地に送り出された故事。≫は、それが故郷のゲマインデの中で余分な人間とされ、扶養家族の埒外にされていた者達の中から選ばれた者が、つまりはその理由のため新生児の時に神に捧げられその者が成長した若者を意味する限りにおいて、次のことは正しい。またこのやり方が神々への捧げ物という神聖な儀式として行われているということも、同様に次のことを正しいと思わせる。それはつまり、この ver sacrum が行われたのより更に古い時代の人口政策、つまり神への生け贄が、どちらもその目的は同じだったのであると。それは諸民族において、限られた食料自給体制の中で、対外的な拡張でそれを解決するのが不可能だった場合(例えばインドのドラヴィダ人≪インドでのアーリア人が優勢になる前の先住民族≫の例)に[口減らしのために]利用されていたのが、より後の時代になってもなお ver sacrum という形で[新植民地開拓という建て前で]まだ利用されていた、ということである。
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これについては以前、グスタフ・クリムトの記事で、クリムトらが「ウィーン分離派」を結成した時のその機関誌の名前がこの ver sacrum でした。クリムト達は既存の画壇とは一線を画した新しい画家集団を目指してこの名前を使っています。しかし、その本質はヴェーバーが書いているように、間引き、口減らしなのですね。上記の文章にはドラヴィダ人の場合が言及されていますが、私はそれよりもパレスチナの地でバアル神がヤーウェの再三の怒りにも関わらず信仰されており、その一つの儀式として幼児・子供を火の中に生け贄として投げ込むというのがあり、旧約聖書でヤーウェがこの行為についても非常な怒りを示しています。これも口減らしだったのかもしれません。バアルは元々農耕神です。