The Bell in Nagasaki (Nagasaki no Kane; 長崎の鐘)

The Bell in Nagasaki was the theme song of the same name movie released in 1950. The Bell mentioned in this song was that of the Urakami Cathedral in Nagasaki city, which located just at the epicenter of the atomic-bomb’s explosion on August 9, 1945. The bell (Angelus bell) was miraculously digged up from the debris and ashes of the Cathedral without serious damage on the Christmas Eve of 1945.

The movie desribed the life of Dr. Takashi Nagai. He was a Christian (Catholic) and worked as a radiologist during the World War II and suffered from leukemia due to the poor shielding of X-ray at that time. By the atomic-bomb’s attack, he lost his wife and he also was seriously injured in his carotid artery but could fortunately survive. After the war, he contributed to the cure of many patients who suffered from the atomic-bomb diseases until he died in 1951. The Bell in Nagasaki was originally the title of his essay.

This song is extremely impressive and contains deep sense of prayer for peace. The lyrics were written by Hachiro Sato, who lost his younger brother also by the atomic-bomb dropped down on Hiroshima. The music was composed by Yuji Koseki. He was one of the most famous composers in Showa period, and he composed the march for the opening ceremony of the first Tokyo Olympic games in 1964. He also composed many war songs during the war time and composed this song in 1950 with deep regret and prayer as a kind of requiem for the victims of the war. In the last two lines of each section, the melody turns from minor to major and it leaves hope for those who listened to this music.

You can listen to the music here. (sung by Ichiro Fujiyama, the original singer)

I translated the lyrics into English for readers outside Japan:

こよなく晴れた青空を
悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に
はかなく生きる野の花よ
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る

Even while looking to the brightest sky,
I painfully feel the deepest sorrow.
Within the ever undulating human world,
I am just an ephemeral wildflower.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.

召されて妻は天国へ
別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの
鎖に白きわが涙
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る

Summoned by God, my wife has returned to heaven,
leaving me alone in this world.
When I look at the rosary left as her memento,
I only find the traits of my tears.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.

こころの罪をうちあけて
更けゆく夜の月すみぬ
貧しき家の柱にも
気高く白きマリア様
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る

While I confess sins in my heart,
the moon shines brightly in the deepening night.
Even on a pillar in a poor man’s house,
there hangs a statue of the Holy Virgin Mary.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.

(notes)
(1) The first two lines:”Even while looking to the brightest sky, I painfully feel the deepest sorrow.” are if literally translated, “It is usually delightful for most people to see clear and blue sky, but I cannot help feeling sad even if I do so. It is a pity for me to feel so.”
(2) Regarding the last line of each section: “the Bell in Nagasaki resonantly rings”, there is no word corresponding to “resonantly” in the original Japanese lyrics. But I added it so that the line can be easily sung in English. (“the Bell in Nagasaki rings” is too short for the melody.)

Let peace ring from the bell in Nagasaki!

ブックカバーチャレンジ撲滅運動(補足)

七日間ブックカバーチャレンジについて色々と調べていて、チェーン投稿が何故いけないのか、昔と比べてネットワークの容量は格段に上がっているという意見の人がいました。

しかしこの意見を論駁するのは極めて簡単です。このチャレンジは一人が完遂すると、新たなチャレンジャーを7人産むことになるので、一世代で参加者が7倍になります。それが12世代後にどうなるかというと、極めて簡単で
7^12=13,841,287,201→138億以上。現在の世界の人口は77億人なのでそれを簡単に超えてしまいます。そこまで行かなくてもそれだけの大人数が写真付きの書き込みを7回行なえば、どんな大容量ネットワークのリソースでも簡単にパンクします。要するにネズミ講(無限連鎖講)と同じことです。

実際には途中でバトンを渡されても断ったり、あるいはルールに忠実に毎日誰かに振るというのをやらない人が多いのでそんな単純なパンクには結び付かないでしょうが、そういう危険性についてはきちんと理解して流行りだからと乗せられないようにすべきと思います。

今この時期に急に海外で2年以上前に行なわれていた変なチャレンジが流行りだしたのって、それこそロシアが2016年のアメリカ大統領戦に干渉したのと同じような、どこかの工作ではないのかと勘ぐりたくなります。

ポビドンヨードのハンドウオッシュ(2)

以前紹介したポビドンヨードのハンドウオッシュですが、現在入手しやすいのはニイタカのポビドンハンドウオッシュと、このシオノギヘルスケアのイソジンウオッシュです。この写真のは2Lでインターネット上の通販で送料込みで9,280円でした。ニイタカの方は500mlでAmazonで2,200円くらいだったのが今日時点で2,850円にまで値上がりしています。この2つの違いはニイタカのは泡タイプなので飛び散りにくく使いやすいです。シオノギは液体です。シオノギも別に泡タイプも出しています。なおどちらを使う場合でも、服などに飛び散ってシミになった場合に、ハイポ(チオ硫酸ナトリウム)を買っておくと良いです。病院で使っているのはハイポアルコールといってハイポをエチルアルコールに溶かしたものですが、これは消毒も兼ねているのでアルコールを使うので、しみ抜きだけであれば固体(結晶)の安いハイポを買って、それを水に溶かしてそれで拭くだけです。固体のハイポは30gで300円くらいで売っています。(熱帯魚飼育用品を売っている店で買えます。何故かというと水道水のカルキ抜きとして使うからです。)

t-maru製特製4層不織布マスクの作り方

私特製の4層不織布マスクですが、使ってみてなかなか調子良く、効果としても市販の不織布マスクよりもいいと思いますし、コストもそう高くありませんので、作り方を紹介します。すべて個人のアイデアに基づくもので、もし真似をされる場合は自己責任でお願いします。(以下写真はすべてクリックで拡大します。)

1.材料

左から、ウレタンフォーム製マスク、シャープ空気清浄機用フィルター用使い捨てフィルター、ワイプ用不織布です。ウレタンフォーム製マスクは3月11日頃Amazonで買ったもので3枚で990円。ウレタンフォーム製マスクは現在入手しにくいですが、良く探せばまだ売っている所があり、普通の不織布マスクよりは入手しやすいと思います。1枚で20回使えるとして、1枚当たりのコストは16.5円です。
シャープの空気清浄機用フィルターは別にシャープのでなくとも同様のもので清潔そうなものなら何でも使えると思います。一袋6枚入りで711円ですが、36枚取れますので、マスク1枚当たり19.8円です。
不織布はこれで無くても良いですが、このワイプオールX70の場合、50枚入りで711円で、1枚からマスク2枚分が取れますので、マスク1枚当たり7円です。合計で材料代は43円で、ほぼ平常時の不織布マスクの販売価格と同じくらいです。

 

 

 

 

2.作り方
不織布は真ん中からはさみで2つに切ります。切った片方で不織布層2層のフィルターになります。(この不織布は折りたたまれて2層になっています。)なお、これが口に接触する部分なので気になる方はアルコールで拭くなどしてください。どうしてもそこが気になる方は不織布ですので洗えますので、次亜塩素酸ナトリウムの希釈液(キッチンハイターなど)で消毒してもいいかと思います。

 

 

 

 

空気清浄機用フィルターは6等分にして、その内の1枚を使います。

ウレタンフォーム製マスク→空気清浄機用フィルター→不織布の順に重ねます。空気清浄機用フィルターと不織布は2つに折り目を付けておくと重ねやすいです。

重ねた3つの層を、ステップラー(ホチキス)で4箇所止めます。この際に針の曲がる方が外側になるようして止めます。顔の近くで使うものなので万一にも針が顔に刺さったりしないための配慮です。また上の線はマスクの鼻が当たる所の上端に合わせるようにします。

4箇所で止めたらこんな感じになります。

空気清浄機用フィルターと不織布で下部にはみ出た部分を3箇所ほどやはりステップラー(ホチキス)で止めます。

上部でウレタンフォーム製マスクの上端よりはみ出た部分をハサミでカットします。

以上でマスクの基本部分は完成です。簡単でしょ?更に密着性を向上させるためにノーズフィット機能を追加します。私は半田付け用のハンダを使いました。(太洋電機産業 電子工作用 Φ1.0mm SD-63、送料込みで605円)
写真の右にあるような被覆付きのワイヤーを使ってもいいと思います。

ハンダを10cmぐらいに切って、黒いビニールテープの上に貼り付けます。

ビニールテープに貼り付けたハンダを、ウレタンフォーム製マスクの裏側の鼻の所に水平に貼り付けます。

これで完成です。簡単だったでしょ?

付けてみた時はこんな感じです。別におかしな所はないと思います。

3.効果
付けてみてすぐ分るのは、ノーズワイヤと下部をステップラー(ホチキス)で止めたことにより、マスクの気密性がかなりあることです。またウレタンフォームは通常の不織布マスクのゴムが耳掛け部分だけなのに対し、全体でゴム性があり均等にホールドしてくれます。また市販の不織布マスクだと口とマスクの不織布との間の距離がかなりあるため、息を吸う際の負圧が分散し、結果的にマスクの横とか下の隙間からフィルターを通さない空気が入ってきますが、この自家製マスクは口がマスクの不織布に直接接触する感じになるため、吸った息のほとんどがマスクを通したものになっているように感じます。またフィルター層としてもウレタンフォームの層、空気清浄機用フィルターの層(これも一種の不織布と思います)、不織布2層と4層になっており、それなりのフィルタリング効果があると思います。また4層に重ねたことで静電気が発生しやすくなり、ほこりやウィルスをキャッチする効果が強まるのではないかと思います。また、空気清浄機用フィルター+不織布がウレタンフォーム製マスクの下部よりはみ出して下部をカバーしていますので、人にウイルスを撒き散らさないという意味でも咳をした場合などの飛沫が飛び散るのを防ぐ効果が普通の不織布マスクより高いと思います。
全体でアベノマスクに比べたら10倍以上こちらの方がウイルス感染を予防する意味も人にウイルスを移さないという意味でも効果が高いと思います。

4.メンテナンス
一度使ったら、空気清浄機用フィルターと不織布はステップラー(ホチキス)の針を外して捨てます。ウレタンフォーム製マスクは次亜塩素酸ナトリウムの希釈液(水3Lにキッチンハイターキャップ1.2杯くらい)で押し洗いした後2分程度漬けて消毒し、よく水洗いして塩素分を取り(呼吸器に直結してる箇所で使うものなので、これは重要です)、その後軽く絞ってさらにキッチンペーパーで水分を吸い込ませた後乾かします。1~2時間くらいで乾きます。ステップラー(ホチキス)を外すときにウレタンフォーム製マスクを破らないようにすれば、かなり何回も使えると思います。

ブックカバーチャレンジ撲滅運動

ブックカバーチャレンジですが、誰が始めたのか調べてみたら、元は海外で既に2018年7月にはあります。
 
もっと遡ると最初は、2017年で、「7日間に7枚の写真を」でかつ白黒写真でなければならない、というFacebookでのチェーン投稿タグだったようです。説明を付けてはいけない、はこの時から有り、また写真は人が写っているものはダメだったようです。
それが何で途中で本の表紙に変ったのかは知りませんが、要するに「読書文化の普及に貢献する」なんていう文句は後から誰かが適当に付けただけで、そんな目的は最初から無かったということが言えると思います。
 

こういうインチキが分っても、そして海外では2年前というインターネット上では大昔のチェーン投稿を未だにやりたい人は別に止めませんが、少なくとも「読書文化の普及に貢献する」なんて嘘を書くのは止めて下さい。

後、これは自明なんで書かなかったんですが、このチャレンジの参加者がルールに忠実に7日間毎日違う人にバトンを渡して受けた人も同じことをしたら、おそらく二週間くらいでFacebookのサーバーがパンクすると思います。パンクしなくても、在宅ワークの増加でインターネットのトラフィックが増加して問題になっている時期にやるべきことではないです。

P.S.
単なる写真から、本の表紙の写真に変った理由を推測するとこういうことかと。
元のルールは結構縛りが多く、(1)白黒写真(2)人が写っているものは不可(3)投稿者本人に関連した写真でないと不可、となっていたようです。
(1)はレタッチで白黒にすれば済む話ですが、(2)と(3)の縛りは結構大変で、それを7日間続けるとなるとかなりネタに苦しむことになると思います。それで誰かが「そうだ、7日間それぞれで読んだ本や雑誌の表紙ならいいだろう」と考えついたのだと思います。しかしながら、1日に1冊本(または雑誌)を読み、それを7日間続けるというのは普通の人にはハードルが高いと思います。そこでその7日間ではなく、その人の人生でその人に大きな意味を持った7冊、というのにルールが変った(多くの人が参加しやすいように作り替えられた)んだと思います。おそらく「読書文化の普及に貢献する」という嘘くさい説明は、新規に7冊ともかく読ませるというのであれば嘘ではないと思いますが、単に今まで読んで印象深い7冊を説明も無しで7冊分写真をアップするのに変った場合にはほとんど意味がなくなっていると思います。この推測は具体的な根拠はありませんが、十分ありそうに思います。ともかくこの変なチャレンジは途中で色々変っていって当初の意味が無くなっています。もしどうしてもやりたい方は、
(1)他人に振るのを最小限にする。
(2)説明無しで、というルールは単なる写真の時は意味があったかもしれないけど、本の紹介に変った瞬間にほぼ無意味になっているので無視し、その書籍が自分にとってどういう意義があったかをちゃんと説明する。

にしたらいいと思います。「ルールだから従わないと」という考え方は上記のような経緯が正しいのであれば、途中で方向転換してルールそのものが大きく変っていることを考えると滑稽以外の何物でもありません。

再度:七日間ブックカバーチャレンジは著作権侵害

もう一度書きます。「七日間ブックカバーチャレンジ」というものは、他人の著作物である本の表紙の写真を7日間に渡って何の本人の説明も付けずに自分の投稿として公開するというのをルールにしており、それは著作権者の公衆送信権の侵害になります。
本の表紙でたとえば単にタイトルと著者、出版社が印刷されているだけ、といったものは保護の対象になる著作物とは認められない可能性があります。しかし何らかの意匠としてデザインがあったり、絵・イラスト・写真を使っているものは明らかに著作物です。(これまで私が見た範囲ではほぼすべて著作物と認められるようなものでした。わかりやすい例ではコミックの表紙{当然絵入り}を上げた人もいました。)
そんなことを言ってもお前も普段やっているじゃないかという人もいるでしょうが、個人が自分の責任で勝手にやっているのと、不特定の集団が著作権侵害そのものをルールにしてチェーンメール的にやるのは意味が違うと思います。それに私がやっているのは本の紹介が主で写真は従であり、もし著作権者から写真を削除しろと言われたら従うつもりでやっています。(その場合はAmazonなどの販売サイトへのリンクに変えますが。)

それからフェースブックで友達限定だから私的使用の範囲内と言う方もいらっしゃいますが、フェースブックの設定はいつでも変更出来ますし、また友達限定といっても実際にはフェースブック側の人間も目にしているため、私的使用にはあたらないと判断しています。(証拠としては、フェースブックで他人の著作物の動画を友達限定で上げても、すぐフェースブック側から削除されます。)この手のものは多くの人がアクセス出来るサーバーに上げた瞬間に侵害になると理解しています。

このチェーンメールの目的に「読書文化の普及に貢献する」とありますが、本当に嘘くさいですね。こういうのをThe road to hell is paved with good intentions.(地獄への道は善意で舗装されている。)と表現するんでしょうね。

「若い力」と「栄冠は君に輝く」

「栄冠は君に輝く」を何度も聴いて、そういえば良く似た感じの歌があったと思ったら「若い力」でした。この歌調べたら1947年の石川県での国体の時の歌です。「栄冠は君に輝く」の詞は1948年で、作詞家の加賀大介さんは石川の人です。おそらく加賀さんは「若い力」の歌詞に影響されてその野球版を書こうとしたのでは、という仮説。もっと言うと、「若い力」の作詞は佐伯孝夫で、古関裕而と組んで多数の名曲の詞を書いた西条八十の弟子です。古関裕而→西条八十→佐伯孝夫→加賀大介→古関裕而という円環を成す不思議な人の縁です。

P.S. 2020年5月30日追記
佐伯孝夫は、古関裕而の戦時中のヒットした軍事歌謡である「ラバウル海軍航空隊」の作詞者でした。古関裕而はコロムビア専属、佐伯孝夫はビクター専属なので、通常この二人が組むことはあり得ないのですが、元々NHKからの依頼で実現します。それで最終的にはレコードとしてはビクターから発売されるのですが、コロムビアはその代償としてビクター専属であった信時潔の作曲したものをコロムビアのレコードにすることを条件としたそうです。しかし「ラバウル海軍航空隊」が大ヒットしたのに対し、信時潔の曲はあまり売れず、コロムビアは悔しがったということです。

ブックカバーチャレンジ?

野暮は承知で、今SNSで流行っている「(七日間)ブックカバーチャレンジ」っておかしくないですか?何か読書文化を広めるとかもっともらしい理屈が付けられています。しかし、本の内容を自分なりに紹介して、それの補足として画像が付いているんだったら私は自分でもやってますし、文句を言う資格はありませんが、この企画は単に表紙の写真だけ。それって正当な引用でもなく私的利用でもなく単に装丁家の著作権侵害だと思いますが。典型的な例を出せば私が好きな白井喬二の本の装丁を小村雪岱がやっているのがありますが、それは単なる工業的デザインを超えて完全にアートです。(別に通常の装丁にアート性が無いとは言いませんが。)読書文化に貢献したいんなら、コロナがどうのとは関係なく、普段から本を読んでそれをSNSとかブログで紹介すればいいと思います。

決定版「栄冠は君に輝く」

こういうCDを聴きました。古関裕而のあまたの名曲の中でもこの「栄冠は君に輝く」はベスト3にも入るものだと思います。また曲だけではなく、詞も素晴らしいと思います。作詞者の加賀大介さんは、石川の脚本家・作詞家ですが、ご自身が野球少年だったのをある試合で大怪我をし、右足の膝から下を切断しなければならなくなり、野球が出来なくなります。この歌詞の太陽の下で熱い戦いを繰り広げる若人への共感というのはそういう体験から来ているのだと思います。また3番の「美しくにおえる健康」というちょっと不思議な表現も、加賀さんの経験を考えるとよく分ります。
ちなみに加賀さんはあのゴジラ松井と同じ小学校の出身で、地元では松井は加賀さんの生まれ変わりではないか、という説があるそうです。

NHK杯戦囲碁 小池芳弘5段 対 中野泰宏9段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が小池芳弘5段、白番が中野泰宏9段の対戦でした。黒の右辺の構えに白が割り打ち、黒は右下隅でかかった白に掛けた後押していって厚みを築き右辺の白を攻めました。白はその黒の厚みに対して覗き、黒は継がずに反発しました。その後、右上隅で黒が掛かりっぱなしの白を挟み、白は隅でツケ切って捌きに行きました。黒は隅で下がって抵抗しました。一転して白は上辺の黒に付けて行きました。結果として白は右上隅の黒地を減らして中央に顔を出しました。右上隅は黒が手を入れたので黒地確定かと思いきや、まだ後で白からの利かしが残っていました。黒は右上隅から中央に顔を出した白と左上隅の白の間を割き、左上隅に三々の置きを打ちました。白が左辺から押さえて、黒はしつこく右辺から2線に下がってワタる手を見せましたが、白はここで渡らせる方針に切り換えました。黒はこの左上隅からの白を狙って利かしに行きましたが、白に渋く隅の2線へのヘコミの好手で受けられ、黒の攻めは空振り気味でした。しかし黒は自分の石を愚形にしてまで攻めを継続し白に断点を継がせました。この石を攻めつつ、右上隅の白を包囲し、白が右上隅の黒2子を取り、これで活きかと思いきや、放り込んで下がる手が有り、白は一眼しかありませんでした。結局中央でも一眼が出来ず、右上隅の白は全部取られてしまいました。この後、白は右下隅を打ちましたが黒は無理せず手堅く打ち、白の投了となりました。