先日、古代ローマの「聖なる春」(Ver sacrum)について書きました。
この儀式がドイツで有名になったのは、まずはウーラントがこのタイトルの詩を書いて、それから前の記事で書いたようにグスタフ・クリムトらのヴィーン分離派が自分達の機関誌の名前に使ったからですが、その元になったウーラントの詩とその日本語訳(ChatGPT4による)を日本マックス・ヴェーバー研究ポータルの方で公開しました。ご興味のある方はご覧ください。おそらく日本語訳の書籍は出ていないと思います。
ウルトラマンAの「セブンからエースの手に」
ウルトラマンAの「セブンからエースの手に」を観ました。うーん、どこといって誉める所の無いエピソードで、最後に確かにウルトラセブンが登場しますが、まったく必然性がなく単なる視聴率稼ぎのためとしか思えません。ヤプール人が死んですぐ後は飛び散ったヤプール人の残骸から超獣が発生するとされていましたが、この辺りでは何でも有りで、何でよりによって弱そうなバクから超獣が産まれるのか、帚星のせいとされましたが、なんだか適当という感じでした。
古代ローマの「聖なる春」の真の意味
今訳しているヴェーバーの「ローマ土地制度史」の中に、以前紹介した「聖なる春」が出て来ます。
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――部分的に植民地開拓政策の意味を持っていたローマ古代の ver sacrum ≪聖なる春。古代ローマで凶作の秋の翌年春に生まれた新生児を神への捧げ物とし、その新生児が成長して一定年齢になると新植民市の開発のため未開の地に送り出された故事。≫は、それが故郷のゲマインデの中で余分な人間とされ、扶養家族の埒外にされていた者達の中から選ばれた者が、つまりはその理由のため新生児の時に神に捧げられその者が成長した若者を意味する限りにおいて、次のことは正しい。またこのやり方が神々への捧げ物という神聖な儀式として行われているということも、同様に次のことを正しいと思わせる。それはつまり、この ver sacrum が行われたのより更に古い時代の人口政策、つまり神への生け贄が、どちらもその目的は同じだったのであると。それは諸民族において、限られた食料自給体制の中で、対外的な拡張でそれを解決するのが不可能だった場合(例えばインドのドラヴィダ人≪インドでのアーリア人が優勢になる前の先住民族≫の例)に[口減らしのために]利用されていたのが、より後の時代になってもなお ver sacrum という形で[新植民地開拓という建て前で]まだ利用されていた、ということである。
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これについては以前、グスタフ・クリムトの記事で、クリムトらが「ウィーン分離派」を結成した時のその機関誌の名前がこの ver sacrum でした。クリムト達は既存の画壇とは一線を画した新しい画家集団を目指してこの名前を使っています。しかし、その本質はヴェーバーが書いているように、間引き、口減らしなのですね。上記の文章にはドラヴィダ人の場合が言及されていますが、私はそれよりもパレスチナの地でバアル神がヤーウェの再三の怒りにも関わらず信仰されており、その一つの儀式として幼児・子供を火の中に生け贄として投げ込むというのがあり、旧約聖書でヤーウェがこの行為についても非常な怒りを示しています。これも口減らしだったのかもしれません。バアルは元々農耕神です。
スター・トレック・TNGの”The Emissary”(使者)
スター・トレック・TNGの”The Emissary”(使者)を観ました。
30年間ぐらい何かの特殊任務を帯びてある宇宙空間に潜入していたクリンゴン船が冷凍睡眠から醒めようとしています。当時は連邦とクリンゴンは戦争中であり、今の状況を知らない彼らは連邦の基地と植民地を攻撃する危険性があります。その任務をエンタープライズ号に説明するため送られて来た使者がケレイルで、彼女は人間とクリンゴンの間に生まれた子供であり、更にはウォーフの元恋人でした。ケレイルは被害を防ぐためにはクリンゴン船を撃破するしかないと主張しますが、ピカード船長とウォーフは他の選択肢を模索します。その最中にウォーフとケレイルは愛を取り戻し結ばれますが、双方任務のため一緒になることはありませんでした。そしてウォーフはピカードから一時的にエンタープライズ号のキャプテンの地位を譲り受け、その立場で睡眠から醒めたクリンゴン船に対し、クリンゴン人らしいやり方で強圧的に接触し、先方の宇宙船の指揮権を得ることに成功します。そしてケレイルはそのクリンゴン人達を現在の状況に慣れさせる使命を帯びてそちらの船に送り込まれます。しかしいつの日かウォーフとケレイルは再び結ばれるだろうという希望を残して終わります。
塩野七生の「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」の[三]と[四]
塩野七生の「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち」の[三]と[四]を読了。この二巻で取上げられている皇帝はクラウディウスとネロです。やはりこの二巻でも塩野七生は単純に「悪帝」「暴帝」とはせず、それぞれの良い所はきちんと認めようとします。特にクラウディウスは「悪帝」の一人として一まとめにされるのが可哀想なくらいで、体格にはまったく恵まれない貧相で貧弱な肉体の持ち主の学者(歴史家)皇帝でしたが、やるべきことはきちんとやり、ガリア人達の元老院議員を認めた演説は「寛容」の精神の頂点を示すものとして、今でも名演説とされています。ただ晩年に解放奴隷を側近に使ったのが元老院議員に恨まれたとか、配偶者には恵まれず最後は悪妻アグリッピーナに毒殺されてしまいます。
そのアグリッピーナの息子がネロで、言うまでもなく古代ローマで悪帝というのはまずはネロのこととされます。しかしそれもキリスト教徒を最初に弾圧した皇帝ということから、キリスト教徒から「反キリスト」として毛嫌いされたという面が大きいようです。実際にローマに大火が起きた時の対応は、現代の日本の政治家が見習うべきであるように迅速に被災者のテント村を作ったり、食料である小麦の価格を引き下げたりと精力的に活躍しています。しかしその大火が結局ネロが私邸を作るために放火させたのだという噂が立ち、その噂を消すためにキリスト教徒を放火犯に仕立てて殺害したということのようです。ただネロの最大の過ちは、軍団が自分にクーデターを起そうとしているという猜疑心に囚われ、ローマの有能で功績も非常に大きい軍団長3人を処刑したことでしょう。この結果、ローマの軍団の支持が離れ、最後は反乱を起され自死を強制されます。
結局、ティベリウス-カリグラ-クラウディウス-ネロとまとめて悪帝とされていますが、注目すべきはローマの国家そのものはこの間多少の危機はあったともびくともしなかったということであり、帝政(元首政)を取る限り、カエサルやアウグストゥスのレベルの人が続くはずがない、ということだと思います。
スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情」
スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を観ました。このBlu-rayはかなり前に買ったもので観ていなかったのですが、先月「オッペンハイマー」を観て観たくなりました。冒頭でアメリカ空軍から「これは実話ではなくこのような危険性は存在せず、また登場人物は実在の現存または死んだ誰とも関係ない。」という異例の?警告メッセージが入るのが異例かつ、1964年という時代を良く象徴していました。ちなみに核戦争の寸前まで行ったキューバ危機は1962年です。内容は予想に反しブラックコメディーでした。ある空軍基地の陰謀論に取り付かれた指令官が世界中を飛行中の34機のB-52に、航空攻撃計画Rという、つまりアメリカがソ連より核攻撃を受けた時の報復核攻撃を命じてしまいます。結局アメリカ大統領とソ連のドミートリという大統領のホットラインとか、また頭の狂った空軍司令官が結局自殺し、その司令官と一緒に閉じ込められていたイギリスのマンドレイク大佐がR指令の解除コードを突き止め、30機のB-52は引き返し、4機はソ連により撃墜されてめでたし、の筈が撃墜されたと思っていた内の1機は大破しながら何とか低空飛行を続け、結局ソ連のあるICBM基地に水爆を投下します。ソ連は「人類最後の日マシン」というのを装備済み(アメリカも)で、それは核攻撃を受けると自動的に作動し、半減期95年のコバルトを使った水爆を自動的に爆破し、人類を破滅に追い込むもので、それが作動し、最後は世界中に爆発のキノコ雲がというブラックなシーンで終ります。ピーター・セラーズがストレンジラブ博士、マンドレイク大佐、アメリカ大統領の3役を演じ分けており、その器用さに驚きます。まあコメディーなのですが、まったく笑えず、反対に陰謀論(共産主義者が水道にフッ素を入れてアメリカ人を長期間に破滅させようとしている)などは、むしろ今の方が全盛で、これまたまったく笑えませんでした。を観ました。このBlu-rayはかなり前に買ったもので観ていなかったのですが、先月「オッペンハイマー」を観て観たくなりました。冒頭でアメリカ空軍から「これは実話ではなくこのような危険性は存在せず、また登場人物は実在の現存または死んだ誰とも関係ない。」という異例の?警告メッセージが入るのが異例かつ、1964年という時代を良く象徴していました。ちなみに核戦争の寸前まで行ったキューバ危機は1962年です。内容は予想に反しブラックコメディーでした。ある空軍基地の陰謀論に取り付かれた指令官が世界中を飛行中の34機のB-52に、航空攻撃計画Rという、つまりアメリカがソ連より核攻撃を受けた時の報復核攻撃を命じてしまいます。結局アメリカ大統領とソ連のドミートリという大統領のホットラインとか、また頭の狂った空軍司令官が結局自殺し、その司令官と一緒に閉じ込められていたイギリスのマンドレイク大佐がR指令の解除コードを突き止め、30機のB-52は引き返し、4機はソ連により撃墜されてめでたし、の筈が撃墜されたと思っていた内の1機は大破しながら何とか低空飛行を続け、結局ソ連のあるICBM基地に水爆を投下します。ソ連は「人類最後の日マシン」というのを装備済み(アメリカも)で、それは核攻撃を受けると自動的に作動し、半減期95年のコバルトを使った水爆を自動的に爆破し、人類を破滅に追い込むもので、それが作動し、最後は世界中に爆発のキノコ雲がというブラックなシーンで終ります。ピーター・セラーズがストレンジラブ博士、マンドレイク大佐、アメリカ大統領の3役を演じ分けており、その器用さに驚きます。まあコメディーなのですが、まったく笑えず、反対に陰謀論(共産主義者が水道にフッ素を入れてアメリカ人を長期間に破滅させようとしている)などは、むしろ今の方が全盛で、これまたまったく笑えませんでした。
NHK杯戦囲碁 孫喆7段 対 牛栄子女流三冠(2024年5月12日放送分)
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が孫喆7段、白番が牛栄子上流最強の対戦です。序盤は黒が各所で地を取り、白が厚く構えてというう碁でしたが、左下隅から競い合いが始りました。黒が中央の戦いで、ちょっと強引に白を切りに行きました。これに対し白が的確に対処し、黒が切っていった3子を取り込んだため、ここの戦いは白が上手くやりました。しかし黒も右下隅を地にしたので形勢的には互角でした。その後白が中央の黒の大石を攻めに行ったのですが、小さく活かして打つのではなく全体を取りに行き、結果的に左辺と上辺という元々白模様があった所に追い込んだ形になりました。黒は冷静にシノギを読み切り、中央が活きた結果、地合では大差になりました。その後白は右下隅に打ち込んでいって活きを目指しましたが上手くいかず、結局白の投了となりました。
Photoshopによる写真の切り取り
連休の合間に2日在宅勤務して会社の商品の撮影をしたもののレタッチがやっと終りました。こういうカタログとかWebで使う商品写真はそのまま使うことはあまり無く、Photoshopで背景から切り取って使います。その作業は昔は磁石選択ツールとか投げ縄ツールとかで地道に手作業で輪郭をなぞって選択して切り取っていて、なかなか大変でした。しかしいつのPhotoshopから入ったのか知りませんが、最近のPhotoshopにはオブジェクト選択ツールというのがあって、これを使うと完全では有りませんが8割ぐらいの確率で一発で切り取れ楽になりました。ただそれで分割して選択されたり、選択もれがあったりして、手動作業が無くなった訳ではありませんが。
P.S. Photoshopに「オブジェクト選択ツール」が登場したのはPhotoshop 2020からでした。
ウルトラマンAの「きみにも見えるウルトラの星」
ウルトラマンAの「きみにも見えるウルトラの星」を観ました。前回出て来たダンという「ウルトラ6番目の弟」がまた出て来ますが、まあどうでもいいようなお話でした。今回北斗が超獣が出て立ち入り禁止となった区域に重病人を乗せた車を通してしまい、結果的にその車が超獣に攻撃され爆発したのと、次はダン少年が入り込んだのを追いかけている隙にオートバイの一団が中に入ってこれまた超獣にやられる、という北斗の2回の失態で、北斗は一時的に隊員資格を剥奪されてしまいます。しかし次に超獣が出た時、何故か制服を着て駆けつけ、怪我をした山中隊員を救ってまた隊員に復帰する、という何と言うか当り前過ぎるストーリーでした。ダン少年も2度出てくるほどのキャラじゃないです。
宮島未奈の「成瀬は天下を取りにいく」「成瀬は信じた道をいく」
宮島未奈の「成瀬は天下を取りにいく」「成瀬は信じた道をいく」を読了しました。この二冊は前から書店で見かけていましたが、買ってみるまでには至らず、今回「天下を取りにいく」の方が本屋大賞を受賞したので、読んでみたもの。うーん、タイトルと中身にギャップがあり、「天下を取りにいく」という割りには、主人公成瀬のやっていることが、閉店予定の西武デパートにライオンズのユニフォーム着て通うとか、大津観光大使になるとか地味すぎ。全体に成瀬より作者の地元愛(といっても生まれは静岡の人で、大津在住になったのは30歳過ぎてからのようですが)の方が微笑ましく感じます。またWikipediaによると、三浦しをんの「風が強く吹いている」(箱根駅伝もの)を読んで自分には才能が無いと思って作家を諦めたのが、森見登美彦の「夜行」を読んで刺激を受け再度作家を目差したというのが、私の読書傾向ともかなり重なっていて少し親近感を覚えました。また作者は京大文学部出身で(森見登美彦も京大ですが)、成瀬のキャラクターや経歴の半分くらいは作者のものの投影でしょうね。大体成瀬のとても頭はいいけどかなりマイペースで周囲から浮いてて、時々突飛なことをやる、という人はまあ高校(進学校)とか大学の時にそれなりに知っているので、私には珍しいキャラではなかったです。全体には佳作という感じで、本屋大賞?にはそこまでかな、とは思いました。まあ日頃本をあまり読まない人には読みやすいでしょう。