白井喬二の「大膳獵日記」

白井喬二の「大膳獵日記」(だいぜんりょうにっき)を読了。昭和15年に興亜日本社という出版社から出た「十大作家傑作選 武将とその妻」に収録されているもの。この本はヤフオクで買いましたが、最低価格(500円)で落札でき、しかも白井作品は未読のものと、掘り出し物でした。
栗山大膳は黒田藩で起きた「黒田騒動」の中心人物です。白井は以前「或日の大膳」という短篇を書いています。こちらの作品は、黒田藩の二代目の忠之が自身の小姓であった倉八十太夫を家老に取り立てようとしたのを大膳が妨害しますが、それを十太夫の親類である若い男が憤って大膳を殺そうとするが失敗する話です。
「大膳獵日記」はそのもっと前で、黒田長政がまだ生きていた頃の話です。長政が跡継ぎである忠之の資質を見限って、大膳に川漁の際に秘かに忠之を深みに引きずりこんで溺死させよ、と命じます。しかし大膳はそれを実行できず、逆に忠之から狩猟に誘われます。それを大膳は、忠之が自分の殺意を見破って逆に自分を討ち取ろうとしているのではないかと考え、もしそうなら忠之も明察の力があり見所があると希望を抱きます。そして数日後に実際に忠之と狩猟に出かけた時、数人の者に襲われます。さてこの者達は忠之が命じたものかどうか…という話です。
面白いのは、サブタイトルが「黒田騒動盡忠侍女」となっていて、確かに忠之の侍女は登場するのですがまったくどうでもいい役回りで、とても「盡忠侍女」などとは言えないことです。この辺りのアバウトさがさすが白井喬二という感じです。一応他の作品名と作家名も記録のため書いておきます。
「武将とその妻」菊池寛
「大膳獵日記」白井喬二
「貞婦照姫」海音寺潮五郎
「忠興の妻」笹本寅
「黒田如水軒」長谷川伸
「烈女千惠」湊邦三
「武士の妻」長谷川時雨
「義戦の蔭に」鷲尾雨工
「蓮月尼」土師清二
「めぐる杯」奥村五十嵐
「孝貞碑銘」邦枝完二

黒田勝弘の「韓国 反日感情の正体」

黒田勝弘の「韓国 反日感情の正体」を読了。筆者の黒田さんは産経新聞のソウル支局長を長く勤められた方で、現在(この本の出版の2013年当時)もソウルに駐在されています。昔から、産経新聞の朝鮮半島情報は正確さで有名で、それを支えていたのが黒田さんです。元々産経新聞は今でこそ韓国内で極右新聞扱いされていますが、1970年代には朝日新聞や岩波書店は北朝鮮を礼賛する一方で韓国については悪口ばかりを書いており、それに対して朴正熙の経済拡大政策をきちんと評価した記事を書いていたのが産経新聞でした。
最近の、文在寅大統領の「反日」ぶりがあまりにひどいので、改めてこの本を読んでみましたが、基本的は既に知っていることが多くて、それを再確認したという感じです。韓国人にとっての反日は、結局植民地支配を受けただけではなく、そこからの解放を自らの独立戦争のような形で行うことができず、連合軍という外部から与えられた、という屈辱(=トラウマ)から来ており、その歴史を何とかして否定して書き直そうとしている所から来ている、という点は同感です。
2000年頃、KPOPSのCDを集めていた時期がありますが、その頃のKPOPSの歌詞で「もう2000年代なんだから、いつまでも過去にこだわって反日ばかり言っていないで、未来を見て進もう」みたいな歌詞があって、いい傾向だなと思っていたのですが、韓国の民主化というか左化によって、また元に戻ってしまったようです。この歌詞にあるように、「反日」のようなネガティブな気持ちからは何も建設的なものは生まれません。「反日」にこだわり続ける限り、韓国が日本より良い国になるということはないと思います。

古谷三敏の「BARレモン・ハート」第32巻

古谷三敏の「BARレモン・ハート」の第32巻読了。このコミック、始まったのが1986年で私が就職した年だから、本当に長いです。サントリーから出ている「バーテンダーズマニュアル」と並んで、私のお酒の先生みたいなコミックです。このコミックで初めて知ったお酒は本当に多いです。
以前カクテル作りにはまっていたことがあって、一時期家にシェーカー、バースプーン、ミキシンググラス、ストレーナー他一式揃っていて、またリキュールやスピリッツの瓶も40本以上あって、試しに作ってみたカクテルも50種類くらいあったと思います。肝臓が悪くなったので止めましたが…(というか、リキュール類には多く砂糖が入っているので、糖尿病には絶対良くないです。当時はまだ血糖値は高くなかったですが。)
お勧めのカクテルは、ジントニックの昔のレシピでミルクを入れるもの。風呂上がりに飲むと非常に良いです。バーに行っても、年配のバーテンダーは知っていますが、若いバーテンダーは知らない人が多いです。
私がバーに行って頼むお酒は、ザ・グレンリベット、タラモア・デュー、コーンウィスキーのプラット・ヴァレーなんかですが、ザ・グレンリベットは違いますが、他のはこのコミックの影響のように思います。(共通しているのはスモーキーフレーバーの無いお酒ですが。)

アダム・フィッシャーのハイドン交響曲全集

クレジットカードのポイントでAmazonのギフト券4000円分を入手。これを使って(多少追加して)、アダム・フィッシャー指揮のオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団のハイドン交響曲全集を入手。33枚組です。
ハイドンの交響曲全集(全部で104曲)を最初に録音した人は、ドラティですが、今は5種類の全集が出ています。

1.交響曲全集 ドラティ&フィルハーモニア・フンガリカ(1996年7月)
2.交響曲全集 アダム・フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団(2002年3月)
3.交響曲全集 ガロワ、マロン、ドラホシュ、ワーズワース、ミュラー=ブリュール指揮、他(2009年2月)
4.交響曲全集 ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管(2012年10月)
5.交響曲全集 ホグウッド&エンシェント室内管、ブリュッヘン&18世紀オーケストラ、ダントーネ&アカデミア・ビザンティーナ、他(2016年5月)

このうち、3と5は複数の指揮者によるものを混ぜたものです。一人の指揮者だけの全集は1と2と4ですが、1と4は既に持っていたので、今回この3つの全集がすべて揃いました。といっても1と4もこれまでそれぞれ2回ぐらいしか通して聴いていないんですが。

NHK杯戦囲碁 内田修平7段 対 羽根直樹9段

本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が内田修平7段、白番が羽根直樹9段の対戦です。序盤は比較的オーソドックスな布石かと思いましたが、右下隅にかかった白石を放置し、白が左下隅をコスみ、黒が右下隅をコスミ付け、白が立って黒が隅からケイマした所で白はこの2子を直接動かず、下辺を左から詰めました。黒は白2子を封鎖し、白は詰めた下辺の石からケイマしてこの2子に連絡しました。この結果、黒の勢力対白の実利というこの碁の碁形が決まりました。その後右上隅の攻防になり、ここでも白は実利を稼ぎ、黒は右辺を模様にしました。この攻防で先手を取った黒は左上隅の掛かりっぱなしになっていた所からかけ、白が上辺を張ってここでも白は実利を稼ぎ、黒は左辺も模様にしました。黒がさらに上辺を押していった過程で黒がちょっと上手い手を打ち、白地を5目くらい削減することに成功しました。この辺りでは黒が悪く無かったと思いますが、ここからの羽根9段の打ち方が巧妙で、下辺から無理せずに自然に左辺および中央に進出しました。ここで黒が下辺の白に利かそうとしたのがある意味逸機で、白は受けずに左辺を打ちました。結果的に下辺の白地は大きく削減されましたが、それ以上に黒の中央に出来る筈だった地がほとんど見込めなくなった方が大きかったようです。その後黒は左下隅で出切りを敢行し、左下隅に手を付けて劫にしました。劫材は黒の方が豊富だった筈ですが、黒は妥協して白2子を取り込みましたが、白も左下隅で活きて、この結果は白が悪くなかったと思います。その後黒は切り離した中央の白への攻めも中途半端で、結局コミの負担が大きく、白の中押し勝ちとなりました。羽根9段の余し作戦がきれいに決まった感じです。

白井喬二の「登龍橋」

白井喬二の「登龍橋」を読了。こちらもわずか12ページの短篇です。「耳の半蔵」と呼ばれた名与力の瀬尾半蔵が、年齢62になって引退を願い出ようと、自らが「登龍橋」と秘かに呼んでいる大江奉行の屋敷の橋を渡ろうとした時に、たまたまタケノコ売りの声が聞こえ、その話をヒントに、半蔵が手がけた事件の中で唯一失敗した真珠貝盗猟事件の謎を解き明かし、犯人が偽物のタケノコの中に真珠貝を隠していたのを突き止めるという話です。「耳の半蔵」だからヒントを耳から得る、というのが面白いですが、タケノコの中に隠すというのは、まあ白井らしい奇抜な発想です。

セオドア・メルフィ監督の「ドリーム」(“Hidden Figures”)

「ドリーム」観て来ました。「ドリーム」は日本向けタイトルで、オリジナルは”Hidden Figures”みたいです。1961年の話で、当時アメリカはソ連に宇宙開発で完全に遅れを取っていて、ソ連から核ミサイルで攻撃されることを本気で心配していました。映画にも出て来ましたが、核攻撃を受けたら机の下に潜りましょう、なんて教育を本当にやっていたみたいです。(アニメの「アイアン・ジャイアント」にもそういうシーンが出て来ました。)そこにケネディが大統領になって、最初は巨額の費用がかかる宇宙開発に消極的でしたが、すぐに考えを改め、「10年以内に月に人を送り込む」ことを宣言します。そうした宇宙開発にはアメリカ中のthe best and the brightestと呼ばれた優秀な人員が集められましたが、その中に黒人女性も含まれていました。この映画は黒人女性の数学者がその能力を活かしてNASAで活躍しますが、公民権運動もまだ始まったばかりの頃で、エリート揃いのNASAでもしっかり差別が存在し、主人公達を悩ませます。しかし彼女たちはとてもたくましく差別を一つ一つ打ち破っていき、ついにはNASAの宇宙開発にとって無くてはならない存在になって行きます。後は1961年というのは私の生まれた年で、色んなものが懐かしかったですね。ケネディ大統領とキング牧師の姿が出て来ましたし、いかにも昔のアメ車といった自動車や、IBMのゴルフボールのタイプライターや初期のメインフレームとパンチカード。亡父は九州大学の数学科の出ですが、昔その同窓生名簿を見たら、コンピューター関係で働いている人がたくさんいました。この映画でもそうですが、初期のコンピューターをやっていた人は数学科の出身の人が多かったのだと思います。全体的にはとても良い映画でした。アメリカが本当の意味でグレートだった時代です。

白井喬二の「竹林午睡記」

白井喬二の「竹林午睡記」を読了。わずか12ページの短い作品。江戸の捕物制度の基礎を作った蘭学者の倉田九五が、自分が学んだ探偵術を実践しようと隠密に成ることを願い出て許されるが、なかなか適当な事件は起きず昼寝を繰り返す毎日。そこに大和小僧という盗賊が間もなく処刑されるという話を聴き、大和小僧の犯罪とされている西洋時計の紛失の謎を解こうとします。大和小僧の処刑の日に、犯人と目星を付けた人物を糾弾するのですが、その話を聴いていた別の人物が逃亡して、犯人はそっちだったという、探偵術が役には立たなかったお話です。

白井喬二の「捕物源平記」

白井喬二の「捕物源平記」を読了。読了といっても、第26席より第30席まで欠落しており、なおかつ第40席で終わってしまって未完という作品です。ですが、白井喬二の捕物小説の中では一番良く出来ているのではないかと思い、完成していないのが非常に残念です。お話は、徳川綱吉が将軍だった頃の話で、平家の子孫が平家再興を目指して同志を集めていこうとするのに対し、名与力の島桐助太郎がその動きを察知し、その同志を捕らえようとして丁々発止の争いをするというものです。おそらく与力方が源氏と見なされていて「源平記」になっていると思います。最初に平家の子孫の一人大鹿毛舎人がそうだと分かるのが面白く、絵師の狩野雪信がある宿の主人に頼まれてある屏風に平家の公達の絵を描くために、平家の公達の面影があるモデルを探していて、それで舎人を見いだすというものです。舎人は雪信から、もう一人モデル候補がいたことを聴き、それが住月庫人で庫人も平家の子孫でした。舎人が庫人に会いに行くと、庫人は与力の助太郎によって捕らえられており、舎人は庫人の破牢を手伝います。
途中をはしょりますが、舎人はある日平家の時代から伝わる大切な緞子の財布を掏摸に擦られてしまいますが、その掏摸がたまたま助太郎に捕まって、助太郎はその財布が平家の子孫に関係があると睨み、ある商人に鑑定を頼みます。鑑定は見事に行われたのですが、その財布は途中で盗まれてしまいます。しかし、それは助太郎がその商人が唐人西僚というどちらの味方になるか分からない怪しい学者と昵懇なのを知っていたため、財布が盗まれたのは実は助太郎の自作自演で自分が平家の子孫を探っていることを西僚に知られないようにするためでした。という感じでなかなかストーリーは凝っています。
何故未完の作品が平凡社の全集に収録されたかの事情は不明ですが、一部だけでも読む価値は十分にあったと思います。

白井喬二の「随筆感想集」(平凡社の全集の第15巻収録)

平凡社の白井喬二全集の第15巻に収録されている「随筆感想集」を読了。全体に、随筆として非常に面白いという物は少なかったですが、白井喬二に関する色々な事を知る資料としては貴重でした。
一つ後悔したのは、「幸吉君の印象」というエッセイを読んだ時で、このエッセイは夭折した画家の小野幸吉と白井喬二の交わりの話なのですが、調べてみたら、小野幸吉は酒田市の生まれで、その作品は本間美術館に展示されているとのことでした。旅行前にこのエッセイを読んでいたら、8月の旅行で本間美術館に行ったのに!と残念に思いました。(今回、本間屋敷には行ったのですが、そこで入場券を買う時に、本間美術館と共通券にしますかと聞かれて、時間もあまり残っていなかったので断ってしまったのでした。)
また、いくつかのエッセイで小説と歴史の区別が論じられます。以前もこのことについて書いたことがありますが、白井は「歴史」はその時々の為政者によって都合良くでっち上げられたものであるという考えを持っており、小説の役目はむしろそういう「正史」には出てこない本当の真実をあぶり出すことだと考えていたようです。また白井によれば「史」が最後に付く歴史書はそういう為政者によるでっち上げがほとんどですが、「志」が最後につくものは比較的真実が書かれていることが多いといのことです。白井の「捕物にっぽん志」で何故「志」が使われているのか、これで謎が解けました。
後は細かいことですが、白井が夏の暑さを「九十度」と表現しているのが気になりました。これは明らかに華氏での表現ですが、日本で華氏が一般的に使われたことがあったのでしょうか?