今日の落語、古今亭志ん朝の「四段目、風呂敷」。
「四段目」は、芝居好きでしょっちゅう仕事をさぼって芝居を観ていた小僧が、とうとう旦那にばれて、蔵の中に閉じ込められたが、蔵の中で忠臣蔵の一幕を演じ始めて切腹の真似をしたのを、女中が見て勘違いして大騒ぎに…という噺です。
「風呂敷」は、間男が居るところに亭主が帰ってきたのを、うまく隠して逃がしてやる噺です。元々バレ噺だったのを、戦争中の禁演落語にひっかからないように、滑稽噺に変えられたもののようです。
小林信彦の「私説東京繁昌記」
小林信彦の「私説東京繁昌記」を再読完了。元々1984年に中央公論社から出版され、後に加筆・再校正されたものが、最終的にちくま文庫で「私説東京繁昌記」のタイトルで出たもの。写真家のアラーキーこと荒木経惟と組んで、一緒に東京の街を歩き回り、荒木が写真を撮っています。バブル前期の東京を、小林信彦が住んだことがある街を中心として歩き回り、「下町と山の手」という視点でまとめたもので、東京という巨大都市の基本的な骨格を明らかにしようとしたものです。筆者は、東京という街について三度の「町殺し」、つまり関東大震災、太平洋戦争、高度成長期の建設ラッシュを指摘しており、基調としては詠嘆的です。この三度の町殺しの後、四度目の町殺しとしてバブルがありますが、バブルの後の東京については、1992年の「私説東京放浪記」にまとめられています。
三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~勘蔵の死、蟇の油」
今日の落語は、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~勘蔵の死、蟇の油」。
圓生の「真景累ヶ淵」は、「宗悦殺し」、「深見新五郎」、「豊志賀の死」、「お久殺し」、「お累の婚礼」、「勘蔵の死」、「お累の自害」、「聖天山」と全部で8話出ています。これまで「宗悦殺し」~「お久殺し」までを買って聴いていて、これで打ち止めにしておこうかと思ったのですが、成り行きで「勘蔵の死」の入ったCDを買ってしまいました。圓生はマクラでこれまでの噺のあらすじを語ってくれたので、「お累の婚礼」は聴いていませんが、噺はつながりました。「勘蔵の死」は新吉を育ててくれた勘蔵が死の間際で、新吉が実は深見新左衛門の次男であることを、迷子札を証拠に明らかにします。そして新吉は、たまたま迷い込んだ小塚原で、夢の中で兄の新五郎に出会います。新五郎はその夢の中で、新吉の義兄の三蔵は昔新五郎を訴えた男だと言います。
「蟇の油」はいわゆる蟇の油売りの噺ですが、マクラで、両国広小路あたりによく出ていた見世物の話が聴けます。また、蟇の油売りの圓生の口上が見事です。さらに酔っ払った蟇の油売りがもう一度油を売ろうとして、口上が目茶苦茶になってしまうのが楽しいお噺です。
白井喬二の「神変呉越草紙、柘榴一角」
白井喬二の「神変呉越草紙、柘榴一角」を読了。
「神変呉越草紙」は、白井喬二の初めての長編小説です。前に紹介した「怪建築十二段返し」などの短編小説が今一つだったのに対し、この「神変呉越草紙」は実に面白い傑作です。お話は、蝦蟇毛仙人から、それを手にする者は最高の栄耀栄華を得ることが出来るというお宝の話を聞いた若者が、それを求めて秩父の山中を駆け巡ります。お宝の手がかりの地図は二つに分かれていて、若者が持っているのは片方だけです。このお宝の手がかりの地図を巡っての争奪戦がハラハラドキドキです。色々あって、若者はついにお宝を手にするのですが、そこからの展開がまたちょっと意表を突きます。
「柘榴一角(ざくろいっかく)」は幕府の隠密であった父親の仕事を継いだ柘榴一角が大活躍する話です。この一角の性格が「富士に立つ影」の熊木公太郎と同じで真っ正直で明朗闊達です。公太郎もそれなりの剣の達人でしたが、一角は23歳にして武道の大名人で、「100人までなら任せておけ」、「1000人までなら大丈夫」とどんどん強さがエスカレートしていきます。とにかくこの強さがとても魅力的です。最後は父親が探り続けて来た贋金作りの陰謀を見事暴いて大団円です。
なお、この書籍の表紙絵を描いているのは山藤章二、そしてカラーの挿絵を描いているのは、あの小島剛夕(「子連れ狼」、「ケイの凄春」、「乾いて候」の)です。
古今亭志ん朝の「付き馬、三年目」
NHK杯戦囲碁 山下敬吾9段 対 藤沢里菜3段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が山下敬吾9段、白が藤沢里菜3段の対戦。山下9段は、井山7冠王にタイトルを独占されて、タイトルからは遠ざかっていますが、実質的には日本のNo.2でしょう。一方、藤沢3段は1回戦で王銘エン9段を見事に破って、どこまで勝ち上がるか期待されています。対局は、黒の山下9段がほぼ常に攻勢を続け、白が下辺に打ち込んだ石と、左下隅から延びる石をからみにして攻め、白は結局、下辺から延びる石に色々利きを見られながら、左下隅から延びる石を封鎖され、この石を2手かけて生きなければならなかったのが辛く、ここで黒が優勢になりました。その後、白は黒の右辺の地を減らし、下辺から延びる石も黒3石を取って生きたのですが、その代償で左辺の石を劫にもならず取られてしまい、さらに左上隅も取られてここで投了となりました。
小林信彦の「<超>読書法」
古今亭志ん生の「お化け長屋、もう半分、親子酒」
本日の落語は古今亭志ん生の「お化け長屋、もう半分、親子酒」。志ん生の病前の録音です。
「お化け長屋」は既に志ん朝のを聴いていますが、志ん朝のは前半部だけです。後半部までやるのは志ん生と六代目柳橋ぐらいだそうです。前半部では、長屋の連中のお化け話には驚かなかった職人が、実際に長屋に入って、職人仲間にお化けを仕掛けられて逃げ出すのが後半です。実際にはさらに先があるそうです。
「もう半分」は、三遊亭圓朝作の怪談噺です。「文七元結」とも設定が少しかぶりますが、行商の老人が娘が吉原に身を売って作った50両を居酒屋に置き忘れますが、居酒屋の夫婦はそれを盗んでしまいます。老人はそれをはかなんで身投げしてしまいます。居酒屋の夫婦には子供が生まれますが、その容貌は老人にそっくりで、夜中に行灯の油をなめては、老人が酒を飲む時の口癖だった「もう半分…」を口にするというオチです。
「親子酒」は、親子で酒を止める誓いを立てるが、親子共にその誓いを破ってしまうお噺。サゲの双方のセリフが面白いです。
池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」
読売新聞に連載中の、池井戸潤の「花咲舞が黙ってない」が全然面白くありません。池井戸潤の作品の魅力は読んでいてのカタルシスだと思うのですが(池井戸潤の作品は出版されているものは全部読んでいます)、今回の連載では銀行の様々な不祥事が出てくるのに対し、花咲舞は平行員としてそうした不祥事の問題点を指摘するだけで、結局組織の論理に押しつぶされてしまう、という展開がほとんで、まったくカタルシスがありません。
一方で、何故か半沢直樹が突然登場し、実に格好いいセリフを吐いて目立つのですが、対照的に花咲舞はまったく目立ちません。
元々、花咲舞が出てくるのは「不祥事」という小説ですが、私はこの作品もあまり評価していません。池井戸潤の描写する女性というのが男性から見たある種の類型に近いもので、掘り下げが浅いからです。
白井喬二の「怪建築十二段返し」
白井喬二の「怪建築十二段返し」を読了。
白井喬二の初期の短編4作、「江戸天舞教の怪殿」「全土買占の陰謀」「白雷太郎の館」「怪建築十二段返し」を集めたものです。
「怪建築十二段返し」はデビュー作です。いずれの作品も、伝奇的要素は満点で怪しげでかつまことしやかな話に興味をそそられるのですが、話の展開の仕方、まとめ方が今一つで、今まで読んだ「富士に立つ影」「新撰組」「盤嶽の一生」に比べると劣ります。
表題作の「怪建築十二段返し」もタイトル見ると、どんな怪建築かわくわくするのですが、実際に出てくる内容は期待外れです。
「全土買占の陰謀」には「富士に立つ影」にも出てきた黒船と船大工が出てきます。4つの作品どれにも怪しげな建築物が出てくるところが共通点です。