白井喬二の「富士に立つ影」第三巻主人公篇を読了。この巻からいよいよ全体の物語の主人公である、熊木公太郎(きみたろう)が登場します。親父である熊木伯典と違って、天真爛漫で邪気の無い、善人である意味「聖なる愚者」的な人物として描かれています。この公太郎には、親父である伯典への恨みからなのか、影法師と呼ばれる謎の人物がつきまとっており、公太郎が何かを習っていよいよ免許を得ようとする段階になると、決まってこの影法師の邪魔が入り、免許を得ることができません。公太郎は、軍学者頼母木介堂に入門しようとしますが、その入門の儀式でまたしても影法師の邪魔を受け、入門することができません。そうしている内に、公太郎は一緒に旅していた猿回しの助一(実は富士の裾野の村で佐藤菊太郎に味方した牛曳きの息子)から、熊木伯典の昔の悪について聞きますが、公太郎はそれを信じることができません。実家に戻った公太郎の元へ、鼠小僧次郎吉が泥棒に入りますが、公太郎はこれを逃がしてしまい、公太郎の評判はさらに悪くなります。そうこうしている内に、伯典は幕府が日光で新しい城を築く話を聞いてきて、公太郎に築城学を仕込んで、今度こそ名を成させようとします。
古今亭志ん朝の「お直し」
今日の落語は志ん朝の「お直し」です。親父の志ん生が得意だった噺です。(というか志ん生と志ん朝の親子以外はほとんど演じる人がいません。)いわゆる廓噺、それも最下層の廓である「けころ」(蹴転がし、の略)の噺です。そういう噺であるにも関わらず志ん生は平気で戦争中でも高座にかけていたそうです。志ん生はこの落語の口演で、昭和31年に芸術祭賞を受賞しています。
お噺は、吉原の女郎と牛太郎が惚れ合った仲になりますが、店の女郎と牛太郎が仲良くなるのはご法度です。でも店の主人は話の分かる人で、二人を夫婦にしてくれそのまま雇ってくれました。二人で一生懸命働いたので、暮らし向きは楽になりましたが、そうすると亭主が女遊びを始め、ついでに博打まで始めて店に出なくなり、借金も重ねます。女房の方も亭主が休むので店に出ずらくなり、二人して店を辞めることになります。そうなるとお金を得る手段がなく、亭主は女房を最低限の女郎である「けころ」にして金を稼ごうとする…というものです。ちょっと間違えると暗い噺になりますが、志ん朝の噺ぶりはとても明るくてユーモラスです。
白井喬二の「富士に立つ影」[2](江戸篇)
白井喬二の「富士に立つ影」、第二巻読了。
舞台は一転して富士の裾野の村から江戸に変わります。
佐藤菊太郎を慕うお染は、第一巻の最後で、熊木伯典の出生の秘密にまつわる書き付けを盗み出し、それを別の内容に書き換えたものにすり替え、伯典に戻します。そして伯典の側に住み、伯典が偽の書き付けに翻弄されて不幸に陥っていく様を眺めます。
一方で裾野村の庄屋の娘で、伯典によって危うく人柱にされかかったのをお染に救われたお雪は今は江戸に出て、芸者となって名前を小里と変え、お染に協力します。
それが何故か、まだ経緯はよくわかりませんが、小里は伯典の女房になり、妊娠します。生まれる子は第三巻以降に出てくる熊木公太郎です。二巻までは熊木は悪者ですが、公太郎は純真無垢な自然児で、ここで善役と悪役がひっくり返ります。
NHK杯戦囲碁 依田紀基九段 対 三村智保九段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が依田紀基九段、白が三村智保九段の対戦です。依田九段は、数々のタイトルを取り、NHK杯戦も優勝5回(内3年連続1回)という強豪です。三村九段はタイトルこそ取っていませんが、各種リーグ戦に長く在籍した強豪です。またどちらも故藤沢秀行名誉棋聖の薫陶を受けています。(三村九段は藤沢門下です。)
対局は黒の依田九段が仕掛けていき、白の石にくっついていた黒石を担ぎ出しました。これに対し三村九段は最強手で応じましたが、戦いの結果は黒が白石4石を取り込み優位にたちました。その代わり上辺が白の勢力圏になり、黒2石が取り残されてしまいました。依田九段はこの取り残された黒をあっさり諦めてしまい、白に囲わせてその代わりに中央に厚みを築きました。それで左辺に取り残された白の一団を攻めたのですが、白から下辺についての勝負手を打たれ、ここで攻めを継続する手を打てば良かったのですが、守りの手を打って後退してしまいました。この辺り、依田九段は形勢を楽観していたようです。その後のヨセでも白が一杯に打ち回し、終わってみれば白の2目半勝ちでした。
金原亭馬生の「笠碁、文違い」
今日の落語は、金原亭馬生(きんげんていばしょう)の「笠碁、文違い」です。
馬生は、古今亭志ん生の長男で、志ん朝の兄です。志ん生からは稽古をつけてもらったことはないそうですが、血は争えないというか、自然なおかしみとかダイナミックな所作が志ん生に似ているように思います。惜しくも1982年に54歳の若さで亡くなりました。
「笠碁」はこれも囲碁にまつわる碁敵同士のお噺ですが、まくらが、志ん朝が語った「碁どろ」のものとまったく同じ(囲碁を五目並べと間違えてトンチンカンな助言をするのと、隅の石が危ないと言うのが、生き死にではなく単に落っこちそうだからという噺です)でした。元は志ん生のまくらなんでしょうか。
「文違い」は、内藤新宿の女郎のお杉が二人の客をうまくだまして、五十両のお金をせしめるが、そのお金を芳次郎という色男に眼病の薬代としてそっくり渡す。芳次郎がいなくなった後に手紙を読むと、眼病だというのは口実で、お杉からお金をせしめる手段だったことがわかる。一方で、お杉に騙された客の一人も、芳次郎からお杉宛に来た手紙を見て、騙されたことを知り…といった騙し騙されが重層的になったお噺です。
白井喬二の「富士に立つ影」[1](裾野篇)
白井喬二の「富士に立つ影」を読書開始。第1巻を読了。1924年から1927年にかけて報知新聞に連載された、ちくま文庫版で全10巻に及ぶ大河時代小説です。
築城家で赤針流の熊木家と賛四流の佐藤家の三代68年、江戸から明治にかけての確執を描くものです。
第1巻の「裾野篇」では、富士の裾野の村で、構築される予定の調練城を巡って、赤針流熊木伯典と賛四流佐藤菊太郎の二人の築城家が、築城の詳細を巡って、現代風に言えばコンペをやって論争します。言葉による討論は互角で決着が付かず、決着は四種類の実地検分をもってつけられることになります。この築城家というのはフィクションで、実際の歴史ではこんな築城家の流派といったものは存在せず、ましてやその築城家が実際の築城を巡って論争するなんてことはなかったと思いますが、このフィクションの築城論争がまずとても面白いです。また、熊木伯典(悪役)と佐藤菊太郎(善役)のキャラクターの対比が見事で、特に熊木伯典の憎々しさの描写は見事です。
実地検分では、四種類のうち、三種類で佐藤菊太郎が優勢で、勝利間違いなしと思われていたのですが…
三遊亭圓生の「花筏、やかん、死神」
今日の落語、六代目三遊亭圓生の「花筏、やかん、死神」です。 落語のCDも37枚目でちょっとマンネリなのですが、このCDは面白かったです。
「花筏」は珍しい相撲にまつわるお噺で、提灯屋が花筏という力士に似ているからと、病気の花筏の代役として、お客さんの所に引っ張り出されます。最初はただ見ているだけでいいから、という話だったのが、お客さんの中に相撲の強いのがいて、成り行きでとうとう対戦することになり…というお噺です。
「やかん」は何でも知ったかぶりをする人の話です。聞く人に突っ込まれてどんどん珍妙な語源説をでっち上げるところが聴き所です。タイトルは、やかん、は元は「水沸かし」と言ったが、ある武将が合戦で夜襲を受けた時に、兜が見つからなかったので、その場にあった「水沸かし」を兜代わりに合戦に臨む。敵がその「水沸かし」めがけて矢を射てきて、「水沸かし」に「矢」が当たって「カーン」と音を立てたので、「やかん」。
「死神」は、三遊亭圓朝が、イギリスのオペラあるいは、ドイツのグリム童話にあった話を元にして落語に仕立てたものです。ある金が亡くて自殺しようとした男が死神に知り合います。死神から、病気の人間に取り付いた死神を追い払う呪文を教えてもらって、医者になります。死神が病人の足許にいる時は呪文で追い払えますが、病人の枕元にいる時はその病人はもう寿命で、呪文では追い払えない。最初は順調に行っていたが、ある時、死神が枕元にいる病人に出会い、直せないと断るが、一万両を積まれ、奇策を思いつく。それは首尾良く成功したが、その代わりに…というお噺でとてもよく出来た内容です。呪文は、この圓生のでは、「アジャラカモクレン、ILO、南ベトナム」でした。「ILO」はやかんでも出てきて、このころ日本はILOについては87号条約の問題で連日マスコミで騒がれていたみたいです。
小林信彦の「小説探検」
小林信彦の「小説探検」を読了。小林信彦の作品はほとんど読んできたつもりでしたが、この本は未読だったようです。1993年に出版されたもので、元は「本の雑誌」に1989年から1993年までに連載されたものです。
「小説世界のロビンソン」は、小林信彦自身の読書体験を振り返りながら、20世紀における小説の変遷を追いかけたものですが、この「小説探検」は、「ロビンソン」で扱いきれなかった作品(たとえばプルーストの「失われた時を求めて」とか中里介山の「大菩薩峠」とか)を扱うのと、小説を「いかに語るか」の語り口の分析と、それをどう読み取るかについて分析することが目的となっています。
取り上げられている作家は多岐に渡っていて、パトリシア・ハイスミスやスティー ヴン・キングのような小林信彦好みの作家から、フレデリック・フォーサイスや ミッキー・スピレーンみたいなメジャーな作家、それから日本の作家では前述の中里介山、永井荷風、川端康成、三島由紀夫、そして谷崎潤一郎などが論じられます。
小林信彦の本に関するエッセイを読むと、読書欲を強く刺激されます。また同時に、自分がいかに小説を読んでいないかを思い知らされます。これでも小学生の頃は1日2冊ペースで本を読んでいて、小学校ではたぶん一番の読書家だったのです が、まるで敵いません。
三遊亭金馬の「居酒屋、紀州」
小林信彦の「つむじ曲がりの世界地図」
小林信彦の「つむじ曲がりの世界地図」を再読了。1976年に出版されたもので、1974年から1975年にかけてミステリマガジンで連載されていたもので、「パパは神様じゃない」の後の連載です。
数十年ぶりの再読ですが、この本の中に出てくる「ド・セルビイ」方式の旅行という言葉は覚えていました。それだけ印象が強かったということで、この頃の小林信彦のエッセイには切れがあると思います。「ド・セルビイ」方式の旅行とは、元々フラン・オブライエンの「第三の警官」に出てくるド・セルビイ氏という物理学者兼哲学者にちなむもので、旅に出る振りをして、実際はその期間近くのホテルなどに立てこもり、行き先に予定した場所の絵はがきやガイドブックを読んで過ごして、行ったつもりになる、そういう旅です。
このエッセイでは、本来的には「ド・セルビイ」方式の愛好者であった筆者が、ニューヨークを始め、色々な所に実際に旅した時の経験が語られます。