キャプテン2と校舎裏のイレブン



コージー城倉の「キャプテン2」にお花茶屋高校って出てきますが、そこの野球部の監督はちばあきおの「校舎裏のイレブン」の先生そのまま。それは気が付いていたんですが、選手も高校野球にしては髪型が皆変と思って良く見てみたら、選手もそのまんまでした。済みません、画像は最小限の引用ということで。ちばあきおのこの先生も、元をたどればちばてつやの「ハリスの旋風」の岩波先生かも。(ちばあきおは元々お兄さんのちばてつやの漫画を手伝っているうちに漫画を自分でも描くようになっています。)

トワイライト・ゾーンの”Nervous Man in a Four Dollar Room”

トワイライト・ゾーンの”Nervous Man in a Four Dollar Room”を観ました。
ジャッキー・ローズというチンピラは、ボスからの指令を待って、一泊4ドルの安ホテルで電話を待っています。やがてそのボスのジョージからの電話が来て、すぐその後にジョージが部屋までやってきます。ジョージはローズにピストルを渡し、あるバーの老マスターが彼らにみかじめ料を支払わないので、見せしめに殺すように言います。ローズはこれまでチンケな仕事しかしたことが無く、殺人は未経験でした。ホテルの部屋で葛藤していると、部屋の鏡に写ったローズの像が突然しゃべり出します。その像は自分はローズの中の別の部分だと言い、ローズにギャングは辞めて人生をやり直すように言います。そしてローズが好きで結婚する筈だったのに、ローズが犯罪によって牢に入れられた間に別の男と結婚したことを思い出させます。像は自分が今のローズに入れ替わると主張します。ローズは葛藤しますが、結局殺しには行きませんでした。ボスがローズが仕事をやらなかったことを咎めに部屋にやって来ます。しかしローズは「もうこんな仕事は辞める」と言い放ち、ボスを殴り倒して部屋を出て行きます。おそらくどこかで鏡の中のローズと入れ替わったんでしょう。
うーん、イマイチでした。何だかシーズン2になってから脚本の質が低下したように思います。おそらくシーズン1で人気が出てシーズン2の放映が決定されると、今までのような攻めの姿勢で新しいジャンルのドラマを作っていくんだという意気込みが薄れ、ある意味守りに入り、素晴らしい作品とまでは行かなくてもそこそこのものを作る、という姿勢に(無意識の内に)変わったんじゃないかと思います。

山県有朋は果たして心情の人か?

菅さんの弔辞で、山県有朋が伊藤博文のことを詠んだ和歌が引用されています。ただ私は山県有朋って狸親父の典型みたいな人と思っていますので、本心にこのように思っていたかは疑問です。山県有朋は西南戦争の時にも西郷隆盛に降伏を勧める手紙を出していますが、Wikipediaによると書いたのは福地源一郎みたいです。(福地源一郎は、後に東京日日新聞社主になり、また文芸家でもあり文章は達者です。)大体戦いの前に送るなら分りますが、立場上西郷が降伏するのが不可能な状態になってから送っているような気がします。また、この手紙が西郷に届いたかどうかも不明だそうで、そんな書簡の内容が今日まで残っているというのも不思議な話で、単に山県有朋が「自分は心の底から西郷に降伏を勧めたけど西郷が受け入れなかった」という証拠作りのためにやった可能性もあると思います。

表面的には心情あふれる(あふれているように見える)名文ですが、本人が書いていないとしたら余計に嘘くさいです。

ちなみに下記の手紙は、現代の人は読むのに苦労するでしょうが、当時のある程度漢籍の素養のある人にはなじみのある故事成語のオンパレードです。このことだけ見ても、山県有朋ではなく福地源一郎が書いたというのは当たっているでしょう。

故山に帰養する、謦咳に接する、桑滄の変、旧雨今雨、鼓皷の間(旗鼓の間)、韜晦する、奇貨とする、讒誣する、蒼生、衆口金を鑠かす、骨肉相食む、涕涙雨の如し、等々

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西郷隆盛に與へて降服を勧む
(読み仮名入りは、西郷隆盛に與へて降服を勧む

山縣 有朋

山縣有朋頓首再拝、謹んで書を西郷隆盛君の幕下に呈す。有朋、君と相識るここに年あり。君の心事を知るまた甚だ深し。曩に君の故山に帰養せしより、久しくその謦咳に接することを得ざりしかど、舊雨の感豈一日も有朋の懐に往来せざらんや。料らざりき、一旦滄桑の変に遭ひて、ここに君と鼓皷の間に相見るに至らんとは。君が帰郷の後ち、世の鹿児島縣士族の暴状を議するもの皆いはく、「西郷実にその巨魁たり、謀主たり」と。然れども有朋は獨りこれを斥けて、然らずとなせりき。然るに今かくの如し。嗚呼また何をか言はん。
然れども密に思ふに、事のここに至れるは蓋し勢いの止むを得ざるに出でしものにて、君の素志にてはあらざりしならん。若し君にして初めより真に意図を懐きしならば、何ぞかかる無名の軍をかかる機を失へる時に起さん。薩軍の今公布する所を見るに、罪を一二の官吏に問はんとするに過ぎず。これ果して挙兵の名を得たりと謂ふべきか。佐賀の賊まづ誅せられ、熊本、山口の叛徒次いで敗れ、今や天下の士民漸くその自省の志を立てんとす。而して薩軍突としてここに兵を挙ぐ。これ果して挙兵の機を得たりといふべきか。君の明識なる、豈之を知らざることあらんや。

説者また曰く、「天下の不良の徒は、西郷の山林に韜晦したるを奇貨とし、これによりて功名を萬一に僥倖せんとする念を懐き、その辞を巧みにしてひたすら朝廷の政務を讒誣し、西郷に説くに、君出でずんば蒼生をいかにせん、君にして義兵を挙げなは天下靡然としてこれに向はんとの旨を以てせしならん。君の卓識なる、その讒誣たるを洞察するに難からざりしなるべしと雖も、その浸潤のいたす所実に衆口金を爍す勢ありて、知らず識らず遂に事を挙ぐるに至りしならん」と。聞く者皆これを然りとす。何となれば、若し君にしてまことにその志ありしならば、単騎輦下に来りて、従容として利害のある所を上言するに於て何の妨もあらざるべければなり。

思ふに、君が多年育成せし壮士輩は、初めより時勢の真相を知り、人理の大道を履践する才識を備へたる者なるべけれど、かの不良の徒の教唆により或はその一身の不遇によりてその不平の念を高め、遂に一転して悲憤の念を懐き、再転して叛乱の心を生ずるに至りしならん。而してその名を問へば則ち曰く、西郷の為にするなりと。情勢既にここに至る。君が平生故舊に篤き情は、空しくこれを看過してひとり餘生を完うするに忍びざりしにならん。されば、君の志はじめより生命を以て壮士輩に與へんと期せしに外ならざりしならん。君が人生の毀誉を度外に置き、天下後世の議論を顧みざるもの故なきにあらず。嗚呼君の心事まことに悲しからずや。有朋ここに君を知る深きが故に、君が為に悲む心また切なり。然れども事既にここに至る、これをいふことも何の益かあらん。

顧みれば交戦以来既に数月を過ぐ。両軍の死傷日々幾百なるかを知らず。朋友相殺し骨肉相食み、人情の忍ぶべからざるを忍びぬ。かかる戦の如きは古来例なき所なり。而して戦士の心を問へば、共に寸毫の恨あるにあらず。ただ王師はその職務の為に、薩軍はその帥西郷の為に戦ふといふに過ぎず。夫れ一国の壮士を率ゐてよく天下の大軍に抗し、激戦数旬、百敗撓まざるもの、既に以て君が威名の実を天下に示すに足れり。而して今や君の麾下の勇将概ね死傷し、その軍威日々に衰へんとす。薩軍の遂に志を成すこと能はざるは既に明なるにあらずや。君更に何の望む所ありてか徒に死線を事とせんとはする。若し人の西郷は事の成らざるを知れど、暫くその餘生を永くせんが為に、敢て千百の死傷を両軍より出すを辞せざるなりといふ者あらば、有朋これに對ひて何とか答へん。

願くは君早くみづから図りて、一はその挙の君が素志にあらざるを明にし、一は両軍の死傷を明日に救ふ計をなせ。嗚呼、天下の君を議する実に極れりといふべし。国憲の存する所おのづから然らざるを得ずといへども、思ふに君の心事を知るものひとり有朋のみにあらざらん。然らば何ぞ公論の他年に定まるなきを憂へん。故舊の情、有朋切にこれを君に冀望せざるを得ず。書に対して涕涙雨の如く、言はんと欲することを悉す能はず。君少しく有朋が情懐の苦を察せよ。

アウター・リミッツの”The Hundred Days of the Dragon”

アウター・リミッツの”The Hundred Days of the Dragon”を観ました。第1話はエイリアンもので、そういうエイリアンとかモンスターみたいなものばかりかと思ったら、第2話は何と中国ものでした。おそらく毛沢東をモデルにしたと思われる首席の前で、モンゴルの研究所のスタッフがある男の紹介をしています。その男はアメリカの大統領戦でセルビィという当選確実の男と背格好が同じです。実は中国は人間の筋肉をプラスチックのように可塑化する薬品の開発に成功しており、その男はそれを注射された後、金型に顔を押し当てそれを外すとセルビィの顔そのものになっていました。一行は大統領戦が行われているロサンゼルスに行き、そこでセルビィをやはり薬品で顔を変えた後殺して、その中国人がセルビィに入れ替わります。首尾良くセルビィは大統領になりましたが、その内これまで対立していた中国と親和的な政策を行おうとするので、副大統領が怪しみます。そのため中国は副大統領もそっくりさんに入れ替えようとしますが失敗し、副大統領自身が自分のそっくりさんを目撃し、中国側のトリックがばれます。中国側は再度副大統領を殺して入れ替わろうとしますが、失敗してそっくりさんが逮捕されます。副大統領は大統領が出席しているパーティーにその偽物を連れていって中国の陰謀を暴き、偽の大統領には可塑化剤を注射して顔を戻して偽物であることを皆に分らせる、というストーリーです。
うーん、そこまでやるほど中国とアメリカが当時対立していたんだろうか、と思いましたが、まあ確かに朝鮮戦争ではお互いに戦っている訳で、1963年ぐらいではそういうお話が作られる素地はあったということなんでしょう。

トワイライト・ゾーンの”The Man in the Bottle”

トワイライト・ゾーンの”The Man in the Bottle”を観ました。何というか良くある願いをかなえてくれるランプの魔神(ジーニ)ものでした。アーサー・キャッスルは祖父の代からのアンティーク商ですが、商売は儲からず借金ばかりで破産寸前でした。そんな日近所の老婆が古いワインボトルを買ってくれと持ってきます。キャッスルはこんなものはガラクタで価値は0だ、と言います。でも老婆が可哀想になったので、その壺を1ドルで買ってやりました。キャッスルが壺を誤って床に落とすと、栓が開いて煙りが出、やがてファレル・ウィリアムスみたいな格好の男が登場します。男はランプの魔神(ジーニ)で願い事を4つ叶えてくれると言います。キャッスル夫妻はかなり疑っていましたが、まず一つめの願いで、割れていたショーウィンドウのガラスを修理して欲しい、と頼んだら魔神はあっという間に修繕しました。これで魔神が本物だと分り、次にキャッスルは100万ドルを要求します。そうすると100ドル紙幣が天井からバサバサと降ってきました。大喜びの夫妻は近所の人達に大盤振る舞いで紙幣を配りますが、そこに招かれざる客の税務署の人間がやって来て、税金が90万ドルだと言います。キャッスルが慌てて紙幣を数えたら、残ったのはたったの5ドルでした。次に国で一番偉い人、を考えつきましたが、選挙で選ばれる首長はダメなので、選挙で変えられることのない、そして現代のどこかの外国の支配者を望みます。そうするとキャッスルは、何とヒットラーになり、しかも1945年5月のベルリン陥落の直前でした。部下が自殺用の毒薬を持ってきますが、それを飲まずに最後の望みで元のキャッスルに戻ります。結局4つの願いはどれもダメで、でもショーウィンドウが綺麗になったからいいか、と言っていたら、それも傘の柄で突いてまた割ってしまいました…
という話で、これは別にトワイライト・ゾーンで無くてもきわめて色んな所で使われているもので、もう一つでした。

アウター・リミッツの”The Galaxy Being”

ジョー90を観終わったので、アウター・リミッツを観始めました。1950年代後半から1960年代にかけて、トワイライト・ゾーンと並ぶSFTVドラマの代表で、日本のウルトラQなどにも影響を与えました。最初のエピソードが”The Galaxy Being”でした。60分もの。あるラジオの放送局のエンジニアのアラン・マックスウェルは、ラジオ局の出力を半分に落とすまで、局内の電気を使って何やら宇宙との通信を試みていました。ある日彼はついに遠いアンドロメダの中の惑星の光るターミネーターみたいなエイリアンと通信することに成功します。そのエイリアンが言うには、地球人が炭素で出来た生物なら、そのエイリアンは窒素で出来ているということで、死ぬこともないと言います。マックスウェルはその晩どうしても出席しなければならないパーティーがあり、一時間ほど局から離れます。その間に局のDJがカナダからのリスナーからのリクエストに応じて、局の出力を全開に戻します。そうすると何故かそのエイリアンは通信経路を使って地球に転送され、町へ出たエイリアンは何か雷鳴のようなものを発して接触するものに被害を与えます。慌てて局に戻ったマックスウェルは、エイリアンに元の星に戻るように言いますが、そのエイリアンは向こうの法を破ってしまったので、もう戻れず、消去されると言います。マックスウェルの奥さんが駆けつけた警官に撃たれて死にかけますが、エイリアンが彼女を蘇らせます。結局エイリアンは消えて行きます。
という感じで、トワイライト・ゾーンと違って、捻りがなく、ただ恐ろしいエイリアンの話という感じで、子供が観たらこちらも悪夢を見そうな内容でした。

手紙の作法続き-草々と早々


手紙の作法、追加。今は「前略」に対応する結びは「草々」になっていますが、元々は「早々」の方が多く使われていました。「取り急ぎ」という感じは「早々」の方が出ると思います。「草々」はどちらかと言えば「草々不一」の形で使われる方が多かったと思います。「草々」は走り書きで、「不一(ふいつ)」は言いたいことを尽くせず、という意味で、元々中国の奉書前後式という極めて煩雑な手紙の作法の最後で「不盡」とか書いていたのを日本人が真似するようになったのが「敬具」とか「不一」などの後文です。

NHK杯戦囲碁 小池芳弘7段 対 富士田明彦7段(2022年9月25日放送分)


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が小池芳弘7段、白番が富士田明彦7段の、最近勝ちまくっている若手対決で、噛み合う対戦でした。しかも二人は高林拓二門下の同門で、富士田7段が先輩とのことでした。なので小池7段からすれば勝って「恩返し」したい所、富士田7段からすれば成長著しい後輩に先輩の貫禄を見せたい所でした。局面が動いたのが右辺の攻防で、白が右下隅にかかった石からの一団がまだ治まって、ないのに、右辺上方に打ち込んでいってからです。黒は右辺中央の石から右辺下方の白にもたれて強化し、右辺上方の石をボウシで包囲しました。白はここで右上隅の黒の二間高締まりの間に付けて行きました。ここの折衝で、黒が1子を捨てて下から当てて行ったのが冷静で、白が若干厚くなったものの、黒は右上隅から右辺で40目以上の地を確保し、黒が優勢になりました。黒はその後左下隅にも潜り込んで活きたため、4隅取った形で地合いは更に開きました。こうなると白は中央と左辺でどのくらい地を作れるかの勝負になりました。黒は右下隅からつながっているかが微妙な位置に出て行きました。結果から見ればこの「つながっているかどうか」が勝敗を分けるカギになりました。黒はその石の繋がりを確かにする手を打たず、白の左下隅を脅かしつつ中央に進出して白地を削減し、順調に優勢を保っていました。どこかでバックして中央と右下隅を確実に連絡しておけば勝ちだったと思いますが、実戦心理として、つながるだけで地にはならない手を打つには抵抗があり、それが災いしました。富士田7段が一瞬の黒の隙を衝いて1目を捨てて巧みに白の眼を奪い、そして中央と右下隅の白の分断を決行しました。中央の黒が上辺の黒とつながりそうでつながらないのも読み済みで、黒はもう一眼が作れず、大石が憤死しました。富士田7段の中押し勝ちで、まるで故加藤正夫9段のような殺し屋ぶりを1回戦に続いて発揮し、見事に先輩の貫禄を見せました。

P.S. 故高林拓二6段について、正直な所あまり知識が無かったので調べてみました。ご本人の棋士としての活躍はそれほどでもなかったようですが、弟子がすごいです。許家元九段、富士田明彦七段、小池芳弘七段、伊藤優詩五段、張瑞傑五段、外柳是聞四段、日野勝太初段。日野初段のインタビュー記事によると、高林6段に生前(2019年7月に亡くなられています)に1,000局以上対局してもらったそうです。通常囲碁の師匠は入門の時に一局だけ打って、後は弟子同士が対局するもので、木谷道場とかは特にそうだったと思います。例外的に石井邦生9段が井山裕太4冠を、その才能を見込んでやはり1,000局くらいオンラインを中心で打って鍛えた、というのがありますが、弟子達の素晴らしい活躍振りを見る限り、高林6段は、全ての弟子と多くの対局を繰り返したのかなと思います。ご本人の、例えば本因坊戦や名人戦リーグに入るとか、タイトルの挑戦者になる、タイトルを取る、そういう夢は残念ながら叶わなかったのですが、それを弟子に託して鍛え上げる、これはこれで素晴らしい棋士人生だったのではないでしょうか。

「謹啓ー敬具」問題ー大正時代の手紙の書き方本の説明


芳賀矢一・杉谷代水合編「書翰文講話及び文範」(冨山房、大正2年初版の手紙の書き方と例文集で、当時の大ベストセラー)にて、手紙の前文(拝啓など)、と末文(敬具)などについて確認しました。
(1)そもそもこの手の「拝啓」「敬具」等は候文の手紙用であり、口語文の手紙では本来は付ける必要無し。
(2)江戸時代までは前文は「一筆啓上仕候」などと書いたが、明治になって簡略化されて2文字が多くなった。但し「頓首再拝」「恐惶謹言」などの4文字タイプも使われていた。
(3)拝啓の場合は敬具、謹啓の場合は謹言、といった前文と末文が呼応するといったことはまったく書いてない。
(4)「慶弔、感謝など儀式張った場合には同輩でも「謹言」「敬具」を用いてよい。」とあり、そもそも敬具も謹言も元はある意味堅苦しい上位者への手紙に使うものであり、またその2つとも慶弔の場合に用いて良いとあり、「謹言」が「敬具」より丁寧、ということも言っていない。
要は時間が経って候文が廃れていくと、その本来の書き方が分らなくなり、いつしか「謹啓の後は謹言で結ぶ」といったローカルルールを勝手に作り出す人が出てきて、それがあたかも正しい用法のように思われるようになっただけだと思います。または「格別のご高配」と同じで、本来目上にしか使わなかった「謹啓」が多用されるのは、ともかく丁寧に書けばOKという、敬意のエスカレーション現象かと思います。
(ちなみにジャストシステム時代に冨山房に電話し、この書籍の著作権について問い合わせたことがありますが{候文の例文集を作ろうとしていました}、口頭ですが「自由に使って良い」という返事でした。本当はどこかがこの本再版して欲しいんですが。復刊ドットコムに登録はしています。また、芳賀矢一、杉谷代水共に没後70年以上が過ぎており、著作権は失効しています。)それから、ローカルルールと言えば、封書の閉じる所には現在は「〆」(というよりメ)と書くと教わったと思いますが、これは元々女性用であり、男性は「緘」「糊」「封」などを使っていました。私は高校の時に漢文の先生に、「緘」と書けと教わりました。今でも一部の官公庁とか銀行などで、スタンプで「緘」を押したものを見ることがあります。

謹啓-敬具、は問題ありません。

日経ビジネスの河合薫という人の文章から。安倍元総理の国葬の招待状についてのエッセイに以下の文章がありました。
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「招待状の頭語は「謹啓」なのに、結語は「敬具」というお粗末ぶり。」

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00214/?n_cid=nbpnb_fbed
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「敬具」つつしんで具す(申し上げる、「具申」の具)という意味で、冒頭が「謹啓」の場合でもOKです。最近、こういう自分の限られた知識だけが正しいと思い込み、人の書いたものにけちを付ける人が多いという典型例として紹介させていただきます。画像は大修館の明鏡国語辞典第二版です。私はジャストシステムに勤務していた時に、手紙のソフトの企画に携わっていた(ソフトは単体のソフトとしては日の目を見ず、その時に整備した例文が一太郎の中に入っている程度です。)ので、手紙の書き方については、普通の人より詳しいですし、大正2年に出た芳賀矢一・杉谷代水合編の「書翰文講話及び文範」という候文の手紙例文が多数入った本も持っています。

しかし、この「謹啓ー敬具」を間違いだと言い張る人であれば、この候文も「前略」で始っているのに「(頓首)謹言」で終っているのはおかしい(「草々」でなければならない)とか言うんでしょうね。ちなみに「草々」は同輩以下に使うもので、このようなお詫びの手紙には合いません。(出だしが「前略」なのは詫び状なので、時候の挨拶等は省いてまずはお詫びします、という意味での使用です。)要するに昔は手紙の書き方は法律で決まっていた訳では当然なく、状況に応じて色々な書き方があったのに、今はそれが固定化されたルールのように考えられていて、自分が教えられた、学んだのと違うと間違いだと決めつけるのでしょう。大体今手紙を書く人は激減していますから。

ちなみにビジネスの手紙で多用されている「平素は格別のご高配賜り深謝申し上げます」という言い方も、文字通り読めば「貴社はこの世の中であり得ないような非常な程度の便宜を当社に図っていただきましたので心から感謝します。」という異常に誇張した文章になります。たかがビジネスの関係であれば「日頃はご高配賜り有り難うございす。」「平素はご配慮を賜り御礼申し上げます」とか書けばいい訳です。「格別の御高配」は、強調が二重になっていて却って嘘臭く響きます。このことは以前、大修館の「言語」という雑誌の編集長をされていた方から教わりました。