フローレンス・ナイチンゲール

ナイチンゲールについてちょっと知りたくなって(もちろん子供の時から名前は知っていますが)Amazonでポチってみたら、子供(中学生程度)向けの伝記でした。それでも色々なことを知ることが出来ました。ナイチンゲールというとクリミア戦争の時の野戦病院での、慈愛に満ちた「ランプを掲げた淑女・天使」のイメージが一般に通用していますが(それはビクトリア朝において作り上げられたイメージでもありますが)、実際の彼女は「戦う女性」でした。ありとあらゆる社会の不平等や不道徳と一生をかけて男性中心のビクトリア朝の社会の中で戦った女性でした。プルーストの「失われた時を求めて」の中に、真の慈愛の化身というような人は、実際にはいかなる憐憫も同情も顔に出さない、人を傷つけるのを恐れない、しかしそうした優しさを欠いた、感じの悪い、しかし崇高きわまりない顔こそ真の善意の顔である、というのが出てきますが、まさしくナイチンゲールこそそういう女性でした。
また独学で数学と統計学を学んで(グラフの一種であるレーダーチャートを発明したのはナイチンゲールだったってご存知でしたか?)、病院建築・病院経営の合理化にも尽くした人で、これまで思っていたよりはるかに巨大な方でした。新型コロナウィルスの蔓延の中、たった今も世界の多くの場所でナイチンゲールの精神を受け継いだ看護師さんが病気と闘う患者さんをケアしています。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の19回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の19回目を公開しました。新型コロナウィルスにも負けず、私は私の出来ることを粛々とやっていきたいと思います。
これまでラテン語の訳に時間がかかっていましたが、第3章に入ってからはドイツ語の本文も結構難しくて時間がかかっています。実はヴェーバーが大学に博士号論文として提出したのはこの第3章だけだったみたいで、その意味で中心的な章ですが、それだけに色々錯綜していて大変です。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第18回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第18回目を公開しました。
ヴェーバーが後に「理解社会学のカテゴリー」で展開する、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトを対立概念として捉えずに、ゲゼルシャフトがゲマインシャフトの特別な場合と捉える考え方のルーツはこの論文での研究にあるのではないかと思います。ヴェーバーは商業におけるゲゼルシャフト形成において、家ゲマインシャフトと同じ原理が適用されたと論じています。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳第17回目を公開しました。

ちょっと間が空きましたが、ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第17回目を公開しました。この部分ではシチリア島が多く登場します。シチリア島のイメージはマフィアかヴェルディの「シチリア島の夕べの祈り」で、どちらにしても結構暴力的なのですが、実は歴史的にはラテン文化、ギリシア文化そしてゲルマン文化が融合した興味深い場所なのだということが分かりました。

黒川伊保子編著の「妻のトリセツ」

黒川伊保子編著の「妻のトリセツ」を読みました。これと「夫のトリセツ」がベストセラーになっているので、どんなものか読んでみたもの。私は結婚していないので別に奥さんのご機嫌を取る必要はありませんが、会社で何故か部下の8割が女性なので、何かの参考になるかと思って買いました。結論から言うと、典型的な「バイナリー」な(0か1かと言った二分法の)発想の本で、人間の脳のタイプを「男性脳」「女性脳」で二つに分けて、それぞれの特徴から妻の扱い方を説明しています。それはそれで参考になるのでしょうが、私はこの本で勧められている夫の言動(例:「君の味噌汁を飲むのも、もう20年になるんだね。」)は、ほとんど出来の悪いホームドラマという感じで、こんな(クサい)セリフを言われたらむしろ吹き出してしまう方が多いのでは。また人間の脳は二種類に分けられる程単純なんでしょうか。例えば私は男性ですが、地図を読むのは得意ではなく方向音痴で、車を運転する時は100%ナビに頼りますし、車庫入れも下手です。大体この人、AIの研究者であって、脳科学の専門家ではありません。またこの本で書かれているような女性脳の特徴は、生物としてのホルモンなどの影響はもちろんあるのでしょうが、それより小さい時の育てられ方の違いも大きいと思います。そういう意味である意味「女性的」「男性的」という偏見というか伝統的な考え方を固定して広めている、といった良くない印象も受けます。まあ話のネタにはなりますが、その程度の本です。

小倉孝保の「100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む」+”Dictionary of Medieval Latin From British Sources”

小倉孝保の「100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む」を読了。今、ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳をやる上で、中世ラテン語が頻出するので何か中世ラテン語の適当な辞書は無いか探している過程で見つけた本。この本で取上げられている、”Dictionary of Medieval Latin From British Sources”も17分冊の内の第14巻だけを持っています。この辞書は全部揃えると10万円近くになります。最初それでも購入しようかどうか迷ったのですが、結局”From British Sources”というのが引っ掛かって、私が欲しいのは”From Italian Sources”です。このブリティッシュ版を作成するに当たって、他の欧州各国にもそれぞれの国版を作りませんか、と呼びかけたらしいのですが、残念ながらまだイタリア版は出来ていません。というか、イタリア語は要するに中世における俗ラテン語がベースなので、現代イタリア語の辞書が中世ラテン語をある程度カバー出来ているのだと思います。実際に、古典ラテン語の辞書で見つからなかった単語が、綴りが少し変わっている場合がありますが、現代イタリア語辞書で見つかるケースが多くあります。たとえば、stacioという単語、おそらくこれは古典ラテン語ではstatio(じっと立っていること、が原義)なんだと思いますが、現代イタリア語ではstazioneで、事業所という意味です。(英語のstationと同語源)またbottegaというのが出てきて、これも古典ラテン語の辞書にはありませんが、現代イタリア語辞書では出ていて現在でも通用する言葉であり、「店舗」という意味です。
小倉孝保の本に戻ると、興味深かったのはこのブリティッシュ版中世ラテン語の辞書の最初の編集者が、OEDのジェイムズ・マレー博士の子孫だということです。実際、この辞書のスタイルはOEDのそれをほとんどそのまま踏襲しています。この小倉さんという作者については、元々毎日新聞の特派員の方のようですが、残念ながらご本人がラテン語を勉強したことが無いため、全体に単に関係者に話しを聞いてまとめた、といういかにも新聞社的な作りで、実際に辞書の中身を読んでその特徴をまとめたりとか、古典ラテン語の辞書との違いについてもっと分析するとか、そういった所が非常に不十分です。今、実際に中世ラテン語を読まなければならないプロジェクトをやっている訳ですから、中世ラテン語辞書の現代における意義なんか説明してもらわなくても十分分かっています。この筆者は100年かけたことに感心していますが、OEDはもっとかかっていますし、ドイツのグリム辞書も同じです。後半1/3は日本の辞書作りの話ですが、間接的な知り合いが多く登場します。(仕事で大修館の辞書を作っていた人とお付き合いがあったので。)この中世ラテン語辞書とかOED、グリム辞書といったスケールで作られた辞書は残念ながら日本には無いです。まあ諸橋大漢和がそれにかろうじて近いですが。日本国語大辞典は現時点はまだまだ未熟です。また日本は国がお金を出した辞書作りが0ということで、私の知り合いの辞書に関する先生は「日本には辞書学が無い」と嘆いておられましたが、まあその通りの状況です。

山崎雅弘の「歴史戦と思想戦 ―歴史問題の読み解き方」

山崎雅弘の「歴史戦と思想戦 ―歴史問題の読み解き方」を読了。何でこの本を買ったのか忘れましたが、Amazonのお勧めで出てきたのか、よく覚えていません。内容は、産経新聞などが中心となって、「歴史戦」と名付けて、加瀬秀明とか中西輝政とかケント・ギルバートとかのいわゆる右寄りの方々の主張しているロジックの嘘を暴いて、同様の思想誘導が戦前・戦争中にもあったとしているもの。
正直、ロジックの嘘を一々説明してもらわなくても、瞬間的にインチキと分かるものばかりで、ほとんど得る所はなかったです。また、右を叩くなら、公平に左も叩くべきで、朝日新聞の強制連行に関する吉田清治のフェイク手記の連載などもきちんと批判すべきかと。
後、GHQが「ウォー・ギルト・プログラム」が日本人に戦争=悪の罪悪感を植え付けようとしたことが、ほとんど効果を上げていないと書いていますが、大衆小説の愛好家としては、GHQの政策が大衆小説、大衆演芸(講談、浪曲など)を日本の封建思想・軍国思想を広めるのに貢献したとして規制し、結果的に大きな打撃を与えたんだ、ということは忘れて欲しくないです。吉川英治みたいな要領のいい人は生き残りましたけど。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第16回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第16回目を公開しました。いよいよ佳境に入りかけている感じです。今回はラテン語はあまりないですが、その分ドイツが前章までより難しく感じます。ランゴバルド法の”meta”について、ヴェーバー、英訳者、全集版の注釈者の解釈に疑問があり、調査に時間を取られています。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳、ノート一冊分終了

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳、ノート一冊を使い切り二冊目に入りました。多分三冊と半分くらいで全部訳し終えると思います。でも、これまでの人生で何百冊とノートは使って来ましたが、最後のページの最後の行まできっちり書込んで一冊終わったのは多分初めてです。かなり万年筆のカートリッジインクを使いました。アナログだけど、PCにテキストだけ打ち込んで終わりにするより、何か達成感みたいなのがあります。

亀長洋子の「イタリアの中世都市」

亀長洋子の「イタリアの中世都市」を読了。今、ヴェーバーの「中世合名会社史」を訳していて、頻繁にイタリアの中世の都市国家が出て来るので、予備知識を得ようと思っての読書。全部で87ページなのですぐ読めます。まあそんな突っ込んだ知識は得られませんが、概略のイメージは得られます。ヨーロッパの中世というと以前は暗黒の遅れた時代というイメージが強かったように思いますが、イタリアの諸都市国家では、カトリックの統制の裏をかいて利子を含む色んな商売の仕組みを整備していった、とてもたくましさを感じます。またコムメンダがイスラム起源で、複式簿記ももしかしたら中東世界の方が先だったかもしれませんが、それらを整備して発展させて来たのがイタリアの諸都市国家であることを疑う人は誰もいないと思います。そういう意味で、西洋に最初に発達した資本主義のゆりかごだったのは間違いなくイタリアです。また私は輸出貿易を14年ほどやった経験がありますが、貿易の基本的な仕組みがほとんどこの時代に作られたということにも感動を覚えます。このシリーズは高校の歴史の教科書で有名な山川出版社から出ています。