再度:七日間ブックカバーチャレンジは著作権侵害

もう一度書きます。「七日間ブックカバーチャレンジ」というものは、他人の著作物である本の表紙の写真を7日間に渡って何の本人の説明も付けずに自分の投稿として公開するというのをルールにしており、それは著作権者の公衆送信権の侵害になります。
本の表紙でたとえば単にタイトルと著者、出版社が印刷されているだけ、といったものは保護の対象になる著作物とは認められない可能性があります。しかし何らかの意匠としてデザインがあったり、絵・イラスト・写真を使っているものは明らかに著作物です。(これまで私が見た範囲ではほぼすべて著作物と認められるようなものでした。わかりやすい例ではコミックの表紙{当然絵入り}を上げた人もいました。)
そんなことを言ってもお前も普段やっているじゃないかという人もいるでしょうが、個人が自分の責任で勝手にやっているのと、不特定の集団が著作権侵害そのものをルールにしてチェーンメール的にやるのは意味が違うと思います。それに私がやっているのは本の紹介が主で写真は従であり、もし著作権者から写真を削除しろと言われたら従うつもりでやっています。(その場合はAmazonなどの販売サイトへのリンクに変えますが。)

それからフェースブックで友達限定だから私的使用の範囲内と言う方もいらっしゃいますが、フェースブックの設定はいつでも変更出来ますし、また友達限定といっても実際にはフェースブック側の人間も目にしているため、私的使用にはあたらないと判断しています。(証拠としては、フェースブックで他人の著作物の動画を友達限定で上げても、すぐフェースブック側から削除されます。)この手のものは多くの人がアクセス出来るサーバーに上げた瞬間に侵害になると理解しています。

このチェーンメールの目的に「読書文化の普及に貢献する」とありますが、本当に嘘くさいですね。こういうのをThe road to hell is paved with good intentions.(地獄への道は善意で舗装されている。)と表現するんでしょうね。

ブックカバーチャレンジ?

野暮は承知で、今SNSで流行っている「(七日間)ブックカバーチャレンジ」っておかしくないですか?何か読書文化を広めるとかもっともらしい理屈が付けられています。しかし、本の内容を自分なりに紹介して、それの補足として画像が付いているんだったら私は自分でもやってますし、文句を言う資格はありませんが、この企画は単に表紙の写真だけ。それって正当な引用でもなく私的利用でもなく単に装丁家の著作権侵害だと思いますが。典型的な例を出せば私が好きな白井喬二の本の装丁を小村雪岱がやっているのがありますが、それは単なる工業的デザインを超えて完全にアートです。(別に通常の装丁にアート性が無いとは言いませんが。)読書文化に貢献したいんなら、コロナがどうのとは関係なく、普段から本を読んでそれをSNSとかブログで紹介すればいいと思います。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第21回目公開。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第21回目を公開しました。緊急事態宣言が出されて、私の会社でも在宅ワークが始まって、通勤時間が減ったから時間が取れるようになったかというとそんなことないです。
また、今回はこの論考で初めて中世スペイン語文献がいくつか出てきて、それなりに大変でした。

刑部芳則著の「古関裕而―流行作家と激動の昭和」

刑部芳則著の「古関裕而―流行作家と激動の昭和」を読了。著者は日本史家で、今NHKの朝ドラでやっている古関裕而夫妻の話である「エール」の風俗考証を担当されている方です。朝ドラのおかげで今何冊も古関裕而の本が出ていますが、ぱっと見た感じはこれが一番良さそうでした。歴史家だけあってきちんと事実に基づいて古関像を描いて行きます。
この本で初めて知ったのは、あれだけの生涯で5000曲にも及ぶ数々の名曲を作曲しながら、しかしコロンビアの専属作曲家としての最初の頃は中々芽が出なかったことです。同じコロンビアに古賀政男というもう一人の天才がいて、哀愁を帯びたいわゆる古賀メロティーでヒットを連発したのに対し、古関の曲はある意味正統的、クラシック的過ぎてヒットせず、当時新民謡と言われたご当地ソングみたいなものばかりを作曲していました。そういう時代の例外としては早稲田大学の応援歌である「紺碧の空」があります。これは早稲田としては七番目の応援歌であったにも関わらず、あっという間に人気が出て早大での一番有名な応援歌になります。(ちなみに慶応大学の応援歌も古関裕而で、こちらはかなり後になります。早稲田の方の歌詞の最後が「覇者、覇者、早稲田」となっているのに対し、慶応の方のタイトルは「我ぞ覇者」で早稲田への対抗意識が感じられます。)古賀に負け続けていた初期の古関裕而ですが、時代は次第に戦時色を強めて行き、古賀の哀愁調の曲から、古関の応援歌的スタイルが次第に受入れられるようになり、最初に大ヒットしたのが「露営の歌」でいわゆる「♪勝ってくるぞと勇ましく誓って国を出たからは」です。全国で出征兵士の見送りには必ずこの歌が歌われるほど人口に膾炙します。そしてその後も「若鷲の歌」(♪若い血潮の予科練の)、「ラバウル海軍航空隊」など、次々にヒットを飛ばすようになります。古関の軍歌は、軍隊の賛美一方ではなく、底にある種の哀愁を帯びているのが特徴で、戦時下の国民に非常に愛されました。
しかし、戦後になると、古関は自分が書いた「若鷲の歌」を口ずさみながら特攻に飛び立って行った若者も多くいたことを反省し、戦後は一転して平和の歌を書くようになります。代表曲として昭和のベスト50に間違いなく入る「長崎の鐘」、「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」などが作られます。しかし、その後古関の本領である応援歌調は再び愛されるようになり、その頂点が1964年の東京オリンピックでの「オリンピック・マーチ」です。この曲は今井光也作曲のオリンピックファンファーレと通常続けて演奏されますが、何と曲の最後では国歌「君が代」の「苔のむすまで」の部分が引用されます。これは実は戦前の「皇軍の戦果輝く」(昭和17年)とまったく同じでした。(「皇軍の戦果輝く」はここです。)著者は古関は一度書いたものはすぐに忘れてしまう人で、これは意識してやったことではないだろうとしています。
という具合に書いていると止まらなくなるのですが、古関裕而って本当にいいなと思います。この新型コロナウイルスのまさにそのさなかで古関裕而夫妻を主人公とする朝ドラが放送されているというのはちょっと不思議です。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳第20回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第20回目を公開しました。
この章全体がそうですが、この論考における中心部分であるだけに、ドイツ語の部分がかなり難解で、理解するのに何度も読み直して利して四苦八苦しています。現時点ではまだ満足できる日本語訳のレベルには達していないと思いますが、後を読んでいけばまた現在の部分もより良く理解出来ることもあると思い、公開しました。
合名会社や合資会社におけるもっとも重要な概念は「有限責任」「無限責任」だと思いますが、ヴェーバーはこの2つの会社形態においてそういう概念がどこから生じたのかを家ゲマインシャフトの「共通の家計」に求めています。