辻直四郎著の「ウパニシャッド」を読了。この書籍は辻博士が戦前NHKのラジオでウパニシャッドの入門番組をやった時の番組に大幅に加筆したものが前半、後半はいくつかのウパニシャッド文献の日本語訳です。
ウパニシャッドはヴェーダの中から生まれたインドの宗教的かつ哲学的思想の中心かつ頂点を占めるものです。リグ・ヴェーダの内容は様々な諸神に儀式とソーマ(神酒)を捧げて御利益を得るようにする、というきわめて現世志向だったものが、ウパニシャッドはまったくその反対の現世の否定、現世からの脱却を解くものになります。ウパニシャッドではブラフマン=梵とアートマン=我の二元論が中心であり、ブラフマンが宇宙創造の原理のようなもの、それに対しアートマンが我という感じが当てられている通り、それぞれ個々の人間の中にあるものということになり、最高の理想はこの梵と我が一つに溶け合ういわゆる梵我一如というものになります。この梵我一如の境地の譬えに、あるウパニシャッドの文献では、「夢を見てない状態の睡眠」(今日の用語ではノンレム睡眠)がそれに近いとされます。しかし、普通に考えれば夢を見ていない眠りは、半分死んでるようなものではないかという気がします。この思想からは現世において力強く生きていこう、ということにはならず、インドでのこの梵我一如の追求は、遊行するか苦行するかのどちらかであり、どちらにせよこの現世での自分の役割を果たすといった思想はまるで感じられません。インドは16世紀にムガール帝国のイスラム教徒の支配下に入り、そしてご承知の通りその後イギリスの植民地となり、かなり長い間の停滞を経験します。その遠因の一つがこうした思想ではないかと思います。
なお、ブッダの仏教ではブラフマン=梵は認めますが、アートマン=我は、諸法無我という言葉で分かるように否定されています。
なお、収録されているウパニシャッドの具体的な話の中には、クシャトリアである王に詭弁じみた論争を仕掛けたバラモン僧が、王にことごとく問いを論破され、その結果負けたバラモン僧の頭が爆発して砕け散る、といったすさまじいものもあります。カーストではバラモンはクシャトリアより上ですが、実際にはそうでもない場合もあったようです。