白井喬二の「読切小説 白井喬二自選集」(輝文堂書房、昭和17年2月20日発行)を読了。内容は短篇5篇で、「梁川庄八」、「相馬大作」、「関根弥次郎」、「風流刺客」、「平手造酒」、「般若の雨」を収録。「梁川庄八」は紹介済みなので省略。二篇目の「相馬大作」については、白井喬二は相馬大作ものを3作書いています。1938年に「日の出」に掲載された「相馬大作」、もう一つは共同通信系の地方紙夕刊 1952年12月-1953年6月掲載された「新説相馬大作」、そして「オール小説」の昭和31年7月号に掲載された「春雷の剣」です。今回の書籍に入っているのが一番目のものです。「春雷の剣」は以前読みましたが、私はそれは今回読んだ戦前のものが単に改題されただけかと思っていました。しかし内容は別でした。とすると、白井喬二は相馬大作をネタに3回も小説を書いている訳です。相馬大作は南部藩の武士で、津軽藩の藩主を襲って殺そうとしますが失敗します。しかし講談などの世界では、見事成功したことにされており、忠臣蔵と同じで主君の恨みを晴らした忠臣ということになっています。今回の戦前の作品でも相馬大作は一度鉄砲で津軽藩主を狙って失敗しますが、二度目にこの藩主が川を舟で渡ろうとした所を襲い成功します。
三番目の関根弥次郎も、一種の忠臣もので、藩を牛耳る奸臣を除こうとして辞職を勧告したのに対して逆に逆臣にされたのを、その奸臣の館に斬り込んで16人斬りをするが結局その奸臣を打ち漏らすという話です。
「風流刺客」については、白井らしい変わった設定のお話。「平手造酒」は講談や浪曲の「天保水滸伝」で有名な剣士で、立派な剣の腕を持ちながら酒で身を持ち崩して侠客の用心棒となって、結局最後に出入りで死ぬというもの。「般若の雨」についてはこれも変わった設定ですが、ハッピーエンドなのがちょっと救われます。
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白井喬二の「梁川庄八」と「梁川庄八諸国漫遊」(講談の小説化)
ヤフオクで落札した「白井喬二自選集」(輝文堂、1942年)の中の「梁川庄八」を読了。梁川庄八は戦前の講談で有名だった仙台藩出身の豪傑のようです。1926年に映画にもなっています。白井の小説では、泥亀という盗賊を捕らえる話と、そもそも親の仇である茂庭周防を討ち取る所で話が終わっています。終わり方が中途半端だったので買ってみたのが左のもので「長編講談 豪傑智勇 梁川庄八諸国漫遊」で、大正6年の出版です。この2つを比べると、大衆小説が最初「新講談」って呼ばれたのは良く分かります。講談の方が白井のより話としては面白く、特に庄八の母親が女性ながら大変な力持ちで、器量は良くないのですが、庄八の父が酒が入った状態でからかって、最後はその女性を妻にするエピソードがなかなか面白いです。庄八は茂庭周防を討ち取った後自首して牢に入れられますが、最終的には脱獄して、日本全国を旅します。そして行く先々で義に加担して大暴れします。「諸国漫遊」というと水戸黄門が有名ですが、この頃の講談には明智光秀のとか猿飛佐助の諸国漫遊というのもあったようです。梁川庄八は日本人が好きな義に厚い豪傑です。しかしながらGHQの封建思想の抑圧によって戦後はまったく忘れられてしまったようで、ググってもほとんど情報が出てきません。白井のこの小説はそれほど出来がいいものではありませんが、少なくとも梁川庄八という忘れられたキャラクターを教えてくれるきっかけにはなりました。尚、立川文庫では「柳川庄八」という表記になっています。
アルバート・ペイスン・ターヒューンの「名犬ラッド」
アルバート・ペイスン・ターヒューンの「名犬ラッド」を読了。もしあなたのお子さんが小学校高学年から中学生くらいで、動物好きなら、夏休みの読書に是非ともこの本をお勧めします。日本語訳は絶版で新品では手に入りませんが、古書や図書館で入手出来ると思います。きっと一生の宝となることを保証します。もっとも読んだ後で、コリー犬を買って欲しい、と言われても知りませんが…その時はこの本にある「人は犬の所有者になることは簡単に出来る。しかし犬の主人になることが出来るのは選ばれた人間だけである。」と言ってごまかしましょう。私は日本語訳と英語のオリジナルを両方買いましたが、その理由は日本語訳ではオリジナルの第7章と第9章が翻訳されていないからです。
日本語訳の訳者はコリー犬の雄であるラッドをこう描写します。「愛するもののためには命を投げ出し、死をも恐れない勇気があり、小さいもの、弱い者に同情し、掟を守り、平和を愛し、誇りをもち、不正を憎み、誠実で、人なつっこく、寛大で、しんぼうづよく、しかも強い大きな美しい体を持ち、主人を絶対的に敬い、敏感で、人間の気持ちをよく理解し、ご愛嬌にチョッピリちゃめっ気まであり、大好きな女主人の前では子犬のようにじゃれ…」まったくこの通りの犬であることがこの本を読むと分かります。しかも架空の犬ではなく、正真正銘のアルバート・ペイスン・ターヒューンの実在の愛犬でした。
このラッドの話は世界が第1次世界大戦で戦火の中にある時に雑誌に連載されました。16年の生をラッドが全うした時には、子供たちからの悲しみの手紙が殺到したそうです。
この物語には、ラッドの主人と女主人とは対照的な人物として自称「ウォール街の農夫」というのが登場します。この人こそ、お金で様々な高級な犬を買い込んで、それをコンクールに出して名誉を得ようとしますが、結局本当の意味での犬の主人にはなっていないため、いつもボロを出して失敗し、結果的にラッドの引き立て役みたいになっています。日本語訳で省略されている2話もこの男がからみます。
名犬ラッシーの最初の映画は、別の飼い主に売られたラッシーが逃げ出して元の主人にまた会うためにはるばると旅をする話ですが、ラッドの中の話でも、ラッドがニューヨークの品評会で優勝して車で家に帰る時、口輪をはめられた状態で車から振り落とされ、主人にはぐれてはるかな距離を旅する話があります。また別のコリーが前の飼い主に会うためにはるばる旅した例があったことが紹介されており、名犬ラッシーはやはり名犬ラッドを元にした話だと思います。
色々いい話がありますけど、ラッドの若い奥さんのレイディとか、息子のウルフの話も感動的です。
牟田和恵の「部長、その恋愛はセクハラです!」
牟田和恵の「部長、その恋愛はセクハラです!」を読みました。先に紹介した佐々木力氏の本の中に出てくるので読んで見たもの。良くある「セクハラについてのガイドライン」的な本ではなくて、恋愛との境界線にあるような微妙な関係のケースについて非常に良く分析してあって、かなり参考になります。佐々木氏はこの本について序文にある「セクハラ事件のほとんどは映画の「羅生門」(芥川龍之介の「藪の中」)と同じ(証言する人によってまったく話が違う)」を引用しているのですが、むしろ引用すべきは他にあって、この本を読むと佐々木力氏のやったことはやはりセクハラと糾弾されても仕方がないのかな、と思うようになりました。氏の場合、指導教官として指導する立場にあった台湾人の女性を、フランスでの学会のついでに観光旅行に行き、そこである教授をその女性に紹介するから、旅行への同行を提案します。女性は一度承諾するのですが、後からやはり二人だけで旅行するのはまずい、と思い断ります。それに対し佐々木氏が「約束を破ってはいけない」ということで執拗に女性を非難します。この事実の見え方が、佐々木氏側からと女性側からは違っていて、佐々木氏はあくまでその女性を斯界で有名な教授に紹介する善意のつもりで、女性から見ると、それが必要不可欠でもないのに、それを口実に旅行に誘っていると思い、しかも断るとある意味逆上したように道徳論を振りかざしてその女性を非難してきた、ということになります。まあそれでもセクハラについての冤罪がまったく無いとは思いませんが、自分自身男性であって、それ中心の視点に捕らわれているなという部分はちょっと反省しました。
佐々木力の「東京大学学問論-学道の劣化」
佐々木力の「東京大学学問論-学道の劣化」を読了。この本を読んだきっかけは、先日の折原浩先生の「東大闘争総括」の書評会で、偶然私の左隣に座ったのが佐々木氏だったことです。それだけだったら佐々木氏の名前も記憶することはなかったと思いますが、氏自身が質問に立たれたのと、その氏に対し、おそらくこの本にも出てくる「労働者の力」(第四インター日本支部のなれの果て)の人と思われる人が更に発言し、まず折原浩先生に対し「父兄」という言葉を使ったことを非難しました。折原先生は当時の学生の親から「息子(娘)を大学闘争に巻き込まないで欲しい」と言われたことを語っただけで、当時一般的だった「父兄」という言い方をしただけだと思いますが、そんなことにとがめ立てするPC派が日本にもいるんだ、とちょっと驚きました。さらに続けてその人は佐々木氏の過去の「セクハラ」事件について改めて糾弾し、日本人以外で女性という二重のハラスメントだ、みたいなことを言っていました。(ちなみにこの「労働者の力」が女性問題にこだわるのは、かつて三里塚闘争の時に、ここのメンバーが4人が女性活動家に対して強姦・強姦未遂を起こした、という過去があるからです。やれやれ。)
それで、その「セクハラ事件」の真相について、佐々木氏の言い分はどうなのかを確認したくて本書を読みました。ちなみに後書きは折原浩先生が書かれています。
結論から言えば、被害を主張している台湾からの学生のある意味思い込みによる一方的告発という感じがします。ただ、佐々木氏の方にも誤解を招くような行動が多く、それは善意から成されているのでしょうが、瓜田に履を納れず、的な慎重さに欠けていることは否めません。例えば、この女子学生が深夜に男性から電話がかかってきただけで大騒ぎするようなある意味病的な潔癖症であるのに対し、この女性が病気になった時に、食事を作ってあげるために家にまで押しかけている(佐々木氏自身はお金を出しただけと言っていますが)のは明らかにやりすぎです。しかし、私としてはE・M・フォースターの「インドへの道」を思い出しました。(「インドへの道」はイギリス人独身女性のアデラが婚約者を訪ねてインドへ行き、そこでヒンズー教のセクシャルな石像を多数見てちょっとおかしくなり、インド人男性医師のアジスの誘いでマラバー洞窟に出かけた時、その中で一種のヒステリーを起こして叫びながら出てきてしまいます。その結果アジズがアデラを洞窟の中で襲ったのだということになってしまい、アジスが冤罪で裁かれるという話です。)
そういうことで、被害者(と称している人)から話しを直接聞ける訳でもないので、セクハラの吟味については保留にしますが、問題はその後の東大側の対応の異常さです。おそらく普段から自分の業績について率直に語り、かつトロッキストという佐々木氏に対するある種のそねみみたいなものが存在したのは事実でしょうが、しかしその程度のことでここまでやるか、という思いを禁じ得ません。折原浩先生が東大闘争時の東大側の対応を鋭く批判しましたが、結局体質はその後も変わっていないように思います。(特に法学部)要するに未だにムラ社会そのもので、そこでは村八分的な陰湿なイジメが今でも横行しているということです。
後は悲しい思いをしたのは、東京大学の駒場のレベルの激しい低下です。大学院大学化と大学の法人化はダブルパンチで、駒場だけでなく東大のレベルの低下を促進したようです。もしかすると私が教養学科で学んだ頃(1983年10月~1986年3月)は、教養学科のピークの頃だったのかと正直な所思いました。確かに、折原浩先生だけでなく、廣松渉先生、杉山好先生、中根千枝先生(その当時は非常勤)、野村純一(民俗学)、石井不二雄先生(ドイツ文学、ドイツリート)などなど、錚々たる方々から自由に好きなことを学べた環境というのは本当に素晴らしかったな、と思います。
半揚稔雄著の「惑星探査機の軌道計算入門 宇宙飛翔力学への誘い」
柳宗悦の「朝鮮の友に贈る書」
日本と韓国と、両方の国の低レベルの政治家達により、日韓関係がかつてない程悪化していることに憂慮します。
今こそ皆に柳宗悦の「朝鮮の友に与える書」を読んで欲しいです。この書は三一運動に対する弾圧で多くの朝鮮人が殺されたことに憤った柳宗悦が新聞に発表した文書です。
(注:柳宗悦の著作権は2011年に失効しています。なおTPPへの参加により、著作権保護期間が作者の死後70年に延長されましたが、一度失効した保護が再度復活することはありません。)
「名犬ラッシー」の元は「名犬ラッド」?
アルバート・ペイスン・ターヒューンの紹介をしましたが、良く考えると「名犬ラッシー」の元は「名犬ラッド」なんじゃないでしょうか?ladは少年、lassieは少女の意味で、ラッドが雄のコリー犬、ラッシーが雌のコリー犬です。
「名犬ラッシー」の最初の話は映画の「家路」で事情があって別の飼い主に売られたラッシーが遠く離れた長い旅をして元の飼い主の所にたどり着くという話ですが、「名犬ラッド」に同じような話があるみたいです。
犬に襲われたら…
この記事は、大日本雄弁会講談社の「少年倶楽部」(昭和一桁生まれの人には涙が出るほど懐かしい子供向け雑誌)の昭和8年1月号にあった「犬に襲われたら」の記事。昔、J社で仕事をしていた時、監修の仕事でお付き合いのあった作家・評論家の紀田順一郎さんが、HP(今は無い)でこの記事を紹介していて、昔の子供雑誌の記事は役に立ったと書いていました。何かと言うと、紀田さんが終戦後に野犬に襲われたことがあり、この記事を思い出してこの両肘を外に突っ張るポーズをやったら、効果覿面で野犬が逃げていった、と書かれていました。そこまでは紀田さんの思い出で、その時のHPで紀田さんは末尾にある「アルバート・テルーン」って誰なんだろう、と疑問を呈されていました。そこで私が登場するのですが、インターネット検索を駆使して、結局この「アルバート・テルーン」というのは、アルバート・ターヒューンであることを突き止めました。アルバート・ターヒューンは、大の犬好きの作家で、「名犬ラッド」という、名犬ものの走りのような作品を書いています。「名犬ラッド」は岩波少年文庫で出ていました。現在でも古書で入手可能です。アルバート・ペイスン・ターヒューン(Albert Payson Terhune)であり、Terhuneをテルーンと読んだのは分からなくもないです。(今考えて見ると、「名犬ラッシー」はこの「名犬ラッド」がベースになっているんじゃないでしょうか。ladは少年、lassieは少女の意味です。ラッドが雄のコリー犬、ラッシーが雌のコリー犬の話です。)
ところで、このポーズが犬に効果あるのは、おそらくゴリラか何かを思い出させるのかな、と思います。犬猿の仲、という言葉があるように、犬と猿はお互いに仲が悪く敬遠しているんじゃないかと思います。
リンク:「中世合名会社史」と大塚久雄
日本マックス・ヴェーバー研究ポータルを本格的にスタートしたので、ヴェーバー関係の記事はそちらをメインとし、「知鳥楽」にはリンクのみを載せていきます。
「中世合名会社史」と大塚久雄