2009年5月のレコード芸術(クラッシック音楽の雑誌)は1970年代特集です。
その特集で、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの70年代の精力的な活動について、ドイツリート研究家の喜多尾道冬氏が書いていますが、その中に石井不二雄先生の話が出てきました。(よほどドイツリートを聴いている人でなければ、石井不二雄、誰それ?って感じでしょうが。日本で最大のシューベルト研究家、ドイツリートの研究家です。)
お二人は友人関係だったようです。
それによれば、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのシューベルト歌曲全集が発売された時に、その膨大な数のリートの対訳を石井不二雄先生がわずか一ヶ月で仕上げられたのだとか。
石井不二雄先生から、大学の時にドイツリートの講義を約10ヶ月受けることができました。その講義の直後、先生は入院され、わずか数ヶ月で急逝されました。
思えば、石井不二雄先生が亡くなられたのは46歳の時で、既に私はその歳を過ぎてしまいました。私のライフワークのシューベルト「冬の旅」のレビューは、いつか先生のためにも仕上げたいと思っていて、まだ果たせていません。(現在所有している「冬の旅」のレコード・CD・テープは60種類以上です。)
大学で、ドイツリートを石井先生に習い、J・S・バッハについて、杉山好先生に教わり、そして音楽史を戸口幸策先生に習い、と今考えれば何と贅沢な環境だったんでしょう。石井先生のドイツリートの講義の隣の教室では、高辻先生(ワーグナーの対訳で有名)がブルックナーの講義をしていました。
なお、石井不二雄先生はヤナーチェクの専門家でもあり、ヤナーチェクを日本に紹介するのに功績がありました。マッケラス指揮の「利口な女狐の物語」の日本語対訳は石井不二雄先生によるものでした。